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人間らしさを引き出す空間づくりとWell-being(全4記事)

テクノロジーがもたらした便利さとストレス 建築家らが模索する“心地よい”デジタルとの付き合い方

デジタル化が進み、必ずしもオフラインで人々が集う必要がなくなった時代における、空間デザインの在り方とはどのようなものなのか。パナソニック株式会社Aug Labによるオンラインセミナー「人間らしさを引き出す空間づくりとWell-being」では、極地建築家の村上祐資氏、Konel Inc.プロデューサー/ファウンダーの出村光世氏、永山祐子建築設計主宰の永山祐子氏、パナソニック株式会社 Aug Labリーダーの安藤健氏によるパネルディスカッションが行われました。本パートでは、村上祐資氏と永山祐子氏が、それぞれの取り組みについて紹介しました。

人間らしく生きるには「よく食べて、よく寝て、よく笑う」

安藤健氏(以下、安藤):それでは、ここからはパネルディスカッションというところで、ある程度テーマを絞りながらお話をさせていただけたらなと思っております。最初のトピックは、極地生活からの学びということで、今出ています。何を極地と定義するかというのはけっこう難しいかなと思うんですけど。

一番わかりやすいところで、村上さんは極地でのご生活を、先ほどの話では計1000日くらいされていたと。そのご経験の中で、このパネルのテーマの1つでもある人間らしく暮らすために何が必要なのだろうかと。逆にどういう工夫をすると人間らしく生きられるのだろうと感じられたことはありますか?

村上祐資氏(以下、村上):場所がどこであっても基本的なことは一緒で、よく食べて、よく寝て、よく笑う。本当にこの3つに尽きるんですね。ただ、ちょっと写真を見ていただけたらと思うんですけど。今ちょっと流れているのが、北極でやった火星模擬実験なんですね。

外が火星の設定なので宇宙服を着なきゃいけないということで、当然風も感じられない。あの奥にあるのが基地になるんですけれども。あの基地だけが僕らの生活の場であって、仕事の場であって、そして遊びの第3の場でもあって。それが全部凝縮されているんですね。

そうなると、やっぱり僕らは空間を移動しながらいろいろな気持ちをリセットしていたはずなんですけど、それができなくなる。こうやって密集して過ごすわけですね。そうするとさっき言った3つのうちの、まず笑いからダメになってくるんですけど。笑いが陰湿になったり、食欲がなくなったり、寝られなくなったりするんですね。

それをどうやって……しかも「自分は大丈夫」と思っても、周りのクルーの1人が少しパニックになってしまうと必ず伝染、伝播してしまうので自分もダメになってくるということが起きるんです。

やっぱり、キーになってくるのは異物感なんですね。いろいろなものがあると思います。お風呂に入れないとか、もうちょっと広いところがいいとか、これが食べられないとか。いろいろな異物感があるんですけど。

寒いとか、そういう環境の異物感はみんな同時に感じるんですけど。生活の中にあるちょっとした異物感は人それぞれ感じ方も違うし、出てくるタイミングも違うし、強度も違う。そのあたりの干渉がやっぱりものすごく難しいなということを常に思うんですね。

そうなったときに、みんなでどうやって習慣をうまく作っていくかということが最終的にはキーになってくるし。テクノロジーも建築空間もそうですけど、うまい習慣をどうやって作ってあげるかということが最終的なキーなのかなと思います。

今は「暮らしの思春期」に入っている状態

安藤:なるほど。極地でのお話だったんですけど、そのへんはもしかすると今まさにステイホームという中で、ある意味生活と遊びと仕事というものがわりと1ヶ所で過ごすことになるかなと思うんですけど。それとけっこう似たようなシチュエーションがもっと長期的に、かつ外との断絶具合が激しく続いたような感じなんですかね?

村上:僕はたぶん、今のほうが厳しいと思っていて。それというのも、極地は望んだ人が行ってるんですよ。

安藤:好きで行ってると(笑)。

村上:今はみなさんが望んでこういう状況になっているわけではないので、やっぱりそのストレスはもっと強いと思うんですね。僕は今の生活もあるいは極地の生活も思春期に例えるんですけど。

暮らしの思春期。思春期というのは僕らの体が変化していって、それに伴ってちょっと不安定な気持ちになって、今まで好きな人だった両親や家族などの周囲の人に異物感を感じて攻撃的になってしまう。当たってしまう。

入れ物が不安定になることは本当につらいので、今は僕らは暮らしというものを知っているはずが、出られないということで、見た目は一緒だったとしても、やっぱりふわふわとした別の入れ物に替わっているんですね。そうなると、やっぱり暮らしの思春期になっているんじゃないかなと思うんですよね。

デジタルツールに囲まれた生活は、現代ならではの極限環境

安藤:なるほど。おもしろい表現ですね。ありがとうございます。そういう意味で、極地からステイホームになってくると。家の中は先ほど出村さんの話にあったように、どんどんデジタル化も進んできている。その中で、事前のミーティングをさせてもらったときに出村さんのお話でおもしろいなと思ったのが、「デジタルに囲まれているのもある意味、極限環境なんじゃないか」というようなことをおっしゃられていたと思うんですけれども。

そういうデジタルや極限という観点で、先ほどゆらぎかべ「TOU」を紹介されていたと思うんですど。そのあたりの関係性とか、どういう思想で「デジタルは極地だ」というふうに考えられたのか、お話いただいてもいいですか?

