そもそもウェルビーイングとは何か?

石川善樹氏:よろしくお願いします。石川と申します。これから30分ほど、ちょっとゆるいタイトルの講演をさせていただくんですけれども。

昨今の経営にまつわる状況は、すごく複雑化しています。日本のみならず、世界各地の企業経営を私なりに眺めた時に、キーワードは「ウェルビーイング経営」なんじゃないかと感じたので、今日はその話をさせていただきます。

最初にお話ししたいのが「そもそもウェルビーイングとは何か」ということです。もともとは施思明(スーミン・スー)先生という中国のお医者さんが、今、僕らも日々目にするようになっている、World Health Organization(WHO)の設立を構想したんですね。

実は彼は、たった1人でこの構想を掲げました。この名前のとおり、World Health Organizationというのは、すごい構想だなと思うんです。なぜかというと、World Disease Organizationの「Disease」は病気ですね。

Disease Organizationという組織が立ち上がるのが普通かなと思うんですけれども、スーミン・スー先生は、本当に時代の二歩も三歩も先を見据えていました。Disease(病気)の克服が狙いなのではなく、そのもっと先のHealth(健康)を目指すんだと。

そのHealthってなんぞやという定義の中に「ウェルビーイング」という言葉を埋め込んだんですね。ウェルビーイングは最近よく聞くキーワードでもありますが、すごく変な英語で、WellとBeingが合体している。

語源は実はイタリア語で、福武書店がベネッセになった「benessere」ですね。「良くある」とか「良くいる」という意味を表す概念です。

なぜ「主観的ウェルビーイング」が重要なのか

ウェルビーイングは、客観的ウェルビーイングと主観的ウェルビーイングに分かれています。客観的ウェルビーイングは、GDPとか健康寿命とか、数字で容易に取得が可能なもの。主観的ウェルビーイングは、あくまでも本人がどう感じるのかです。一般的には、(スライドを指して)ここに書いているような「主観的幸福度」とか「生活満足度」で取られることが多いです。

例えば「あくまでもあなたの基準で、幸せな状態を10点、不幸な状態を0点とした時に、今は何点ですか?」という取り方です。僕らが「幸福とはなんぞや」を定義するワケじゃなくて、あくまでも本人が定義した中で今どうか? という取り方をするんですね。

企業経営のみならず、国家や国際社会の経営でもウェルビーイングはすごく注目されていて、特に(スライドを指して)この右側の主観的ウェルビーイングが、重要なキーワードになってきています。

「なぜ主観的ウェルビーイングが重要なのか」という背景をお話ししたいんですが、例えば日本でいうと、(スライドを指して)これは2002年に出た研究の非常に有名なグラフです。日本で1958年から1987年のバブル崩壊前までの30年間の社会の変化を示しています。破線で右肩上がりになっているのが、1人あたりGDPという、客観的ウェルビーイングです。

それに対して、黒い線で、横に(伸びたまま)まったく変わっていないのが、日本人の生活満足度、主観的ウェルビーイングなんですね。このグラフは、ウェルビーイング関係者のみならず、世界に衝撃を与えたグラフです。

なぜかと言うと、特に第2次世界大戦後、日本という社会・国はものすごく注目されていたんですね。戦争に負けたにもかかわらず経済的発展を成し遂げ、かつ平均寿命も世界一になり、途上国から先進国になっていった。国家としてユニコーン(と呼ばれる企業のように急成長)を達成したのが、この日本という国なんですけれども。

その内実を見ると、客観指標は伸びたけれども、主観指標がまったく変わっていない。この客観と主観のギャップがなぜできてしまったのか。そして、そのギャップができてしまった背景には、社会の発展や人々の豊かさを考える時に、何か大きな見過ごしをしたんじゃないかという、ある意味、反省を迫ったグラフでもあるんですね。

