見た目と行動が突然に変化する、イナゴたち

マイケル・アランダ氏:イナゴは農業にとっての脅威です。イナゴの群れは、ほぼいずれの大陸においても、農作物に甚大な被害を与えます。事実、2019年10月に現れたイナゴの巨大な群れは、東アフリカ、中東、東南アジアで作物に被害を与えました。

ところで「ほぼ」いずれの大陸においても、と言いましたよね。南極大陸は安全圏であり、これは特に驚くにはあたりませんが、実は北米大陸もそうだからなのです。しかし、これは昔からではありません。1世紀以上前に、北米大陸の巨大なイナゴの群れは、消えてしまったのです。そしてその理由は、よくわかっていません。

そもそも、イナゴとは何でしょうか。イナゴは科学的には、ほとんどの時間はただのバッタです。イナゴと認識されている生き物は、通常はごく普通のバッタの姿をしており、茂みをねぐらとして単独で過ごします。

ところが、サバクトビバッタなどの種は、周囲の個体の数に敏感に反応します。個体数が一定数に増えると、他の個体の姿や臭い、押し合う感覚などが引き金となり、見た目と行動が変化するのです(相変異)。時にはこの変化が数時間で起きることもあります。

お互いを避けることをやめ、群れを構成し、集団で移動します。長距離を飛行移動し、道中の物を喰い尽くすのです。

忽然と姿を消した、あるイナゴの大群

北米大陸でも、ロッキートビバッタという種が、このような変異を起こします。

ロッキートビバッタの群れの高さは1.5キロメートルにも及び、コロラド州に匹敵する33万キロメートル四方を覆い、一日に200キロメートル以上を移動できるとされています。ところが、ロッキートビバッタは忽然と姿を消したのです。

1880年代、ロッキートビバッタが突然に大発生したことがありました。これはよくあることでしたが、この場合は、ロッキートビバッタの群れが平常に戻ることはありませんでした。こうして、最後の生きた標本が、1902年にマニトバで採取されたのです。それ以来、なぜ一つの種が、一つの州ほどの規模の群れになったのちに突如跡形も無く消え去ったのか、その理由が追及されてきました。

これには、いくつかの仮説が提唱されています。まず一つめは、ロッキートビバッタという一つの種だと思われたきたのは実は、今も存在する他種のバッタの「群生相」だったのではないかというものです。しかし、保存されている標本の遺伝子検査などの分析結果は、これらはまったく別種であったらしいことを示しています。

もう一つは、他の大きな環境の異変、たとえばバイソンが絶滅近くにまで減少したことなどに関連性があるのではないかという説です。

1990年に提唱されたある説は、大きな注目を集めました。ロッキートビバッタは、膨大な個体数にも関わらず、ライフサイクルに大きな弱点を抱えていたためだというものです。

話は1800年代に遡りますが、当時行われた昆虫学者のフィールドワークにおいて、ロッキートビバッタには拠点のようなものがあるのではないかとされました。ロッキートビバッタは、こうした拠点外で生存することは可能ですが、留まることはありません。長距離にわたって移動したとしても、主に繁殖地とするために、山沿いのあるいわゆる「永住ゾーン」に、必ず戻っていたのではないかというのです。

この地域は、険しい山や砂漠、森に隔絶され、数多くの峡谷が散在することが特徴で、イナゴのメスにとっては卵を産むのにうってつけの条件でした。ロッキートビバッタの産卵場所は、非常に限られていました。川べりや氾濫原の、柔らかな土壌です。

これには、いくつかの理由があったようです。例えば、バッタの卵の成熟には一定の湿度が必要であるためです。さらに乾燥した環境に比べ、川岸には確実に草が生い茂り、植生が豊かなためです。つまり、バッタにとってはエサが豊富なのです。

これほどまでの産卵場所へのこだわりは、今日見られるイナゴの仲間には見られません。このこだわりは、何世代にもわたってロッキートビバッタにはうまくいっていました。ところが、西部開拓者たちが峡谷に入植して来てからはそうではありませんでした。開拓者たちによって、いくつかの重篤な環境変化がもたらされ、ロッキートビバッタにとっての致命傷となったのです。

農夫が使う犂や、牧夫の牛の蹄は、ロッキートビバッタの卵をつぶしたり、日光や風に晒したりしました。小屋が建てられたり、採掘が行われたり、その土地に住むビーバーが絶滅に追いやられたりしたことで、洪水も増えました。

ロッキートビバッタのすべての巣が破壊されたとは考えにくいですが「メタ個体群」が破壊されてしまったことは十分に考えられます。

メタ個体群とは、相互に干渉する個体群の大きな集合体です。一つの種に属していますが、物理的には離れた場所で生息しています。

ロッキートビバッタの個体群が市街や町だとすれば、メタ個体群は国家のようなものです。繁栄している間は、一つのローカルな個体群が、事故や病気で消滅したとしても、特に問題にはなりません。近隣の個体群のロッキートビバッタが新たに入っていきて、メタ個体群の「救済効果」により、その地域の個体数は回復します。

しかしこの仕組みが機能するのは、ローカルな個体群のネットワークがうまくつながっている場合に限ります。ネットワークが分断されればされるほど、状況は危機的になります。特にロッキートビバッタのように、体が小さく産卵場所が限定的で、一気に数が増減するタイプの生き物にはそうでした。

結局のところ、農夫も牧夫も、ロッキートビバッタを殺して滅ぼしてしまったわけではありません。とはいえ、これらの人々がもたらした変化により、ロッキートビバッタが数を回復できなくなったのは確かです。後は単純に、時間の問題でした。

こうして数十年の内に、ロッキートビバッタはいなくなってしまいました。彼らが絶滅したことは確かです。しかし結局のところ、ロッキートビバッタの絶滅の結果、何が失われたのかまでは、まだわかっていません。ロッキートビバッタには、環境の中に栄養分をまき散らすなどといった、生態系における重要な役割があったかもしれないということは言われてはいます。

北アメリカ大陸には、大量発生して飛蝗現象を起こし、農作物に被害をもたらすたくさんのバッタの種がいますが、これほどの規模の物はいません。しかし、バイソンやリョコウバトなど、北米の西部開拓により途絶した生物種を語るにあたり、ロッキートビバッタはぜひ加えたいものです。