動画にはない価値を持つ「書き起こしメディア」

山川龍雄氏(以下、山川):ここで川原崎さん。実は、サイゾーにずっといらっしゃって、そこでデジタルのところをかなり取り組まれたわけですよね。そういう意味では、3人とも結局、伝統的なところにいらっしゃったけれども。そこでデジタル事業を背負われて、それが1つのきっかけになって、外に出てらっしゃるというのは一緒だと思うんです。

川原崎さんの現在やっている「ログミー」というメディア事業を少し説明をしていただこうと思っています。ちょっと手短に、どんなビジネスモデルなのかを教えていただけますか?

川原崎晋裕氏(以下、川原崎):基本的に、イベントや動画を全文書き起こしてコンテンツ化するもので、年間に何百本とかのイベントを書き起こしているメディアになります。

バーティカルメディアといって、ジャンルごとに「なんとかログミー」というものをたくさん立ち上げているんですね。ビジネスパーソン向けの「ログミーBiz」と、決算説明会の書き起こしをしている「ログミーFinance」、エンジニア向け勉強会の書き起こしなどを載せる「ログミーTech」の3つがあります。

要は、ジャンルを専門特化することでマネタイズしやすくしています。NewsPicksさんみたいにワンメディアで大きくやるわけではなくて、小さいバーティカルメディアをたくさん作って、一個一個の売上は小さいんですけれども、その集合体の合計で大きくするような事業モデルになります。

山川:基本的には、いわゆる動画やイベントだったり、そういうものをテキスト化していく、われわれの世界で「テープ起こし」とか「文字起こし」と呼ばれるものをやっていらっしゃるわけですよね?

川原崎:おっしゃるとおりですね。

山川:いま、私もテレビ東京に所属していて、やっぱり動画のほうがなんとなく五感に訴えるところがあるので、1つの時間の中ではそれだけコンテンツがリッチな感じがするんですけれども、あえてテキストにするところに付加価値があるというのは、どういうことなんですか?

川原崎:例えば、動画の中身って検索できないじゃないですか。なので、情報が埋もれてしまっているわけですね。それがテキスト化されていれば、Googleとかで検索してその情報にたどり着ける人がいますし、単純に動画を見るのがめんどうという方もいらっしゃいます。

おっしゃったポイントで言うと、「猫の動きがかわいい」みたいなものは、絶対に動画のほうがいいと思うんですよ(笑)。ただ、単純に情報を取得するだけであれば、テキストのほうが情報の処理が速い。

動画は情報量が多すぎて、人間がさばききれないと思ってるんですね。これはメディアの進化というよりは、人間が肉体的に進化しない限りはそんなに大きく変わらないところだと思っていて。なので、コンテンツによって動画とテキストを使い分けることと、かつテキストに合ったものは、ニーズとしてなくならないとは思っています。

山川:確かに、動画は検索の技術がいろいろ発展してきていると言われているけれども、いまの段階で言うと、自分が見たいところにたどり着くのってなかなか難しいですよね。サムネイルを見ながらとか、いろんなことありますけれども。

「動画」「活字」コンテンツの将来性と未来

山川:佐々木さんはどうですか? もともとNewsPicksでテキストのところから入られて、いまは動画に力を入れようとしていますが。

佐々木紀彦氏(以下、佐々木):映像ばっかりやっていますね。

山川:そうすると、真逆といえば真逆で対称的な動きなんだけれども、そこはやっぱり動画のコンテンツとテキストで向いているものの違いがいろいろあると思うんですけれども。

佐々木:もちろんあります。テキストのほうが凝縮力があるので、短時間で情報吸収するのはいいんですけれども、やっぱりもう見てくださる方の数というか、市場規模がぜんぜん映像と活字が違うなと。かつ若い人になればなるほど映像シフトが起きていますので。もう映像なくしてメディアはないというのが結論なんですよね。

山川さんにも古田さんにも伺いたいんですけれども、過去10年ぐらいに紙からデジタルへの活字のシフトが起きたと思うんですよね。それと似たようなことが、映像の世界でも今後起きるのか、日本で起きるのかというのがすごい大きいポイントだと思っているんですね。

