プラスマイナスゼロなら、最初からやらなくていい

武井浩三氏:そこから、普通の経営とは違う本を……。経営じゃないかな。そういう本を読み始めるようになったんですよね。その中の1つが、リカルド・セムラーの『奇跡の経営』という本だったりするんですけれどもね。

奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ

結局、会社ってお客さんだけじゃなくて、関係者がいっぱいいるわけです。お客さんを幸せにしても、働いている人が不幸せだったら、全体的に見てプラスマイナスがゼロじゃないですか。そういう話で、プラスマイナスがゼロだったら、最初からやらなくていいと思うんです。

つまり、顧客、一緒に働いている仲間、その家族、パートナー企業。株式会社で言うと株主。あとは地域社会。それから国もそうですけど、ステークホルダーがいっぱいいるわけです。

最近でこそ「公益資本主義」の考え方とか、「八方よし」の考え方とかいっぱいありますけど、その頃はどちらかと言うと「ビジネスチャンスを狙え!」というものだったり、「いかに売り上げを上げるか」という論調がやっぱり強かった。

その中で俺は、「仕事ってそもそも何のためにやるんだったっけ?」「会社って何のために存在するんだっけ?」というところを自分の中で腹落ちさせないと、次に動けなかったんですよね。それで、こういう本(『奇跡の経営』)に出会った。

リカルド・セムラーは、セムコというブラジルの大きい会社のCEOなんですけど、セムコでは働く人が自分で給料を決めたり、休みが自由だったり、みんなニックネームで呼び合う。

会社からどんどんスピンアウトしていっちゃったり、事業もどんどん分裂していっちゃうから、会社がどんどん大きくなって、また小さくなっていくというのを繰り返している変な会社なんです。それでいて、ブラジルの就職したい企業ランキングではいつも上位にくるような会社です。

いい会社を作ろうとすると、いつも法律が邪魔をする

やっぱりAmazonのレコメンドは優れていますよね。この本を読み始めたら、そういう系の本がいっぱい出てくるんですよ。そういうところで、日本もそうですけど、今までの「成果を出すための、管理するマネジメント」ではない世界中のいろんな会社を知り始めたんですね。

それがアメリカだとWLゴア&アソシエイツとか、ホールフーズ・マーケットとか、ザ・モーニング・スター・カンパニーというトマトの加工会社です。あとは日本だと……なんだろう? 伊那食品工業とか、メガネ21(メガネ・トゥーワン)とか、未来工業とかかな。変な会社がけっこうあるなと気づきました。

そういうのを見たとき、いろんな会社がいろんな取り組みにチャレンジしているんですけど、「せっかくゼロからやり直すんだったら、俺は純度100パーセントを目指したい」「部分的にじゃなくて、純粋にまるごとそういうふうにしたい」と思ったんです。

それで、ダイヤモンドメディアという会社を立ち上げて、当初から給料を全部オープンにして自分たちで話し合って決めたり、働く時間や場所や休みは自由で、経費も全部オープンで、社長・役員を毎年選挙して決めるという、わけのわからないことをやり続けたんです。

ただ、やっていけばやっていくほど難しいポイントが出てきました。それが何かと言うと、いつも法律が邪魔をしてくるんですよね。

例えば本当にその人がその人らしく働くことを考えたとき、僕らもそうですけど、やっぱり子育て世代は「子どもの面倒を見ながら、家で働きたい」となります。

仕事以外の時間も自由にしたいとか、そういうことをしようとすればするほど、「労働基準法の36協定がああだこうだ」とか、「コアタイムがああだこうだで、時間を自由にしていい人は、裁量労働制の適用される限られた人しかいない」とかで、「何じゃそりゃ?」ということになりました。それで、「なんか、これはおかしいな」と思ったんです。

真っ当な会社ほど多額の税金を課される構図

会社っておもしろいのが、いい会社をやろうとすればするほど、税金をいっぱい払わなくちゃいけなくなるんですよ。なぜなら、普通の株式会社や法人って、給与で払うよりも経費で落としたほうが税金が少なかったりするんですよね。そうすると、だいたいのオーナー社長は、給料を減らして経費を増やしたりするんですよね。車や家を経費で買ったり、いろいろやり方はあるんですけどね。

つまり、社長が会社を私物化すればするほど、節税対策ができる構図になっているんですよね。真っ当にやればやるほど、税金を全部きれいに払わないといけない。「本来逆じゃね!?」「いい会社を応援しようよ!」と思ったんです。

