「モヤモヤ」という免罪符

篠田真貴子氏(以下、篠田):私も言っていいですか? みなさんが書いてくれた事前のアンケートを拝見していて、「〇〇で悩んでいます」「〇〇でモヤモヤしています」という記述が少なくなかったんです。

これを読みながら思い出したのが、当時20代の終わりぐらいのことでした。職場の後輩2人とおしゃべりをしていたときがあって。

その2人はまだ社会人になって3年目ぐらいの頃は悩んでばっかりだったけれども、2人とも「最近悩まなくなった」と言うんですよ。それはどういうことなんだろうって思っていろいろ聞いていたら、どうも目の前の事象を「悩み」じゃなくて「課題」として形作れるようになったという話だったんですね。

「悩む」と「課題だと思う」の違いは、主観も含めて、ちゃんと考えられるものなんです。あるいは答えが見つかる可能性があると自分で思えると思ったらそれは課題になって、そういうふうに動けるようになる。

それは羊一さんがおっしゃっていた状態で、そうじゃない状況が悩み。本当に私の個人的な趣味で申し訳ないのですが、「モヤモヤ」という言葉が私はけっこう嫌いです(笑)。

「モヤモヤ」というラベルがつくと、その言葉が市民権を得ちゃったから「それ以上考えなくていい」みたいな。下手をすると、まだ成熟していない若い学生さんだと「モヤモヤしている」ことが、ちょっと知的でおしゃれでかわいいぐらいの感じにすらなっていて、「ちょっとどうなのよ」と思うわけですよ。そこに「モヤモヤ」「悩み」を持っていることが知的だと。

あと、わりと若手女子にありがちな、悩みを言い合うことで友情を確かめあうところがあって。もちろん友達づきあいはそういうふうにすればいいんですが、それはもう一歩ちゃんと考えれば課題になって自分が動けるようになるのに、ちょっともったいないなと思うことはあります。

モヤモヤを「課題」に昇華するための試み

篠田:そうやって悩みばかりで動けず、考えることに到達していない時代も羊一さんはあったんですよね? 

伊藤羊一氏(以下、伊藤):そこはよくわかっていて、20代の頃は悩んでいたわけなんですよ。「どうしよう、どうしよう」と悩んでいる。結局、それを解決してやったんだけれども引き続き同じ状態になりそうになったときに、30歳を超えて「これは考える力がないな」と思って。35~36歳の頃にグロービスに通い始めたんですよね。

そうしたら、いわゆるピラミッドストラクチャーに出会って「頭がいい人はこうやって考えているんだ」と、ものすごく衝撃でした。なんでもそうやってやろうとすると、まさにおっしゃっているとおり、課題になっていくんですよね。

でも、一方でこれだけでも解決しないわけですよ。方向性は自分の感覚で決めなければいけない。なので、この感覚として「こっちのほうが心地いいか」とか、そういうマインドも鍛えなきゃいけない。まさにモヤモヤを課題に変えるために、僕は2つのことを鍛えてきているんです。

横石崇氏(以下、横石):濱松さんもモヤモヤするんですかね。

篠田:そう、濱松さんにも聞きたい。私は濱松さんに初めてお会いしたとき、たぶんパナソニックに入られて3年目ぐらいで、いわゆる若手な感じだったんです。でも、もう明らかに課題に対して行動をしている状態だったんですよね。

だから濱松さんには、「悩んじゃっているけれど、課題としてうまく捉えられない若い濱松さん」という時代はあったんですか? 

