「しなければならない=have to」という苦しかった経験

尾原和啓氏(以下、尾原):はい。どうもこんばんは。『あえて数字からおりる(働き方)』の対談のお時間です。

あえて数字からおりる働き方 個人がつながる時代の生存戦略

今日はお話ししたかった、こちらの方。『セカンドID 「本当の自分」に出会う、これからの時代の生き方』

セカンドID―「本当の自分」に出会う、これからの時代の生き方

を書いた、小橋さん! 話したくて話したくて、今日実現しました! 

というのは小橋さんって、表的にはULTRA(MUSIC FESTIVAL)とか、ものすごい環境、みんなが溶ける場所を作る達人みたいな感じでとられているんですけれども。僕は「バーニングマン」という、世界の中で自分を一番過激に出して……過激な自分を出すから、結果として自分に出会えるし仲間にも出会えるというコミュニティが大好きで。そこで小橋さんとは、よくお会いしているという関係で。

まさに、僕の本の裏テーマですね。みんな何者かになりたいよね、でも何者かにはなれないよね。だとしたら「何者かになるためにどうするの?」というのを、小橋さんは自分の人生の中で「セカンドID」としての本当の自分に出会う歴史があって。この本の中には、それがぎっしり書いてあります。

ぜひこのお話をさせていただきたくて、小橋さんに来ていただきました。今日は本当にありがとうございます。

小橋賢児氏(以下、小橋):ありがとうございます。よろしくお願いします。

尾原:はい。『あえて数字からおりる働き方』。いかがでした? 

小橋:いや、もうね。僕自身も俳優時代……今40歳なんですけど、8歳から27歳まで俳優をしていて。

尾原:そうですよね。8歳からですもんね。

小橋:やっぱり俳優という人から見られる職業になったときに、数字ということではないですけど、やっぱり売れなきゃとか、今のポジションより一個上に上がらなきゃという。

そこに縛られたときに僕は目の前のことじゃなくて、未来を怖がるあまり、未来を守るあまりに、今この瞬間を生きられなくって。「have to」になっちゃったんですよね。「俳優だからこうしなければならない」。

尾原:「○○しなければならない」という「have to」。

小橋:ならなければならないとか、しなければならない。やっぱりそれがすごく苦しかった経験があって。

この後いったんお金もなくなり病気になり、ゼロになったことによって、本当に目の前のこの瞬間にある出会いとか「この瞬間に思った小さなワクワクを紡ぎ合わせて」的な。なんか別に、僕は何者かになったとは思っていないんですけど。

尾原:いやいや、もう何かですよ。

小橋:人から見られる何者かになったかというか。それに、大人になってもう一回人生をゼロからやり直したときに気づいたので。まさにこの『あえて数字からおりる』ということとか、やっぱ尾原さんが書いてたギブっていうのがバーニングマンの中でありますけれども。

仕事でお金・対価を得るということも大事なんですけど、やっぱりそれとは(違った)もう1つの、一見直接的に自分に関係ないように見えるかもしれないけど、ギブをすることによって、結果として本当は自分に戻ってくるというか。そこをすごく感じて、すごく共感しました。

チャレンジの足かせになる、肩書き

尾原:いやぁ、ありがとう。先ほど言ったように、競争の激しい、しかも人から見られる俳優というご職業をされていたから「have toに生きるようになっていたと」いうのがあって。やっぱり日本人ってすごく真面目だから、すごく悲しい統計があって。

日本人って社会人3年目までは「want to」がけっこうあるんですよ。「自分は何をやりたい」みたいな。それが社会人3年目になると、急激的に「会社のhave to」が「自分のwant to」にすり替わっていくんですよね。

小橋:わかります。はい。

尾原:これってものすごく……。日本はそういう真面目な国だから戦後50年間で急激な復活ができたとも言える一方で、変化が当たり前の時代になったときに、それが逆に自分を辛くしているところがあって。

そういう意味で小橋さんが今おっしゃったように、ご自身の経験の中でhave toから離れたからwant toにいけるようになったみたいな話が、この本で書いたようなギブだったりとかいくつか共通項があるじゃないですか。特にどの辺が響きましたか? 

小橋:そうですね。やっぱり本当に冒頭のところは特に「がーん!」と来るというか。僕自身、結局今振り返ると、何者かになろうとしていたときというのは、やっぱり自分のことしか考えてなかったんですよ。

でも今振り返ると一回ゼロになったときに……僕は30歳の直前に本当に一文無しになって死の淵をさまよって、そこから復活を遂げるために体を鍛えて。ちょうど30歳まで残り3ヶ月ぐらいだったんで、自分の誕生日を今までもてなされる側から相手をもてなすというテーマで、プロデュースしたんですよ。

でもそのときに自分がやったことって、来てくれる友達とか先輩とかを一生懸命に喜ばせたいって、それしかないんですよね。それこそ5年後に10万人のフェスになりたいからこれをやる、ということじゃなくて。

その瞬間瞬間に、友達を喜ばせたいという。この今、僕ができるこの範囲の中でのギブを最大限にした。でもそれによって、一緒に作ってくれた仲間とかノウハウとかが、結局は財産になって。その一歩一歩が、振り返れば今の自分のアイデンティティになる道になっていったというのがあったので。

