大都市への一極集中による社会的・政治的コスト

冨山和彦氏:じゃあ今回、日本もある意味では2周遅れだったけど、実は今の時代的な流れからすると、アメリカやイギリスが成功した、あるいはEUが指向していたグローバル化であるとか、あるいはデジタル化というものが、実は「実態の社会」という観点からすると、まだ我々は解決できていない。

産業的な、あるいはいろんな経済的なイノベーションに対して、政治的・社会的な私たちの知恵がまだついていっていなくて、そのギャップが生まれているところがたぶん、安田さんの『欲望の資本主義』(注:安田洋祐氏がナビゲーターを務めた、NHK経済教養ドキュメント)などにつながっているんだと思います(笑)。

欲望の資本主義

ですから今回、いみじくもコロナショックが起きて、実はそういったかたちの社会システムの脆弱性が極めて露わになったんですよね。知識集約産業の勃興は、例えばジオグラフィカルに何を残したかというと、当然大都市への集中が加速するわけです。要は知識集約型産業は、人的集積が勝負なので、みんなが大都市に集まるという現象が起きます。

ところが、これがどんどん行き過ぎると、とくに矛盾が大きいのは、地価などが上がってしまって、大都市の中で偏差値50前後の人は生活ができなくなっちゃうんですよね。かつ大都市集中型の生き方は、自然災害や感染症にものすごく脆弱なわけですから、そういったことが現実に起きてるわけです。大変なことになってるのはだいたい大都市なんですよね。日本でも東京が一番やられているわけです。

ですから、知識集約型で進んできて、都市集積はある意味、経済学的に説明されていたことというのが、実はよく考えたらものすごく潜在的な社会的コストを生んでいる。あるいは政治的コストを生んでいて、トータルで見るとひょっとしたら合わなくなっているんじゃないかということが、ある意味突き付けられている問題な気がしています。

サイバー空間においては世界はむしろ縮小している

ただ一方で、こうしてオンライン会議をやっていることからわかるように、デジタルトランスフォーメーションが止まるかといったら、これは止まらないですよ。むしろ私自身は、実は海外の人と夜中に話をする機会が、ここ最近のほうが増えています(笑)。変な話、むしろ世界が小さくなってるんですよね。

だから、サイバー空間においては世界はますます小さくなっているし、今大学の授業をリモートでやってますよね。リモートでやるようになっちゃうと、別にコロンビア大学の授業を東京でも受けられるわけですよ(笑)。今の留学生はけっこうそうやっていますよね。

あと国内だって、例えばAIの一番いいタイプのプログラムって、東大の松尾豊さんが提供しているものなんだけど、別に富山大学だって和歌山大学だって、それを受けられるわけですよね。そうなってくるとサイバー空間においては、ある種、世界が小さくなる現象が起きるわけです。

しかしながらフィジカルな世界においては、実はみんなが一生懸命、1時間、2時間かけて満員電車で東京の中心部へ通っていることって、「意味ねぇじゃん」ということに、また一方で気がついてるわけです。

ですから、サイバーの世界でDX、あるいはグローバル化がむしろ進んでしまうという現象と、リアルの世界、フィジカルな世界で、やっぱり集中していくことが社会的コストを生むということに対して、むしろ今度はローカライゼーションが起きるような気がしています。だからG(Global)の流れとL(Local)の流れが同時に進行するというのかな。すごくアンビバレントな進み方をするような気がしています。

モノからコト、グローバルからローカルへの潮流

そうすると、今度はビジネスという観点から考えちゃうと、当然そういったある種アンビバレンスのある社会構造の関わり方、人々の行動の関わり方を、ビジネスとしてどう捉えていくかが、すごく大事な気がしています。

そのことは実は、先ほど申し上げた格差問題云々に対する1つの答えを、ある意味で暗示していると思っています。それが「モノからコト」というところと、「GからL」なんです。

結局、要は私たちがお金を払っているもの、本当に価値を認めるものというのは、たぶんこの先ますます「コト」にシフトしますよね。今回の件である意味、もう「モノに価値がない」という感じにますますなってしまいます。したがって「コト」へシフトします。

それからもう1つは、グローバルはローカルへシフトするということは、実はグローバルにモノを売っている人は、はっきり言ってこれからきついです。人々がグローバルなモノから離れていくとすれば、例えば自動車などはこれから大変ですよ。グローバルに単品でモノを売るという産業モデル、まさに20世紀の主役だった産業モデルは、ますますシビアになると思います。

その一方で、ローカルな世界でコトを提供してきたのが、さっきから申し上げているようなローカルのサービス産業です。実はここがカギになってくると思っています。日本も今、だいたい7割のGDPがそこなんですね。労働者で言うと、8割がそこで働いてるわけです。

そうすると、次の問いです。グローバルなインテリの人は、デジタル革命とグローバル革命で、もうお金持ちになりましたよね。問題は残りの8割の人たちです。ローカルなサービス産業で働いている人たちの生産性と賃金をどうやって上げられるか。

所得再配分による格差解消には限界がある

私は、所得再分配でやるのは別に反対はしませんけど、なんて言うのかな……大変そうに見えるんですよ(笑)。これはBEPS(Base Erosion and Profit Shifting:税源浸食と利益移転)なんかもそうだし、結局なぜレーニンが「世界同時革命」と言い出したかというと、社会主義は同時革命でやらないとうまくいかないんですよ(笑)。能力のあるやつと金持ちが逃げていっちゃうからです。