いま、テレビがどう変わるかという議論を聞いている時に、少し昔の、紙からデジタルに行くかみたいな議論にすごい似ている気がしていまして、それが本当に起きるのかどうか。例えば、活字の場合は紙で鍛えた人がデジタルに出て行って、活躍したりしたじゃないですか。であれば、テレビがどうなるのかというのが、いちばん興味がありまして。4兆円市場ですし。

昨日から、もうNetflixのキャンペーンがすごいんですよ。ここで変わらなかったら、本当にYouTubeとNetflixとAmazonに全部取られて、日本のメディア企業が映像で取れるパイってどんどん縮小しちゃうなと。

別に右翼じゃないんですけど。でもそれって悲しいじゃないですか。日本のメディアがどこまでできるのか、早くデジタルシフトしないと、本当に全部取られちゃうんじゃないかなっていう危機感があって。もちろん私も『愛の不時着』を見たりとか楽しんでいますけど。

(一同笑)

佐々木:わりと活字の世界のアナロジーで進むと思います? それとも、ぜんぜん違うふうになると思います?

古田大輔氏(以下、古田):6〜7年前に佐々木さんに取材させてもらった時とかも、同じような議論を紙からデジタルの話でやっていたと記憶してるんですけれども。別に、紙メディアの人たちが「新聞記事」とか「雑誌記事」を書いているわけではなくて、「記事」を作っているわけですよね。その記事がデジタルに載ろうが、紙に載ろうが、コンテンツとしての価値というのは等価なはずなんですよ。

その時に、もし紙の人たちが、紙というデバイスを守りたいという議論をすると、めちゃくちゃ苦しくなると思うんですよね。そのデバイスを使う人が減っていくから。それがまさに先ほど佐々木さんもおっしゃっていた「これから先は、動画のほうが見る人多い。じゃあメディアは動画をやらないとダメでしょ」というその発想だと思うんですよ。

僕も、これから先は記事というコンテンツをデジタルの世界で発信していくべきで、こっちのほうが成長予測が成り立ちますよねという話で。テレビも同じだと思うんですよね。動画を作っているわけで、その動画を地上波で配信するか、デジタルに配信するかというところで。でも、動画自体が持っている価値は一緒なわけですよね。

その時に、「地上波を守りたいんですか?」とか「テレビという箱を守りたいんですか?」という議論をすると、新聞社とか雑誌社がデジタル化ができずに苦しんだのと同じ轍を踏むんじゃないのかなと思います。

動画の現状は「紙からデジタルのデジャヴ」

山川:動画をテキスト化するビジネスモデルの川原崎さんに、動画にどんどんシフトしている佐々木さんの問いかけはどう思いますか?

川原崎:例えば、本が読まれなくなるのかとか、そういう話かと思っていまして。やっぱり1秒あたりの情報量の差だったりとかで、動画とテキストはそもそも別物だとは思ってはいるんですね。実はわれわれも社内に小さい動画スタジオを作ったりして、動画に手をつけ始めているんですよ。ただ、本当にどっちに転ぶのかって、ちょっと自信がないところがありまして。

小さい会社なので、そんなに資本もないものですから、そういうのはNewsPicksさんだったりとか、テレビ局さんみたいな大手メディアが先にやって、うまくいったあとに乗っかろうかなと思っています(笑)。

山川:私は佐々木さんと同じ時代で、雑誌のデジタル化もとにかく反対勢力、抵抗勢力がありましたよね。

佐々木:そうですよね。

山川:どっちかというと「もっとやんなきゃダメだ」っていう側に僕もいたけれども、やっぱり桁が違うんですよ、紙媒体の当初の広告収入とデジタルで。その中で、桁が二桁も違うのに、なんでこっち側にそんなに人を投じるんだっていう議論をしながら、もう15年くらい。

それでいま何が起きているかというと、雑誌の記者も、新聞の記者も、日経もそうですけれども、ほぼ全員が紙だけの仕事をしている人はいないんですよ。朝日もおそらくもうそうなってきていると思うんですけれども。

あらゆる記者がデジタルに何を出して、紙に何を出すかってことを考える時代になるのに15年ぐらいかかった。結論から言うと、僕は動画の時代は、たぶん3年から5年でそこに行っちゃうんじゃないかなと思います。

