誰かに追い抜かれても、自分の「好き」を引っ込める必要はない

吉田将英氏(以下、吉田):そんな続きで、これ最後ですけど(スライドを指して)「障害」。いろいろ出てきたと思うんですよ、面倒くささとか恥ずかしさとか、忙しさとか損得。

ここに書いてあるのは、なんとなく全部触れたかなと思いますが。なにかほかにヤバイやついましたっけ、敵(笑)。

鈴木裕介氏(以下、鈴木):まだ質疑に答える時間ある?

吉田:まだちょっとあります、大丈夫ですよ。

鈴木:最近『スプラトゥーン』をやっていてすごく思うのが。僕よりあとに始めた奴が、ぜんぜんうまくなったりとかするワケなんですよ。

吉田:追い抜かれるわけですね?(笑)。

鈴木:ぜんぜん追い抜かれる。Xパワー3000の試合とかも、ぜんぜん、どう考えても追いつかないなという感じなんですよ。そういう、自分より圧倒的にすごい人とか、あとから始めたのに追い抜かれるみたいなものがあった時に、やっぱり自分の「好き」が揺らぐことって、すごくあるなと思っていて。

最近だと、現代思想の東畑(開人)さんと(斎藤)環先生の対談とかを見るじゃないですか。そしたら「これに比べたら、俺が言っていることのなんて薄いことだろう」とか思うワケ。

吉田:まぁね。打ちのめされることってありますよね。

鈴木:そうそう、思う。でもそういうことがあったとしても、自分がそれを「好き」と思う気持ちを引っ込める必要はないんですよね。

「上手でもないことをやっちゃいけない」という“呪い”

吉田:なるほどね。それは僕も、それこそもっと青かった時は、例えば「バンドサークルでキーボードを弾いていました」というのを1個とっても、やっぱり垂直で全部見ていたな、と。要は「あんなに下手なのに何で続けるんだろう」みたいな。これだけ言うと、くそ性格悪い人なんですけど(笑)。でもそういうこと。

「上手じゃないのに続ける人の意味がわからない」みたいなことを、今と比べたらぜんぜん平気で思っていたし。それが結局、ブーメランのように自分にも返ってきていて。要は「上手でもないことをやっちゃいけない呪い」を人に言うということは、自分にもかける呪いになるので。「ちょっとやってみたいだけ」というのを、若いのに老成しちゃったみたいに「俺はいいよ(やらない)」みたいな(笑)。かっこ悪いとかね。

鈴木:「どうせ、そこじゃ一番は獲れない」とかね。

吉田:そうそう。「今更だし、いいよ」という感じで引っ込めちゃったりしたんですけど。やっぱり、そういうことじゃないじゃないですか。本人がやりたいというか。うちの近所でも毎週末に決まった場所で、バイオリンを路上で弾いているおじいちゃんがいるんですよ。

上手か下手かといったら、上手じゃないですけど(笑)。でもそういう、人のその行為の意義は、その人が大事にしている時間ならそれがすべてだな、というのは思う。自分に対しての……他者にかけていたと思っていた呪いが自分に返ってきて、自分にかかっていたみたいなところが、ちょっと解けたかなとは思いますね。

人に抜かれる・負けるという経験は、すごく大事

鈴木:それこそ今、垂直と言ったけど「縦方向じゃない輝き方って、やっぱりあるよね」と思うんですよね。人って気持ちが悪いから。

吉田:ははは(笑)。

鈴木:それぞれの気持ち悪さを発揮していったら、その人なりの匂いとか癖とか、色味みたいなものが出てくるワケで(笑)。

吉田:「キモくていいんだよ」というのは、いいメッセージですね。

鈴木:そう。言い換えれば、それはその人なりの輝きなワケですよね。いっぱいものを知っていることがすごいワケじゃなくて。でも、その人なりの好きをずっと続けてきて、そういう葛藤とかありながらも続けてきたら、その人なりの縦方向では語れない味みたいなものが出てくるんじゃないかと、僕は今思い込んでいますね。

