オーディションで着目したのは「尖った才能」

宮田:「素人じゃ無理だ」って話が最初はありつつも「どんなプロも最初は素人じゃないか」というお話を打ち合わせでもされていましたよね。それを聞いたとき「確かに」と思いました。「素人からプロになるプロセスを分解していくことで、プロは作っていけるんじゃないか」って話を聞かせていただいてて。

確かにそういった観点で考えると、次のクリエイターを生むところで「ゲームやろうぜ!」は、ものすごいプロジェクトだったなと個人的には思っております。

桐田:僕自身もすごくおもしろさは感じていました。いろんな人と出会えるんですよ。全国各地、主要都市でのオーディションは面接みたいなものですからね。オーディション自体は私が担当してた時に6回ぐらいやっていて。

その時に、全国各地の主要都市でホテルを借りて面接をするんです。ただ、その前にエントリーシートで書類選考をするんですが、書類選考をザルのように緩くしました。会ってみないとわからないと思っていたので。それで、実際に会ってみると本当にユニークでおもしろい方と出会えるんですよ。それがすごく楽しかったですね。

宮田:なるほどですね。じっくり伺わせてください。そういったアマチュアだったり素人の方で「この人はおもしろい人だ」と思う瞬間ってどこに着目されてるんですか? 才能のきらめきじゃないですけど。

桐田:「ある特定のモノにすごくこだわっていて凝っている」って言ったら変なんですけど。「尖った才能」って言葉を、僕は当時よく使ってたんですけど。普通の人とは違う感性、もしくはあるものに極めて詳しい知識を持ってるとか。それがクリエイティブにつながるかはわからないにしても、強いこだわりを持ってた人が良かったと感じていました。

宮田:なるほどですね。今のお話はすごくおもしろいなと思いまして。「クリエイティブにつながるワケじゃなくても」っていう話で。それこそ直接ゲームで尖っていなくても、そこはぜんぜんいいんですね。

桐田:そうですね。もともとそういう方々は「ゲームを作りたい」って意思で来てらっしゃるので。ゲームの基本的なノウハウや知識がないとダメだ、と僕は思っていなくて。やっぱり熱量というか、そういうのが一番強かったと思いますね。

宮田:ゲーム以外のところでも、尖っている強い熱量があれば、クリエイターとして花開くものになる。それはすごくおもしろい話だと思いました。逆に言えば、そういった突き詰めたものがあるとぜんぜん違うって話ですよね。

桐田:そうですね。「そういう人たちと一緒に仕事してみたいな」って思いに駆られるかどうかですよね。面接官が偉そうなことを言うのは変ですけど。

宮田:なるほどですね。そこはクリエイターとして大事なところの話でもあるんだろうなと思いました。

トップダウンの「こういうのを作れ」では、良いものはできない

宮田:では、次に移らせていただきます。「ゲームやろうぜ!」プロジェクトの成功もあって、ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)さんのいろんな部署再編が行われたと同時に、その後はジャパンスタジオの責任者になられていますよね。これはどんなかたちでお話がきたんですか?

桐田:当時、ポリフォニー・デジタルっていう『GT(グランツーリスモ)』を作ってるところとか、あと3社ぐらい制作部だったところが子会社として独立して、制作会社が立ち上がっていた時期でした。

PS2に変わる頃に「SCEのソフト売上がよろしくないから再編しよう」という話が出て。ポリフォニー・デジタル自体は残ったんですけど、それ以外を再編する時に、どういうワケか「桐田がとりあえず全部まとめろ」みたいな話になってきて。「そんなつもりないんだけど……」と思いながら。

宮田:(笑)。

桐田:だけれどもまぁ「仕方ねぇな」と思いながら。

宮田:言われたからにはみたいな(笑)。

桐田:まとめる立場に就いたってことですよね。そのあとに「グローバルなスタジオ組織を会社全体で作ろう」という話になって、ジャパンスタジオというのを立ち上げて。「そこの代表に入りなさい」ということでなったという経緯ですね。