佐々木:早いですね。

山川:早いと思う。僕はいま、テレビ東京ビジネスオンデマンドの編集長という役割もやっているんですけれども。いろいろ利益の部分でモメるんですよ。どのテレビ局もそうだと思いますけれども、報道の現場で「これだけ収益規模が違うのに、配信にそんなに力入れられるの?」という話をしているんだけれども、7〜8年前によくした議論だなと感じるところで。

それでよく言っているのは、確実にこれは来る未来だと。いまのテレビ東京の本社10階が報道局のメンバーですけれども、3年後は報道局のメンバー全員が番組とデジタルの配信事業を両方必ず兼務してやっている。そういう仕事のやり方におそらくなっているから、変にモメて回り道するのは損だから、両方大事なのは決まってるんだから、もう両方やろうよっていう話を言っています。それってなんかやりましたよね、前に?

佐々木:やりました。だからすごいデジャヴ感ありますよね(笑)。

山川:デジャヴなんですよ。

古田:新聞社の中でも、ずっとそういう議論はあったわけですよね。僕は2002年に入社して、朝日新聞に2015年までいましたけれども。いま新聞社の方々と話をすると、5年前に僕が新聞社を辞めた時とはだいぶ雰囲気が変わったなと感じますね。

「音声メディア」に将来性はあるのか

古田:これは本当にみなさんにお聞きしたいんですけれども、動画という話をいまはしていますけれども、音声メディアはどうですか?

川原崎:ログを読んで動画を見に行く人とか、実際いますし、ログミーのテキストを音声読み上げbotで読み上げさせながら仕事してるみたいな変態的な人もいますね。

古田:大切なユーザーじゃないですか(笑)。

川原崎:そうですね(笑)。音声のほうがながら作業できるといえば、それはそうかなとは思いますね。ただ、いまのところは正直ピンと来ていなくて、不思議な存在だなという感じですね。

佐々木:やっぱりビジネスモデルがないですよね。結論から言うと、けっこう厳しいと思いますね。友人の明石ガクトさんが最近ツイートしていましたけれども、おっしゃるとおりだなと思ったのは、音声コンテンツというのは、やっぱり最強である音楽に勝てないですよね。私も耳が空いてたらやっぱりSpotify聴いちゃいますもん。学習コンテンツとかニュースコンテンツの音があったら、Spotify聴きません?

古田:これはたぶん、その人のそれまで経験してきたメディア消費の文化によって違うと思うんですよね。例えば、ラジオが好きだった人間は、ぜんぜん違和感ないし、僕は音楽も聴くけれども、やっぱりラジオでニュースとかPodcastは聞くんですよね。

佐々木:でも、ラジオってニッチマーケットじゃないですか。だから、あんまり儲かるイメージがつかなくないですか?

古田:それはそのとおりなんですよね。だから、結局はそこで問題になってくるのは「あなたはどういうメディアを運営したいんですか?」ってことだと思うんですよ。僕は自分でメディアを作りたいと言っているんですけれども、基本はテキスト中心のメディアを作りたいんですよね。なぜなら、テキストがいちばん好きだから。川原崎さんが言っていたみたいに「文字のほうがスピードが速い」というのはそのとおりだと思うから。

僕はニュースメールが大好きで、いろんなものを読むんですけど、本当に古いけど新しいもので、どんどんその手法が進化しているんですよね。いまはニューヨーク・タイムズとか、ウォール・ストリート・ジャーナルとかもそうですけど、めちゃくちゃコンパクトに1日のニュースがまとまっていて、すごいありがたいんですよ。

忙しい人には最適なメディアになっているんですけれども、ああいうものを見たあとに、動画を1時間見ろと言われたら、「1時間かよ」と思うんですよ。拾い読みができない動画は「ないな」って思っちゃうんですよね。

でも一方で、「動画が大好き」という人たちもいるし、動画のほうが明らかにお金の流れはあるから、そっちのマーケットになるよねという人たちとか。また、「猫がかわいい」とか、感覚的なもの、感情的なものを伝えようと思ったら、それは100パーセント動画のほうがいい。あとは本当に自分たちがどういう価値をユーザーに伝えたいのかということで、動画中心にやるのか、テキスト中心にやるのか、音声中心にやるのかが変わると思います。

アメリカですでに起きている「ニュース砂漠」

山川:さっき古田さんが媒体としてテレビという受信機が残るのかどうか、新聞や雑誌が残るかという問題提起をなさったんですけれども、そこは10年後にどうなってると思います? 

