教師は本当に「話し合う暇すらない」ほど忙しいのか?

澤田真由美氏(以下、澤田):庄子さんの話を聞いていて、従来の“良い先生像”ではない、でももっと自由な、次世代型の先生なんだろうなといつも思います。働き方改革の場面でも、従来の良い先生像とか、今までの当たり前をたくさん疑っていくことがあって。例えば、「授業と部活があるから、働き方改革に時間を割けません」と相談をよく受けるんです。

妹尾昌俊氏(以下、妹尾):そうねぇ。

澤田:でも、「それ本当ですか?」と思っていて。授業時数はすごく余剰があるのに、本当にこなさないといけないのかな? とか、部活動って教育過程外だけど、本当に、絶対に1回も休んじゃいけないのかな? とか。

実はカットしても学校サイドで(調整が)できることだから、そこで生んだ時間を働き方改革のための対話の時間にする。対話をしたことでアイデアが生まれて、それをかたちにすることで働き方にゆとりができるという良い循環ができる。時間の投資だと思うんですけど。

子どもに直接関わるところは手を付けちゃいけない聖域だという、これまでの当たり前を一回解いてみると、実は好循環が生まれるんだよということを、私も最近関わる学校に発信しているし、それが実現できている学校や自治体さんも増えてきたなと思っています。妹尾さんはいかがですか?

妹尾:そうですね。そこは僕もよく意識することやね。よく「話し合う暇すらない」と先生方は言うんだけど、「本当か?」と思うんですよね。

「忙しい、忙しい」と、忙しいのは確かで、いろんなデータでも、日本の小学校や中学校の先生方が世界一忙しい勤務状況にいるのは確かなんですけど。とはいえ、「忙しい、忙しい」を言い訳にしすぎてもいけないなと。時間の投資が必要なところにあるのかなと思っていて。

例えば部活動も、意義はたくさんあるんですけど。コロナ前までは部活にどれくらい時間を使っていたかというと、たいがいの先生は、1,015時間よりも長くやっているんですよね。1,015時間というと、中学校の場合、1年間の全部の教科の授業時間数が1,015時数です(注:1時数は50分)。全部の教科を合わせた時間よりもたくさん部活動に時間を投資しているわけですね。

部活をたまには休みにしてもらって、本当に今のままの部活で持続可能なのかとか、もうちょっと保護者とのコミュニケーションで部活の在り方も一緒に考えてみようだとか、必要なほうに時間を振り向けてみようという発想は大事かなと思いますね。

先生の意識改革だけではうまくいかない

澤田:庄子さんの場合は、1人で工夫できる働き方をすでにたくさんされていて、実際に成果も出されているんですけど、学校組織でやっていくというのも両輪で必要だなと思っていて。妹尾さんは、そのあたりどういう支援をされていますか?

妹尾:そうですね。よく言われるのは、「先生方の意識改革が必要だ」ということで、それは確かにあるんだけど、個人の心がけとかタイムマネジメントスキルだけではうまくいかないこともたくさんあって。

「部活動をたくさん抱え込んじゃっています」とか、「保護者との連絡が一方通行で、保護者との関係性が十分に作れていません」とか、あるいは「研究授業の準備が大変過ぎて、授業する人は徹夜でしていますよ」みたいな。

そういうところって組織的な問題なので、例えば校内研修とかを利用して、もうちょっと「今のままでいいんだっけ?」と。

今回特にコロナ禍で、学校行事をだいぶ減らした話にも関係するんだけど、「そもそも運動会ってそこまで必要だったっけ?」とか、「卒業式の呼びかけって本当に必要なんだっけ? なんのためにやっていたんだっけ?」とか、「修学旅行って学びになっているんだっけ?」とか。

「今までのが悪い」というばかりじゃなくてもいいんですけど、「何のためにやっていたのかな」と原点に立ち返った上で、もうちょっとやり方を工夫したり、そこまで準備に時間をかけなくてもやれることってあるよねと。

そういう話し合いの場をしっかり作っていくことと、話し合ったあとにしっかりフォローアップをしてあげることが大事ですよね。働き方改善のためのアイデアを出して、付箋をいっぱい貼るんやけど、それが倉庫に眠ってますみたいな学校もけっこうあるよね。

庄子寛之氏(以下、庄子):うーん。おっしゃるとおりですね。

「早く帰りなさい」だけでいいのか?

澤田:庄子さんの学校でも、組織で何かされてますか?

