新聞記者時代はバリバリの保守だった佐々木氏

山下悠一氏(以下、山下):お話を聞いていると、俊尚さんってずっとどんどん「自由になろう、自由になろう」という雰囲気を感じるんですけど、もともと新聞社で、ある意味サラリーマンをやられていたんですよね。

佐々木俊尚氏(以下、佐々木):ええ。

山下:その時ってどんな感じだったんですか? すごく抑圧されていたんですか? それとも適応していたんですか?

佐々木:適応しすぎて。

山下:(笑)。

佐々木:適応しまくっていた。一応、新聞社ではかなりバリバリの保守、本流だったので。

山下:保守。どんな感じだったんですか?

佐々木:だって、東京本社の社会部で警視庁とか担当したりとか、遊軍をやっているとか、保守、本流のバリバリですよ。

山下:はー! なるほど。そこからどうしてこんなふうに振り切れたんですか(笑)。

佐々木:(笑)。どうしてこうなったんだろうね。それがよくわからないけど、当時から特ダネとかを追いまくるわけ。特ダネってなんなのか。警察担当が長かったので、やることといったら、「ナントカ容疑者、今日にも逮捕」というような。

山下:うーん。

佐々木:いわゆる「前打ちスクープ」と言われる、書かなくてもどうせいつかは明らかになるんだけど、それを他社よりも先に書くのが素晴らしいというのがあって、そういうことを一生懸命やっていたわけです。

オウム事件やグリコ森永事件では「見えなかったもの」

佐々木:あと、捜査一課担当で殺人事件が主に仕事だったので、延々と殺人事件をやっていた。殺人事件って説明は難しいんだけど、たまに世の中の根幹を揺るがすような殺人事件もあるんですよ。

僕が担当したのはオウム事件ですけど、グリコ森永事件とかね。大体の殺人事件って、本当に痴情のもつれだったりとか、貧困だったりとか裏切りだったりとか、わりに人間臭いもの。

それはそれで映画やドラマのテーマとしておもしろいのかもしれないんだけど、僕は個人的にそれを取材したからといって、この社会が何なのかというのが構造的に見えてくるかなと思うと、あまり見えない感じがしたんですよね。

どっちかと言うと、新聞記者時代から個人的にすごく興味があったのは、「この社会、もしくはこの世界がどう成り立っているんだろう。どういう構造なんだろう」というのを知りたいってなったわけです。

でも、それをやろうと思っても、あまり新聞記者の仕事じゃないわけなんですよね。スクープを猟犬のように追いまくるのが新聞記者の仕事ですから。だから、そういう苦痛はずっとあった。辞めたのはそれをやりたかったからじゃなくて、単に病気をして糸が切れたから辞めただけの話なんだけどね。

辞めてフリーになってからそっちを追いかけるようになって、社会の構造とか世界の構造、「なんで人間社会はこうなっているんだ。日本社会はなぜここにいるんだ」ということを、ずっと掘り下げて考えていく仕事になっていったということなんです。そういう意味では、今の方が新聞記者時代よりはストレスは少ないですね。

山下:うーん。そうか。そういう意味ではある意味、死と向き合うというか、そういったところを続けているうちに、やはり殺人事件だったりとか警察関係って、どうしても今のメディアだと、それをスキャンダラスに不安を掻き立てるようにやるのが売れるからというのがあると思うんです。

でも、一方でそれを見ながらも「なんでこういうことが起きてしまっているんだろう」という本質が本当は知りたくて。

知らなかった世界が見えてくることの喜び

佐々木:そうですね。コロナに関して言えば、医療の専門家でもなんでもない、単なる素人が垣間見ているだけなんだけれども、感染症の専門医の人たちの発信や記事をいろいろ読んで、「ああ、なるほど。こんな仕組みなんだ」ということを知って、恐ろしいウィルスである一方で、「おお」って学ぶことによる知的興奮ってあるわけですよ。

「すげえ。俺はついに陽性的中率のことを知った」とかね。「ウィルスの仕組みってこうだったのか」とか、「集団免疫ってこうだったのか」ということを学んでいって、世界がジグゾーパズルでできているとしたら、1個ずつピースが埋まっていく。

もちろん全部を埋められることはないんだけど、知らなかった世界のピースが1つずつ埋まっていって、なんとなくこの辺だけ見えてくると、「あ、ここのピースって見えてなかったけど、こういうことだったんだ」とわかってくるところに、ある種の喜びを感じるんです。

だから、もちろん生活していかなきゃならないのでお金が必要なんですけど、もはや自分が有名になりたいとか売りたいとか、過剰な有名欲求とかはなにもなくて、ただひたすらこの世界の成り立ちを知りたい。学びたい。そのついでに、生活できるお金が入ってくればそれでいいかなぐらいのマインドで生きています。

一番大事なのは「健全な日常」

山下:(笑)。なるほどですね。コロナ時代に、今日のお話を聞いて暗いニュースがたくさんある中でも、少し希望だとか、「ライフスタイルを変えたい!」と思っていても、どう変えたらいいのかということに対するヒントがあったと思います。

さっき申し上げたように、いろんなタイプのインフラに関わっている人たち、サラリーマンの人たち、フリーランスの人たち、いろんな人が今日見ていらっしゃると思います。

社会が変わっていく中で、みなさんが今すぐにでも自分を変えていくだとか、ライフスタイルを変えていくということがあるとしたら、どんなことをお勧めしますか?

