「できてる人が与えるもの」ではなく「一緒に作るもの」

斉藤知明氏(以下、斉藤):ありがとうございます。これはすごい……。Mさんからいただいている質問なんですけれども、要約させていただくと。心理的安全性や聴く力の重要性を、担当とか部下、ないし人事の方、マネージャーに対して伝えるじゃないですか。でも「自分も経営してて、できてないしな。上司に別に与えられてないしな」と思う環境って、どこまでも連鎖すると思うんです。

そういう時に、なかなか第一歩を踏み出せないんだけれども、どうしたらいいでしょうか? という問いですね。

篠田真貴子氏(以下、篠田):本当、ありがとうございます。ここもすごく大事なポイントで。「1対1の関係で、1人が与える」というものではないという共通理解を……。例えば『恐れのない組織』の読書会とかしていただくとかだと共有できるかと思うんですが。あくまで組織風土なので。

恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす

「自分が(相手に心理的安全性を)与えられているかどうか」というのとは、ちょっとレイヤーが違うんですよね。提案することをなさろうとしてて、すばらしいなと思うので。「自分ができている・できてない」というよりも「私たちのこの職場において、心理的安全性ってどういう姿なのか?」みたいなことを、この関連するみなさんでディスカッションする場を作ってみるとか、そういうアプローチ。

そうすると自分ができてないということも含めて、テーマに包含されるじゃないですか。「できてる人が与える」というものじゃないと思うんだよなぁ。「一緒に作るもの」。

斉藤:なるほど。もちろん、その「ファーストペンギン(最初の一歩を踏み出す人のこと)に誰がなるか?」という話は出てくると思うんですけれども。それに自分がならなくてもいい、という部分もあるんでしょうね。

篠田:おっしゃるとおりです。

斉藤:そういう意味でいうと、ファーストペンギンを生み出した人って、めちゃめちゃ尊いですよね。場を作って。

篠田:(笑)。

斉藤:なった人がもてはやされがちだけど。そういう視点はおもしろいなと思います。できてないから「どうやってやったらいいんだろうね?」って相談を持ちかけるのがいいんじゃないか、ということですよね。

篠田:はい。

「聴く、聴かれる」の役割は固定的でなく、流動的

斉藤:ありがとうございます。「上司ではなく、一先輩社員の立場の人間です」という問いもいただいていますね。「後輩に対してなのか、仲間に対してなのか?」という意味でも、聴く力の実践は必要だと思うんですが、うまくできているか? というのは、やっているつもりでもありつつ、自信もないなという状態だと思うんですね。

篠田:そうですよね。これ、少なくとも学術的には「心理的安全性がどれくらいあるか?」というのを計測できる簡単なアンケートのフォーマットがあって。この本『恐れのない組織』でも紹介されているんですね。

なので、それを参考にしていただくのが、実務的にはお答えに直結するなと思いました。

それをアンケートとして配るのか、別のかたちでその情報を集められるのか。ご状況によってだと思うんですけれども。「人がどう思っていると、心理的安全だと思えるのか?」ということを。そのリスト、本当に5、6項目なんですよ。見ていただくと、イメージが湧くんじゃないかなと思いました。

斉藤:それって「聴かれる側」が答えるのか「聴く側」が答えるアンケートなのかで言うと、どちらですか?

篠田:職場なので、全員です。

斉藤:なるほど。

篠田:あくまで聴く側、聴かれる側で役割は固定的だったら、その時点で若干、心理的安全性がなくなるので。

斉藤:そうですね(笑)。失礼しました。「聴かれる側」としてのスタンスで答えるアンケートなのかと。

篠田:そうですね。大きく言うと、そういうことですよね。

斉藤:ありがとうございます。(聴く、聴かれるの)役割は固定的ではなく、流動的である。おっしゃるとおりです。

“聞く”をやってしまうと、話し手が改善を期待してしまう

斉藤:次の質問も、チャットでいただいているものとクエスチョンでいただいているものを、まとめてお伺いさせていただきたいです。

「愚痴、ないしは意見を聞きました。でも『聴いてくれたはいいけど、それが反映されない』という不満が今度は出てくるんじゃないでしょうか。これはどうしたらよいのでしょうか?」という悩みですね。

篠田:これ、実際に「不満が出た」というお話なんですか? それとも「不満が出るかもしれない」と思っている話なんですか? 

