「趣味の読書」は役に立たないものなのか?

山口周氏(以下、山口):僕は、「趣味の読書」と「仕事の読書」が、30代の半ばぐらいまでは分かれていたんですけれども、それはすごくつらかったんですよ。なぜかと言うと、趣味の読書は楽しいんですね。それで、仕事の読書はあんまり楽しくないわけですね(笑)。趣味の読書をしている時間はすごく罪悪感を感じるわけです。だから、意外と真面目なんですよね(笑)。

一応専門のコンサルティング会社なので、もっと仕事に直接関係があるような担当領域の勉強もしなくちゃいけないんだけど、ビジネス書ってだいたい読んでいてもつまらないんですよ。それで、もう「アリ塚は~」とかね(笑)。「昔の宦官ってこんなライフスタイルだったらしい」というのを読んで「おもしろい!」と思うわけです。でも、周りから見ると「それって何の役に立つの?」と言われると(笑)。何の役にも立たないと、自分でも思っていたわけですね。

「何にも役に立たないのに、これだけの時間を使っている俺の人生はどうなっちゃうんだ」と考えた時に、それをどうにかして役立てられないだろうかと思った時の「ウルトラC」がこの考え方です。こうして抽象化して構造化してつなげてあげれば、すべての物事がビジネスにつながるということに、ある日開眼したんです。

その結果、この左側に、僕が好きな領域のいろんなことが載っています。哲学、歴史、政治史や宗教。人類学・社会学、心理や脳科学、医学・生物学と工学。これは、いわゆる広い意味でのリベラルアーツのカテゴリーの読書やリサーチなんですけれども。

一方で横にある、戦略やマーケティング、人事や組織、リーダーシップ、オペレーションというのは非常に世知辛い。ある意味、ビジネスの戦場で求められることですし、ビジネススクールで習うカテゴリーなわけですね。ですから、この戦略の話だったら、ビジネス書のコーナーの戦略論。人事・組織だったら、ビジネス書の人事・組織のコーナー。リーダーシップだったら、ビジネス書のリーダーシップのコーナーにそのまま行くというのが、わりとわかりやすいんですけれども。

僕がさっきの枠組みに気付いてから、いろいろと考えてみると、この縦軸と横軸の交点に、ありとあらゆるものが関係することがわかったんですね。例えば、僕は聖書などの宗教学が好きで、いろいろ読んでいるんですけれども、聖書は本当にリーダーシップ論のある種のケースなんです。

あと、例えば、マルコの福音書には「ぶどう園のたとえ」というものが出てくるんです。これはもう、今まさに議論されているベーシックインカムの話なんですよね。だから一見、功利的なことを考える上ではぜんぜん役に立たないと言われている、一般的なリベラルアーツのいろいろな領域が、抽象化と構造化をすれば、ほとんどのものに関係していることがわかったんですね。

予測不能な時代こそ、抽象度の高い思考が必要になる

山口:今まさにアフターコロナで、ニューノーマルとか言われていますけれども、ある種、抽象度の高い思考をしないとならない。「これから先どういうふうに対処できるか」ということを具体化すればするほど、知識は極小化するわけですよね。

「こういう状況において、こういうことをすると役に立つ」というのは、具体としては非常に役に立つわけですけれども、逆に言うと、その状況が変わると具体的なノウハウというのはものすごいスピードで陳腐化するわけです。

だから、この先どういうことが起こるかを考えたときに、いろいろな具体の状況が変わっていって、具体の知識の陳腐化がものすごく進んでいく中では、過去からずっと残っているコンテンツから、人間や社会や組織のある種の「性(さが)」、ネイチャーを洞察することが、すごく必要なんじゃないかなと思っています。

僕はそういうふうに考えることで、歴史の本を読んでも、人類学の本を読んでも、別に趣味の読書をしているんじゃないんだ、という(笑)。それで精神的に安定できるようになったんですよ。

安藤昭子氏(以下、安藤):いい話ですね(笑)。

山口:それからはもう堂々と、会社でビジネスと関係ない本を、ブースで足を組んで読んでいると……。「あの人、売上もいってないのになんで昼間から本を読んでるんですか」と面倒くさいことを言う人がまたいたりしてですね。これはまぁ、別の問題なんですけど(笑)。そういう話です。

