宇宙飛行士選抜の“センター試験”
内山崇氏(以下、内山):(13年前の宇宙飛行士選抜試験では)応募書類と英語の試験。その2つが加味されて、最初の第一次選抜に進めるかどうかが決まりました。それが230名かな? 963名の応募から230名が第一次選抜で絞られまして。第一次選抜は2日間。
黒田有彩氏(以下、黒田):8月9日、及び8月10日とありますね。
内山:そうですね。2日間にわたっての、身体検査と筆記式の試験。一般教養試験、基礎的専門試験、心理適性検査。だからこれ、だいたいセンター試験ですかね。宇宙飛行士選抜の“センター試験”みたいな感じ。
黒田:センター試験というと、マーク式というイメージがあるんですけど、そう考えていいんですか?
内山:心理適性検査はマーク式でしたね。あとは、けっこう記述式だったと思います。
黒田:記述なんですね。
内山:大学生レベルの問題とか、あとは大学院入試とか公務員試験とか、そのくらいのレベルの試験だろうと思って準備して、だいたいそんな感じだったかなと。
黒田:大学受験のセンター試験レベルだと、ちょっと取れないところはあるという感じでしょうか。
内山:そうですね。でも、大学入試レベルぐらいもあったかな。そんなに専門的じゃなかったですね、僕の時は。ただ、数学、物理、化学、生物、地学、宇宙開発みたいなかたちで、わりと幅広く理系科目の試験がありましたね。みんな、どんなレベルが出るかわからなくて。過去問もないので何を勉強していいかわからない中で、一般教養レベルとして必要な知識ということで、みなさん臨まれていたと思います。
黒田:具体的な科目や分野とか、覚えていらっしゃいますか?
内山:そうですね。物理とか数学とかは、わりと覚えていました。逆に生物とか地学とかしばらく触れていないやつは、ちょっと見返さないとわからないなと思って。実際、けっこうできない問題もありましたね。
問われるのは「これぐらい、知っている必要がある」レベル
黒田:何か覚えていらっしゃいます? 具体的な問題。
内山:覚えていないな。そんなに問題数は多くなかったと思いますね。
黒田:ああ、そうなんですね。時間が足りないということはなさそうな感じですか。
内山:足りないことはないですね。
黒田:そうなんですね。
内山:うん(笑)。ちょっと具体的な問題までは覚えていないな。
でもこれって、柳川(孝二)さんの本には「下位20パーセントだった人は、C評価を付けました」という書かれ方がされていたので、けっこう相対評価で見ているのかなと思いましたね。
足切りラインをセットして、全科目が満点である必要はないんだけれども、苦手がない、穴がないというところを見る意味では、まんべんなく勉強しておく必要があるかなと思いますね。けっこう第一次選抜は大変です。それは英語もそうですけど。
黒田:そうなんですね。
内山:やはり「そこそこのレベル」が、まずは求められるかな。考え方としてはアレですよね。もし宇宙飛行士になったとして「やはり、これぐらいのことは知っている必要があるよな」というところを、押さえておかないといけないのかな? という考えでいました。
「受けては部屋に帰ってきて」を繰り返す“面接サーキット”
内山:そして二次選抜で、230名から50名に絞られるんですね。ここからが1週間。そのうち4日間ぐらい、病院の近くに泊まって毎日病院に行って、体中を検査をされるというのがあって。これは人間ドックよりも、かなり詳しい検査がありました。
これは僕、受験した当時32歳だったんですけど。その頃って、まだそんなに人間ドックとかに行かないくらいの年齢かなと思うので、けっこう初めての検査が多かったですね。それと英語専門、一般、心理と、けっこう面接の嵐で。
黒田:はい。
内山:英語は対面で外国の方としゃべるという面接もあったし……あとはひたすら面接ですね。専門知識であるとか「あなたは何をやっていたんですか?」とか。「何で宇宙飛行士になりたかったんですか?」みたいなものまで、けっこう心理的なこと。自分に関わる心理的なことも含めて、各種の面接を受けましたね。
けっこう覚えていますね。ある部屋にみんな待機しているんですけど、みんな順番が違うんですよね。「受けては帰ってきて」という。
黒田:へえ。「面接サーキット」のような。(笑)
内山:そうですね。みんな受験番号で管理されているんですけど「その人がどの順番でどう回るか」(が知らされない)みたいな。ほかには手先の器用さを測るような検査であったり、あとは目隠しをして足踏みをする検査であったり、体の機能とかそういう検査もありました。
黒田:心理面接で、覚えている質問はありますか?
