ヘラジカにとってのごちそうは「塩」

ステファン・チン氏:ヘラジカが生息する地域では、冬には奇妙な光景が見られるかもしれません。それは、「車を舐めるヘラジカ」です。これは実際にある光景で、しかもヘラジカは夢中になって車を舐めているのですから、なんとも不思議ですね。

ヘラジカが車を別の物と間違えているとか、「舐めることが大好きだ」と自己主張しているわけではありません。実は、ヘラジカは車についている塩を舐めているのです。塩はヘラジカにとって「ごちそう」であり、車を舐めてまで摂取したい物なのです。

さて、通常「食塩」といえば「塩化ナトリウム」を指します。いわゆる、昔ながらのテーブルソルトですね。ナトリウムは神経伝達や筋肉運動に使われる必須栄養素で、生きるためにナトリウムを必要とするのはヘラジカだけではなく、あまねくすべての動物です。

ところで、ヘラジカが通常生息しているエリアでは、塩は非常に貴少です。さらに草食性であり、植物にとって有害な塩分は積極的に排出されるため、そのエサに含まれる塩分は極めて少量です。

春夏秋冬「塩なめ場」を求めて

そこで、必要な塩分を摂るためには、ヘラジカは他をあたる必要があります。夏であれば、塩分が豊富な水草を大量に食べます。

別の手段として、ヘラジカは「塩なめ場」を探します。塩なめ場とは、高濃度のミネラルを含有する湿った泥地です。ヘラジカは、塩なめ場を非常に好みます。

塩なめ場を見つけると定期的に訪れ、他のヘラジカと交流したり、塩への飢えを満たしたりします。

しかし冬になると、塩なめ場は雪に埋もれてしまいます。

人間は、冬になると凍結防止剤として道路に塩を何トンも撒きます。道路は塩水で水浸しになり、そのしぶきが車に付着して乾燥します。あっというまに「塩なめ場自動車」の完成です。

何が問題なのか、まだピンときませんか? では説明しましょう。成熟したオスのヘラジカの体重は、数百キログラムにもなります。その重量のほとんどは、長い足の上にバランスを取って乗っている状態です。さらにオスのヘラジカの成獣は、例えばみなさんの家の玄関を通るとすれば、かがまなくてはいけないほどの巨体です。

ヘラジカと人の事故を防ぐための解決策

そんなヘラジカが道路に出て来れば、何が起こるでしょうか。ヘラジカとドライバー双方にとって、極めて不愉快な事態になるのは明白です。

通常は、ヘラジカは騒音やライトに怯えて道路には出て来ません。しかし、塩は生きるために必要不可欠な成分であるため、例え恐ろしい目に遭ったとしても、通常の習性を曲げてまで求めに来るのです。

さて、ヘラジカに「道路や車が塩の宝庫である」と知られることは避けなければなりません。そのため、野生動物管理官をはじめとする保護活動家たちは、さまざまな活動を行っています。

まず、道路に残った塩は、春になると道路から遠く離れた場所に廃棄されます。こうすることにより、ヘラジカはより安全な場所で塩を摂取できますし、より自然な塩なめ場に近い形態を作ることができます。

もう一つは、道路脇にできる塩水の水たまりを排水して礫で埋め、草を刈って、ヘラジカが道路に出てくるのをいやがるようにすることです。

他の対策としては、塩化カルシウムなどの塩分を含まない凍結防止剤の使用が考えられますが、塩化カルシウムは高価であるため、現時点では広範囲での使用は困難です。

いずれにせよ、車にヘラジカが近づいて来たら、自撮り棒を出すのはやめてください。ヘラジカは、極めて危険な動物です。また、車を舐めるのは奨励したくない悪癖です。ゆっくりと車を動かして、静かにその場を去ることが最善の策です。