小学生の時に読んだ『時間砲計画』で読書好きに

安藤:左側のいわゆるリベラルアーツと言われるようなところ。ここから始めて右回りにするところ自体が、やっぱりお好きだったというのが大きいんだろうなという。

山口:そうですね、好きだったんでしょうね。だから僕は、本の思い出に関して言うと、一番最初に覚えているのは小学校3年生の時だったと思うんですが、近くの図書館で少年向けのSFの本を借りてきたんです。今でも題名を覚えているんですけども、『時間砲計画』という本でした。

時間砲計画〈完全版〉

それまでにも読んだ本はあったと思うんですけれども、本当に今でもその感覚を覚えています。ベッドにうつ伏せになって、本をこうやって持って読んでいて。ちょうど夏休みが終わる時期で、窓の外では秋の虫が鳴いていて、夕食を食べたあとにその本を読んでいました。

それまでは、本は親からむりやり読まされるもので、けっこうつらいという気持ちがあったんですけれど(笑)。その本は本当に夢中で読んで、ある時、パッと気が付いたら残り半分になっていたんですね。その時の「あと半分で終わっちゃうんだ」という感覚を、今でもものすごく覚えているんです。

安藤:それはなにかこう、クッと読書家(としての人生)が始まった。

山口:そう。だから、そこでたぶん人生が変わった気がするんですよね。「本ってこんなにおもしろいんだ」という感覚を、小学校3年生の時に体感してからは、基本的には「本がない状態」というものに対するものすごい恐怖感がありました。

安藤:すごいですね、極端に。

おもしろい本に出会えない時期は、人生の無駄遣い

山口:本がない状態に対する恐怖感というか、「人生のある瞬間に、今夢中になって読んでいる本がない」ということが、すごくもったいない感じがありますよね。

でも、なんだかうまく読書に入れない時期ってありますよね。今この瞬間自体は、すごくおもしろい本が5冊ぐらいあるのでいいんですけど、やっぱり1年前ぐらいに「どの本を読んでもうまく入ってこないな」という時期がありました。その時期はやっぱりものすごくもったいない感じがしますよね。人生の無駄遣いをしているような感じがあります。

そういう経験がすごくあるので、おもしろい本に出会える確率が上がりそうな方法論はいろいろやってきたんです。だから、松丸本舗も「来たー!」と思ったんですよね。

安藤:あぁ、最初のお話とつながりました。

山口:はい。だから本屋の配列で並んでいるのは、やっぱりちょっとこう、違うわけですよ(笑)。自分にとってすごくおもしろい、夢中になれるかもしれないという、ある種のシステムに出会えた時は、すごくうれしいですよね。

安藤:その「もう半分まで読んだんだ」という原体験がきっと、ずっと続いていらっしゃるんでしょうね。

山口:そうですね。だから、人生を振り返ってみると、要所要所ですごく時間が止まったような。まさにチクセントミハイが言う「ゾーンに入る」ような本には、なんだかんだ言って、毎年1年に1冊かそこらは出会っている気がします。

“問題児”だった中高生時代、学校代わりに通った3大スポット

安藤:今のゾーンという話のように、自分を許してあげて(趣味の読書に)没頭しちゃったほうが、結局はいろいろと全部が早いようなことってありますよね。

山口:そうですね。あとはちょっと簡単に触れたいと思いますけど、本の思い出に関して言うと、僕は学校ですごい問題児だったんですよ(笑)。中・高時代とすごい問題児で、要するに学校に行かないわけですよ。不登校というわけじゃないんですが、親から怒られるのも面倒くさいので、「学校行ってきます」と言って、家は出るわけです。それで、学校行かないんですね(笑)。

代わりに行っていた3大スポットが、美術館と博物館と図書館なんですね。図書館以外に本屋も好きでした。やっぱりフェティッシュに本というもの自体も好きだったんです。当時で言うと渋谷のWAVEや、池袋の西武がやっていたすごくいい本屋さんがあって。

今はまたちょっと個性のある本屋さんが増えてきましたけれども、80年代の半ばはけっこう多かったんですよ。当時はサブカルチャーの本とか、ニューアカブームみたいなものもあって、人文学科系の学生にとってすごく良い本屋さんはけっこうたくさんありました。当時六本木の青山ブックセンターもおもしろかったし、学校をサボってよく行っていましたね。あとはよく行ったのは、上野の国会図書館の分館です。今は子ども図書館になりましたけれど。

ああいった所に行って、学校が終わる時間になると、何食わぬ顔して帰ってくるというのはよくやっていましたね。だから不思議なのは、その時その時であった学校の授業って……僕はこれ、あんまりデカい声では言えないんですけど「I made right choice」と思っているんですよ。

