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臨床医クニマツと病理医ヤンデルの 「診断ってなんですか?」 國松 淳和さん×市原 真さん対談(全5記事)

名医の診断は「達人の居合抜き」に近いもの 患者にとって診断が早いほどいいワケ

患者との対話から診断を導き出す総合内科医の國松淳和氏と、組織や細胞の検査から病気を探し当てる病理医の市原真氏(ヤンデル氏)による対談が行われました。診断とはそもそもなんなのか、患者にとっての「診断」と、プロの医者の「診断」はどう違うのか。ほぼ初対面の二人が、医療とその周縁について縦横無尽に語りました。本パートでは、医師の診断の重要性と、一方で診断に時間をかけ過ぎることのリスクを解説します。

誰が見てもわかるものは最後に見る

市原真氏(以下、市原):先生は、あれですね……現象に対して「これが正解!」とピンポイントを探るタイプじゃなくて、「どこに線を引いたら三方喜ぶか」というようなやり方をされてきたんですね。

國松淳和氏(以下、國松):たぶん、そうですね。市原先生は病理(が専門)なので、ガラスをバッと回って見るじゃないですか。それで、パッと見て「うっ!」というところ、明らかに異常なところがあるじゃないですか。

市原:あります。あります。

國松:僕だったら、例えばそれがCTスキャンだったり、レントゲンだったり、あとは血液データだったりするわけですよ。僕のコツとしては「誰が見ても異常なところには、とりあえず目もくれない」ということが大事だと思っています。

市原:完全にわかるなーこれはーわかるー!(後ろに反る)

國松:ですよね。研修医によく言うんですけど、それは(あらかじめ)決めておかないといけないんですよ。普通は、異常なほうに目と関心がいくんです。例えば肺のレントゲンを撮って、ここにドーンと大きな拳ぐらいの腫瘤があったら、たいがい、肺がんじゃないですか。

市原:そうですね。

國松:だけど「ここに肺がんがありそうだ」ということぐらいは誰でもわかる。だからそこは天の邪鬼になって、ここ以外のところを見るんです。反対側の肺、反対側の肺の上のほう、下のほうとかね。ちょっと天の邪鬼になって、おなかのガスでも見てやろうかとか。

市原:ああわかる、わかる。

國松:もう「誰でもわかるものは最後」って(前もって)決めるんですよね。そこはいわゆる、俗に言うルーティンというのにしている。

市原:これはわかるなー!

國松:病理の先生も、絶対にやっているんじゃないかな。

“他の人が気づかない異常”に目を向ける役割

市原:たぶんその考え方、初学者に対してはそうとう時間をかけて伝えないと、「天の邪鬼的だ」とか「ニッチ好きだ」みたいな話になっちゃいがちなんですけど、そういうことじゃないんですよね。

國松:そうじゃないんですよね。

市原:自分が、自分の知能を使って、一番役に立てるポイントに惜しまず知を注ごうとするとそうなるんですよね。

國松:そうなんですよね。だから……。

市原:「ここまで(誰が見てもわかる異常)」は他の人も気づくから……。

國松:誰でもわかるところにはまず、手を出さない。むしろ、辺縁から、外側から攻める。

市原:なるほど。「診断における辺縁思考」という……先生、これ、何か名前をつけたことあります? 

國松:いや、つけたことないです。

市原:いい名前をつけたいな。誰かいないかな。(このイベントの会場は)神保町で、編集者がいっぱいいるはずなんだよな。誰か考えつくんじゃないかな。

國松:やっぱりわからない側から辺縁を見つけていくという作業なんです。これは絶対に、インサイドにいる人、さっきから言っている「チェックリスト思考」の人にはできないという話なんですよ。

市原:そうですね。

國松:これは、必ずそうなんですね。まあ、どっちが正しいって言いたいわけでもないんですけど。

俯瞰しながら消去法で探っていくのが医師の診断

市原:病理診断というか形態診断学の場合、たとえば、ボールペンである形を描いて、これと「まったく同じカタチをしている細胞」だとこの病気と診断します、みたいなことをやっていると思われがちです。

しかし、実際には、「この要素が現れたら、疾患の輪郭の一部が確定する」「別の要素がとらえられたら、また別の部分の輪郭が確定する」というふうに、周りから攻めていくことがけっこうあります。……今の自分の身振り手振りから連想しましたが、昔のバリウム診断なんてのはそういう感じでしたよね。

