たった3つのフレーズを、2時間大声で繰り返し、当選

河野太郎氏(以下、河野):アメリカへ行く決断の次に分かれ道になったのは、33歳のときの、初の小選挙区での総選挙でした。私の選挙区は自民党も野党も、現職が1人も立候補しない状況でした。

なので青年会議所の先輩に「『いつか政治をやる』と言うんだったら、今でしょ。だって現職が1人も選挙区に立候補しないなんて、たぶん未来永劫ないよ。やるんだったら今やれよ」と言われました。

それで当時は33歳ですけれども「よし、いくぞ!」と覚悟を決めました。選挙区の茅ヶ崎駅のエスカレーター下に朝6時から朝8時まで毎朝立って「おはようございます。河野太郎です。いってらっしゃい!」この3つのフレーズを、2時間繰り返しました。

よく街頭で朝に演説をしている人もいますが、みんな通勤で忙しいのに延々しゃべっていても誰も聞いてくれない。だから私は、「おはようございます、河野太郎です。いってらっしゃい!」この3つのフレーズを2時間大声で繰り返していました。

そしたらちょうど1ヶ月後、一人の人がニコニコ笑いながら私のほうに来て、「若いの。お前毎日がんばってるな。偉いぞ! で、お前はなんて名前よ?」と言われました。

「いやいや、この1ヶ月間、俺はずっと名前しか言ってないだろ」って思いました。ですが、その時に「選挙って本当に大変だ、名前を覚えてもらうだけでもこんなに時間がかかるんだ」と驚きました。真冬の寒い中でも構わず駅頭に立ち続けて、結果的に当選することができました。

「とんでもない奴だ」と言われ、随分叱られた過去

河野:その次の大きな決断は、私の地元のベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)というJリーグのクラブの親会社のフジタが、撤退をするということになりました。そこでクラブ破綻を止めるべく「お前、代表取締役をやってくれ」と、当時の平塚市長に指名されました。

現職の国会議員ですし、フジタという会社がバックに付いていても経営がなかなかうまくいかなかった。そんな状況に対して「果たして本当に自分でやりきれるんだろうか?」と思いましたけれど、僕もベルマーレ平塚の大ファンでしたし、地元にそういうクラブがあることで地元のみんなの心を一つにできると思ったので「それじゃあ、やります!」と言って、代表取締役会長を引き受けました。

そして、当時の川淵(三郎)チェアマンに「責任は私が取ります。ぜひサッカーをわかっている人を社長にください」とお願いをして、当時のジュビロ磐田の小長谷(喜久男)さんに社長を引き受けてもらいました。

それから今日まで、クラブは破綻することもなく存続しています。タイトルを取ることもできましたし、未だにJ1リーグに残っている。中田英寿さんが、ちょうどイタリアへ渡った後の出来事でしたけども。

中田さんは古巣のベルマーレを、随分気にしてくれていました。「ベルマーレ、お困りのようですね。僕にできることはありませんか?」と声をかけてくれて、背中のユニフォームスポンサーをやってくれました。そんなこともあって、本当にみなさんの後押しのおかげでなんとかクラブを存続させることができました。

代表取締役になって最初に、地元サポーターのみなさんに集まっていただきました。そして、こんなことをお伝えしました。「いいですか、みなさん。アウェーの試合に行っちゃいけませんよ。アウェーの試合は向こうの収入になります。ベルマーレには1円も入ってきません。だからアウェーの応援に行く代わりに、ホームの試合の時に、友達をその分たくさん連れてきてください」と。

そう言い放つと、サポーターからは「なんだあいつは!?」「今度の代表取締役はとんでもない奴だ」と言われまして、随分叱られました。

ですが「とにかくお金がないんだからしょうがないだろ」という話をしました。「いや河野さん。必ずホームの試合には来るから、アウェーの応援にも行かせてくれ」と言われたので「じゃあ、しょうがねえ」という話をしたこともあります。

