教育における「不易と流行」とは何か

安渕聖司氏(以下、安渕):みなさん、おはようございます。

参加者一同:おはようございます。

安渕:夜遅かった方もいると思います。朝一番から教育というテーマに熱心に参加していただいて、大変ありがとうございます。

まず、「そもそもお前がなんでモデレーターなのか」という疑問を持っておられる方も、多々おられるかもしれません。簡単に申し上げますと、私自身ずっと、教育が長期の最もリターンの高いインベストメント、社会投資であると思って、いろんな教育に関わってきました。

もう7年くらい前からお手伝いしているのが、放課後NPOアフタースクールというものをやっているNPO。それからUWC ISAKのファウンダーの1人でもあります。

バングラデシュにアジア女子大学という、社会的・経済的・文化的・宗教的に高等教育を受けられないアジアの女性のための、全額奨学金の大学があって、そこの募金委員をしていたりとかですね。それから至善館という、去年日本橋にできた社会人大学・大学院の理事をやっています。

このように、いろんなかたちで教育に関わっています。今日はこれだけのメンバーに揃っていただきましたので、私自身の学びも含めて、最新の話題から、変えてはいけないことまで、いろんなお話をしていきたいと思います。

事前にメンバーと打ち合わせをして、中室さんからテーマは「教育における不易と流行とは何か」だと。変えてはいけないこと、これからもやり続けなくてはいけないこと。あるいは、これは流行りものであるといったようなものが、いったい何なのかという、1つのお題をいただきました。

新しいものを学び続けていくのが、本当にいいのかどうかということですね。それはもう少し深掘りしていくと、どんどん知識を得ることが、これからの学びにとって本当に一番必要なことなのか、というところにもたどりつくかもしれません。

STEAM教育がこれからどうなるのか

安渕:今日は2つのトピックスを出して、それについて話をしたいと思います。1つめは、これが流行りものなのかどうかというところも含めて、STEAM教育です。

STEAM教育とは、Science、Technology、Engineering、Art、Mathematicsという、5つの言葉を組み合わせたものです。もともとはSTEMだったのですが、ArtのAが加わって、最近はSTEAM教育といわれています。

いろんなところでSTEM、あるいはSTEAM教育についての論文や研究が発表されるような動きも起こってきています。これがいったいどういう位置付けになるんだろうかと。変化の激しい時代に、どんな意味を持っているのかとか。

STEAM教育をいったいどう評価したらいいのか。Artの部分は何なのかとか、そういったこと。それから、教える側のクオリティってどうなの? といろんな意見もあると思います。そういった部分で、STEAM教育の話を最初にさせていただきます。

2つめは非認知能力といわれる部分。これは自制心とか、やり抜く力とかですね。自制心というのは、例えば、チームに対する貢献を支えることもあります。

あるいは、そもそも好奇心とか興味を抱く力というのは、いったいどうやったら開発できるのだろうか。興味がない人に興味を持たせるにはとか。そんなことも含めて、話をしていきたいと思います。

まずはSTEAM教育。例えばプログラミングとかですね。ある部分、デザインシンキングなんかも入ってくると思うんですけれども、このあたりについてはどうですか? まずはプログラミングといえば水野さん、ということで、ライフイズテックの水野さんからお願いします。

教育における「プログラミング」の可能性

水野雄介氏(以下、水野):みなさん、おはようございます。ライフイズテックの水野です。よろしくお願いします。

流行りものなのか、本質的に学ぶべきものは何なのかという観点では、オバマさんが大統領だった4年ほど前に、STEM教育への4000億円の投資を決めて以来、STEM教育は今すごく流行ってきています。

STEM教育の1つに、プログラミング教育があります。コンピューターサイエンスのScienceに入れるのか、 Technologyに入れるのか、Engineeringに入れるのかは置いといて、プログラミング教育は来年から小学校で必修化されます。

