実家は建築会社。小学生でコンピューターを使い始める

藤岡清高氏(以下、藤岡):中山さんの生い立ちや学生時代のことを教えて頂けますか。

中山浩太郎氏(以下、中山):出身は大分県別府市です。祖父の代からの建築会社を父が経営しているので、社長業は身近にありました。建築業界にはソフトウェア開発におけるヒントがたくさんあります。

ソフトウェアの構造を作る人を「アーキテクト」と呼びますが、それはもともと建築から来た言葉です。設計をして、多くの人が関わるプロジェクトをマネジメントしながら設計通りに物を作り形にしていくという現場を、小さい頃から見て育った影響は大きいと思います。

パソコンを使い始めたのは小学校に入った頃でした。家庭用パソコンがようやく出始めた時期です。当時のパソコンは磁気テープやフロッピーを使っていました。テープの音声の中にプログラムが信号として入っていて、テープレコーダーでソフトを再生するのですが、そのテープが頻繁に詰まるのです。

リーダーを開いて、詰まっているところを直したりしながらコンピューターを触っていました。他の子供が家庭用ゲーム機で遊んでいる時に、私の家にはそのパソコンしかゲームをする環境がなかったので、一生懸命直しながら遊んでいたことを覚えています。

その頃に、作文の宿題をパソコンで作成・印刷して提出したら、そんなことをする学生は当時他にいなかったそうで、「手書きで出しなさい」と教師に怒られつつも、将来のデジタル化に期待を寄せていましたね。

起業し、多忙を極めた大学時代

中山:コンピュータ・サイエンスに関する道に進みたいと思ったのは、中学生の頃で、高校から普通科ではなく情報処理科という特殊な学科に入りました。高校から本格的にプログラミングを開始して、部活では情報処理技術に関する大会で県大会に出場したり、簿記や情報処理技術者などいろいろな資格を取ったりしていました。

振り返ってみると、その頃から経営に必要な知識と感覚も徐々に身につけていたと感じていますし、同時にコンピュータ・サイエンスの中でも特にAI分野に対する興味が大きくなっていたことを記憶しています。

本格的なシステム開発や大規模なプロジェクトを経験し出したのは大学に入ってからで、学部生の間にWebシステム開発の会社を立ち上げて代表取締役になり、会社を3年間運営しました。Webの開発をして学費を稼ぎながら学位を取るという二足の草鞋を履きながら活動しつつも、プログラミングや技術系の書籍を7冊出版しました。

その後大学院に進学し、修士時代には大学で非常勤講師もしていました。他にもプログラミングコンテストで日本代表として3回世界大会に出場するなど、当時は多忙の極みで、よく体が持ったなと今では思います。

技術と競争優位性確立のため、研究に戻る

中山:前述の会社では受託開発を主体に活動していました。企業側からの受注、その開発・納品を繰り返す生活の中で、「これは本当に自分がやりたかったことなのか?」と疑問に思い始めました。

当時、会社として売上はしっかり立っていましたし、創業の年から毎年黒字を出して経営は堅調でしたが、コアな技術や販売網といった自分たちの競争優位性が高くないままビジネスを続けても大きな成長は難しいと判断し、一旦技術と競争優位性をしっかり作ることにフォーカスしようと、大学の方に軸足を戻しました。

そして、大阪大学で博士号を取り、その後一年間は研究員として大阪大学で仕事をしていました。

藤岡:当時はどのような研究をなさっていたのですか?

中山:Webから大量のデータを集めて、AIを賢くするという研究です。当時は第2次AIブームが終わって第3次AIブームが訪れる前の、いわゆるAI氷河期でしたが、大量の知識を与えることで高度な知的処理が可能になるAIを実現できるだろう、という考えを持って研究していました。

私が注目したWebには、複雑なものが多くある中で、半分構造化されたようなデータもあるのです。例えばWikipediaやTwitterのリンク情報などの構造化されたデータから、コンピューターが処理し易い大量の知識を上手く取り出してコンピューターに与えることで、さまざまな知的処理をできるようにしていく、という研究を長い間やっていました。

今はディープラーニングの時代となり、学習アルゴリズム、つまりコンピューターがいかに賢い方法で学習し、知的な振る舞いをするかという研究が盛んになってきました。

ただ、大量の知識と学習アルゴリズムは車の両輪のようなものだと考えており、AIの進化には両方が必要だと考えています。今までやって来た大量の知識を抽出する技術と、ディープラーニングや機械学習の技術を融合して、高い知性や応用の幅広さを持つようなAI技術を実現したいと思っています。

東大の研究者に誘われ、東大でAI研究へ

藤岡:その後、東京大学に所属するAI研究者にリクルートされて東京大学に移ったということですが、中山さんのどういった点が注目されたのでしょうか?