濱松誠氏(以下、濱松):もちろんありました。伊藤さんも先ほど悩んでおられる時代があったとおっしゃいましたが、僕もあって。20代はだいぶ悩んでいましたので、私はグロービスの単科に行ったり、本を読んだりして、いわゆる自己啓発やスキルアップに励んでましたね。

そんな中で吹っ切れたのは、「One Panasonic」を立ち上げてやり始めたときですね。それが自分の中でのターニングポイントだったかなと思っています。

自分の中でも、他人と違ったことを始められたというか。自分のやりたいことと、会社にとっても必要なことがなんかマッチしたというか。

自分がやりたいと思っていることをできているなみたいな。そういう感覚があってからは、いわゆるモヤモヤ君とか、「悩んでいます」というのではなくなりましたね。

小さくてもアクションするのが自信につながる

篠田:ちょっと重ねて聞きたいんですけど、ONE JAPANの前にOne Panasonicという活動を濱松さんは主導されていましたよね。そもそも、内定者のときに、同期のつながりがもっとあればいいなと思って同期会を始めたのがきっかけだったらしいじゃないですか。

でも、ただの同期会で終わらず、会社としての課題、若手の課題意識があるから「これを社長にぶつけようぜ」みたいにされたとか。表面的に見ると、ものすごく行動しているんですよ。自分がすでに動いている感じがあったので。

今のONE JAPANができる前はけっこう悩んでいたご自身の内面と、表面的に見えているところにちょっとギャップがあるように思えるんです。そこはどういう感じだったんですか? 

濱松:自分は比較的外交的なほうなので、この指とまれで「やろう!」とは言えるんだけど、仕事で上司を説得するときのスキルセットはまた違ってうまくいかないこともあって、「俺、ダメなビジネスパーソンなのかな?」と思って。

だから、これは自分としては正直恥ずかしいところでもあるんですけれども、One Panasonicが僕のセカンドホームのように感じたんです。

「よし、俺はしっかり自分としても会社としても業務外でもやることをやっている」「仕事もある程度いっているかな」「でも、仕事はこのままでいいのかな」と思ったこともありました。

でも、One Panasonicがあって、会社に迷惑をかけない程度にそっちをガッと強めることにしたので、いわゆるモヤモヤ君ではなくなったんだと思います。

伊藤:アクションして、小さくてもそれが自分の自信になってさらに行動できるようになってくるという。行動でしか解決できないことですよね。そこを踏み出せるかどうかになってくるわけですね。

濱松:パナソニックだけじゃなくていわゆる大企業や公務員の人はすごく賢くて、論破された先輩や上司は本当に優秀だなと思っていたんです。

パナソニックを辞めて思うのは、大企業の人を見ていて「動いたらいいのに」「もったいない」ということ。動くということは単に会社を辞めるということではなく「小さなことでもいいからやりたいことをやればいいのに」と。

Can・Must・Willの理想的な順番

横石:よくCan(できること)・Must(やるべきこと)・Will(やりたいこと)みたいな順番の話をされるじゃないですか。今、羊一さんがやりたいことも大事だけれども、過去の体験が大事だと言っていて。「TokyoWorkDesignWeek」の登壇者でも「CanはWillの卵だ」と言っていた方がいたんですね。それをどう孵化させるかを考えたほうがいいと。

Willを探すとどうしても好きな言葉になっちゃうので、それは抽象的に使わないとおっしゃっていたんですよ。

伊藤:僕はそこ、順番が確実にありますよ。僕はMust・Can・Willですよ。「Willから先に」「Willが大事だ」とみんな言うけれども、僕はWillがなかったので、やらなきゃいけないことをやっていました。それがMustです。やらなきゃいけないことを、目の前にあることをやりまくっていたら、いつの間にかできていた。

できると楽しいじゃないですか。楽しいからそれがWillになってきたみたいな感じで。Twitterを見ているといろんな人のWillがいっぱい出てくるんだけど、僕はそこのギャップに悩む方は多いんじゃないかなと思うんです。Willなんていきなり出てこないよ、と思いますよね。

横石:自分にはWillがないって悩む人、多いんですよね。

伊藤:その場合は、やらなきゃいけないことを。みんなから「やりたいことをやれよ」とか言われながら、「俺、こんなんでいいのかな」と思いながら、日々つらいながらも自分がやらなきゃいけないこと、Mustをずっと一生懸命繰り返したら、それができることになっていくわけです。