お子さんをお持ちの方は、「自分もちょっとわかんないんだけど、子どもにどう教えたらいいのかな」とか。「教えられる先生はいるのかな」とか……。

本来コミュニケーションを目的に学ぶはずの英語が、文法ばかり学んで、結局ぜんぜん使えない教育になっているように、プログラミングも同じように(必修化されることで)嫌いな子が増えちゃうんじゃないかなんて、いろんな考えをお持ちの方がいらっしゃると思います。

僕はプログラミング教育の本質は、クリエイティビティだと思っています。今日はこれだけお伝えできればなと思って来ています。

結局、人間ってなんで学んで、なんで生きているのかと。例えば紙もテクノロジーだし、火もテクノロジーだと考えると、サスティナブルに人類が繁栄していくためにテクノロジーを発達させ続けている。人間ってそれの繰り返しで、ずっと進化してきているんですね。

その1つがインターネットを活用したり、プログラミングを使って、新しいテクノロジーでなにかを生み出したりということ。すべて紙とか火とかと一緒なんですよね。

つまり人間が、誰かが幸せになるためにとか、誰かが喜んでくれるため、楽になるために、プログラミングという手段を使う。

僕らは中学生・高校生に教える仕事をしているんですけど、半径2メートルから世界を変えていこうよと。自分のおばあちゃんのためにとか、お母さんのためにとか、友達のためにとか、自分のために。

そのために何が今課題なのか、みんな何を課題と思っているのかというのを感じながら、それを解決する手段としてプログラミングを使うことを教えています。

プログラミングを学ぶことが目的になるんじゃなくて、「プログラミングを学んで何をするのか」というのが、重要なのかなと思っております。

アントレプレナーシップとプログラミング教育はセット

安渕:水野さんは、アントレプレナーシップというのをよく言っておられますけれども、そこにつながるという感じですか?

水野:そうですね。アントレプレナーシップは、課題解決をしたい、誰かのせいにせずに、自分で行動して社会を良くしたいということだと思うんですね。やっぱりそこがないと。

課題解決を学ぶために、子どもたちには多様性が重要です。多様性を学ぶと、人と自分は何が違うのかがわかって、今度はそれをどう解決してくのかっていう発想になるので。

アントレプレナーシップとプログラミング教育というのはセット。経産省も総務省も文科省もみんな力を入れているっていうのは、アントレプレナーシップもセットだからかなと思ってます。

安渕:ありがとうございます。STEAM教育のAの部分は、福武さんがいろんなところで話しておられます。STEAMの中のA、あるいは教育の中におけるA。デザインシンキングはちょっと近いところがありますけれども、Aについて福武さんは今どういうお考えですか?

福武英明氏(以下、福武):今、STEAM教育とよくいわれますけど、もともとはSTEMだったじゃないですか。そこにArtが入ったことは個人的にはすごくおもしろいなと思います。ScienceやTechnology、Engineering、Mathとかと比べると、少し異質なArt。

さっきも朝食を食べながら、Artをどう評価していくかという話があったんですけど、やっぱりArtが一番評価しづらいんですよね。何かサンプルみたいなものがあって、こういう絵が描けたから美術の評価が高いですよとしたとき、よりはみ出さないように描き始めたり、きれいに色を塗り始めたりというところが出てくるので。

さっきの水野さんの話じゃないですけど、STEMをトータルとしたクリエイティビティをどうやって図っていくのか、伸ばしていくかという取り組みは大賛成です。

しかし、このArtの部分はどう評価をするか。僕は究極評価しなくていいのかなと思います。変な評価軸が入ってくると、余計そこに制約が加わって、クリエイティビティを阻害していく懸念があるので。

個人的には、Artは評価しづらいけど加わることで、残りのSTEMのレバレッジが効くんじゃないのかなと思います。

意思決定プロセスでのArtの役割

安渕:もともとなぜArtなのかと言えば、要するに全部データ(定量軸)でやると答えが一緒になっちゃうことに対する対策だった。会社の意思決定も同じで、統計はじめ、いろんな調査に基づいて意思決定すると、意思決定そのものがコモディティ化してしまうことがある。

そうすると、福武さんもどこかでおっしゃってますけど、最後の二者択一まで精査できれば、あとはどっちでもいいと。そういった意思決定のときに、最後はArtで決める、みたいなことについてはどう考えます?