今の社会システムって、逆に個人や会社を利己的な方向に向かわせるんですよね。それで、けっこう労働基準局の人とかとも喧嘩しました。彼らとそういう話をしたときも、やっぱり理解はしてくれるんです。「でも、今の制度がこうなので……」「そうですよね」というところで落とさないといけないので、すごく大変だったんですけどね。

僕はいい会社作りを12年間ずっと研究し、実践してきて、最後には35人ぐらいの会社になりました。「ホワイト企業大賞」でも、3年前ぐらいに大賞をいただいたんですね。それがきっかけで本を出させていただいたり、僕自身が「ホワイト企業大賞」の委員をやるようになったりしたんです。

いい会社を増やすには、その枠組み自体をいい枠組みに変えないといけません。そうしないと、もうこれは大変すぎて、俺みたいにマニアックに研究したり実践したりする人なんて普通はいない。だから、「だめだ!」という思いで、自然経営研究会とか、不動産テック協会とか、そういう社団法人や外の活動がやっぱり自然と増えていきました。

まあ、そんなタイミングで会社のほうも、けっこういろいろ競争環境の関係で「資金調達したい」という声も上がってきていました。でも、俺は「やっぱりそういう方向にあまり進みたくねぇしなぁ」と思っていたんですね。

その辺をいろいろ話し合って、これはもうタイミングだし、「次は俺が代表をやるよ」と言ってくれるやつが出てきたので、「じゃあもう、このタイミングで全部渡すわ」と言って、去年譲ったわけなんですけれどもね。

会社の所有者・経営者・労働者が分断されている

ダイヤモンドメディアではこんなことをやっていましたね。

「給料をどうやって決めるか」というところだけは、めちゃくちゃ研究したので、社労士さんの集まりで給与制度について語るぐらい給与マニアなんですよ。

そもそも労働というものは、資本家と労働者の対立構造の中で法律が生まれているんです。労働基準法は80年前に作られた法律で、その元となる法律が工場法で、工場で働く労働者の待遇があまりにも悪すぎたから、彼らを守るために作られた法律なんですよね。

だけどやっぱり、関係性がどんどん近くなってくればくるほど、今の法律は合わなくなってくるわけですよ。給与は、労働者に対してどうやって彼らの労働を評価するかなんですね。だから、「労働時間」と「職務」と「職能」という3つで形成されます。

しかも会社には所有者と経営者と労働者がいて、所有者の株主と労働者って、本来は完全にゼロサムの関係にあるんですよね。(労働者の)給与が上げるとこっち(株主)の利益が下がる。純利益が下がる。こっち(株主)の取り分を増やすと、労働者の取り分が減る。

この間で「まあまあまあ」とうまいことやっているのが、経営者という役割。本来はそうじゃなくて、「どうやったらみんなで同じ方向によく進めていけるのか」というふうに取り組むべきですけど、やっぱりここで分断が起きているわけですよね。

株式市場でも上場企業だと、出資している株主はインサイダーの取引を規制するという法律があるので、所有者なのに中の情報にアクセスできない。そういう変な構造があるわけですよ。これは一般投資家を保護するという投資家保護の法則みたいなものがあるんですけれども、やっぱりおかしいよね。情報にアクセスできないから、分断が生まれる。分断が生まれたら、やっぱり他人事になっちゃうわけです。

緊急ではないけれども重要な仕事をしている人は評価されにくい

そういう構造をまるごとなくしたいなと思って、今やっているeumoという会社だったり、Next Commons Labという会社では、新しい株式会社として「組合型株式会社」という、種類株を使ったやばいスキームを考えて、支配がない会社作りをしています。

給与の話は、あまりこの用賀で語ってもどうかなと思うので、このぐらいにします。ただ僕は、この辺だけでも、言いたいことがいっぱいあるんですけれどもね。

例えば労働者という前提があるから、今の給与制度はPL(損益計算書)に基づいて設計されている。それで、BS(貸借対照表)に責任を持つのが経営者。

基本的な労働報酬の評価体系はPL評価になっちゃうから、会社のマネジメントの仕組みやビジネスモデルを作るような、BSにすごく影響を与える活動をしている人、いわゆる4象限で言うと「緊急ではないけれども重要」というところをやっている人ほど、あまり評価をされなくなっちゃったりするんですよね。

だから、大企業では「優秀な人ほど辞める」という構図がよく起こる。僕のところにいろんな大企業から相談が来るんですけど、2~3年ぐらい前に韓国からSamsungがわざわざ会社見学に来たり、NECや旭硝子、環境省や文科省も来ました。でも、みんな言うことは一緒です。特に30代・40代の方々が組織変革にすごく関心を持っていて、その方々が口々に言うのが「若くて優秀な人ほど辞めちゃうんですよ」ということ。

