バイオベンチャーを何度も経験した久能氏

久能祐子氏(以下、久能):ワシントンDCから参加しました、久能祐子と申します。1996年にアメリカに移住しまして、そのまま20数年間おります。もともとは大学で基礎化学をやって、研究者になりたいなと思っていたんですけれども、30歳ぐらいの時にたまたま私たちが「大発見かな?」と思うことに出会いまして。それで人生が変わってスタートアップを、バイオベンチャーを何回かやるということになりました。

そして1994年ぐらいに、1回目のバイオベンチャーがうまくいって、次をやろうとした時にお金が集まらなくて。当時は今のようなベンチャーキャピタルもないので。それで銀行もお金を貸してくれなくて。今から考えれば、リセッションの始まった時期ではあるんですよね。

ですから当然そうなんですけれども、それで決心をして、また一からやり直そうと思ってアメリカに渡って来ましてそのままおります。1回目のバイオベンチャーもなんとかうまくいったものですから、2012年ぐらいにステップダウンをしまして。

その後何をやっているかと言いますと、その時に若い人たちから「その非常にリスクが高いと思われているバイオベンチャーをやって、怖くなかったんですか?」と質問を受けたので。「本当になんでかな?」と自分で思い出して。

その理由を研究して、若い人たちとシェアできるといいなと思いまして。それで始めたのが「ハルシオン」という、社会起業家さんのためのインキュベーター・アクセラレーター。これをワシントンでやっています。

これも合宿型で、5ヶ月住み込んでいるんですけども。それがアメリカから応募者を募っているんですけれども、だいたい8人、半年に一回なんです。500人ぐらいの応募者がありまして。当然、今のアメリカの若い人たちは卒業した人が8割は一度は起業すると言われているので。

そこにものすごい大きな人口があるんですよね。なおかつソーシャルインパクトというか、いわゆるその「Making money by doing good」という「Profit & Purpose」という考え方がものすごく浸透しているので。

それをやって、これもこれでまたうまくいってるなと思っていたんですけど。たまたま3年ほど前に、母校の京都大学からお声掛けいただいて、講義させていただいたりしているうちに、4月から非常勤なんですけど理事をやっております。そういう意味では、ミニ東大はかなり耳の痛い話で(笑)。

冨山和彦氏(以下、冨山):いや。京都大学は……(笑)。

久能:いかにしてセカンド東大にならないでいくかという。本当に今、五神総長のリーダーシップも素晴らしくて、東大生も素晴らしいんですけども。京大の山極先生もまた別の意味での素晴らしさがあって。

冨山:おもしろいですよね。

久能:うん。そういう意味で、ぜんぜん違う方向でやるのがいいのかなと思っています。

もしも冨山氏が「いまの時代の25歳」だったら

久能:そして私の質問というのは、私どうしてもベンチャー側というか、スタートアップ側なので、組織とかスタートアップ自体も、どうしてもツールという感じで見てしまうんですよね。

ですから、組織を守るということがトップ・プライオリティにこないという時はよくあるんですけれども。1番目の質問は、コンサルテーションがプロフェッショナルな冨山さんにとって、たぶん自分だったらこうするというのは、なかなかタブーのところがあるのかなと思ったので。

冨山:いえいえ。

久能:もし、25歳だったとしたら(笑)。今、ご本の中にも書いていらっしゃった“can”“will”“shall”というのは、ご自分にとってはどんな感じでした?

冨山:canは何もないですね(笑)。

久能:can(笑)。25歳ですよ、今(笑)。

冨山:まだ何者でもないと(笑)。

久能:ない?(笑)。

冨山:本当に思っていました。shallもないので。(笑)もうwill一本勝負で。当時で言っちゃうとwillでコンサルティング会社にとりあえず入ったんですけども、26歳のときに「CDI」という会社を起業しちゃっているので。スピンオフして。

だからBCGって僕ね、8ヶ月しかいないんですよ(笑)。だからなんちゃってアラムナイなんですよ、BCGで。インチキ卒業生なんですけども(笑)。なので、どっちかと言うと25歳の時はとにかく何がしかになるには、やっぱりcanが拡大していかないとならないので。

だから、たぶん今の25歳だったら、今の25歳なりにどこで何をやっているのが一番10年後にましな自分になっているかなということを考えるでしょうね、能力的に。だから、となると難しそうなこと、やっぱりきつい状況のほうが人間は成長するので。危ないことをやると思いますよ、やっぱり今の時代なりに。だから、ひょっとしたら起業もしないかもしれないな。最近、起業が流行りすぎちゃって。