國松:あー、そうですね。

市原:辺縁にあるさまざまな部分から要素を消していって、八方を潰すと、最終的に診断の輪郭が残っている……というイメージ。

國松:あの人たちも、まず俯瞰で見たり、細かく見たり、行ったり来たりするって言いますよね。

市原:そう。そう。行ったり来たりする。

國松:そこがめちゃくちゃ大事です。私の場合なんですけれども、(目に見える)「もの」ではなく、無形なものを扱うので、とりわけ意識するんですよね。先生は弱拡(弱拡大の略称で、低倍率の顕微鏡を意味する)・強拡(強拡大の略称で、高倍率の顕微鏡を意味する)で、それでその切り替えも自由自在なところがあって、それはスキルとして絶対にあると思うんですけれども、内科医はそれを意識しないと、いつも強拡で見る感じになります。

市原:おっ、なるほど。

國松:やっぱり弱拡で全体を眺める……。(聴衆の反応を見て)「『弱拡』って断りなく使ってもいいかい?」ということは今わかったんですけど(笑)。なので……。

市原:「弱拡」が「弱い拡大」って、聞いている人たちがわかっているかどうかという話ですね。まあ最終的には「ログミー」が死ぬだけなので、ぜんぜんいいです(笑)。

診断手法のお手本の一人は、感染症専門家の岩田健太郎氏

國松:だからまずはHE(染色)の弱拡でというのはたぶん、偉大な病理医ほど、絶対に言うでしょう。絶対に(笑)。

市原:そうですね、「偉大な病理医」をちょっと思い浮かべましたが(笑)。ちなみに、先生が診断手法でモデルとされている方のお一人に、やっぱり岩田健太郎先生がいますよね?

國松:いますよ。

市原:ですよね。

國松:これは完全にいます。

市原:すごくわかる。

國松:わりと初期からの岩田フォロワーです。

市原:岩田先生が言っていることを別の角度からなぞっているようにも思えます。國松先生のオリジナル要素もかなり感じますが。

國松:これは何なら市原先生もそうなんですけど、実は岩田先生とまともに話したことはないんです。挨拶を2回ぐらい、という感じです。

市原:僕は、このあいだ初めてまともにお話ししました。ある本の改訂版の、冒頭対談企画に呼ばれてしゃべったというものでして、さっき、今日の午前中にゲラを返したんです。「なんで僕を呼んだのか」と言ったら「思いつき」っておっしゃっていましたからね。初対面で(笑)。「言うなや!」と思いました。

(会場笑)

そうそう。話の途中だったんですけど、大丈夫ですか?

國松:大丈夫です。すみません。

市原:なんで岩田先生の話をしたかというと、その人だけじゃないんですよ。たぶん我々には何人か思い浮かべている人、あるいは会ったことはないけれども、「この考え方は!」という「無数の師匠」がいるじゃないですか。

國松:います。その感覚、まったく一緒です。「複数の師匠」を作っておいて、いつもカメラ目線で見られているというふうに追い込むんですよ。同じですね。

病理医は臨床医のコンサルタント的な存在

市原:あーわかるなあ。今、「病理医の診断って、どうですか?」という話題を振られたときには、複数の師匠たちの言葉を借りようかなと思ったんです。借りつつ僕の言葉に直すと、「病理診断は弱拡を見た時点でかなり終わっている」となります。

その意味では病理での弱拡は、内科医にとってのCRP(注:C反応性蛋白。さまざまな疾患で血中量の上昇が認められるため、疾患を特定することはできないものの、数値が高くなればなるほど炎症が強いか、細胞が破壊されていることを示しているため、重症度や経過を知るために役立つ)と似ている気がします。

國松:ああ、そうですね。

市原:「CRPを見る前にある程度、考えておいてくれ」ということです。だいたい患者を見た時点で「これかな?」というのがあって、血液検査に出したのが帰ってきて、見て、「あーっ」てなるじゃないですか。

國松:はい。

市原:弱拡を見る前に一応の診断は終わっている。弱拡大がCRPで……。強拡大は……難しいですね。どれかな? あれかな? 抗体検査とか?