中山:当時、私は研究したことを公開することに重きを置いていました。当時、一般的に研究者は論文を発表して終わりということが圧倒的に多かったのですが、私はなにか研究をしたら、人が使える状態にして公開する中でその成果について主張し、実証しなければ、意味がないと考えていました。

それは当時珍しいスタイルだったので、実装力の高さを重視する先生方の目に止まったのかなと思います。リクルートいただいたことをきっかけに、私は東大の知の構造化センターに行くことになりました。

東大でのキャリアの前半は知の構造化センターという総長直轄の組織で特任助教・講師を担当、後半は工学系の研究室に所属してAI研究を行いました。その時にディープラーニング(深層学習)等の講座を5つ起ち上げて世の中に出しました。大阪大学・東京大学合わせると、通算13年程、教育者・研究者として活動していたことになります。

東大でのAI講座を起業化、そして、事業拡大してNABLASに

藤岡:研究者からNABLAS社を起業した経緯について教えて下さい。

中山氏:NABLAS社は、もともとAI人材育成事業を行うiLect株式会社から始まっています。2017年頃、私は東京大学の職員で、ディープラーニングの講座を起ち上げて主に学生向けに、一部社会人など学外に対しても無料で公開していました。これをより幅広く社会に提供していくために会社として事業化することにしたのです。

講座のコンテンツは大学に知財として登録し、そのライセンスを会社が受けるという形で、社会に教育プログラムを提供しています。iLect事業は拡大していますが、教育を提供する中で感じたことは、「教育はあくまで手段である」ということです。

企業としての本来のニーズは、組織としてAI技術を事業に取り入れる力をつけることで、会社の業務改善や競争力の高い製品を開発する、といったところにあります。そのようなニーズに応えるためには、我々も教育サービスだけでなく、研究や開発といった幅広い業務に対応できる組織に変わる必要がありました。そのため、事業領域を拡大する形で社名を変更し、現在のNABLAS社の形となりました。

2事業を収益化し、今後は3本目の柱となる新サービス開発を目指す

藤岡:今後はどのように事業拡大を進めるお考えでしょうか?

中山:コロナの影響は受けましたが、AI人材育成サービス「iLect」は事業として順調に成長しています。ただ、教育というのは単体の事業として成長していくのは、ビジネス上難しい側面があります。

人類の有史以来、多くの時代や国において教育が公共のサービスとして提供されてきたのは、教育の重要性はわかっていても、直接的な効果が見えにくいものに投資をしづらい、という性質によるものです。これは個人でも企業でも同様であり、経営者にとって人材育成への投資は、元来難しい判断なのです。

一方で、NABLAS社の強みの1つは、この教育事業とAIコンサルティング・R&D業務を行う二本目の事業を一体で行っている点だと考えています。今までの活動の中で、この2つの事業が高い相乗効果を持っていることがわかっています。

例えば、教育事業を通して関係構築したさまざまな企業様向けに、AIコンサルティングと共に、競争力の高い技術を作る共同研究、R&D事業を展開させていただいています。また、日々先端技術と実務データに触れているメンバーが教育事業をサポートしており、教材作成や講師・アシスタントを務めていることから内容が実践的であると評価をいただいています。

このように、相乗効果の高い2つの事業を一体で提供することがNABLASの事業としてのポイントですが、教育もAIコンサルティング・R&D事業も、事業の成長モデルとしては人を入れただけ規模がリニア(線形)に成長するモデルです。我々がさらに大きいインパクトを社会に提供するためのキーとなるのは、3本目の柱であるサービス事業であると考えています。

