誰一人取り残さない、人に優しいデジタル社会の実現への挑戦

司会者1:Climbers 2021 DAY2のトップバッターは、デジタル改革担当大臣の平井卓也さんです。

司会者2:新型コロナ禍で明らかになった、我が国のデジタル化の遅れ。It's now or neverの覚悟で、誰一人取り残さない、人に優しいデジタル社会の実現に挑みます。

塩見賢治氏(以下、塩見):おはようございます。本日はすてきなゲストをお招きしております。デジタル改革担当大臣の平井卓也さんです。

平井卓也氏(以下、平井):よろしくお願いします。

塩見:本日は大臣という立場のお話だけでなく、平井さん個人のお話もたくさん聞きたいと思っております。「大臣」ではなく、「平井さん」とお呼びさせていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

平井:はい。けっこうです。

塩見:改めましてインタビュアーを務めさせていただきます、Sansan株式会社Eight事業部の塩見と申します。よろしくお願いいたします。

さて、この「Climbers 2021」は昨日より開催しておりまして、たくさんの視聴者のみなさまから反響をいただいております。この2日間はライブ配信を通して、リアルな内容をさらに深掘りして、臨場感あふれるものにしていきたいと思っておりますので、ぜひご期待いただければと思っています。

その2日目のファーストセッションを平井さんにご担当いただけて、大変光栄に思っています。本当にありがとうございます。

平井:よろしくお願いします。

デジタル化を進めるには、まず「今までの当たり前」を疑うところから

塩見:それではさっそく進めていければと思います。本日は「Doubt what you take for granted」というタイトルをいただいております。平井さん、どういう思いでこのタイトルをつけられたのですか。

平井:結局、行政手続きは面倒くさいものだという「今までの当たり前」を、我々は疑ってなかったんだと思うんですね。そして今まで、いろんな(書類に)ハンコを押していたり、紙でないといけなかったり、役所に出向いてやらなきゃいけなかった。要するに、「今までの当たり前」は変えない前提で、デジタル化も含めたいろんな改革が進んできていたんです。

しかし、それはどうも違うなと。今までのやり方は全部変えることができる。「今までのやり方がいい」「今まで当然そうだったから」ということを、まず疑うところから始めないと、デジタル化はうまくいかないと思いました。

今回の新型コロナで、「世界各国と比べてみて日本はやっぱり不便だ」と国民にバレちゃったんですね。それは間違いなく、デジタル化の遅れ。「今までの当たり前」を変えることができなかったこの国の弱点が露呈したと思います。

塩見:平井さんから見て、日本が一番遅れていると感じるポイントはどの辺ですか?

平井:はっきり言って、日本の行政の根幹は明治時代から変わっていない。企業もそうだと思いますよ。DX、DXと言いながら、実際にやっているのはデジタルでちょっと何かをやろうということ。本当の意味でのDXはトランスフォームですから、もう大きく変わってしまう。そういう勇気がなかったんだと思うんです。

いわば戦後の経済成長の勝ち組、経済の牽引者だった日本のみなさんが、これだけテクノロジーもあり、良質なデジタルインフラがありながら、「自らのビジネスモデルを根本的に変えよう」というモチベーションにはあまりならなかったんだと思います。

行政も、「無難に間違わずにやっときゃいいや」と、国民にまったく新しい価値を届けることに熱心ではなかった。そこがやはり弱かったと思います。

日本が遅れをとった原因は、新しいことをする発想力と決断力の不足

塩見:なるほど。ただ一方で私自身、一国民としては、やはり日本はデジタル大国だと教わってきたところもあり。それこそ携帯電話の技術が進んでたり、4Gとか、インフラは他の国に比べてすごく整っている実感があるんです。その中でも進みが弱かったのは、どういったところが原因なんですかね。

平井:2001年にIT基本法が施行されて、高度情報通信ネットワークを世界に先駆けて整備していこうとしました。要するに、すべてのみなさんがインターネットを使えるようにしようと、光ファイバーのカバレッジであるとか、Fiber To The Home(FTTH)とか、携帯電話のカバレッジ、またはスピード。そういう基本通信インフラに関して言えば、日本は世界有数の国なんですよ。

ただ、それを使って新しいことをすることに関して言えば、あまり発想力がないというか、思い切った決断ができなかったと思うんですよね。今日のイベントはオンライン配信ですけど、デジタル化を考えると、ある時点で決断をしていたら本当はテレビ東京さんだってNetflixになれてたんですね。

塩見:なるほど。そうですね。

平井:やっぱりそういうところを見送ってきちゃったところがあって。はっきり言って、物事を変えていくことに本気度が足りなかったのが敗因だと思います。

格差が広がるデジタル化はやるべきではない

塩見:なるほど。ちなみに平井さんから見て、日本はここをベンチマークしたほうがいいんじゃないかと思う、今一番デジタル化が進んでる国って、どういった国があげられますか? 

