「乗り越えてきた困難」について話すことへの抵抗感

鎌田華乃子氏(以下、鎌田):冒頭で説明しきれなかったんですけど、パブリックナラティブでは、英語で言うと「vulnerability」という「弱さを出す強さ」というんですかね。どんな話でもそうなんですけれども、私自身の話をした時に「困難を話していこう」ということがあるんです。

やっぱりそこがすごく肝と思いますね。自慢話ばかりしたらみんな嫌になっちゃうけれども「この人もそういうことを乗り越えてきているんだな」と希望や勇気をもらえると思います。

あと、困難だけでは絶望した人の話になっちゃいますけれども、困難をどうやって乗り越えたのか? という話もしていくので、聞いている人にとっても、自分にとっても力が湧いてくるのかなって思いますね。

湯浅誠(以下、湯浅):そこを乗り越えるのにコーチングが必要っておっしゃったけど、やっぱりコーチングやファシリテーションが大事になると思うんですよ。困難を話すのも、それはそれで抵抗感があって。

鎌田:ありますね。

湯浅:“俺さま話”じゃなくても“お涙頂戴”って思われるんじゃないかとか。「俺こんなに大変だったんだぜ」という、裏返しの自慢だと思われるんじゃないか? とか、やっぱり気になっちゃうんですよね。

鎌田:そうですね。

湯浅:文化的に慣れてないってことだと思うけど。ただ、学生さんを見てても、私だけじゃなくてみんながそういうことに慣れてないなぁって思います。海外はどうだか知らないんだけれど。

鎌田:海外の人も、別に慣れてないと思います。

湯浅:海外も慣れてないか。ハードルを超えていくというか、引き出していくというか。課題というとちょっと大げさだけれど、難しいところだと思いますね。

鎌田:そうですね。ワークショップでも、6人1組のチームで、コーチが質問をして話を引き出していくんですけれど、その時に他の人がいるのが大きくて。コーチが質問をして、話し手がいろいろ話すと、他の人がすごく共感するんですよね。

「そんなことあったの」「あー、そんな話していいんだ」っていう。話すことによって、人とつながりが作れて勇気が与えられる経験をしていくと、少しずつ話せるようになっていきますよね。

勝手に広がる「こども食堂」を、勝手に応援している状態?

鎌田:こども食堂に話の軸足を移していきます。湯浅さん、もしよかったら今どんな活動をメインでやってらっしゃるのかお話ししていただけますか。

湯浅:そうですね。この5年ぐらいはこども食堂の普及に力を入れていて。私たちは運営しているワケじゃないので、応援する人という感じ。こども食堂って勝手に広がっていってるものなので、我々も勝手に応援しています。

個々のこども食堂は5,000ヶ所になりましたけど、5,000ヶ所の人たちとは、本店・支店とかフランチャイズとか、登録制ですらなくて。我々が本当に勝手に応援している状態です。

こども食堂の取り組みが地域と社会に広がって根付いていくことが、社会が良くなっていくために大事なことだと思っているので。一生懸命、勝手に応援させてもらっている状況ですね。

鎌田:本当に、すごいですよね。こども食堂って、何年前から……。

湯浅:2012年に東京の大田区で近藤博子さんが「こども食堂」というのれんを掲げて、それが1号店だということになっているんですけど。ただ「共食」あるいは「共育」、共に育てるようなことであれば、実は人類の歴史と同じぐらい古いとも言える。

鎌田:そうですね、確かに。

湯浅:もともと人間は社会的な共同養育の生き物なので、母親1人が子育てを一身に背負う今のほうが、ある意味、異常なんですよね。

鎌田:孤独の「孤育て」ってありますよね。

湯浅:はい。むしろ人類史的に見れば異常なので、そういう意味ではレジリエンスじゃないですけど、みなさんが無理なく、自分の中にあるDNAを発揮している活動とも言えます。無理してやっている感じでないところが、広がっている大きな要因の1つだろうとは思いますね。

もともと日本社会は「疎」になっていく中での「密」だった

鎌田:そうなんですね。全国各地にすごく広がっているなと思っていて、どうして広がっているのか要因を聞きたいなって。今、DNAとして私たちが求めているものを体現しているからという話もありましたけれど、他にどんな要素があると思いますか。