庄子:そうですね。でも、先ほども申したんですけれども、(帰宅が)遅い人は遅いんですよ。それを「早く帰りなさい」というのもちょっと違うなとは思っていて。

もちろん、その人が早く帰りたいのに帰れないのであれば、援助は必要なんですけど、やりたくてやっている場合であれば、もちろん健康を損なわない程度に、その人のことを認めることがとても大切だなと思っています。

組織ではないかもしれないですね。組織のことはお二人にぜひ聞きたいし、うちにもぜひ講師に来ていただきたいんですけど。

妹尾:行きますよ~。

庄子:(笑)。本当にありがたい限りです。私は研究主任でもあるので、やはり一教員の自分が言ってもあまり説得力のないことは、講師に来る先生を選んで、「私はこういうことを言いたいんです」と言って、外部の方に(代わりに)言っていただく。それでかなり良くなったり、響いたりすることはありますね。

先生たちの自主性を引き出す、プロジェクト型の校内研修

庄子:うちでは今まで、教科を1つに決めて校内研修を行っていたんですけれども、「校内研究ってそもそも何でやるんだっけ?」と話し合いをして、好きなことを学ぶことが学びになるということで、みんなが好きなことをプロジェクト型でやろうとなりました。好きなことなので逆に時間は取らずに、中間発表2回、最終発表1回とだけ意識をして。

妹尾:例えばどんなテーマで?

庄子:英語がやりたい人たちは英語、プログラミングをやりたい人はプログラミング、あとは体育・遊びチームと、行事で「愛校心」をやりたいという、4つにとりあえず分かれたんです。発表の日だけを決めると、自然と「忙しいけれど集まろう」ってなるんですよね。

どうしても「校内研修は月曜日の15時半です」と決められると、ああ嫌だなと思いながら行って。

妹尾:やらされ感でね。

庄子:半分寝ながら聞いて、「これをやってください」となってちょっと辛くなるんですけど、そうじゃなくても、「2ヶ月後に発表があるから今日は集まりましょう」「やりましょう」みたいになるんですよね。

やはり教員も「ねばならないもの」はワクワクしないんですけど、自分たちでやろうと決めたものに関してはワクワクできるかな、なんて思っています。

澤田:校内研究もそうなんですけど、働き方改革もまさにそうで。私がコンサルティングに入る時に、すごくパワフルだなと思うのは、先生方になにかしら1人1つくらいは「ここをもっとこうだったら働きやすいのにな」ということがあるんですね。それをみんなに出してもらって、「自分が話したいことについて今からの時間を使ってください」と言うんです。

例えば「運動会委員会のメンバーだから、運動会についての業務改善を考えてね」と言われてもアイデアは出てこないけど、運動会のことをもっとよくしたいと思っている人が集まって話し合うと、教育の質を保って、むしろ上げつつ、でも先生たちの負担も減らせるようなすごくいいアイデアが出てくることがよくあって。

プロジェクト型でやることは、学校にもっと文化として根付いていったらいいなとすごく思いますね。

庄子:ありがとうございます。

先生に足りないのは、授業のこと以外の「話し合いの場」

妹尾:その関連で言うと、いろんな調査を見ていても、小学校って校内研修の回数がけっこう多いんですよね。

庄子:うん。多いです。

妹尾:だけど、授業研究に偏っている部分がある。授業研究は大事なんですけど、今の時代、それだけをやっている場合じゃないだろうと。

中学・高校に上がるに従って、校内研修すらあまりやらないようになって、同じ教科の先生でテストの範囲とかは相談するんだけど、それ以降のコミュニケーションがなかったり、教科を超えてはあまりなかったり。

生徒指導の案件とかはもちろんコミュニケーションしますけど、せっかく専門家というか、学びのプロである先生方がたくさんいるんであれば、働き方の見直しもカリキュラムも、いろんなことにもっとアイデアを出すような場があって、みんなどんどん言っていいんだよと。

アホっぽいことも含めて、どんどん言い合って、できることからまずやってみようみたいな、身軽で気楽な発想も大事かなと思うんですよね。

組織的にしていく意味で、僕がよく校長や教頭の研修の時に申し上げているのは、「みなさんが必ずしもアイデアマンじゃなくてもいいので、そういう場をどんどん作ってください」ということですね。

庄子:まさに、私たちって「来週はここまでやりましょう」とか、「何日までにこれやりましょう」とか、「次の行事がこれだから分担しましょう」という話はすごくするんですね。別に仲が悪いわけじゃなくて、むしろ仲良くやっているんですけど。

それでも「ナントカ先生はどんな子を育てたいんですか?」って(話をすることは)、私の教員歴も20年近くになってくるけど、ほとんどないですよね。飲み会では多少あっても、現場で「どういう子を育てたいですか? この単元を通してどういう力を付けたいですか?」という話はほとんどしたことがない。