サポーターの中には、本当にボランティアで試合の手伝いをしてくれたり、グランド整備をやってくれた人もいまして、もういろんな人に助けていただきました。

肝臓の1/3を「余命半年」と診断された父に移植

河野:4つ目の壁は、今から18年前。私の親父がC型肝炎で肝硬変になりました。アンモニアを肝臓が分解しなくなって肝性脳症になりまして。具体的に言うと「100から7を引かせてください」ってお医者さんが言うんですね。親父は93まではわかるんですけど「じゃあ、93から7を引いたらいくつ?」と言われると、もう計算ができないんです。診察を受けると「余命半年です」と言われました。

私は30そこそこでお袋が亡くなったもんですから、もう親父しか残っていない。余命半年と言われた親父を助けるにはどうしたらいいか。そう考えると、肝臓を移植するしか方法がなかったので、私の肝臓の3分の1を親父に移植する決断をしました。

おかげさまで手術はうまくいって、親父は今日まで元気にしています。当時は「移植手術で死んだ人はいません。肝臓は3分の1切ってあげても、半年もすれば元の大きさに戻ります」と言われたもんで「じゃあいいじゃないか」と思って、けっこう前のめりにやりました。

そうしたら、私が移植施術をした翌年に、肝臓のドナーになった方が亡くなったケースが出てきましたし、肝臓は元の大きさに戻るけれども、8人に1人は重い後遺症が出ると後から調査でわかりました。

先にわかっていたらもっと悩んでいたと思いますが、あの時はそんなことも知らずに「やりましょう」と言ってやりました。そうやって分かれ道に出会う度に、考えはしましたけど、やらずに後悔するんだったらやってから反省しよう。そういうつもりでどんどん前のめりにやってきたのが、結局、自分の人生の中で壁を乗り越えることになったんだと思います。

分かれ道に来た時は、一度立ち止まって考えなければならない

河野:ただ最初に申し上げたように、アトピーだけは未だに乗り越えることができていません。今でも湿気が多くなったり、ストレスがかかったりすると、てきめんに悪くなります。そういう中で、薬を使いながら乗り越えている毎日を過ごしています。

今日私が申し上げたいのは、まず何においても健康管理が土台になるということです。健康であれば、多少のことは力技で乗り越えられる。私はそう思ってます。それが本当にいいのかどうかわかりませんけれども、少なくとも最大限に自分の力を発揮しようと思ったら、まず元気であること・健康であること。これが大事だと思います。

そして、分かれ道に来た時は、一度は立ち止まって考えなければいけません。100パーセントリスクしかないものに突っ込むのはダメだと思います。しかし、いろいろ考えて「これはフィフティフィフティだな」と思ったら、やってみるのが大事なんじゃないかなと私は思っています。

こんな話が、みなさんの役に立ったかどうかわかりませんけれども、21世紀はもう1回ギアを入れ替えて日本を前へ進めていかなければならないと思っています。

今は菅内閣で規制改革をやらせてもらっていますが、しっかり日本の国を前に進められるようにがんばっていきたいと思います。よろしくお願いします。そして、ご清聴ありがとうございました。

英語ができることが、最初のステップ

司会者:河野大臣、ありがとうございました。乗り越えるというテーマで、本当に普段のお話を聞けて大変参考になりました。

河野:ありがとうございます。

司会者:これからは、ご視聴しているみなさんから質問が来ております。さっそく見てみたいと思います。

「若いうちに身につけたほうがいいスキルが知りたい!」と質問が来ています。いかがでしょうか。

河野:僕はこの質問が来たら「何においても英語だ」と言うようにしています。さっき言ったように、AKB48は海を越えて向こうには行けませんけれども、BTSはもう一気に世界中へ進出している。

やっぱり70億人を相手にするのか、1億2000万人で止まるかは、本当に大きな違いだと思うんです。70億を相手にしようと思ったら、英語ができることが最初のステップなんだと思うんですね。

昔、NHKのキャスターをやっていた磯村(尚徳)さんという有名なキャスターが「教養の英語、実用のフランス語」とおっしゃった。フランス語ができる人は英語と比べてあんまりいないから、少しでもフランス語ができれば、それは喜んでくれて役に立つ。だから実用的。

英語は国際共通語だから、もういろんな人が英語をしゃべる。だから英語ができるだけじゃ、プラスじゃない。むしろ教養ある英語のしゃべり方ができれば「あぁ、あの人は教養があるな」と伝わる。なので、教養のある英語を勉強しなさいと留学前に言われました。

残念ながら私は学生英語で、(マイク・)ポンペオから「で、なんでお前の英語はそんなに直截的なんだ?」と言われましたが、たぶん私が最低レベルで、もっともっと教養のある話し方ができるような英語を身につけてもらいたいと思います。

河野大臣の夢とは?