構造的にはすべて画一的な話ではないですけれども、やっぱり50代・60代の定年が見えている人たちは、変化の必要性を感じていたとしても、やっぱり「自分が終わるまではどうにか逃げ切りたい」的な力学が働くと思うんです。30代・40代の方々のほうが、当事者として危機意識が高いと思います。

合理性と人間性は「両立」ではなく「融合」を目指すべき

あとは自由な働き方がいいか悪いかというのは、別に自由なほうがいいというわけではなくて、業種とか職種によってもちろん違うわけです。飲食店で働いている人が「今日はリモートにします」と言ったって「ふざけんなよ!」という話ですよね。

これは、どうやったら、その職種が社会に価値を提供する上で最もいいのかを考えるということです。合理性も重要だし、効率性とか、一人ひとりの満足度とか働きやすさも重要です。

そういうものを、僕は「合理性と人間性の融合」と言います。両立ではなくて、融合ですね。両立させると、それぞれで話し合う時間を取らないといけない。(両立では)マネジメントコストが2倍かかるとわかったので、融合させて1つのものとして扱うことをよくやっていましたね。

信用金庫や信用組合は「友達同士の積み立て」から始まった

長くなっちゃうんですけど、ちょっとスライドを進めていきましょう。実はこのスライドは65ページぐらいあるんですけど、まだ5ページぐらいしかいってないじゃないかと気づきました(笑)。

(Sustainable Development Goalsは)昨今、SDGsとか言われています。耳タコですね。

ESG投資という、社会的責任投資。金融の世界も変わってきています。これは、シンプルに言うと「人権と環境に配慮しましょう」という話です。

この辺もおもしろくて、例えば信用金庫と信用組合って、実は非営利組織だったりするんですよね。銀行は株式会社なんですけれども、信用金庫・信用組合は非営利。それはなぜか。沖縄では模合(もあい)、(本土では)講(こう)とか呼ばれていますけれども、友達同士でお金を積み立てて誰かの結婚式のときにそこから出すとか、そういう「友達の中での積み立て」という仕組みが、けっこう世界中に昔からあるんです。

それが大きくなったのが信用金庫や信用組合なんですね。だから(株式会社とは)意味がぜんぜん違うんです。

合理性だけで社会を回そうとすることの「不具合」

でも、やっぱり俺なんかも昔、高度成長期のときには、信用金庫・信用組合・地銀とか聞くと、ちょっと言い方が悪いですけど「劣化したメガバンク」みたいに思っていたわけですよ。「ATM少ねぇし。使うメリット、なくね?」みたいな。でも、そもそもの存在理由が違うんですよね。

最近は金融庁も変わって、与信を数値化してレーティングして貸し出すというその基準をなくしちゃったんですよね。今までもよく言われていましたけれども、銀行って「雨の日に傘を貸してくれない、雨が降ったら傘を取り上げる」んです。必要な人にお金を貸すことこそが金融の役割なのに、合理性を追求するとそれができなくなるという話ですよ。

だけれども、地域金融はリスクが出ちゃう。それをどうするかと言うと、スライドの真ん中に「リレーショナルバンキング」とありますけれども、人間関係で貸すんですよ。「『この人は代々ここに何年いて……』『あの人のおじいちゃんの代からお世話になっていたから』という人が逃げるリスクって、やっぱり少ないじゃん?」という話。

「みんなで助け合おうよ」ということだし、やっぱりビジネスの時間軸も長いわけですよね。そういう金融が生まれてきているんです。だから、別にメガバンクがいいとか悪いとかじゃなくて、合理性だけで社会をまわそうとすると、やっぱり人間には不具合が生じるという話ですね。人権なんかはそうですよね。お金が理由で、人間が死んじゃうんですよ。

かたやこんなブロックチェーンや仮想通貨がバンバン出てきて、「国家に依存しないお金」というものが存在してきています。ブロックチェーン界隈のプロジェクトは俺も一緒にやっていたりするんですけれども、おもしろいのが、ブロックチェーンを扱っている人たちは、国家という概念をどうにか弱めていこうとしているんですよね。

国家が日本円の信用を担保しているわけですけれども、「ピアツーピア(機器間がネットワーク上で接続・通信する方式の1つ。機能に差異がない端末同士が、対等な関係で直に接続して、互いの持つデータや機能を利用し合う方式)のほうが、信用度が高いよね」ということが、仕組み的にも証明されてしまっているわけです。