内山:どうかな。
黒田:第4回の選抜試験では「桃太郎と浦島太郎、どっちが好きですか?」という質問があったと聞いたことがあります。「チーム一丸となって戦う桃太郎」なのか「亀を助けてあげる優しさを持っている浦島太郎」なのかとか。いろんな切り口があると思うんですけど、それをどっちが好きか? というのを答えるのがあったそうですよ。
内山:「そんなことを聞いて、何を測っているんだろう?」というのは、けっこうありましたね。検査の目的について、確か1個1個丁寧に説明されることはなくて。突然寝させられて、突然「起きてください」と言われて。それで「100から7を引いた数字を、ずっと言ってみてください」とか。「100、93、86」とか、そういう計算をするとか。
いろんな状況においても安定した心理状況を保っていられるかとか、そういう単純な計算のパフォーマンスが落ちないかとか、そういうところだったのかな? とか。あとから「そういうことを見ていた検査だったのかな」みたいな、そういう感じです。
黒田:それが、第二次選抜の1週間。
内山:この1週間で、けっこう会社休むのが大変だった方とかもおられて。会社には毎日「風邪ひきました」と言っている人とか。これってある種、転職活動じゃないですか。この時点では堂々と会社に申告していないという方が、たぶんほとんどだと思うんですけど。その中で1週間休むってなかなかできなくて、苦労して受けられていたという方もいましたね。
最終候補者の勤め先には、JAXA担当者が直々に試験の説明に
内山:そこから10名に絞られて、最後が第三次選抜ですね。ここは約2週間と書いてあるんですけど、全部で18日間試験を受けました。水泳の試験もありましたし、長期滞在適性検査と書いてある、閉鎖環境(の試験)。
宇宙ステーションを模したところに10名を閉じ込めて、分刻みの課題を与え続ける。それは個人の課題もあればチームの課題もあって。チーム対抗だったり、あとは全体で討議したりみたいな。いろんな趣向を凝らした検査・課題を順次やっていく。それを一週間という適性検査ですね。
あとは一週間NASAに行って、NASAの実際の宇宙飛行士選抜で使われている試験の一部を受ける。ほかには、飛行機のパイロットが受けるような適性検査を日本で受けたり。各種面接と追加の医学検査などなどで、全部で18日間試験がありました。
でもさすがに、こんなに長い期間休めない。その前の二次選抜で、すでに一週間休んでいるじゃないですか。それで最終選抜の前には、JAXAがそれぞれの候補者の会社に出向きまして「この方は最終選抜に行きましたので、ぜひ受けさせてください。受かった暁には宇宙飛行士として会社は辞めていただいて、JAXAのほうの宇宙飛行士候補として働いていただきますけど、よろしいでしょうか?」というところを、しっかりと仁義を切って話に行くというプロセスをして。それで最終選抜試験を受けていただく、というかたちで受けましたね。
私の場合はもともと(所属が)JAXAだったので問題なかったですが、一般の会社員の方だとたぶんそのプロセスって大変だと思うんですよ。個人で会社の上司とかに言いづらい方とかもいたりするし、仕事の状況によってはなかなか難しい。他の代替の人を準備していただかないといけないということもありうるので、そこはたぶんすごい大変。10人全員の会社にお願いにあがる。僕の場合はJAXA内部だったので、最後にたぶん回されていたのかな(笑)。
黒田:(笑)。
内山:「いいですよね?」みたいな(笑)。
黒田:(笑)。
内山:という感じだったのかどうかは、わからないですけど。僕の場合は、もし受かったとしても社内での部署異動なので。そういうかたちで。
黒田:それって三者面談みたいな感じなんですか?