國松:そうですね。たぶん、それに相当するんですかね。

市原:アンチゲネミア(注:感染症の診断法の1つ)とかかな。

國松:そうですね。

市原:アンチゲネミアのマニアックさは顕微鏡の強拡と一緒。ちなみに最近、僕はあんまり働いていないので、1日に8時間働いているとして、顕微鏡を見ている時間は1時間ぐらいですかね。

國松:そうなんですね。

市原:ほぼ顕微鏡までたどり着かずに仕事が終わっています。

國松:でも、そうですよね。ガラスの前が勝負だったりしますよね。

市原:します。そして、「あれ? ここは俺が顕微鏡で決めなきゃいかんところだな」というのを探すのを早くする。その意味で、僕ら病理医は臨床医のコンサルタント的な存在です。臨床の方々が9割9部の診断を終えている状態で、「最後の一撃をくれ」と言われて、僕が動く。僕が見る前に、ほぼ決まっているわけじゃないですか。

たとえば右肺の真ん中に5センチメートル大の腫瘤がある。レントゲンで写っている。その状態で来る。それが最後に「がんですよね?」って出してくる。そのときに何を言えるかという思考が、(國松氏と)まったく一緒なんですよ。……なんだよ腹立つなー。まったく同じだな。対談になってないじゃんか!

國松:ないですね。

(会場笑)

市原:危ないですね。盛り上がりがなくなってくる。

國松:ぜんぜん違う仕事をしているのに、一緒っていうことですよね。

医療行為においては、診断とケア>治療

市原:そうだ、國松先生は診断という言葉をどう位置づけされているか、という話を聞きたいです。患者には、さらには医療者にも、「医者は治療するものだ」というイメージがあります。

でも、僕は昔から「『診断』のほうがでかい」ってけっこう言っています。いろんな人に怒られまくって、最近は言わなくなりましたけれど。「医療行為の中では『診断』が一番でかいな」とこっそり思っている部分がある。なお看護というかケアは診断並みにでかいですが。

國松:医療全般ではそうですね。

市原:治療は、ゴルゴの一撃みたいなところがあるかな。

(会場笑)

國松:そうですね。時間はかかりますけれどもね。

治療に時間がかかるからこそ、診断は早ければ早いほどいい

市原:ところであなたは治療に関しても書かれているじゃないですか(國松氏の著書)『仮病の見抜きかた』を指しながら)。

國松:そうですね。これは完全に言ってしまうと、アンチテーゼです。

市原:アンチテーゼ!? 

國松:つまり、先生はいいんですよ。えっと、総合診療……? よく知らないんですけど(笑)。

市原:知れ(笑)。

國松:総合診療の人たちが、診断にかなり寄せた話で盛り上がっているので、むしろ「診断ばっかりじゃだめだぜ」という内容の……。それ、先生に言ってなかったですっけ?

市原:はじめて聞いた、まあ初対面ですから(笑)。しかし、タイトルが『仮病』なのに、診断に対するアンチテーゼか……。

國松:やっぱり治療を施してあげないと、最終的に患者さんは救われないというところがあります。「診断」は超絶大事なんですけれども、何て言うのかな……(診断に)時間をかけては絶対にだめなので、ブシャアっていう「居合抜き」のイメージ。

(会場笑)

市原:それは、決断のスピード? まず患者がいらっしゃったら「スパッ!」と。

國松:そうですね。診断は早ければ早いほどいいと思っているので、1秒でも短縮する努力をします。治療のほうは時間がかかる。なので、引き(の視点)で見たときには治療がぱっと見ではメインになっていていいと思います。

市原:そうかあ。

診断が早いほど、患者は無事な状態で治療を受けられる

國松:そうですね。なんか、切られたことも気づかないぐらいですね。よく研修医とかに言うんですけれども……研修医はわかってくれないか。後期研修医とかに、「早く診断すると、お前は感謝されないぞ」って言うんですよ。

市原:斬られたことにすら気づかない。悪人が斬られたあとで「あれ?」っていうやつですよね(笑)。

國松:早く診断すると患者が無事なまま治療に入って治るので、なんか周りの反応は薄いんです。患者は感謝しますよ。そうじゃなくて、周り(の医者)が「なんかあの患者さん、簡単だったね」みたいになります。

だけど実はものすごく、もう瞬間的に診断していますから、ビシャアって切ると、(周りが)「あれ?」「この患者さん、あっさりだったね」みたいな反応になるんです。

でも、本当は「居合抜き」しなかったらゲロゲロのベロベロの敗血症で、ドロドロのとんでもないICUにポン、みたいになっていたのが早めにわかって、もう診断ポンで「ステロイドパルス(療法)いけてよかった」みたいな感じです。