吉田:なるほどね、確かにな。それは1個ありますね。敵も障害も、要は比較軸というか、他者と比べちゃうということからどう抜け出すか? は、仕事とか面接とかしていたら、どうしても戦いにならないといけない瞬間も、人生にはもう充分あるので(笑)。「趣味までその呪いでやらなくてもいいじゃない?」とか。そういうのはあるかもしれないですよね。

鈴木:そうですね。そうそう。好きなんですよ。

吉田:僕もね、一昨年くらいからマラソンで走るようになったら、僕よりたぶん年齢が2倍ぐらい上のおじいちゃんに、スィーっと抜かれて。

鈴木:(笑)。

吉田:「何だ、あのカモシカのような脚は」みたいなおじいちゃんに、スィーっと抜かれて。やっぱり人に抜かれるとか負けるという経験は、僕はすごく大事だなって。

鈴木:そうですね。「ちくしょう!」って思っていてもいいしね。そこに対して。

吉田:「何だこのやろう」「何だこのじいさん、すげぇな」と思うんだけど、やっぱりマラソンの鉄則でいうと、そこでペースアップすると大変な目に合うワケですよ。だからバンバン抜かれるんだけど。その抜かれる自分のペースを、(周りに)釣られずに守るという。僕はそこが一番、走るようになってすごくためになった(笑)。

人に抜かれるという経験をどんどんする趣味を持てた、というね。さっき裕さんの『スプラトゥーン』もそうかもしれないですけれどもね(笑)。

鈴木:そうそう。

吉田:「勝てることしかやらない」みたいなこととは、ちょっと違う世界線だなというのは思ったんですよね。

好奇心で無理やり元気を出そうしないほうがいい

吉田:そんなことを話しながらも、けっこういい時間になってきたので。

鈴木:ありがとうございます。

吉田:チャットをさっきから見ているんですが。けっこう質問もいただいていますし、あとは感想というか。「こう感じた」というのもあるんですけど。最初の方は「元気と好奇心の強さは正比例。元気が出ない時は、どっちにどっちを引っ張り上げてもらえればいいのか?」ということですね。

鈴木:元気が先です。

吉田:ということですよね。好奇心で無理やり元気を出そうとせんほうがいいんじゃないかという。

鈴木:そうですね、そっちのほうが安全だと思います。

吉田:安全だと(笑)。これはもう、即答だったので。

鈴木:もう、元気が先。

吉田:そうなんでしょう(笑)。ありがとうございます。

鈴木:好奇心とか出ないから。

吉田:なるほどね。そういうことですよね。

退屈を駆逐し、それを“豊かな暇”に変換するフィンランド人

吉田:あ。『暇と退屈の倫理学』だ。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

鈴木:2年前の僕の読書ベスト3でしたね。僕はすごくインスパイアされたと……。

吉田:オブ・ザ・イヤー。

鈴木:はい。ありますね、本当に「退屈嫌だな」って。やっぱり自分の人生において、退屈というのがけっこう大きなエネミーなんだな、というのはすごく刻まれたと思いましたね。

吉田:「“忙しいのに退屈”という状況は起こり得るんだよ」みたいな部分も、この本には出てきますよね。

鈴木:だから“退屈対策”をすごくやって。

吉田:僕もフィンランドに仕事で縁があり行って、現地の方とかあるいは日本人でご結婚されて向こうで住んでいる方とかに、何人かヒアリングをしたんですけど。やっぱり、暇上手。退屈を駆逐して、それを“豊かな暇”に変換するのが、フィンランド人はめちゃくちゃ上手で。

ベンチが町にいっぱいあるんですよ。そこに座っていくんですよ。何をしているかというと、何もしてないんですよ。だけど「あぁ私は今、幸せだな」と。

鈴木:すごい能力じゃないですか!

吉田:そうそう(笑)。

鈴木:本当に。

吉田:達人じゃないですか(笑)。

鈴木:本当にそうなんですよ。

吉田:「何かやっていないと、私は暇人なんじゃないか?」「貧しい奴なんじゃないか?」じゃなくて。「え、だってこの晴れた日にベンチに座って『あぁ、今年も良い夏が来るな』と思っているの、超良くないですか?」というのを、地でやってくるんですよね。

鈴木:すごい。なんか……老子!