司会者:なるほど。ありがとうございます。英語はもちろんなんですが、日本語で何か心がけていらっしゃるところ、ダイレクトに人に伝えるスキルはありますか?

河野:昔、親父に言われたのが「政治家の演説は、こたつに入ってみかんの皮を剥きながら(聞いている)おばあちゃんにわかるようにしゃべるのが大事なんだ」と言われました。大声を出したり、強い言葉を出したりしても、聞いている人には伝わらない。むしろおばあちゃんが「あ〜、そうなの」とわかってくれる。そういうやり取りをやれ、と言われたんですね。だから、そういうものかなと思っていました。

司会者:相手がどう感じているかという目線を持って、発言をされていると学ばせていただいきました。では次の質問です。

「河野大臣の夢は何ですか?」これはストレートな質問ですね。

河野:今の夢は、社会保障と日本のエネルギー政策をなんとかすることです。いろんな活動をやってきて、自民党や政権と意見が違ったこともありました。

ただ小泉純一郎さんも、郵政改革という自民党の圧倒的多数と真逆のことを主張しながらも、総理になってそれを実行した。だから私もいつか、総理になって自分が思っている政策をきちんと国民のみなさまに示して、国民のみなさまの後押しでそれを実現したい。そう思っています。

議論では勝ったが、結局「これは負けたな」と思った経験

司会者:なるほど。では、先ほどのお父様のエピソードの中で「留学をみんなから反対されたんだったら、逆におもしろいじゃないか。そっちをやってみなさい」と言われたような「多数派の反対に本当の真理がある」みたいな部分に感じていることなどはありますか? 

河野:なぜ親父はあの時に「みんな反対だから行ってみろ」って言ったのか。正直よくわからないのですが、そういう考えもあるのかと。正直びっくりしました。

司会者:そうですか。河野大臣は、けっこう主張を通されるんだなとお話を聞いていて思いました。主張に対しては、理にかなっているとは思うのですが、周りの方から主張を押さえつけることも、日本社会の場合はあるかもしれないですよね。そのあたりは、どういう心構えで乗り越えていらっしゃいますか? 

河野:例えば、自民党に初めて当選した時に「議論に上下関係はない」と言われました。「議論は自由にやれ。ただし、その時に礼儀を忘れるな」とも言われました。

僕は自分が正しいと思って意見を言った時に、両手をポケットに突っ込んでしゃべっていたことがありまして。その時に大先輩から「貴様はなんだ! ポケットから手を出せ!」と叱られたことがありました。

たぶん議論では僕が勝っていたんですが、その時点で「これは負けたな」と思ったことがありまして、そういうところは大事にしていかなきゃいけないなと、先輩方から教わりました。

司会者:なるほど。やはり礼儀は非常に大事な基礎になるのですね。ありがとうございます。

強く主張するのがいいとは限らない

司会者:最後に1個だけよろしいですか。

「河野さんのように強く主張できる人になりたいです。どのような訓練をすれば話せるようになりますか?」という質問です。

河野:まず、強く主張するのがいいとは限らないんだと思います。論理的でなければならないとは思いますが、強く主張するのがいいのか。あるいは、みんなを説得するためには共感を得ながら、自分の主張を通すやり方もあると思います。

なので、人のやっている主張の仕方を真似をするのではなくて、自分のキャラクターの中で、どういうことが一番自分にあった物事の通し方なのか。みんなの賛成を得てやるのか、合理的に理詰めでいくのか。

それはたぶんその人の個性だと思うんですね。なので、自分なりにどれが自分にとって得意なのかというのを見つけてもらいたいと思います。

司会者:ありがとうございます。まだまだ本当にお話を聞いていきたいんですけれども、お時間となりましたので、このあたりで終了させていただければと思います。改めて河野大臣、ありがとうございました。

河野:ありがとうございました。