そうすると、周りのオーディエンスがわかってないんですよ。こっちがすごく思い切って決断しているのに、「なんかこの症例は楽勝だった」「それはパルスいくよね」みたいなこと言いやがるわけですよ。

でも、「じゃあ、パルスは週明け、教授回診が終わってからにする?」とやっていたら、たぶん患者さんも(週末の間に)ベロベロブルブルみたいになって、なんかもう月曜日の夜に(ようやく)「生命の危険があります」なんていうIC(注&#65306:Informed Consent。医師が患者へ診療内容の説明を行い、同意を得ること)をして、もう戦えない病状になっちゃうということもあるんです。ちょっと本当に問題発言かもしれませんが、僕はそういう患者さんもたくさん見ているんです。

市原:あの……「問題発言かもしれませんが」とひとこと断るのが、ちょっと遅い(笑)。

(一同笑)

終わってからじゃないですか。

感謝も理解もされない「すごさ」を追求する快感

國松:ものすごく良い・早い診断は感謝されないと思います。それは周りが、(その)すごさがわからないからです。だから手下(直接指導している後期研修医)には「すごいと思われなくていいよ」って、そう言って育てるわけですよ。ぜんぜん、すごいと思われない。

市原:そのような職人的美意識がエビデンスの先にあるというの、なんかおもしろいですね。あなたは「アンチテーゼ」って言いましたけれども、どちらかというと一つのテーゼに対する「ヘテロテーゼ」ですね、一つの考え方に固着しかかっている場所に、ドワーッと他の考え方を持ってきて、「お前はここしか見えてねえよ」みたいなイメージ。

國松:あー。でも「わかってくれない」みたいな言い方をしちゃったんですけれど、僕は完全に、そこを同じ絶対値でバンって「符号が逆」というか、つまりわかってくれないほうが……。

市原:「同じ絶対値で符号が逆」。ああ。

國松:わかってくれないほうが、快感です。

市原:ああ、わかる。ウケる。ウケるなあ。

國松:もう言ってしまったら、「すごさ」。……あ、言っちゃった。「すごさ」を自分しかわからないじゃないですか。

市原:突っ込めない(笑)。

國松:本当に僕と一緒に診療している、手下の後期研修医にしか言わない。

市原:手下。

國松:「あれ、うまくいったね」「あれ、すごくない?」「あれ、一発でわかっちゃった」みたいな感じです。

診断は「達人の居合抜き」であるべき

市原:それ、この本(『仮病の見抜きかた』)の中で……全10話でしたよね。

國松:10話です。はい。

市原: 10エピソードのうち、2ヶ所か3ヶ所あったと思うんですけど、「電話を受けた時点で、ある程度診断はついていた」というセリフを、あなたは書いていらっしゃいますね。『仮病の見抜きかた』って言っているのに「(当初から)見抜いているじゃないか!」。

國松:(笑)。そうですね。

市原:この本の流れ的に、「診断そのものが大事というよりは、その後の行動選択であるとか、患者さんに対するアウトカム(成果)こそが大事なんだよ」っていうメッセージを込めた本なのかと思っていたら、診断については「達人の居合抜き」のイメージ。

國松:そうです。

市原:わかるなー(笑)。

國松:ただ「居合抜き」で短縮したら、それだけ違うことに時間がかけられるんですよ。これはよく言います。その患者さんの治療に時間をかけられるし、あと、時間ができると違う患者さんをもう1人、見られます。

市原:あなたの言っているのは、ウィンブルドンの(テニスの試合で)すごい人は1回戦ではサーブだけでばんばん点とっちゃうから、1時間半ぐらいで試合が終わるときがある、みたいなことなんですね。

國松:そうですね。

市原:「もう終わった。相手、弱かったんじゃない?」みたいな。

國松:だから(医師の)みなさん、どんどん診たほうがいいと思います。

市原:ああ、そういうことですね。

國松:なるべく、たくさん。

市原:でも、それを外で言ったら恨まれますよ。

國松:そうですよ。(ここは)言っていい場だとうかがっていました。

市原:だめだと思います(笑)。

(会場笑)

國松:それをちゃんと聞いておけばよかった。

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