所得再分配って結局、世界同時革命でやらないとできない。だけど、世界がそういう団結をするかというと、申し訳ないけど、私は正直そんな感じはしない。もちろんそれはある程度やったほうがいいと思うんですけど、それだけではやっぱり限界があります。

そうすると20世紀的な解がそうであったように、産業構造自体をローカルな、それこそ偏差値50プラスマイナスの人が豊かになれる、生産性の裏打ちのある豊かさを作っていかないとダメだと思っています。

そう考えると今度は経済人としては、東京でも田舎でもそうで、地域のローカル産業で働いている人たちの賃金・生産性を上げられるか。これはグローバルでも同じことですよね。ここが上がってこないと、持続的な所得増はできないわけです。

ですから、それを産業構造の中にどうビルトインしていくか。そのときに1つの希望があるとすれば、諸々のデジタルテクノロジーであるとか、あるいはAIも含めたいろんなイノベーションが、ローカルなサービス産業、従来の労働集約的で同時同場制でやっている産業群の生産性を上げることに寄与すること。あとはもちろん、労働分配率の問題があります。

金融緩和政策がもたらす歪み

もう1つ余計なことを言います。私は、実は今の金融の構造に労働分配率が上がらない理由が1つあると思っています。だから、ここも政策的にアジャストできると思ってるんです。要はこの20年間ぐらい、世界は基本的にほぼ共通に金融緩和なんですよ。こういうことが起きるとますます緩和していくんです。

金融緩和して出てくるお金はどこに行くかというと、刷れば刷るほどデット性資金で金利を安くするんです。そうして何が起きているかというと、一方でプライベートなエクイティ、リスクマネーの世界はずっと15~20パーセントで回ってるんですよ。これははっきり言って、やっぱり歪みです。

なぜ歪むかというと、めちゃめちゃ安い金利を使って、エクイティの出し手がめちゃめちゃ儲けるという構図になってるんですよ。実はこれを作っているのは、かなりの部分が政策の側なんですよ。

当たり前なんだけど、中産階級の家計はほとんど預金です。したがって預金以外に出ないんです。リスクマネーを出しているのは全部富裕層ですから、ピケティじゃないけど(笑)、当然富裕層の資本主義率が上がっていっちゃうんですよ。

これはやっぱり政策的要因もあります。この関係を修正して、デット性資金とエクイティ性資金のバランスはリバランスしないと。やっぱりエクイティの出し手ってずっと強いですから。そういう意味では、労働分配率に対して資本分配率が大きくなってしまうという構造欠陥があって、ここに対してやっぱり、私は政策的にも今の歪みを是正したほうがいいと思っています。

大きなトランスフォーメーションは痛みを伴う

それから最後に、少なくとも今までの大きな流れ……日本が2周遅れで遅れていた話は、実はデジタライゼーションとグローバリゼーションも問題解決に対して1周くらい遅れをとっていたということに、今回みんなが気づくわけですね。

気づくことはすごく大事なことです。そのときに我々経済人も含めて逃げてはいけないのは、この問題の本質にちゃんと目を向ける。問題の本質に目を向ければ向けるほど、我々自身が大きなトランスフォーメーションをしなきゃいけないんですね。大きなトランスフォーメーションをするということは、我々自身が痛みを味わうわけです。それも長期にわたってです。

経済界であれ、政治の世界であれ、政策の世界であれ、あるいは学会もそうで、そういうリーダー層を構成している人が、ある意味では痛みを率先して味わいながら、トランスフォーメーションをするモードにこの先なれるかどうか。私はそれが課題だと思っています。

私は企業経営者なので「コーポレート・トランスフォーメーション」ということを言っています。ここは本当にかなり根本的に、会社のかたちというものを日本の企業も変えなきゃいけない。

GAFAによる市場の独占を転換するチャンス

あるいはアメリカのGAFAなんか、私は変えなきゃまずいと思う。というのは、GAFAのやってることってある意味で、公共財提供をやってるんですよ。公共財をやっているところが、やっぱりあんな金儲けをしちゃダメですよ。それはおかしい。だって彼らの資産形成とか知財形成って、半分以上は私たちユーザーがやっているわけですからね。そこにあれだけ富が集中がするのは、はっきり言ってやっぱりおかしいですよ。

それは、かつてAT&T(注:1885年に設立された米国の電話会社で、独占禁止法違反により分割された)がバラされたのと同じ話なんですよ。100年前の産業構造転換のときに、AT&Tが出てきたわけですよね。あれはネットワーク型の産業で、完全に自然独占で、圧倒的にリッチな会社になったけど、結局バラされたわけでしょ。

そういった意味で、今のGAFAがやっていることは完全に水平的に、ある種の公共財提供をしてるわけです。そこにあれだけの富が集まって、あれだけ金持ちが生まれるのは、私はおかしいと思っているんです。

そういったものも含めて、ある種のルールデザインを変えていくことによって、いろんな意味のトランスフォーメーションをやっていくということは、ここからのカギなのかな。

最後に、こういう痛みを伴って壊れているときが、トランスフォーメーションのチャンスです。いろいろなものが壊れますから、壊れたところで一気にいろんなトランスフォーメーションを始めようじゃないか、というのが実はこの本の終わり方です。

コロナショック・サバイバル 日本経済復興計画

トランスフォーメーションをどうやるかという、企業に関する具体的な話は後編(『コーポレート・トランスフォーメーション』)に書きました。ということで私の話は終わります。どうもご清聴ありがとうございました。