出村光世氏(以下、出村):まず本当に村上さんのお話がおもしろすぎて、いろいろな質問が出てきちゃったりもしてるんですけど(笑)。僕はたぶん村上さんがいた極地にはなかなか適さない人間なんだろうなと思いつつ。根はものすごくラフで、悪く言うとグータラな性格だと自分では思ってるんですけれども。

今もそうですけど、いろいろなデジタルなウェアラブルなものを身につけていたり、すぐ横にスマートスピーカーがいてくれたり、だいたいチャットの嵐で呼び鈴が収まらないようなことが、ステイホームの中でより加速したということをすごく自覚しています。ちょっと体調を崩したな、という感覚も実際にありました。

そういう意味では、自分の意思で動いているというよりは「今これをすべき」というゴールがテクノロジーによって常に、ニンジンのようにぶら下げられている。「やればできるもんだな」と、「キャパシティあるな」と。自分って、こんなにも生産性を高くして過ごせるんだなと逆に驚いたりはしてるんですけど。

よく寝る前に本当憔悴しきって、でも、何か遊ばなきゃと思ってテレビを点けるとYouTubeがものすごくレコメンドしてくれて。これを観なさいよっていう(笑)。そのときにふと、「これって幸せなんだろうか?」みたいなことを感じてしまう。このあたりの話って、いろいろな方と話しても、やっぱり共感が深い部分だったりもするので。

何か目的を持たない現象であるとか、自分とあまり関係性がないものと共存することが重要なんじゃないかなと、そういうヒントを得ながら、いろいろなクリエイターと相談しながら作ってきた。そんなかたちでしたね。

安藤:なるほど。ありがとうございます。まさにテクノロジーがニンジンのごとく目の前にぶら下がって、走り続けろという人生……人生というか(笑)、生活を求められることが最近は多いのかなという気はします。

デジタルやテクノロジーとの心地よい共生を目指す家

安藤:ここでちょっと、今のデジタルやテクノロジーがまさに生活を……本当はたぶん良くするためにいろいろと開発されているのかなと思う一方で、デメリットというか不の要素についても少しご指摘が入ったかなと思っています。

ただ、このテクノロジーを使うとか、デジタル化というのは、ある意味まったくなしにはできないのかなと思っています。このデジタル時代においては、空間といってもいろいろありますし、先ほど紹介していただいたように、まさに家の中であったり、それこそ駅の前の少し開けた空間や街全体、もしかしたら地球というレベルでもあるのかもしれないですけれども。

そういう中でいろいろな意味を持つ「空間」というものの意味がこれから変わっていくのか、変わらないのかという話に移りたいと思います。技術、デジタル化という中で、それを作るほう、もしくは使うほうは、どういうところに気をつけて、何を変えていったらいいのか。こういったところに関して、永山さんから、コメントがあればお願いしたいなと思うんですけど。どうでしょう?

永山祐子氏(以下、永山):さっき出村さんのお話の中にもありましたけれども、私もデジタルに囲まれているとちょっと苦しくなると感じることがあります。そのときに思うのは、技術が全部自分に向いていると感じた瞬間に「ちょっと怖いな」というか。

内向きというか、自分に向かってくるデジタルと、外向きのデジタルがあるような気がして。昔ちょっとそんなことを考えながら、「うろこの家」という、デジタルの可能性を考えたものが、ここに映し出されているんですけども。

HOUSE VISIONの一貫で考えたんですけれども。センシング技術みたいなことで、どこにでも人がいることがわかってしまう中で、生きている家と共生することを考えたんです。そのときの技術というのは、外向きの技術なんですね。

家を生きている動物みたいなものに例えるとしたら、ある意味、それと私たちは共生をしていて、例えば家が自分を気持ちよくするためにくしゃみをして、窓を開けて、そうすると風通しが良くなって、そこにいる人間もすごく気持ちよくなるとか。

そういう感じで外の自然環境を家がセンシングしながら、そこに住んでいる人も同時にセンシングはしているんですけれども、良さを分かち合っている。お互いに享受しているような新しい環境として考えたんですね。

そのときに、やっぱり一番考えていたのは、技術が向かっているベクトルです。とにかく家から全部、自分に向かっているベクトルではなくて、外側に向かって、環境に向かってベクトルを広げている技術。そういう中にいる。なんとなく私にとっては家の空間を新しく考えたときに、共生していることがいいんじゃないかなと思ったのがこれ(うろこの家)だったという。

高度なデジタルと自然との違いはあるのか

安藤:なるほど。この「うろこの家」ってめっちゃおもしろいなと思って聞いてたんですけど。出村さんどうですか? テクノロジーが内向きとか外向きということは、もしかしたら今まであんまり指摘されていなかったようなことかなと思うんですけど。