湯浅:私もいろんな要素を取り入れて話すんですけど、まぁそれこそ(マーシャル・)ガンツが言う「私たちのストーリー」の側から言うと、やっぱり「地域が疎になってきた」と、みんな感じてきたんですね。

疎は密の反対で、過疎の疎。密という言い方は、このコロナから使うようになりましたけど。

でも実は、コロナ前の社会に「密」とその反対語である「疎」を適用すると、日本社会ってずっと「疎」になってきたんですよ。人が減って、おうちの中でも一人暮らしが増えて。地方の家に行くと、相変わらずおうちは大きいですけどね。6部屋も7部屋もある大きなお屋敷に一人で暮らしていますという人は、ぜんぜん珍しくないですよ。

「お隣はしばらく前から空き家です」「商店街はシャッター通りになっちゃってます」「小学校は統廃合になりました」という地域が全国にあるんですよね。実はコロナ前から「別に私の周りは密じゃありませんでした」という人がいっぱいいるんですよ。

「疎」になって寂しくなってきたから「密」を作ろうって作ってきたのが、こども食堂の人たちですね。人が交流するような場を作りたいと。つながりを作ったり、疎にあらがって密を作る。これは無縁にあらがってつながりを作ることなんだけれども。

そうやってきた人たちの「密」が、コロナでターゲットになった。でも、もともと日本社会は密に溢れていたワケではなく、全体として、「疎」になっていく中での「密」だったワケですよ。

今回のコロナでターゲットになっちゃった「密」がまたなくなると、日本社会は過疎化していっちゃう。「疎」ばっかりになっちゃうので、なんとかコロナの中でも子どもたちの居場所、地域の人たちの居場所を守っていこうと呼びかけるワケですよ。

今の話は「私たちのストーリー」と「今のストーリー」ですね。「地域が寂しくなってきたよね」と。周りがそうだったよね」と言うと、やっぱりみなさん「そうだ、そうだ」となるんですよね。

自治会活動もかつてほどやられていないし、子ども会に至っては解散しちゃっている。「みんなそうだよね」という話になって、今のコロナで「疎」に囲まれた「密」が危機にあるから、今なんとかできるといいねと呼びかけたり話したりする。パブリック・ナラティブの手法が、そういうかたちで活きていることになりますかね。

多くの人が肌で感じている、問題意識

鎌田:なるほど。整理してくださってありがとうございます。実は「疎」がずっとあって、その疎がどんどん広がっているのが日本社会だと言っていましたけど、本当にそうだなと感じていて。

2013年に日本に戻ってきて、2014年に組織を立ち上げて。正直、コミュニティ・オーガナイジングに対してここまで需要があると思っていなかったんですよ。みんな「何それ?」みたいな引いた感じかなと思ったんです。

だけど、すごく大勢の方がワークショップにいらっしゃるし、コミュニティを作りたいという要望・欲求がすごくあるんだと感じて。こども食堂が広がったのもそうなんだなって。人と交流する拠点って欲しいし、どうしても必要ですよね。

湯浅:分断という言い方にすると、政治的にとんがった表現になっちゃうけど、バラバラになってきたとか共同性がなくなってきたという感じは、活動をしてなくても、人との生活の中で感じるワケですよね。

メディアの影響もあるかもしれないけど。共同性ってどうやったら立ち上がるんだろうか? とか、どうやって作れるんだろう? とか。「みんな」ってどうやったら作れるんだろう? というな問題意識は、活動系・政治系の言葉じゃなくても多くの人が肌で感じていることだと思うので、そこに響くと大きい。

鎌田さんが「需要がある」と感じたのは、そこに響いた人たちの反応がそう見えたんじゃないかなと思いますけどね。

鎌田:そうですね。話が少しズレるのかわからないですけど、私は今「フラワーデモ」という、全国に広がっている「性暴力に対して声を上げていこう」という取り組みを研究しているんですけれど、そこもコミュニティなんですよね。歩かないんですよ。人が集まって話すんですよね。

特に被害者の方が話して、それを聞くコミュニティができあがっていて。何を求めてみんなが行くかというと、もちろん怒りたい気持ちもあるけど、性暴力に反対する人たちとコミュニティ・場を共有できることがすごく大きいみたいで。そういう場が今までなかった。日本社会の中で、人が集まって何か共有できる場所が求められているのかなと思いました。