佐々木:健全な日常こそが一番大事であって、それ以外の見栄とかどうでもいいよねという感じになりつつあるんじゃないかなと。例えば、ちょっと前までインスタとか流行っていて、インスタジェニック、「インスタ映え」なんていう言葉があったわけですよね。

インスタで、いかに自分の食生活がおしゃれでピカピカキラキラしているかを見せようと思ったら、今のコロナの状況の中でインスタ映えなんて、みんなあまり考えないよねと。

でも、自分の日常がちゃんと続いていると、ここで自慢すべきは「あんな高い鮨屋に行っているぞ」とか、「ウユニ塩湖に行ったぞ」という話じゃない。

どっちかというと「いや、こういう状況でも僕は毎日、朝ランニングをしていますよ」とか、「今日も地味だけど、こういうご飯を炊いたよ」ということが、ちゃんと相手に伝わっていって、「この人は心身を壊さずにきちんと健全に生きているんだな」と思われることが、ある種のリスペクトの対象に変化すると思う。そういう地道な健全さを持つことが大事なのかなというね。

頼るもののないフリーランスにとっての芯

佐々木:フリーになってから、もう20年近く経ちます。すごく大事なのは何かなといつも考えていて。結局、フリーランスって頼るものがなにもないわけじゃないですか。

仕事に失敗したら上司のせいでも会社のせいでも誰のせいでもなくて、自分しかやっていないんだから自分のせいでしかない。そうすると、いろんなことに一喜一憂するわけですよ。例えば仕事が1個なくなったら、「あれ、俺が悪かったのかな」とかいろいろ思っちゃう。失敗したらクヨクヨ悩んでしまう。

でも、そこをどうやってくじけずに生きていくのかを考えていくと、どこかに1本芯は必要だよね。その芯が何なのかということをずっと考え続けていたんです。ここ5年くらいで結論として出したのは、結局それって「健全な日常」しかないかな。当たり前ですけどね。

前の日にどんなに面倒くさいことが起きて、トラブルに巻き込まれたりとか、仕事がうまくいかなかったりとかいろいろあっても、朝起きてモヤーッとしながら「よし、走るか」と思って、今だと公園を走っていますし、ちょっと前までだとジムで走っていました。そこで30分5キロくらい走って、帰ってきてシャワーを浴びてハーッてやると、だいたいすべて忘れる。

山下:(笑)。

佐々木:(笑)。そういうのが実は一番大事。それでちゃんと自分で食事を作って、ご飯を炊いて味噌汁を作って、漬物も自分で漬けて……とやっていると、「まあまあ何が起きても、この日常が続く限りは大丈夫かな」というある種の中心地として、自分の生活があるというところじゃないかなと思います。

地味でも地に足の着いた日常がリスペクトされていく

山下:ある意味、ミニマリストであろうとプレッパーであろうと、今後なにかを省いていった先にあるのは、結局、移動しながらでも自分はちゃんと命として毎日生きているよと。

佐々木:そうなんですよね。

山下:これがリスペクトになる。それが社会の新しい価値になるということですよね。

佐々木:インスタ映えじゃなくて、もうちょっと茶色い、お母ちゃんが作った弁当ぐらいなもんですよ。

山下:(笑)。

佐々木:煮物の入ったね。「それぐらいのがかっこいい」と、価値変化というのは明らかに起きるかなという感じはするんですよね。

山下:ああ、なるほど。いろいろとお話をうかがってきましたが、最後にこのシリーズのテーマである「人類の可能性とは何か」。ピンチをチャンスに変えるという意味で、どういったものがこれからの人類の可能性としてあるかを、ちょっとひと言でお願いします。

人間の理解や認識を超えた「力学」の存在

佐々木:そうですね。去年の暮れに、『時間とテクノロジー』という本を出しました。これは何を書いているかというと、「我々は物語によって生きているよね」と。Aが起きたからBが起きている。大学受験をがんばったからいい大学に入れて、いい大学に入ったからいい会社に入れたみたいな因果関係で生きている。