この本を読みながら自分と照らし合わせながら、そういうことを考えると。それこそ、本の表紙に書いてあるような「名刺や肩書きがなくても食べていける人」。

その当時の僕は、もちろん俳優という過去の肩書きはあったんですけれど、でも逆に言うと俳優という肩書きが、新しいことをチャレンジするうえでの足かせになったというか。

尾原:ですよね。

小橋:何かをやるにしても「え、だって君は俳優でしょ?」みたいな。どこかやっぱりうまくいかない。

尾原:「なんで俳優がプロデューサー側をやろうとしてるの?」みたいな。なんか、どうしても壁が逆にできちゃいますよね。

小橋:そうなんです。だから世の中の人からすると「俳優だったから、こういう派手なすごいイベントができてるんじゃないか」とか、そういうリアクションする人がいるんですけど、ぜんぜん逆で。

むしろ俳優だったことが逆に、そういうところではブロックになってしまうというか、足かせになってしまうという感じがあったんですよね。

あるときに“底”にコツンと当たった

尾原:そのいくつかの変化のきっかけみたいなところを、この本と重ねながらお聞きしていきたいんですけれども。やっぱり先ほど言われた、すごい俳優さんとかが誕生日会をされると、周りの方が「おめでとう」と言ってくれる。

そんな立場から、いかに一回落ち込んだとはいえ、他の人を、自分の大事な人を祝って。自分の誕生日にありがとうってやりたい、ギブしたいという気持ちになったきっかけだったりとか。じゃあそれを誕生日会にやろうと思った、ギブに自分のモードを切り替えたのって、何があったからできたんですか? 

小橋:俳優時代、自分のことばっかり(考えていた)というのももちろんあったんですけれども。突如、27歳のときに俳優を休業して。アメリカに語学留学して、その後、世界中を旅して。なんでもやれる気になって日本に戻ってきたんですよ。

尾原:なるほど。なるほど。

小橋:久々に日本に戻ってきたら、なんかみんな止まって見えて。ああ、自分はけっこういろんな体験をして、こんだけムーブしていると。だからけっこうなんでもできるんじゃないかと思って、いろんなチャレンジをしたんですけど、ことごとくうまくいかなかったんですよね。

もちろん昔、中学校・高校時代にバイトはしたことあったけれども、8歳からずっと俳優をメインにやってきた僕が、突然に仕事を辞めて、いくら世界を旅したからといって、地に足がついているわけじゃないので。仕事ができないわけですよ。

尾原:そうですよね。視野は広がっているけれども、そうですよね。まだないわけですもんね。

小橋:はい。それで、仕事がないからお金もない状態。それで、暇というのがこんなにも苦しいことなのかと。

忙しいときには「本当にもうちょっと休みが欲しい」って思っているくせに、人間って勝手なもんだなというぐらい、暇だったことが本当に苦しかったんですよ。

そんな中で、お金がなくなってくるとストレスもたまっていって。知人ともめ事が起きたりとか、本当にネガティブなことばっかりが自分の中に渦巻いていく。そうすると当時付き合っていた彼女にも、突然三くだり半を下されて、いなくなって。

向かう先が地獄しかなかったんですけれども、本当に毎日……。実家に帰って真っ暗闇の中に閉じこもって、もうトイレ行くときとご飯食べるとき以外は起きないみたいな。

尾原:うわ。

小橋:それで、本当に毎日死を考えるみたいな感じで。車に乗ったらそのままぶつかってしまえ、ぐらいのふうに思ったときに。

尾原:ああ。わかります。

小橋:それで、あるときにふと……。僕は株はやらないんですけど、株と同じで上がり続ける株はないけど落ち続ける株もないと。あるときに底にコツンと当たったんですよね。

それでコツンと底に当たったときに「これ病気なんじゃないかな?」と。病院に行ってみようと思って。

尾原:ああ、なるほど。なるほど。

小橋:病院に行ったんですよ。病院に行ったら「肝臓の数値がとんでもないです」って。「このままいったら死にますよ」って言われたときに、今まで死にたいと思っていたけど、いざ他人から「死にます」って言われたときに「うわ、やばい」と思ったんです。

そのときに、さっきの話に戻るんですけれども。自分のこの30代。なんか漠然と「男は30から」って、子どものとき、ずっと思っていたんですよ。

尾原:はい、はい。

小橋:でも自分が、30歳まで残り数ヶ月と。でも今は人生で一番どん底の状態ですと。

人って言われたこととか、今起きている目の前の現象を良くも悪くも、それを自分を肯定する言い訳の材料にも使えるじゃないですか。

尾原:まあ、そうですね。全部変換しちゃいたくなっちゃいますし、そっちのほうが楽ですもんね。

小橋:あるじゃないですか。僕も一瞬、病気って言われたことが、ある意味で楽になる要素。こんなに今だめなら、病気って言われたんだから、みんなに「しょうがないよ」ってエクスキューズできるきっかけができたと。

じゃあこのまま「30代しょうがないよ」と。「夢を持っていたけど病気になったからだめになったんだよ」という自分の人生と……でもその瞬間にもう1つ生まれてきたのは「いやいや、待てよ」と。

昔、ちょっと目上の人から「お前夢持ってよかったな」って。「夢持っていいな」って「若いときはいいんだよ、俺も若いとき夢持ってたんだけどさ。なんかこう、いろいろ社会ってあるだろ?」みたいな。「そういう夢なんか持っててもしょうがないよ」って言って、そうやって覇気を失っていった、中年の人って見たことがあって。

そうはなりたくないなと思っていたのに、一瞬、そうなろうとする自分が見えたんですね。

尾原:ああ、なるほど! 

小橋:そのときに「いやいや待てよ」と。病気なんだったら、もう一回病気を治してゼロからやり直せばいいじゃんって。二つの選択肢が出てきたときに、たまたまそのとき本当にドン底までいってたんで、開き直って後者を選べたんです。