「聴く側の技量」で変わる、コミュニケーションの質
篠田真貴子氏:(「心理的安全性」と「仕事の要求水準」を両立させるには)じゃあどうやったらいいの? というと、先ほどご紹介した書籍にもかなり詳しく書いてあって。ここでは詳しくは言いませんが、キーワードとして「聴く」という言葉が何度も何度も出てきます。
なぜかというと、ちょっと考えていただくとわかると思うんですけど。そういった、失敗や心配事を話せるのは「聴いてもらえるから」ですよね。
この「聴く」ということを改めて考えていきたいのですが、よくキャッチボールをコミュニケーションに例えます。
「話すほうが投げるほう」で「キャッチするほうが聞くほう」ですよね。リアルなキャッチボールをイメージしていただくと、続くキャッチボールってキャッチする側の力量がけっこう問われるんですよ。
投げる球がへなちょこでも、確実にキャッチする人がいれば、キャッチボールは楽しく続くワケです。これと同じで、コミュニケーションも実は聴く側の技量で、その質って変わるんですよね。なのに私も含めてですけど、みなさん、話し方のトレーニングって学生の時も社会人になってからも、けっこう機会がおありだったんじゃないかと思うんですけど。その話し方って、いろんなバリエーションご存知ですよね。
「1対1の話し方」と、今の私のように「プレゼンテーションする話し方」。変えられるじゃないですか。
聴くほうはどうでしょう? 学校や職場で学んだことはありますか? あるいは、その種類があるって意識したことはありますか? ここにすごく伸びしろがあるし、心理的安全性をインストールするポテンシャルがあると思っています。
「聞く」と「聴く」の明確な違い
ここでは大きく、その心理的安全性とつながる“聴く”とはどういうものか? というのを、簡単にお伝えしていこうと思います。
普通、私たちがやる「聞く」というのは、左側のwith Judgmentですね。今、ご提案したいのは、右側のwithout Judgmentの「聴き方」です。
例で出してますけれども、例えば左側の方が「やっぱり子どもには小さい頃から英語を学ばせるべきですよね」と言った時に、それを聞いた人が「そうですよね、私もそう思います」と言ったり「そうですかね、私はちょっと違う意見なんですけどね」と言ったり。
これは相手が言ったことに、自分で「イエス・ノー」「あってる・違ってる」って判断して、その判断を返しているんです。
一方ご提案したいのは、こういった「やっぱり子どもには小さい頃から英語を学ばせるべきですよね」というのに対して、ジャッジを挟まずにいったん受けて「なるほど。そういう考えなんですね」と。
「もうちょっと、それを聴かせてください」というふうに、受ける態度。この右側の絵で言うと、女性の髪の長い方が、実は自分は「英語を子どもから学ばせるなんてもう、絶対ダメだ」と思ってたとしても、いったんは受けると。こういう話なんです。
別の言い方をすると、この耳偏の「聴く」without Judgmentで表現していることは、相手の意見が自分と異なったとしても「何か肯定的な意図を持って言っているんだな」と。その前提に立つということです。
聴いてもらった経験で生まれる“聴く力の高まりの連鎖”
意見が異なったとしても、自分に不利なことを言われたとしても「そういう態度で聴いてくれる」と相手が感じてくれた時には、まず「受け止めてもらえた」と感じるし。
聴いてもらうことで、改めて「なんで自分は、子どもに英語を早く教えたほうがいいと言ってるんだっけ?」と、自分の思考とか感情とか価値観というのがちゃんと言葉になってくるんですよね。
それがここまで説明した、心理的安全性ということでつながってくるワケです。話ができるから。
かつ3番目、大事なのは、こうやって聴いてもらうという体験をすることで「なるほど。こうやって聴けばいいのか」と。「聴いてもらってうれしかったな」と思うから、その人の聴く力も高まる。こうやって連鎖していくんですよ。
「心理的安全性というのは、あくまで組織風土である」と申し上げたんですが、この“連鎖する”ということが、めちゃめちゃ大事なんですよね。
駆け足でいろいろ申し上げましたけれども。要はこの「耳偏の聴く」「without Judgment」を、みなさんができるようになることなしに、心理的安全な場は成立しないんじゃないかな? と。こういうふうに考えております。
以上です。ここからご質問いただいたり、斉藤さんとお話をしながら深めていければと思います。ありがとうございました。