時間とテクノロジー

でも、因果関係なんて、実際にはほとんど嘘っぱちだよね。後付けでしかなくて、だいたいの出来事は理由もなく唐突に起きるわけです。まさに今のコロナがそうだし、3.11もそうだったし、すべては唐突に起きてしまう。

唐突に起きてしまうことは、我々にとっては許しがたいわけです。許しがたいから「そこになにか因果関係があるんだよね」と思いたがるのが、人間の性なわけですよね。

でも、そういう因果関係的なものさえも意味がなくなってきて、それこそAI、人工知能が出てきて、今の機械学習、深層学習のメカニズムは、人間には到底理解できないような、ある種のロジックをそこに見つけてしまったりするわけです。

そうすると、我々にとってはなぜそれがいい結果を招くのかわからないんだけど、AIが「それをやるといいはずだ」と言い、そのとおりにやると確かにいい結果が起きる、ということが起きてしまうわけ。

そうすると、もはや自分たちがロジックやメカニズムを理解できなくても、この世界が動いているんだと認識せざるを得ないし、そのほうが実は我々がチープな因果関係で考えているよりもずっといい社会ができる可能性があることが、わかりつつあるんじゃないかと。それだけ社会が複雑になっているということなんですよね。

中世とか古代のシンプルな時代であれば、我々が想像する程度のメカニズムで世の中が動いていたと思うんだけど、これだけさまざまな要因が無数にあって、その要因の力学によっていろんなことがどんどん起きてくるようになると、もはや我々の認識能力では世の中が動いている理由なんて実際理解できないよねと。

未来はゼロ成長の定常化社会になっていく

佐々木:じゃあ、そうなったときに我々は何を軸にして生きていくのか。さっき「健全な日常」と言ったのは個人の話です。社会全体としてどうなのかというと、僕は例えば未来なんてもはや信じられないわけですね。

近代の終焉と成長時代に入り、あと50年もすると、人類の人口自体も90億人くらいでピークアウトする。その後は長い長い中世のような定常時代(右肩上がりの経済成長を絶対的な目標としなくとも十分な豊かさが実現される)に入っていく可能性が極めて高いと。

そういう中で、過去とか未来というのは、あまり意味がなくなるんじゃないかなと考えています。その中では、我々がこの大きな世界、あるいは日本社会の中で、自分がどういう位置にいて、どういう関係性の中で生きているのかという、ある種の空間的な認識の方が重要になるんじゃないか。つまり、時間と空間ですよ。

そういう時に「テクノロジーがけっこう重要だよね」という話をしていて、『時間とテクノロジー』の本の中では、「摩擦と空間と偏在」という話をしているんですね。

テクノロジーの進化によって訪れる人類の未来

佐々木:「摩擦」とは何かと言うと、例えば、今のARやVRって触れないじゃないですか。それがガチッと触れるようになったりとか、外界との摩擦が我々にとって気持ちいいものであると。気持ちよさみたいなものがもっとできてくるんじゃないかなというね。

例えば、iPadにアップルペンシルで文字を書いていてもあまり楽しくない。なぜかというと、スラスラ書けすぎて、鉛筆のような摩擦がないからなんですね。これからのテクノロジーは「もっと外界とつながっているんだ」という認識、直感が得られるような摩擦的なものがあり、なおかつその空間の中にどこにいるのかという、ARやVRを使った自分の立ち位置が認識できるようになる。

それはもう部屋の中のどこにいるかという今のARだけじゃなくて。例えば、SNSの空間はすごく広いですよね。Facebookの空間、Twitterの空間の中で自分はどの辺にいるのかということを、今のTwitterやFacebookのテクノロジーではまったく認識できないんだけど、それがもっと視覚とか触覚で認識できるような世界とかね。 

さらには「偏在」。要するに自分は今、東京のある家の中にいるだけなんだけど、多拠点居住とか移動生活でいろんなところを転々とできる。転々としていっても、常に自分の友人や同僚が家族として繋がって生きられる。そういう遍在性、ユビキタス的なものですよね。

そういうものがどんどん進化していくと、我々は未来がなくても過去がなくても、あるいは何が起きるのか理解できなくても、より良く楽しく平和に穏やかに生きられるんじゃないかな。そういう時代が来るんじゃないだろうかというところですね。それこそが人類の未来。

山下:なるほど。自分で未来を予測したりとか、想像したりしても、もうしょうがないと。

佐々木:そうなんですよね。

山下:日常を整えながらも。

佐々木:そうそう。今、この瞬間で誰と繋がり、どういうよき環境を作るかということを、きちんと心しておいたほうがいいかなということだと思うんです。

山下:この瞬間にということですよね。

佐々木:そうです。

山下:なるほど。ちょうどお時間になりましたので、対談、一旦ここまでということで。

佐々木:ありがとうございました。