平井:やっぱりエストニアとか、デンマークとか。近いところだと韓国も進んでいると思います。北欧の国なんかは、社会システムの中にデジタルをうまく取り込んでいるなと思いますし、やはりアメリカでも、新しいプレイヤーがどんどん増えてきている。

ただ日本ほど丁寧にやっていない。アメリカ流のやり方をしちゃうと、勝ち組・負け組がはっきりするような、格差が広がるデジタル化なので。日本は後発でも「No one left behind(誰一人取り残さない)」と言っているのは、アメリカや中国のように、格差を助長するようなデジタル化はやるべきじゃない、みなさんにチャンスがあるようにしたいという思いで、今回の新しい法律の中にはそれを書き込みました。

塩見:ちょっと遅れたからこそ、アドバンテージがあるんじゃないかという話ですね。

平井:そう。出遅れのアドバンテージを最大化しようというのが、今回の局面だと思います。

まだまだDXは粘り強くやっていかないといけない局面にある

塩見:なるほど。実は私がやっている「Eight」も、名刺管理のアプリなんですけど。

平井:私も使っていますよ。

塩見:ありがとうございます。実は8年以上前から、まさにアナログの名刺交換をデジタル化の時代に合わせていく取り組みをやっているんですけれど。

平井:いやぁ、知ってます。

塩見:私が責任者をやっているんですが、いまだに、先ほども紙で名刺交換をさせていただいた状況なので。まだまだDXって粘り強くやっていかなきゃいけない局面なんだなと思っているところはあるんです。

平井:そうですよね。だからSansanのEightでもデジタル上で名刺交換ができたりするけど、やはり紙の交換は大きいんですよ。

塩見:そうですね。手触り感がある方が安心する感じは、すごくありますね。

平井:やはり名刺って捨てられないじゃないですか。管理の技術としてデジタル化しているのは非常にありがたいし、みなさんバラバラに出会ったりするんで、実は知らない間に同じ会社の人といっぱい知り合っていたりするんですよね。

それを整理する意味では、Sansanさんも、最初は社長もみんなも大変だったでしょう(笑)。

塩見:そうですね。直接名刺をスキャンしに行ってましたからね。

平井:すごくがんばったなと思います。

塩見:ありがとうございます。本当にいろいろな話が聞けるのかなと、ますます楽しみになってまいりました。

子どもの頃に感じた、政治家の役割

塩見:さて、ちょっといろいろと話題を変えて伺えればと思うんですが。

まず平井さんのご経歴を確認させていただくと、1958年に香川県でお生まれになって、まずは民間企業である電通さんと西日本放送でお仕事をされていたと伺っています。その後、2000年に選挙で初当選されて、今は先ほどお話にありましたデジタル改革担当大臣を始めて、とにかくIT化促進だと、ずっと政治活動を続けられていると認識しております。

民間企業で仕事をされていた時代も含めて、仕事に向き合う姿勢をひもといていきたいと思っておりまして。例えば、幼少期や学生時代にどういった影響を受けたからそういったIT化促進という姿勢になったのか、ちょっとお聞かせいただけますか。

平井:私は子どもの頃から政治家を目指していたわけではないんですが、祖父も父も参議院議員をやっていました。一緒の家に住んでいましたから、とにかく来客が多かったんですね。それもスポーツ選手から芸能人から、また地元の方々とか政治家とか、ありとあらゆる方々の話を祖父や父が聞いていたのを横で見ていました。

「あぁ、(政治家って)こういう職業なんだと。人の話をたくさん聞いて、そして困っていることを助けている。世の中のためにいいことをやっているんだな」と、子どもの頃に刷り込まれたところはあると思います。それから政治家になろうと思ったのは、ずっと後なんですけどね。

塩見:ちなみに、どういった方がご自宅においでになるんですか。

平井:当時の芸能人は、まぁ昔の方ですから、宇津井健さんとか星由里子さんとか。あと池内淳子さんとか、もうたくさん来ていましたよ。

塩見:今振り返ると、一番影響を受けたなと思われる方っていらっしゃいますか? 

平井:芸能人から? 

塩見:芸能人が一番わかりやすいかなと思いまして。

平井:芸能人はなかったんですけど、祖父が田中角栄さんと親しかったことがあって。田中角栄さんの前の郵政大臣を、祖父がやったりしたんですよね。地元の大平正芳総理も自宅に来られたりしました。

なんせそういう方々は、政治家としてのオーラがありましたよね。幼いながらも、なんか偉い人なんだなと思ったりしました。

民間企業時代はチャレンジの連続だった

塩見:なるほど。その後、実際に民間企業に勤められてましたが、実際にどういったことをされたんですか? 

平井:民間企業の時に出会った上司に、服部庸一さんという方がいて。今の電通の海外戦略をまさにスタートさせる頃で、彼がオリンピックやサッカーワールドカップといったイベントをやっていたんです。当時私はテレビの仕事をしてたんですけど、語学がある程度できたので、海外要員としてスカウトされまして。

「とにかくでかい仕事をしろ」と。でっかい山を登る、この「Climbers」で言えば、でっかい山は人が与えるものではなくて、自分で見上げて見つけろと。当時からなんとなく大きいことにチャレンジする会社なんだなと、相当無謀なこともいっぱいチャレンジさせてもらいました。

塩見:ちなみに1つ、どういった大きいことがあったんですか。

平井:いくつかうまくいったものもありますよ。メジャーリーグの球場の上を富士フイルムのマークをつけた飛行船を飛ばす仕事も、1年間ぐらいやっていたこともあるし。あとはイギリスのマン島という島があるじゃないですか。

塩見:あぁ、レースをやるところですね。

平井:そこでソニーさんの「ウォークマン」の冠で、ウォーキングの大会をしようという企画を作って。これは見事にボツになりましたよね。いい企画だったんだけど、企画の詰め方が……。思いついたことを、いろいろやらせていただきました。

その時に、仕事は人から与えられるものじゃなくて、やはり自分で作るものだと。当時私は入社して間もなかったんですけど、特に海外の偉い方々は役職じゃなくてキャラクターで判断してくれるので、「一生懸命やってくれる」とけっこう大事にしてもらえました。

若い人を大事にする方々をいっぱい見てきたので、私はいま、若い人をいっぱい大事にしていますよ。スタートアップのみなさんとか、学生のみなさんにはできるだけ時間を取ろうと思ってやってます。

塩見:すばらしい。ありがとうございます。