それができてきたら、これがひょっとしたら濱松さんが言っていたOne Panasonicかもしれないですね。One PanasonicはWillから入っているんだと思うんですが、やってみたらできたというのが、僕はWillにつながっていくと思う。Willは後から出てくればいいじゃん、と思います。

12歳、24歳、36歳のときに節目がある

篠田:おおよそ同じ考えでちょっとつまらないんですけれども、別の切り口で考えたことがあって。年齢でいったときに、私は干支で12歳、24歳、36歳のときに節目があると思っているんです。

その3週目の25~36歳あたりが、まさに大人として求められるMustを身につける時期ではないかと思っているんですね。これは一般人の話で、スポーツ選手のような才能で勝負する方はまったく別です。

つまり、そこで初めて大人になる。大人としてやるべきことはいっぱいあるんですよ。でも複雑で、簡単には覚えられない。

それは仕事でもそうだし、プライベートでも親戚づきあいとか、年老いた親とどうするかとかも含みます。それに対してまず「基本はこうである」というのを身につけるのに、多くの人は30代半ばまでかかって当然だと思うんです。

一通りわかってから、「自分の個性ってなんなの?」というのを改めて考えるくらいが普通。そこからだんだん自分のWillを考えてもいいし、一度学んだものをそぎ落とすのでもいいし。

「親戚づきあいとはこういうもの」というのが一通りできるようになったけど、自分にとっては「あんまり大事じゃないから、親戚づきあいは最低限にしよう」と決めちゃうようなこともあります。それも含めてのWillというのは、けっこう後からで大丈夫な気がするんです。

伊藤:そんな気がしますね。

篠田:あともう1個。みなさんは義務、つまりMustに行き過ぎじゃない? という視点が引き続きあります。私もすぐに自分が言いたいことをうまく言えないんですよ。人の本を読んで「ああ、そうだ」と思うから。

自分への「問い」を変える方法

横石:本日は参考図書を持ってきてくれました。

篠田:いろいろ持ってきたんですけれども、これはわりとおすすめです。『「良い質問」をする技術』という本です。エグゼクティブコーチの粟津恭一郎さんという方が書いています。

「良い質問」をする技術

この本で私が感銘を受けたポイントは、私たちは無意識のうちに常に自分に質問をしているんです。それで、その質問をされると答えたくなっちゃう。だからこの2つが無意識に人間の性としてある。

つまり自分に問う質問をちょっと変えると、発想が変わって、行動が変わって、習慣が変わる。そういう視点が私にはすごく有用だったんですね。

例えば、極端に言いますけれども、「なにか新しいことをしよう」と思ったときに、「周りから変な人だと思われないかしら」という質問を無意識に自分に投げかけちゃう人は、それに答えを出し続ける。それで行動を決める。

それに対して、「これっておもしろいかな」という問いを無意識に問いかける人は、それに答えを出して、そういう行動をする。

そういうことなので、そういう自分への問いを変える。自分にも他の人と話すこともそうです。ふだんとは違うお友達に会うと、違う質問をしてもらえる。それをきっかけに考えることで、ちょっとずつMustからCan、CanからWillというところの幅が広がるのかなと経験上思っています。

頭に浮かんだことを書き連ねる意味

横石:もう1冊、篠田さんがお持ち込みいただいているのは何でしょうか。

篠田:これは質問周りについて。今のMustでわりと私が良かったなと思うのは、この『ゼロ秒思考』という本なんです。

ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

赤羽雄二さんという方が書かれていて、習慣としてネタがなくても毎日10分間とにかく頭に浮かんだことを書けという話です。

そうやってモヤモヤしているならモヤモヤしているで書く。そうやって出していくのは、さっき羊一さんが「すげー!」「やべー!」と声に出して言うとそれが耳に入ってくる、と言っていたのと似たような構造だと思うんですよね。