AI分野で勝ち抜くポイントは人材。採用と働きやすい環境作りに注力

藤岡:優秀な人材が肝要かと思いますが、仲間集めはどのようになさいましたか。

中山:AI時代において勝ち抜くためのポイントは、一にも二にも人材だと思っています。正直、創業時の仲間集めはとても苦労したところです。立ち上げの際には、知人を頼らせてもらったり、SNSを使って一人ひとりビジョンを共有しながらリクルートしていきました。

優秀な人材を集めるためのポイントの1つは仕事環境、開発環境だと考え、とても大事にしています。そのために私自身がオフィスをデザインして業者も選定し、開放感と透明性のあるオフィスを作りました。私自身技術畑の出身であることもあり、自分視点でこういう設備があるといいなと思うことを導入していきましたし、みんなから意見をもらいながらいろんな環境を整備してきました。

具体的には、一人一台大型の曲面モニターや昇降デスクを標準装備にした他、芝生エリアやカフェエリアを作り、自由に場所を変えながら作業できるようにしました。また、計算機環境にも力を入れており、DGX Stationという強力な計算機が使える他、GPUのクラスタなども自由に使いながら、プロジェクトに取り組むことができる環境を提供しています。

物理的な環境だけでなく、各種の制度も整備しました。例えば、ランチを支給して行うランチミーティングです。技術力の高い人たちは、技術分野には強い興味があるが、それ以外のことに興味が薄いといったことがあり、密なコミュニケーションは技術者集団において課題になりがちです。

そのため、ランチミーティングを通じて意図的にランチを一緒に食べながらコミュニケーションができる工夫をしています(※2021年2月時点、緊急事態宣言下のため、リモート勤務を主体としてランチミーティングの制度は停止しています)。ユニークな取り組みとしては、Kaggle支援制度と戦略的散歩制度といった制度もあります。

また、外国籍のスタッフに対しては、借り上げ社宅の提供やビザサポートなど、当社に来やすい環境を整えています。国籍を問わず高い技術力を持つ方に入ってもらいたいと考えていますが、日本で仕事をする上で、良い住居を確保するのはハードルが高くなりがちです。会社がサポートすることでみんなが気持ちよく働けるのではないか、という思いからこのようなサポートをしています。

ライブコーディングで的確に人選

藤岡:採用時にはどのような点を重視していますか。

中山:採用時で重要なポイントの一つは、当然、技術力です。学歴はそれほど重要視していません。その人が入ることでチームに大きな価値をもたらし、取り組んでいるプロジェクトに対する価値創出に貢献できるかどうかが大事です。

今まで多くの技術者の方々とお会いしましたし、採用のプロセスに関わってきましたが、「どのような環境で働きたいですか?」と聞くと、多くの方が「技術力の高い人たちと一緒に仕事をすることで自分も成長できるところで働きたい」と答えます。

間違ってマッチしていない人を採用してしまうことは、優秀な技術者の離脱リスクを高める危険性すらあり、技術者集団にとってはまさに死活問題なのです。そのため、技術に関するポイントは間違えることのできない非常に重要なこととして、かなりの注意を払っていますし、履歴書だけで判断しないようにしています。

技術者との面接時には「ライブコーディング」という方法で、スキルを見極めています。ライブコーディングでは、目の前でコーディング(プログラミング言語を使ってソースコードを作成する)をして頂きながら、AI・コンピュータサイエンス・チーム開発など幅広い技術的な質問をさせていただきます。

この方法は、手間暇はかかるのですが、その方が持っている技術がかなり詳細にわかります。大学教員の時代から採用時に使っている方法で、かれこれ10年ほど実施しています。技術力の高い人たちが集まり、お互い高め合えるような環境にしたいと思っていますし、それが組織の中で私の重要な役割の一つだとも考えています。

リスペクトとサーバントリーダーシップでチーム力を高める

中山:技術力を高めると同時に、会社もやはり一つのコミュニティなので、チームワークも大切にしています。ほとんどのプロジェクトはチームで取り組むので、一人のスキルとしては高いけれどチーム開発としての経験がないという方はちょっと厳しいかもしれません。

当社で大事にしている文化がいくつかあります。一つは、他者の貢献・技術に対してリスペクトを持つことです。誰がどんな貢献をしたかを共有にし、その貢献に対してきちんと互いにリスペクトを持った対応をすることを大事にしています。