斉藤:「不満が出た」といただいてますね。「愚痴を聴いてくれたけど、改善はされないじゃないか!」ということですね。

篠田:それはたぶん、聴く時の期待値設定とも関係があるのかなと思いました。

これはラグビーの“コーチのコーチ”とかをなさっていらっしゃる、中竹竜二さんから教えていただいたんですけれど。彼は早稲田の監督をやっている時に、選手たちの話はすごく聴いたそうです。

「作戦、本当はこういうのがいいんじゃないか」とか、場合によっては「自分はこのポジションをやっているけど、本当は違うほうがいい」とか。そういうことも、全部聴くんだけど「聴くことと、それを受け入れることはまったく別」ということは、明確に言っていたんですって。

監督だから、やっぱり作戦は監督が最初に決める。さっきの航空自衛隊とも、たぶんそこは構造がすごく似ているなと思うんですけれども。聴くということを通して何をやっているかというと、その具体の「行動の提案」を求めているワケじゃなくて、お互いの……なんて言うんでしょうね。

意図とか感情とか価値観の「やり取りをすることに至るため」に話を聴いたり、聴き合ったりしている。

逆にそこの信頼関係ができていれば、それよりも表面的と言えるような、具体的に「このポジションをやって」とか、提案を受け入れる・受け入れないという話は、お話ししてくれたご本人の意に沿わなくても、意図が共有されているので受け取れられるんですよね。

だから聴くということの文脈が、もしかしたら不満を言われちゃった時に、門構えのほうの“聞く”をやってしまって「あー、その提案わかる。いいね」って言っちゃってたんじゃないですか? そうしたら、そういう(改善・意見が反映されるという)期待をしちゃうんですよね。

そうじゃなくて。「なるほど。そういう辛さね。何があなたをそういう『辛いな』という気持ちにさせるんだろうね?」というような“聴き方”をしていたら、その辛さに「すごく共感してる」とか「同情している」とか「賛成だ」ということはまったく表明しなくても、でも「聴いてもらえた」という状態には(相手が)なるワケですよ。

「いいね! 俺に任せて!」が、次の愚痴に繋がる

斉藤:これ、難しいですね。僕が「いいか、悪いか?」というのはありつつも、聴くという行動をした時に「聴き入れる」と「聴き止める」。「受け入れる」と「受け止める」というものの違いだなと、まさに感じたんです。「変えることに対して、批評的な立場になるだけだとだめだよね」という理念みたいなものがあるんです、僕らの会社の中だと。

それは「自分で入った組織は、いい組織だ」ではなくて「自分が作った組織は、いい組織だ」にしたいと思わないかい? というのを、採用のメッセージとかでも打ち出していて。

「いい組織に入るではなくて、いい組織を作るにしませんか?」という言い方をするんですけれど。聴き止める・受け止めることによって、引き出すことは手伝うし一緒にやるけれど「それを解決するのは、必ずしもリーダーや組織だとは限らない」ということもある、ということなのかな? と思いました。

篠田:本当、それはそうですね。

斉藤:ジャッジしちゃって「いいね、じゃあそれがんばるわ! 俺に任せて」って言っちゃうと、きっと次の愚痴に繋がっちゃうんですよね。

篠田:それは、そうなると思う。「あなたはどうしたらいいと思う?」みたいな話にしてもいいし。解決策というところまでいかずとも、その方の気づきとか内省を促すような聴き方をすれば、聴いてもらったということが「この人はなんか解決してくれるんだ」という期待とは、切り離せるとは思うんですよね。

斉藤:やっぱりマネージャーの人とかになってくると、横断した行動しか取れないじゃないですか。(愚痴を言っている)「その人のためだけのことをする」というのは、なかなか難しいことになってしまうので。意図を理解して、それを全体に波及させるみたいな動き方になるのかなと思いました。

“聴くの連鎖”が生み出す「上長の提案を聴く」というスタンス

斉藤:Iさんもおっしゃっていただいています。「本当に聴かれると、自己の提案が採用されなくても自意識のこだわりや心のコリがほぐれて気にならなくなって、上長の提案に従えるようになった」。

篠田:すばらしいコミュニケーションを取られていますね。素敵。

斉藤:でもIさん自身も、たぶん今度は「上長の提案を聴く」というスタンスになっているんでしょうね。これが、篠田さんがおっしゃっていた“聴くの連鎖”。

篠田:まさにそうです。

斉藤:聴いて提案したから、相手も聴いてくれる。そういうプロセスなのかなと思いました。ありがとうございます。