内山:あれ、三者だったかな? すみません、記憶が(笑)。
黒田:(笑)。
内山:三者だったかな。三者じゃなかった気がするな。
黒田:そうなんですね。
内山:たぶん。本人がいないところで話されていた気がします。その時に、候補者の働きぶりとか「適性ってどうですか?」みたいなアンケートを出してもらうお願いもしているので、確か三者じゃなかったと思いますね。
黒田:そうですか。
最終10名まで残って感じた「いよいよ」の気持ちと、ある覚悟
内山:だいたい流れはこんな感じで。最初の選抜から何重にもいろんなことを検査、試験して。最後の最後は徹底的に見られて試験をするので、一人ひとりにかける試験、検査の時間って相当なものだったと思うんですけれども。
僕の場合は最後まで試験を受け切ったというのもあって、けっこう悔いがないというか、悔いが入り込む隙がないというか。ここまでやってここまで見られて、自分ももう「これ以上、何も出ません」ぐらい見ていただいた上での決定だったので。そういう意味では、ぜんぜん後悔はないんですよね。なかなかすごい試験だなと思いました。
黒田:書類を書いてから10ヶ月ぐらいは試験が続いて、最後が2月でしたっけ?
内山:最後は2月ですね。
黒田:日々、気持ちが高まっていくわけじゃないですか。きっと精神的にも「宇宙飛行士がする選択」というのを日々やる。それが蓄積されるような感じだったんじゃないかなと、勝手に想像するんですけど。何かご自身の中で、選択の仕方が変化したようなことはありますか?
内山:最初はやっぱり「230名に絞られました」と言われても、まだまだ先かなと思いますね。50名になっても、まだぜんぜんわからないよねと。それで「宇宙飛行士候補になれるレベルがどれくらいなのか?」というのと「一体どこまで調べつくされればゴールにたどり着けるのか?」というのが、よくわからない状況で受けるので、大変だったのかなというのがあるんですけど。
そこを徐々にくぐり抜けていって、やっぱり10名になった時というのは、ちょっと気持ちの変化というのがありましたね。今までは「ちょっとチャレンジするか」みたいな感じで臨んでいた。それで少しずつ扉を開けていった……という感じだったんですけど、最後の10名になると、いよいよじゃないですか。
黒田:はい。
内山:「何名が合格」というのは事前に決められていなかったんですけど「(おそらく)2、3名かな?」と言われている中で、当然、あり得るところまで来たと。ということで、そうなるといよいよ覚悟ですかね。「宇宙飛行士として生きる覚悟」というのが、本当に目の前に迫ってきたという思いがあったので。ある種、宇宙飛行士は自分1人の人生じゃなくなるという部分が、けっこうあるのかなと思っていて。公人に近いような人生になるわけなので、それに対する覚悟というのを改めて。
自分ではそのつもりで受けていたので、理解していたつもりだったんですけど、そこ(最終選抜の段階)で「ちゃんとした人間として(行動)しないといけないよね」というのは、改めて思いましたね。その頃に何か行動が変わるかというと、どうだったんだろうな……。やっぱり何か『スーパーマリオ』でスターを取った時、みたいな感じですかね? ちょっと「がんばるぞ」みたいな(笑)。
黒田:無敵状態みたいな(笑)。
内山:無敵状態にはあったかなと思いますね。やっぱりこう「自分なら何でもできるはずだ」というところで、日々、マルチタスクにチャレンジするとか。いろんなことができると思って、気持ちとしてはやっていましたね。