自ら探し求めようとするものが「探求」

尾原和啓氏(以下、尾原):いやぁ、苫野さん優しいっすよね。僕がその質問(探究の時間は増えてきているけれども、何をしたらいいかわからない)を聞いたら、「探求するものがないんだったら、放っておけばいいじゃん。自分で探求するものなのに、なんでほかの人から与えられようとしてるの?」って話で。

苫野一徳氏(以下、苫野):(笑)。

尾原:自分から欲しいものがないんだったら、そのまま放っておけばいいと思うんですよね。だってうちの娘とか……彼女はすごく包接的なコミュニケーションができるようになっているし、ロジカルに話せるし、(考え方が)違う人でもちゃんと自分の正義感と相手の正義感を揃えることができるから、もう大丈夫って思っているんですけど。

学校教育で言うと、うちの娘は偏差値でいえば40以下ですから。だから放っておいてるんですよね。ただ、1年に1回「たぶんお前、このままいったら年収150万だけど、どうする?」という話は言っていて。

苫野:(笑)。

尾原:冷静に「お前は算数がこのぐらいだよな。だとしたらこのぐらいの仕事しかできないし、今デザインとかいろいろやってるけど、世の中のレベルから考えたらこのぐらいの仕事だし。だとしたら今、年収150万ぐらいだけど、150万でいきたいんだったらそのままでいいんじゃないの?」って、ずっと放置するんですよね。

そうすると、やっぱり娘の場合は、150万じゃイヤだから「パパ、私はこういうところを考えてるんだけどどう思う」と言ってくるから、「じゃあこういうのを見ればいいんじゃないの」という話で。探求というのは自分から探し求めるものだから、それを他人からもらおうとしている時点でもう欺瞞ですよね。

福永理沙氏(以下、福永):(笑)。

苫野:(笑)。喉が渇いていないと、どうしようもないですもんね。

尾原:ただ、自分の社会的ポジションはわかっておかなきゃいけないから、じゃあ「あなたが望んで年収150万になりたいんだったら、それでいいじゃないですか」と。ただ教育って無料で、いくらでも学ぼうと思えば学べるものが転がっているんだから、取りたければ取ればいいんじゃないの?

自由であることの重さにどう向き合うか

苫野:一方でアレなんですよね。やはりこれは「自由のパラドックス」なんですけど、「なにをやっても自由だよ」「どうやって生きても自由だよ」と言われると、どうやって生きていいかわからなくて苦しむ。

探究も似ていますよね。「何かに夢中になりたいんだけど、夢中になれることがない」というところがありますよね。なので、そういう場合は投網漁法がやっぱりいいのかな(笑)。

福永:(笑)。

苫野:あと、さっき言ったような「本物に出会う」こともそう。あるいはこういう対話の場も1つですね。なにか自分の好奇心のアンテナに引っかかるものを大事にすることはいいんじゃないかと。そこから手繰り寄せていくんですよね。

尾原:そうですよね。だから今、欧州でも(エーリッヒ・フロム著の)『自由からの逃走』などがすごく読み返されたりしているし。だから、自由であることの重さに耐えられない人たちがいることは昔からずーっと言われてたことで、「太った奴隷と痩せたソクラテスのどっちがいいの」という話で。

ただ困ったことに世の中は、だんだん太った奴隷ではいられなくなっているからね。そりゃ知らんよ、という話で。だんだん「痩せた奴隷と痩せたソクラテスとどっちがいいの」という社会になっているけど、そんなのはお前が決めることだからお前が決めろ、という話ですよ。

苫野:ジョン・スチュアート・ミルの話ですね。

尾原:そうですね。ただ1個言うのは、先代の方々がこれだけ築いてくださっているから、太った奴隷でも、あなたたちはなんとかしばらくは生きられるかもしれないし。かつ、先代の方ががんばってくださってるから、インターネットによってこれだけ教育が無料で手に入るようになっているし。

手に入れようと思えば、いろんなかたちで憧れている人の話を聞けるようになっているんだから。環境を整えてくれたのは先代なんだから、それに感謝しながら、あとは探求したいものがないんだったら、そのまま沈めばいいんじゃないですか?