妹尾:コロナ禍で飲み会も減っているからね。

庄子:そうですね。

話し合うことこそが働き方改革

妹尾:青臭いことというか、でも原点というか、先生になった時の思いもあるだろうし、またはやっていく中で思いが更新された部分もあっていいと思うんだけど。

行事が何のためとか、教えこむばかりが授業じゃないよね、というのもそうなんですけど。どういう子どもたちと一緒に、どういう子どもたちの力を高めたいのか、どういうふうに学び合いたいのかという原点に立ち返ると、いろんな答えがあっていいんですけど、自然と「働き方もこのままでいいのかな」とか「この行事でいいんだっけ」と問い直しができますよね。

澤田:そういうことを話し合うことこそが働き方改革だと思っていて。日々の業務に一生懸命で、漕いでいる手元の水面だけを見ていたら、もしかしたらずっと同じところを回ってしまっているかもしれない。その時間で丸つけをしたいのかもしれないけど、日々の業務は止まってしまうとしても、ちょっと一度手を止めて「目的は大丈夫だったかな」とか、「誰かボートから落ちかけている人いないかな」とかを振り返って考えてみる。

1回手を止めたからこそ、次の日から日々の業務の質が上がるので、しっかり時間を投資していく学校が増えたらいいなと思います。

支援している学校で、それこそ「この行事って何のためだっけ」と話し合ってもらうと、先生たちが元気になるんですよね。

庄子さんが言ったみたいに、いかにするかの話は日々日々しているし、仲も悪くないんだけど、肝心なことは話さずに、バーって流れていってしまっているのがすごくもったいなくて。

でも1回立ち止まって、「目的は? 育てたい力は?」と話し合ってみると、すごく方向性も揃うし、話せてよかったとなるから、学校も元気になって、ちょっと価値観が違うこともわかって、じゃあどうしていこうかという話ができる。学校全体が元気になって、しかもゆとりが生まれるので、働き方改革では組織で時間の投資をしてほしいと心から思います。

先生同士でも個別のコミュニケーションが大事

庄子:指定校になるとそういう時間を取るんですけど、いわゆる一般の学校はなかなか着手しづらい環境があります。澤田さんは元先生で、妹尾さんは教育研究家でいらっしゃるんですけど、もしお二人が今現場の教員で、同じ職場に手を止めずにずっと働いていて、負のスパイラルに入っている先生がいらっしゃったら(どうしますか)。

どうやって声かけていけばいいのか、私も悩むんですけど、澤田さんいかがですか?

澤田:さっき庄子さんが「どれだけ個別指導ができるか」というようなお話されていたと思うんですけど、私だったら、やはり1人ずつにアプローチしていくかなと。

庄子:先生同士でもですね。

澤田:はい。私が教員の時に、「なぜ働き方改革が必要なのか」という資料を自分で作ったんですね。それを(持って)校内にいる「この先生、きっと何か変えたいと思っているな」という方にアタックをして、「10分いいですか」みたいにお話をして、ちょっとずつ仲間を作ることはやっていました。

庄子:ちょっとずつ仲間を作ること、大事ですよね。

多忙の内訳を見よ

庄子:妹尾さんはどうですか?

妹尾:そうねぇ、難題やけど。僕はどうしてもコンサル的な目線になっちゃうけど、やはりまずは「先生、お忙しいですね」と共感しながら、どういうことに忙しいのかなって。

「多忙の内訳を見よ」とよく言っているんだけど。勤怠のタイムカードで、残業が多いのはわかってきましたけど、内訳はわからないじゃないですか。例えば一生懸命コメントを書き、添削するのに本人が思っている以上に時間をかけていましたとか。

コロナ禍ですけど、部活もけっこうな時間をかけていましたと、まずは可視化をして、「意外とけっこうこれに時間をかけていたよね」「これって何のためだっけ?」と振り返る。

もちろんいいこともたくさんやられているんでしょうけれども、24時間のうち勤務時間は7時間45分しかないので、「もうちょっとこれって縮められないかな」とか、「これってもっと他の人に聞いちゃえば早いよね」とか、「1人で抱え込まないほうがいいよね」とか。その(時間を割いている)原因によって、アプローチが変わってくるかな。

今ちょっと悪いほうに行っているかもしれないなというのは、世の中が「学校の働き方改革をしましょう」となってきたのはいいんだけど、残業時間が減ったのかどうかばかりに一生懸命で、遅くまで残っているやつが悪いみたいになっちゃっている。それだけ言われても、本人は困るわけですよね。

どうしていいかわかんないし、自分もよかれと思って忙しくなっているわけなんで。そこをもうちょっとしっかり診断しないと、お医者さんと一緒で、適切な薬なり適切な手術はできないと強調したいですね。