もう一つは、サーバントリーダーシップというものです。一般的な会社のヒエラルキーではなく、逆三角形のヒエラルキーで、フロントで実際に手を動かすエンジニアやスタッフたちが、自分たちの得意領域に集中し、最高のパフォーマンスを発揮できるように、マネージャーたちが下からサポートしてくという考え方です。

一つの領域に特化しているスペシャリストたちは、その領域で尖っているが故に、その他の業務がこぼれ球のようにポロポロと落ちてきます。当社では、マネージャーたちの仕事は、口を動かしたり指示をすることではありません。みんなが最高のパフォーマンスを出すためにできることを尽くす、まさにサーヴァントなのです。その逆三角形のヒエラルキーの最下層にいるのが私なのですが(笑)。

このような文化ということもあり、自然と超フラットな組織になっていますし、チーム単位でタスクに集中して貰い、できるだけ一般の組織における中間管理職的な存在を作らないということを大事にしています。当社の文化と方法論に対して、理解と親和性が高い方に来てもらいたいと思っています。

多くのプロジェクト管理経験から生まれた組織マネジメント

藤岡:中山さんがこのような文化を重視しているのは、どのような背景からですか。

中山:大学教員の際には、いろんな組織が絡むこともあり、40個程のプロジェクトを私が管理していました。今はNABLAS社にフォーカスしていますので減りましたが、それでも20個程です。通常、一人が見られる組織上の構造は7人が限度だと言われていますが、その3倍から5倍程度のプロジェクトを、階層を作らずに見ていることになります。

たくさんのチームを見る中で、いろいろな問題を感じていました。一つは、業務やプロジェクトの形体が多様化するに伴い、一人の人間が扱わなければいけない情報の量がどんどん増えてきている点で、これを何とかしたいと思っていました。

もう一つは、技術者なので集中している時に人からいろいろなことを言われるのは、嫌で嫌で仕方がなかったですし、無駄なミーティングが多い点にも課題を感じていました。

ですので、できるだけみなが自分のやるべきことに集中しながら、お互いやっていることが可視化され、なおかつ、貢献がよく分かるようなプロジェクトマネジメントの方法論が必要だと考えていました。どのような方法がいいかずっと模索してきた中で、方法論としても作り込んできました。

そして、情報共有のツールをうまく使えば、各自チーム単位のタスクにフォーカスできるという仕組みができましたし、必要な時に必要なレベルで情報を引き出して課題に対応することが可能になりました。

コロナ禍で重要性が再認識されたAI技術

藤岡:コロナウイルスの感染拡大による影響はいかがですか。

中山:創業以来、AI人材育成事業「iLect」では教室型の対面授業と研修を大事にしていたので、そこへの影響がありました。特に2020年前半は、企業側も対応を模索していた中で、予定していた対面授業や企業研修が延長されたり、キャンセルされた事例もありました。

しかし、会社としては素早くリモート化・オンライン化に対応したため、2020年後半には事業として回復し、再び拡大フェーズに入りました。

コロナ禍によって、多くの企業が「このような時代だからこそAI技術は重要」と考えている状況でもあります。機械の自動化を通じて人との接触を減らすような社会作りのため、工場の無人化等の技術導入を進めなくてはならず、2020年後半以降はそういった需要の盛り上がりを感じています。

参画の魅力は、現場で活躍する人が輝く文化と仕組み

藤岡:今後のビジョンとそれを実現するための軸は何ですか。

中山:先程言ったように、三段方式でビジネスを進めていくことが当社のスタンスです。きちんとエクスポネンシャル(指数関数的)に長期的に成長していくためには三本目の柱、自分たちの独自サービスを、これからしっかりと作っていく必要があると思っています。

そして、そのために今重要なのは、優秀なAI人材、技術者を集めること、そして、社会へ価値を創造し続けるためにも、さらにさまざまな企業の方々との連携を強化すること、その2点に注力することだと思っています。

藤岡:このタイミングで、NABLAS社に参画する魅力を教えて下さい。

中山:前述の通り、働く環境や制度の整備には力を入れており、そこに魅力を感じていただければと考えています。優秀な技術者も集まっています。また、文化面では技術と人、そして、人の貢献に対するリスペクトを大事にしています。このような点に魅力を感じていただける方々に、ぜひ参画をご検討いただければ嬉しいですね。

藤岡:今日は素晴らしいお話をありがとうございました。