書くとそれが視覚的に入ってきて、「なんでモヤモヤしているんだっけ?」という問いが自分に向かうので、また書く。

1日10分間に限るのがすごく大事だと思います。私にとっては良かったんですよね。筆が乗って書き続けると、どんどん自己に耽溺するといいますか、自己憐憫に入るといいますか。「ちょっとかわいそうな私」という、変な主人公モードに行きがちなんです。

そこを時間を切ることで、変な状態に入らずに考える癖がつきやすくなる。とくに仕事やプライベートで悩みがち、いろんな課題があって、上司とうまくいかないというか、家族にも課題があるというときにすごく助かったんですよね。

そうやってこの本の方法を使ってMustとCanを切り分けることで、自分なりに乗り切った経験があるので、今日はご紹介したいなと思って持ってきました。

「そもそも」を問い続ける効果

0秒で動け 「わかってはいるけど動けない」人のための

伊藤:ちなみに、この本は僕の本(『0秒で動け』)を出すにあたって、題名が似ているので「こういう本を出すんですけどいいですか?」と出版社から著者に筋を通していただいたんですよ。それで一応OKをもらって。

篠田:うそ!? 

横石:ゼロ秒つながりですか。

伊藤:結局同じようなことなんですけどね。本当にそういう習慣が大事だし、問いを立てるのも大事で、これはここにも出ている石川善樹さんがよく言っていることで、僕も習慣にしているんです。「そもそも〇〇とはなにか?」という問いをしまくる。

篠田:「What?」の問い。人は「なぜ?」と問いたくなっちゃうけれど、「なぜ?」は不毛だからやめてください。「Why?」「なんであの人はあんなに意地悪なの?」は問いとしてけっこう筋が悪いんですよね。

伊藤:そう。「そもそも〇〇とはなにか?」とそもそもに立ち返って考えると、わりと「こんなことを考えていること自体がそもそも何なのか」みたいな話になって。

すごくびっくりしたのが、どこかで石川(善樹)さんも話しているのかもしれないけれども、ゲーマーの梅原大吾さん。梅原大吾さんは伝説の逆転劇みたいなので有名な方なんです。

梅原大吾さんはいろんなゲームで強いんですが、そのゲームごとに「そもそもこのゲームの強さとはなにか」と考えることから始めるんですって。僕らはそんなことやらないじゃないですか。単に、ある意味MustをやってCanを追求するみたいなことをやって。

篠田:ルールを覚えようとか、そういうふうにしますよね。

伊藤:それをやりまくるじゃないですか。でも梅原さんはそもそもに立ち返って、「この強さはスピードなのか忍耐なのか」みたいなことを考えるんですと。それに衝撃を受けて、「あ、そうか」と。

あらゆることに「そもそも〇〇とはなにか?」と問うと、悩みや「Why?」を考えるんじゃなくて、ぜんぜん違うフィールドで課題を捉えることができるのかな、と今思いました。

篠田:「なぜあの人は私にあんな意地悪を言うのか?」になっちゃうとドツボにはまるんですけれども、「意地悪とはなにか?」と考えると、「私もそういうことを人にしているな」とかちょっと思ったり。意外と変な欲が抜けたりしますよね。

横石:石川善樹さんとはこの間のトークイベントで話していたのですが、「幸福とはなにか」という問いにして千年かけて人類は誰も答えを出していないわけと。それよりも、より良い時間の過ごし方のために我々はどうすればいいかという問いの方が有効だと。問いの質を変えていく必要性もあります。

伊藤:問うことによって、「これは解決がつかない」ということがわかったということだよね。そうすると、次の問いに行けるということですね。

篠田:そう。答えが出ない問いは、問いが悪いので、その問いを変えることで悩みが課題になるようなことだと思います。