うちの子どもはいま大学生と社会人1年がいるんですけれども、「部屋にテレビ買ってあげようか?」って言っても、「いらない」って言うんですよね。でも、おおよその情報は把握しているわけですよ。そういう世代がどんどん上がってきた時にどうなるのかなというのもあるんですけれども。

佐々木:おもしろい問いですね。日本の新聞の強さは、やっぱり宅配に支えられた異常な数字だと思いますので、10年後はもう団塊の世代の方々もお亡くなりになる方もかなり増えてきますよね。そうなったらかなり減ってくると思うので、10年後は半減、もっと減るかな。

山川:でも、紙としては残っている?

佐々木:もちろん残ると思います。残りますけど、相当減ってるでしょうね。いま、毎年1割ぐらい減ってましたっけ?

古田:1割弱ですかね?

佐々木:それで10年って、半分以下になってるかもしれませんね。

古田:しかも、加速してますからね。

佐々木:そうですよね。残ってるけれども、かなり小さい存在になっているというのが、新聞についての答えですね。テレビは意外と強いんじゃないですかね。

山川:それは電波による放送が残るという前提で、テレビが残るとおっしゃっているんですか? それとも、受信機としてのテレビが残る?

佐々木:受信機としてのテレビは残って、そこで放送も絶対残ると思いますよ。放送ほど効率がいいものってやっぱりないじゃないですか。それと並行して、通信であるとか、インターネットとかの配信が広がるという。そこの力関係はどうなってるんでしょうね。10年って、意外とあっという間ですもんね。

山川:古田さんはどうですか?

古田:デバイスとしては、紙って絶対残ると思うんですよ。新聞紙ってわりとあの大きさって便利だし、好きだっていう人たちも、10年後だったら生き残っている方はいっぱいいるので。

ただし、佐々木さんも指摘したとおり、いまの読者が徐々に亡くなる方も出てきて、その部数は減っていきますよねと。そうなった時に、新聞社という企業が運営できる限界を突破するところが出てきちゃうわけですよね。そうすると、その企業は倒産しますよね、当然。

それで倒産して、紙がなくなるのかという。アメリカでいま「ニュース砂漠」と呼ばれて、新聞社のない郡が増えてきている。それと同じような状況が日本で始まってもまったくおかしくないと思います。

山川:機能としての紙、新聞紙というのは残ったとしても、どこかの段階で、印刷会社なり、販売店なり、いろんなものを抱えていく限界が出てくるということですね?

古田:運営できなくなる新聞社というのは当然のように出てきていますし、それはテレビ局でも同じことが言えると思うんですよね。僕も佐々木さんと同じ予想で、テレビ局のほうがある一定堪えるだろうとは思っています。テレビというデバイスも残るだろうとは思っていますし、放送も消えることはないと思ってます。けれども、いま現在すでに経営が厳しくなってきている地方局があるわけですよね。その中には、10年の間に限界を突破するところが出てきてもまったくおかしくはないんだと思います。

山川:川原崎さんはいかがですか?

川原崎:私はレガシーメディアの強さは、ツール性と習慣性だと思っているんですよね。「朝起きたらテレビをつけてニュースを見る」とか、「新社会人になったら日経新聞を買って毎日読む」とか。あれって情報を見ているというよりは、習慣をこなしているんだと思っているんですよ。もはやツールであるという。そのツール性とか習慣性は、世代について回っていると思っているので、世代が入れ替わったらいずれなくなるものだと思っているんですよね。

なので、新聞とかは毎朝読むものではなくなりつつありますし、テレビに関しては筐体だったりとか、モニターは残ると思っていて。ただ、競合がもっと増えてくれるといいなと思ってます。

山川:競合が増えるというのはどういうことですか?

川原崎:要は、テレビは8つぐらいしかチャンネル見られないというのを、CSみたいに50とか見られるようになってくれれば、適正な競争にはなるので、そういう世界になったほうが、フェアだなとは思いますね。