周りは私が適任だと思ったのかもしれないですけど、私はぜんぜん適任だと思ってなくて。「仕方ねぇ」という表現は失礼なんですけど、アサインしていただいた方に。

宮田:(笑)。

桐田:とりあえず「やります」ってことでやらせていただきました。

宮田:なるほどですね。そこでいろんなかたちで活躍をされたと思うんですけど。そのあたりのお話や「こんなことやりました」ってお話は、いろんなインタビューとかであると思うんです。

ただ、打ち合わせでお話を聞いてておもしろいなと思ったところが、経歴として「PlayStationのSCEのジャパンスタジオの代表」ってなると、そこがキャリアのゴールみたいな感じに見えるじゃないですか。じゃあその時期が一番楽しかったかというと、そういうワケでもなかったっておっしゃってましたね。

桐田:ぜんぜんなかったですね(笑)。

宮田:それはすごく興味深いですよね。ものづくりをされている方やクリエイターさんが多いと思うのですが「キャリアを上げることがすべてじゃない」ってことですよね。責任者としてのステップを上がっていくことと、仕事としてのおもしろさは別なんだと思いまして。

桐田:そういう立場に就くと、トップダウンで「こういうものを作れ」とか「ああいうものを作れ」ってできるんですけど、それで良いものってできないので。

宮田:なるほど。

桐田:どちらかと言うと、クリエイティブの現場の人たちが考えたものを、なんとか形にしていけるような。「パスを作っていけるようにしていきたい」と思ってたんです。僕はパスを作る側のスタッフィングにいたほうが、おもしろさを感じていたので。

宮田:なるほど(笑)。

桐田:なので、スタジオのトップにいること自体が、すごくこう……。

宮田:窮屈というか。

桐田:窮屈だったのはありますよね。

宮田:逆に言えば、その前の「ゲームやろうぜ!」プロジェクトとかのほうが楽しかったですか?

桐田:そっちほうが、めちゃめちゃ楽しかったですね。

宮田:そんなに違うものなんですね(笑)。ここは実際になってみないとわからないですね。

桐田:僕自身は、上昇志向が強い人間ではないと思っていて、日々おもしろく仕事をできるかどうかに価値判断を置いている人間なので。「おもしろくないことは嫌だなぁ」ぐらいな感じですね(笑)。

宮田:そこはすごくおもしろいですね。代表とか責任者が必ずしも楽しいものではないみたいな。

桐田:ですね。

宮田:なるほどですね。

「寝食を共にする」ゲーム作りで生まれる、仲間意識

宮田:では次のヒストリーポイントに行きます。

最後の章になるんですが、現在桐田さんは、あまた株式会社さんで取締役をやられています。あまたさんに移られた理由には、おもしろさという面があったんですか?

桐田:それもありますけど「ゲームやろうぜ!」を立ち上げた時の初代のメンバーが、あまたの社長で。

宮田:髙橋(宏典)社長ですか。

桐田:髙橋と増田(恭隆)という社長・副社長がいて。彼らに二十何年ぶりに声を掛けてもらって。実質的には一緒に仕事するのは十何年ぶりですけど、なんかおもしろそうだなと思ってジョインさせていただいた感じですね。

宮田:タイミング的には次のステップを考えられてたタイミングでしたか?

桐田:いや、ぜんぜん考えてなかったですね。今62歳なんですけど……61歳か(笑)。

宮田:(笑)。

桐田:そもそも60歳でリタイアというのが、前の会社の決まりだったので。ただ、それで業界から離れるのはちょっとアレだなと思って。いいチャンスをいただいたので「もう1回やってみようかな」ということで入りましたね。

宮田:お話にもあったとおり「ゲームやろうぜ!」の時のチームメンバーがつながってくるというところで。それも10年、20年後につながっていくという。

桐田:そうですね。

宮田:逆に僕はまだ30代なので、そういった一期一会がすごく大事なんだなって、お話を聞いていて思った次第です。

桐田:特にゲームを作る場合って、大げさですけど「寝食を共にする」に近いですから。そういう仲間意識は、やっぱり生まれちゃうんじゃないかなと思います。

宮田:確かにそうですね。どっちかと言うと、会社よりも「どういった仲間に誘われるか?」のほうが重要だったワケですもんね。

桐田:そうですね。

宮田:本当にそれは共感できます。