これまでは客観的ウェルビーイングにすごく注目が集まっていたんですけれども、こういう研究データがどんどん出てきて、どうも主観も大事じゃないかということで、(主観的ウェルビーイングの)データが取られるようになりました。

主観的ウェルビーイングの悪化が、社会の混乱につながる

(スライドを指して)これがイギリスにおけるウェルビーイングの推移なんですが、2006年から2016年、黒い線と緑の線があります。黒い線が1人あたりのGDPで、客観的ウェルビーイングですね。

(GDPは)ずっと右肩上がりで伸びているんだけれども、なぜか2016年にブリグジット(EU離脱)の投票が起こるんですね。客観的ウェルビーイングの推移だけを見ていると、順調にいってるのになぜブリグジットなんてことが起こるのかがわからないのですが、主観的ウェルビーイングを示す緑色の線を見ると、13年から急降下しているのがわかりますね。

なんらかの背景があって、2013年からイギリス国民の主観的ウェルビーイングである幸福度や満足度が急降下して、ブリグジットが起きている。

このように、主観的ウェルビーイングが悪化すると、それが後々の政治経済の混乱につながるというのが、実はもう繰り返し観察されていることだとわかってきたんですね。古くは、旧ソ連の崩壊もそうでした。経済は順調だけれども、主観的ウェルビーイングは悪化していたと。

ちょっと前のエジプトのアラブの春もそうでしたね。エジプト経済は順調だったんだけれども、主観的ウェルビーイングが悪化してアラブの春(を招いた)。最近だと、トランプ大統領の誕生した時も、そうだったんですね。

主観的ウェルビーイングは、人々が主観的にどう感じているのかという、ものすごく単純な指標なんです。それが悪化すると、政治経済・社会の大混乱につながることから、「GDPなどで捉えきれていない側面を、主観的ウェルビーイングが捉えているんじゃないか」ということで、注目を集めるようになりました。

「非財務情報」の情報公開が義務づけられる時代に

今日のテーマである企業経営でも、実は同じようなことが言えます。どれだけ業績が良かったとしても、そこで働く人たちの主観的ウェルビーイングが悪化していたり、取引先のウェルビーイングが悪化するようなことが起こると、その企業の長期的な経営安定は難しいんじゃないか。そのようなことから、投資家・アナリストたちも、この主観的ウェルビーイングに注目し始めるようになりました。

企業に関していうと、逆も然りということは確かめられています。従業員の主観的ウェルビーイングが向上すると、従業員の健康度(の向上)や欠勤の減少など、さまざまなメカニズムによって個人や組織のパフォーマンスが向上することが、相関ではなく因果関係として確かめられています。

主観的ウェルビーイングは短期的にはパフォーマンスの向上に効いてくるし、長期的な企業経営から考えても、主観的ウェルビーイングの悪化を何としても食い止めることが大事になってくるワケです。

今、日本社会では「健康経営」というキーワードもあるんですけれども、大本をたどると、ISO(国際標準化機構:International Organization for Standardization)があるんですね。

スイスの非営利組織で、国際標準を作っているところが、昔からISO45001という「従業員の労働安全衛生」を掲げていたんですが、2018年に(ISO)45001が拡張されて、ISO30414ができました。

これは、従業員の労働安全衛生だけ(を守ればよいの)ではなくて、それこそ経営者もそうですし、取引先もそうですと。そうした「人的資本」を、企業としてどう報告しなければならないのかに関する国際標準が、ISO30414です。

これを踏まえて、米国では昨年の11月から有価証券報告書の中に、財務情報だけじゃなくて、例えば「従業員のウェルビーイング度はどうなんだ」とか「会社のカルチャーがどうなんだ」というような情報公開が義務づけられました。

日本も当然、ISO30414の影響を受けるワケです。早かれ遅かれ日本企業も財務情報だけじゃなく、従業員がイキイキ働いているのかとか、会社のカルチャーはどういうものなんだという「非財務情報」の情報公開が義務づけられる時代に突入しています。