やっぱり当時、真面目に学校に出ていても、授業の内容なんてみんな忘れているわけです。僕は、その時その時に本当に夢中になれる本、もう喉が渇いて砂漠を「あ~……」って(水を求めてさまよう)人のように探していたので。

加藤寛一郎先生という東大の航空学科の教授が、零戦のエースの坂井三郎にインタビューするという、非常に奇書と言っていいと思いますけれども(笑)、超変な本(『零戦の秘術』)があるんです。めちゃくちゃおもしろいんですね(笑)。かたや航空工学の専門家で、かたや零戦のエースですから、話はまったくかみ合わないんですけど、めちゃくちゃおもしろくて。それは学校をサボって読んでいて、もう「なんて幸せなんだろう」と思って。

零戦の秘術

安藤:(笑)。

速読は「早食いのようなもの」

山口:今でもそのエッセンスは残っているし、やっぱりことあるごとに出てくるので、時間の使い方としては良かったな、正しい使い方をしたなと思います。だから僕は、コンテンツに関して言うと……自分でもこれはちょっとエキセントリックだろうと思うんですけれども。やっぱりコンテンツというと、もう圧倒的に本ですよね。テレビはまずまったく見ないですね。

安藤:あぁ、そうですか。

山口:まったく見ないです。そうは言ってもさすがに、ワールドカップやオリンピックはテレビを見ない人も見るんですけど。僕はワールドカップやオリンピックはもう、30歳を過ぎてからは見たことがないです。まったく見ないです。「だってあれ、かけっこでしょ」と言うと、スポーツをやっていた人がものすごく怒るので、あんまり言わないですけど(笑)。

安藤:(笑)。

山口:なのでまぁ、本ですね。前回も話が出ましたけれども、速読についても、私は本を読むのは非常に遅いです。だから、普通に読書家と思ってない人・言ってない人と比較しても、むしろ遅いほうだと思うんですね。

それは読むたびにどこかで引っかかって考えたり。松岡正剛先生は「本はすでにテキストの書かれたノートである」と言っていて、「どんどん書き込め」と言っていますけれども。書き込んだり、またどこか(別のページ)に飛んだり。あとは、なんのためにそんなことをやるのかわからないんですけれども、場合によっては後ろから読んだりもするので(笑)。ですから遅いですね。

速読はできるといいなと思っていて、何度か速読教室に行ったこともあるんですけど、なんだかね……馴染まず(笑)。ダメで、もう結局諦めました。速読は、松岡先生は「早食いみたいなもので、早食いもいいけどゆっくり味わうのもいいんじゃない」とおっしゃられていました。

速読への憧れと呪縛からの解放

山口:自分の本の思い出に関して言うと、心の中に彫刻刀で刻むように残っている本は、本当にしみじみと味わいながら食べている料理のような感覚があるんですね。読書というのは悦楽の感覚があって、ある種の官能性を持っていると思うんですね。

ですから、フランス料理をガーッと食べる人はいないわけですよね。全皿を持ってきて、ガーッと食べて「見てみ、30秒で食べきった!」という人はいないので(笑)。

安藤:(笑)。

山口:感覚的に言うと、昔は速読できないかなと思っていろいろやっていて、目を見開いてこんなことをやっていましたけれど。フランス料理を全皿持ってきて一気にかっこむようなことをやっていたんだなって。素晴らしいレストランに行っておいしい料理を食べることは、それ自体が思い出になって残りますよね。それ自身が一種の人生の豊かさそのものを作っているのであって。

読書というものを、あまりに功利的な側面から捉えて、「これをやると優秀になれる」「知的生産力が上がる」とか、そのためにできるだけ短縮するほうがいいと考えるよりも、結果として武器にもなるし、本を読んでいる時間そのものが本当に、人生の中でかけがえのない官能性を持った悦楽なんだという。

僕は音楽がすごく好きなんですけれども、「音楽を聴いたり、映画を観るのと同じような体験ってなんだろう」と思うと、映画を早回しで3倍速で観て……それって、「知ってるよ」とただ言いたいだけですよね。それは作り手が意図したリズムで見ないといけないわけで。だから、この年になってついに速読の呪縛から離れたという感じですかね。

安藤:今のはすごく素敵なメッセージだなと思いました。官能や悦楽と結びついたものが、結局はどこかで、世に言われる「役に立つ」という効能につながっていく。そうだなと思いました。