出村光世氏(以下、出村):今すごく刺さりましたね。技術の方向性ということで見て、作っていくものの企画を立てていくと、すごくいろいろなヒントになりそうだなと思いました。今お話を伺って質問したいなと思ったことがあります。

うろこ然り、これまでの作品の中で、例えば幕を使って風という現象をうまくトリガーにするようなものがあったと思うんですけど。僕は、それを見ているだけでもすごく好きだなと思うんですね。

一方で、デジタルという側面からしてみると、ものすごく高機能なスーパーコンピュータがあって、めちゃくちゃな乱数、ものすごくランダムで不規則なものを提供できますよというふうになったときに、ある側面ではデジタルの解像度が上がりきってしまえば、ナチュラルなものとの差が本当にわからなくなってしまうんじゃないか。そういう論戦もあると思うんですよね。

その選択肢が仮に永山さんに与えられたときに、高性能なデジタルとナチュラルなものの違いがあったりしますか、というのは少し……揺らぎを生むためのきっかけはやっぱりナチュラルなものなのか。揺らいでいればいいのかというところって、ちょっと精神的に違うのかなと思ったりしました。ふだん考えられる中で、大事にされていることとリンクするかなという。

個人の感覚をデジタルに変換することで可能になること

永山:そうですね。例えば風を表現するときに、風にそのまま当たっていると、たぶん風を感じた人が「あ、涼しいな」という感覚があると思います。それを幕が揺らいでいるという1つの現象に置き換えると、みんなで共有できるものなのかなと思うんですね。

だから、共有できる範囲をデジタルによって広げられる可能性があるとすると、その瞬間にその人しか感じられなかったものを、もしかしたらもう少し広い範囲に広げることができる。変換できるというようなことなのかなと。

あとは例えば、その瞬間しかなかったことを別の瞬間にも生み出せるということで言うと、機会を広げることにもなるのかなとは思います。

出村:実感だけじゃなくて、位置的な空間も超えられる可能性がありますよね。

安藤:デジタル化というのはある意味、もしかしたらデータ化というようなことかもしれないなと思って伺っていました。データ化することによって時間や場所によらずにポータビリティが発生して、いろいろなところでいろいろな人と共有できたりすると。

冒頭の村上さんの話でもあったと思うんですけれども、1人で存在していたときには起きなかったかもしれないようなことが、限定された空間の中に複数の人がいたり、ちょっと価値観が違う人がいる中で共有することによって、逆にいいことが起きたり……。要は悪い方向にいかないようなこともできるのかなと思ったんですけど。

そういうところで、例えば極地の中で、1人じゃなくて周りの人を含めていい空間にするための工夫をどういうふうにされているんですか?

自然環境と人工的な環境に対する、人々の受けとめ方の違い

村上祐資氏(以下、村上):正直、まだ工夫ができていないというか、よくないところばっかり出てきちゃうんですけど(笑)。ただ、その中でも可能性として感じるのは、テクノロジーの付き合い方です。まずテクノロジーを生んだ人がいるんですね。デジタルだと、それをプログラミングした人とか、いろいろな人がいると。

ただ、今はそれがものすごく早いので、「技術=ある1人が生んだに近い技術」だと思うんですけど。これまでのテクノロジーって、もう少し長いスパンをかけて馴染んできたわけなので、試してきた人たちがたくさんいるわけなんですね。このテクノロジーの前に何百、何千人という人がいたんだけど、今はそのテクノロジーの前に1人しかいないような状態。

そうなると、閉鎖空間でそのテクノロジーを使うと、期待されたとおりに動いているときは「いいな」「助かるな」なんだけれども、当然そうじゃないことが起きるんですよね。そうすると、これが風だったら「風のせいにしてもしょうがないな」になるんです。でも、テクノロジーによって人が起こした風だとなると、作った人のせいにしちゃうんですね。

これがたくさんの人が使っていれば「むしろ自分のほうが違うのかな」と、いろいろな人がいて、これまで大丈夫だったんだから、というふうになるんですけど。風だってどうしても、気持ちいい風もあれば異物のような風、ブリザードのような風もあるし。別に何も考えずに風は吹いているだけなんですけど、人間が作るとなると、そことの関係が生まれるんですよね。

宇宙の極地の模擬実験は、科学者たちが「これがいいだろう」と想像して、良かれと思っていろいろなプログラムをしてできた技術の中に住むので、火星に住んでいるというよりは、科学者の頭の中に住んでる感じになるんです。

そうすると、やっぱり日々異物感みたいなものがどうしても出てくることはあります。やっぱりこれは長く住んでいく、人の手垢をつけていくことが最終的なゴールなんじゃないかなとは思います。

安藤:なるほど。デジタルを空間の中に入れていこうとすると月日がかかりますよということですね。ありがとうございます。やっぱり1時間というのは短いもので、若干押し気味になってしまっているので、最後のパネルのテーマに移りたいなと思います。

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