苫野:(笑)。

テクノロジーで弱点を補うことと、弱みを見せることで助けられること

福永:(笑)。ありがとうございます。そうしたら最後に、個別化や最適化について。教育の具体的なあり方、例えば学校のあり方についてお話をいただければなと思います。

苫野:どうしましょうかね。

尾原:ああ、じゃあこれはテクノロジーが強いので僕から話すと、基本的には個別化というのはAIがもっとも得意とすることなんです。僕は個人的には、できるだけAIとコラボレーションしましょう、ということだと思います。

さっき言ったようにアダプティブラーニング(コンピューターアルゴリズムを使用して、一人ひとりに最適化された学習内容を提供)や、リメディアル教育(学習の遅れた生徒に対して行う補修教育)だったり、わからないところまでどんどんステップバックして、一番わからなかった原点まで寄り添ってあげられる。

そういうことがAIの強さです。そういった教育テクノロジーはどんどん開発されていくし、日本においてもカリキュラムが揃ってくるはずなので。できるだけ早くそういうものにキャッチアップするのがいいかな、と個人的に思っています。

それが難しい場合は、まあ労力はかかりますけど、要は『ドラゴン桜』方式ですよね。中1から戻って戻っていきましょう、みたいなものですけど(笑)。

一方で、今度は共同性というものに関しては、まったく逆です。要は「自分の弱みをさらけ出せるか」ということの訓練なので。自分がやりたいことがあったときに、弱みをさらけ出すと誰かが助けてくれるという成功体験をどこかで持たせてあげる。個人的にはそのことが大事だと思うので。

先ほど苫野さんが言っていたように、やっぱり信じて、託して、待って。待って待って、待って待って待って、動き出したらその1歩目を讃えるということだと思いますけどね。

福永:ありがとうございます。

「考え方の個別化」と孤立化しないためのつながり

苫野:じゃあ私からは、個別化というときに、2つの軸で考えたいんですよね。それは思想としてのというか、哲学原理として……そんな大げさなものじゃないんですが(笑)。「考え方としての個別化」と「方法としての個別化」を考える必要があるかなと思っていて。

考え方としての個別化というのは、教育の基本中の基本として、人それぞれ学ぶペースも違うし、興味・関心も違うし、どんな学び方がいいかとか、どこで誰とどんなふうに学べばいいかとか、そのときの調子とか、人それぞれぜんぜん違うんだということを、まず教育の前提に置かないといけないですよね。そういう思想としての個別化ですね。

そのことを根本に置くと、どういうふうにしたらいいかが見えてくると思うんですね。それが方法としての個別化で、それには尾原さんがおっしゃったようなAIを使った学びも存分に活用すればいい。

それこそ算数・数学の有名な「Qubena(キュビナ)」というアプリがありますよね。あれで1年分のカリキュラムが数週間で終わったみたいな子が続出しているのを、私もたくさん見聞きしていますけれども(笑)。そういったところには、AIをどんどん活用したっていいと思うんですよね。

同時に、さっき言ったように、それが孤立化してはいけない。生の温かさで支える必要があって。だから「学校の役割っていったい何なんだろう」と考えると、やっぱり一人ひとりの学びをしっかりと支える「ゆるやかな協同性」で支える。頼れるサポーターがたくさんいて、困ったときに助け合えること。

そして、一緒に学び場をつくっていく。ひいては一緒にこの市民社会を作っていく、市民を育む。そういった場としての機能がこれからますます大事になってくるというところを認識していきたいなと思いますね。

福永:ありがとうございます。

「好きは夢につながり、憤りは志につながっている」

尾原:1つだけ補足させてもらいたいんですけれども。さっきの「沈んでいけばいい」というコメントを、額面通りに捉えられていたツイートが多くて(笑)。

苫野:(笑)。

尾原:ちょっとびっくりして、補足をしたいんですけれど。一言で言うと、挑発をしているんですよ。僕の好きな言葉に「好きは夢につながっていて、憤りは志につながっている」という言葉があるんです。憤りを感じたから、志に変えられるんですよ。だから今、挑発されて憤りを感じてほしいんですよ。

東南アジアの方々は、実際に日本で格差と言われている方々より、ずっとずっと何もない中でやられている方もいっぱいいるわけですよ。そんな何もない中で、無料教育革命の恩恵を受けて起業家として立っていらっしゃる方もいるし。日本の今を支えてくださってる松下幸之助さんだって、最初はトラクターを引っ張っていたところから始まっているわけで。

だから、憤りすら感じなくなってしまっているとしたらアウトだと僕は思っていて。好きを夢につなげる戦い方もいいんですけど、憤りを志に変えていく生き方も、僕は一方で装着されたほうがいいなと思っています。

苫野:すごく素敵なお話で、すみません、私も少しだけいいですか(笑)。

尾原:(笑)。

苫野:私もたくさんの若者たちと一緒に学んでいく中で、それこそ学生とか高校生って「本気な自分を見せるのが恥ずかしい」と思っているところがあったりするんですよね。

「憤ってマジになってるのってダサい」というふうに思っている若者って、少なからずいますよね。大学などでも、授業を前のほうで受けて「ハイ!」と手を挙げる学生を冷笑するような文化も、少なくはない光景だと思うんですよね。