吉田:そうそう(笑)。悟りというかね。そこはやっぱり、もっと暇上手になる。サウナとかもそうじゃないですか。サウナって、僕はこの現代社会に残された唯一、スマホを持って入れない空間だと思っていて。

だから僕は、手からスマホを剥がすためにサウナに入っている部分もあるんですけど。何もできないって、さっきの入院の話じゃないけど、大事だなというのは思ったりしますよね。

父の死にざまをみて思った「好奇心があれば、退屈せず死ねる」

鈴木:何で好奇心(が大切)なのか? というのに1つの答えとして。けっこうこれからの時代とかこれからの人生において、やっぱり自分にとっても(退屈が)メインエネミーになるんじゃないかという。ディオ(注:『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる、強大な敵キャラ)です。

吉田:ディオ(笑)。ディオはやばいですね。

鈴木:おそらく自分にとってディオみたいになり得るんじゃないかな? と思うから、(退屈と)うまく、ちゃんとやりくりをして対峙していくために、どうしていこうかなとなった時に、やっぱりその好奇心というのがあったら、少なくとも退屈せずに死ねるなというのを、僕は親父の死にざまを見てそう思ったんですよね。

癌で脳転移とか出ていて、最後しゃべれなかったんだけど、しゃべれなくなるまでずっと本を読んでいたんですよね。自分は、アレいいなと思って。

吉田:それは彼にとって、間違いのない好奇心の対象だったんでしょうね。

鈴木:誰かに教えるとか、何かのために活かすとかじゃない純粋な知識への欲求みたいなのが、親父の場合は最後の最後まで全く衰えなかった。これ、すごく「退屈に打ち勝っているな」みたいな。わからないです、戦う対象じゃないのかもしれないんですけど。

吉田:御し方というか、付き合い方というかね。

“好き度”を言えばいいワケで“詳しい度”を言う必要はない

吉田:あとは順不同で上からというワケじゃないんですが、学生さんと思しき方なので答えたいと思うんですけど。「就活や私生活で、趣味とか好きなことを聞かれる時に困ってしまいます」と。「いろんなことに興味があり過ぎるので、好きなことや興味のあることがたくさんあるんだけど、深くないです」と。深くない時に、何を好きということにすればいいのか。

鈴木:これはもう、オタクカルチャーの弊害ですよね。「こんな程度で好きと言っていいのか?」ということなんですけど。これもさっき言ったことと同じで、自分よりそれを愛している人がいようが、あなたがそれを好きというベクトルが1ミリでもあるのなら、それは好きでいいんですよ。

だから、それを言うことに別に恐れる必要はないというか。だってその場で『カルトQ』が出されるワケじゃないでしょうから。

吉田:「では本当に好きかどうかを確かめるために、お聞きします!」みたいなね(笑)。

鈴木:そうそうそう。「第1問! ジャジャン!」みたいにはならないですよね(笑)。

吉田:そうですよね。“好き度”を言えばいいワケで“詳しい度”を言う必要はないということですよね。それはそうですよね。

鈴木:これは広島カープ芸人が出た時に、有吉さんが言っていたやつ。

吉田:なるほどね(笑)。

鈴木:やっぱり、縦の感じになっちゃうんだよね。

吉田:わかります、わかります。「俺のほうがもっと好きだ」「いいや、俺のほうが好きだ」みたいなね。

鈴木:大事なことって「よく知ってる」みたいな知識の話ではないんですよ。

吉田:確かにね。面接とかだともちろん“まな板の上の鯉”的な気持ちにはなるから、深みのある、強そうなことを言ったほうがいいんじゃないか? というのが頭をよぎる気持ちはわかりますよね。

鈴木:たぶんあるし、俺もそれは言う(笑)。

(一同笑)

吉田:そうかぁ。ありがとうございます。

鈴木:別ゲーだからね。

吉田:そうですね。