久能:そうなんですよね。起業の危ないところは今トレンドになってしまっているというか、起業をすることを学ぶという方に勉強するという方にみなさん行ってらっしゃるので。それはちょっと危ないかもしれないですね。

冨山:だから「昔、大蔵省。今、起業」みたいになっちゃっているので。東大も(笑)。

久能:確かにそうですね。

冨山:なので、だからたぶんもともとあまのじゃくだから、まだBCGが薬の会社だと思われているのにBCGに入っているので。いや、これ本当に(笑)。

久能:今、また注目されていますけど。

冨山:最近ちょっと流行っていますよね(笑)。たぶんそんな感じだと思います。ですから、久能先生の感覚よくわかります(笑)。「ベンチャーやっちゃった」みたいな感じというのは。要は、自分たちにはミステリアスな世界だったのでBCGに入っちゃったので。

久能:なるほど、なるほど。

冨山:その感じは危ないとこへ危ないとこへ、とくに若い時のほうが行きますね。失うものないので、はっきり言って。

久能:そうですね。そのとおりですね。

人間社会における「多様性」は、簡単なものではない

冨山:それはたぶん今でもそう思うとおもいます。それから、そもそも論の話ですね。質問の2つ目ですけど……。

久能:すいません、そもそも論のほうの下は、実は堀内さん向けに背景説明をしていたんですけども。

冨山:そうなんですね、失礼しました。

久能:いやいや、そんなことなくて、そのとおりなんです。ですからその「そもそも論を語るべき」と、ご本にも書いていらっしゃったので、会社とは何かとか。あるいはグローバリゼーションは何かとか、グローバリゼーションも最近よく、昔から言われていますけれども「グローバリゼーションと民主主義と国家は二つしか成り立たない」って。

それをトリレンマと言いますよね。シリコンバレーはたぶん今は違いますけど、国家を捨てて民主主義とグローバリゼーションだし、中国は国家とグローバリゼーションだしと。日本はどこかというところもあるんですけど。最初からグローバリゼーションがいいことだと思うこと自体、そもそも、もしかしたらよくないかもしれないしという意味でですね。

今もうすでに、L型、G型おっしゃってくださっていますけども、その辺をもう少し、そもそもとしてはどうなんでしょうか? というところを聞かせていただけたらと思います。

冨山:一つの軸として、ここに多様性のことが書かれていますけど、要はいろんなやつがいて、いろんなことをやってという生態系の方がやっぱり変化の激しい時には絶対強いんですよね、やっぱり。誰かがヒットするから(笑)。おっしゃるとおりで。同質のやつは危ないですよね、全滅しちゃうので。

だからそういった意味で言っちゃうと、グローバリゼーションってある意味では、本来は多様化とかを促進する作用なので。そのこと自体は決して悪くないと思うんですが。その一方で、まさに人間の免疫体系がそうであるように、人間という生き物は自分と他者を区別する生き物なんですよね(笑)。

ある意味で差別するわけだから。そういう生き物が集まった時に、その多様性というのはそう簡単にそんな生易しいものじゃないというのも事実で。さっき(他のセッションで)申し上げた、うちもカナダ移民だったものですからね、戦前のね。いかにひどい目に遭ったかという話はうちの祖母や親父から死ぬほど聞いているので(笑)。

だからその人間の本性とのいろんな、ある種のフリクションというのは必ず起きるわけで。だから、これは永久にもうあれですよね。それこそ遡ると、アレキサンダー大王の時代からやっているわけですよね(笑)。

ワーッ! と帝国を創るけど、すぐ崩壊していっちゃうわけで(笑)。だからこのせめぎ合い、Gに振れるかLに振れるかというのは、僕は永久に続く人類の、なかなかアウフヘーベンできない弁証法的チャレンジなんだけど、やっぱりそのチャレンジを続けることに僕は意味があると思っているんですよ、実は。だから……。

久能:そのとおりですね。ディスタシングを取らないといけないので。完全には同じ中にフィジカルにはいなくていいということなので。

初めて人間が自分たちのローカルなコミュニティを守りながら、しかしながらグローバルなバリューは何かとか、グローバルにしなくちゃいけないことは何かというのが、具体的に前に進み始めたのかなという意味で、ポストコロナはすごくいいんじゃないかなと思っています。

冨山:共感です、途中で申し上げましたけど、グローバル化をむしろドライブする力と、今ローカルの両方の力が働いているので、僕はこの感じは実は好きなんですよ(笑)。

久能:そうですね。

冨山:好きなので、いい感じかなと個人的には思っています。

久能:そうですね。わかりました。ありがとうございました。

冨山:ありがとうございました。