でも、実はそういった若者たちもみんな、話しているとなんだかんだでやっぱり「成長したい欲望」をすごく持ってるなと感じるんですよね。その「成長したい欲望」を、ちょっと恥ずかしくて出せないんだけど、出していいんだよ、という。

「憤っていいんだよ、今成長したかったら成長してみろよ」という、尾原さんがやられたような一種の焚き付けみたいなものって、私はすごく大事なことじゃないかなって。すいません、私も触発されて一言。

引きこもって自分の「好き」を見つけるチャンス

竹村詠美氏(以下、竹村):いえいえ、ありがとうございます。私もすごく「そうだよなぁ」と納得しながら(お聞きしていました)。起業家さんでもやっぱり、なにか自分が本当に解決したいというのは、わりと怒りからきているような。

「これは理不尽だからなんとかしたいよ」という想いの方も、すごく多いなと思うので。そういった環境を作ってみたり、ある意味多少人工的でも、たくさん本を読んだりする中からでも、作っていくことが大事だなと改めて思いました。

お二人のお話を、本当にもっともっと聞いていたい方もたくさんいらっしゃるかなと思うんですけれども、ちょっとお時間になってしまいました。

今日はいろんな先生や学生さんや社会人の方にご参加いただいてると思うので、最後によろしければ、尾原さんと苫野先生から一言ずつ、コロナ後に向けたメッセージをお願いできるとうれしいんですが。

尾原:じゃあ先に。今回はコロナということもあるんですけれども、最初に言ったようにやっぱりコロナって、もともとあった変化を10年縮められる機会だと思うんですね。今は「ニューノーマル」という言葉がすごく流行ってると思うんですけれども、そういうときに1つ、今引きこもらざるを得ないことをどれだけ高解像度に捉えて「引きこもって自分の好きを見つけるチャンス」だと捉えて育むか、ということがあったりします。

ニューノーマルに行けた人たちは進めると思うんですけれども、僕が一番心配しているのは、これが終わったときに「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、オールドノーマルの重力に負けてもなにも変わらない。結局「やっぱりFace to Faceの教育が一番だよね!」というふうになることが、僕は一番怖くて。

そうだとしたときに、やっぱりオールドノーマルの重力に負けないような、成層圏を離脱できるだけのロケット燃料をどうやってここで作っていくのかが、個人的には大事だと思います。何かみなさんのヒントになればと思います、ありがとうございます。

竹村:ありがとうございます。それでは苫野先生も最後に、よろしくお願いいたします。

教育関係者の底力が試されている

苫野:はい。私が今日最初にお話しした、公教育の構造転換。端的には学びの個別化・共同化・プロジェクト化の融合といった考え方は、100年ぐらいの理論と実践の蓄積があるので、もう今すぐそこに来ている未来なんですね。

私がこういったことを言い出してもうけっこうな年数が経つんですが、本当にたくさんの教育関係者から「あなたの言っていることは理想かもしれないけれども、実現は無理だ」という言葉を、どれだけ浴びせられたかわからないんですよね(笑)。

尾原:(笑)。

苫野:でも、もしも「いい」と思うのであれば、どういう条件を整えればそれが可能になるかと、知恵を出し合いたい。「無理、無理」と無理な理由を考えるんじゃなくて、どういう条件を整えれば可能なのかを考えたいなと思っています。

それで今回、図らずもですね。さっき尾原さんがおっしゃったように、コロナの問題が公教育の構造転換に、ぐっとドライブをかけたところがあると思います。学習指導要領の改訂にあたって、文科省はもう何度も何度も「予測困難な時代の教育」と繰り返してきたんですよね(笑)。図らずも、まさにそれを地で行っているわけですね。

我々教育関係者は、その底力をすごく試されていると思うんですよね。だから、さっき尾原さんがおっしゃったようにですね、オールド……スタンダードでした? 何でしたっけ(笑)。

尾原:オールドノーマル(笑)。

苫野:オールドノーマル(笑)。「オールドノーマルが」と言うよりは、やっぱりここで我々の底力をみんなで……「みんなで一丸」っていうのは私、嫌いな言葉なんですけど(笑)。

尾原:僕も嫌い(笑)。

苫野:なんとか構造転換に向けてですね。だって、もうビジョンは見えているし、そのためのロードマップもだいたいわかってるわけですから。じゃあどういう条件を整えれば実装できるかを考え合っていきたいなと思っております。ありがとうございました。

竹村:ありがとうございます。逆にみんながお家にいるからこそ、ある意味で条件は非常に近いところで、一人ひとりが考えてアクションを起こせる。今日も全国から参加してくださっています。そういう土壌が今急激に、いろんなオンラインイベントや勉強会で広がっていると思うので、こういった会が積み重なることで、一人ひとりの行動が本当に増えていってほしいな、と思っております。先生方、本当にありがとうございました。

苫野・尾原:ありがとうございました。