福武:最後に2つ残ったら、どっちも正解みたいなものじゃないですか。偉い人って自伝を書いたりしますけど、だいたいあれって後付けじゃないですか。

(会場笑)

あとからきれいに書こうと思ったら書けますけど、実はそのときの意思決定ってそんな大したことはなくて。これを言うと話が飛躍しちゃうんですけど、今、世の中にはほとんどもう問題がないっちゃ問題がないじゃないですか。

昔から比べると、今の生活ってすごく便利。Netflixで好きなタイミングで好きなものが観れて、おいしいものを食べに行く暇がなければ、UberEatsで頼める。そういう意味で言うと、ほとんど問題がない世の中なので。

今あるものを効率化するとか、ちょっと便利にするっていうくらいなので。その成果がちょっと早まるとか遅まるくらいだと考えると、あんまり関係ないのかなと。

そういう意味で、クリエイティビティを発揮する上で一番大事な要素は、クリエイティビティコンフィデンスをどうやって育むかというのがけっこう大事で。

今の世の中の仕組みって、クリエイティビティを阻害していくような、削いでいくような流れというのが、たぶんあると感じています。「これやっちゃダメ」とか、「これやっていいよ」とか。

スポーツも似たようなもので、もともと「サッカーしたい」「バスケしたい」という動機の子どもはあんまりいないんですよ。単になんとなくボールを蹴って遊んでると、「それはサッカーだね。サッカーは手を使っちゃいけないよ」とか。バスケなら、何歩歩いちゃダメだよとか、いろんなルールが入ってくる。

子どもはそんなことに興味はなくて、そういうルールさえなければ、かなりおもしろい活動ができたり、発展性があるのではと感じています。ただ、無法地帯がいいかといえば、そういうわけでもないので、そのバランスをどうするか。

子どもが自信を持ってクリエイティビティを発揮できるようにするために、大人はいかに邪魔せずに導けるのかは大きなテーマなのかなと思っています。

削る作業が日本人は下手くそ

安渕:ありがとうございます。もともと「不易と流行」というテーマを中室さんから出していただいたんですけれども。さまざまな研究をデータも活用されながら取り組まれている中で、例えば、最近小学校にも英語とプログラミングが入ってくることなど、中室さんとしてはどう考えておられるんですか?

中室牧子氏(以下、中室):「不易と流行」というテーマは、実は私が安渕さんに提案したんですね。研究者としても、大学で教えている者としても、この不易と流行をどう捉えるかって、すごく重大な局面になってきたなと思うんです。

変化の激しい時代なので、新しく求められる技術やナレッジ、スキルというのは必ずあります。そうなんですけど、学校というのは取捨選択がすごく下手くそで。実は朝食のときに、水野さんからもご指摘があったんですけどね。

小学校から「プログラミング教育をやります」「英語をやります」となると、実はなにかを削らないといけないんです。人間の時間って24時間しかないので、新しいことをやるならば、なにかを削らないといけない。でも、この削るほうが日本人は本当に下手くそで。増やすばっかりなんですよね。

すると教育現場には、非常に負担が高まります。アンダークオリファイドな教員が増えたりとか、しっかりデザインされていない教科書や教材が増えてしまいます。私がとても心配しているのは、たくさんのウサギを追った結果、なにも手に入れることができなかったという事態が起こることです。

やっぱり、何をやって何をやらざるべきかということについても、きちんと考えていかないといけないんじゃないのかな、とずっと思ってきました。

「インターネットが社会を変える」ってどんなこと?

中室:「不易と流行」という話と合っているかどうか、少し心許ないところもあるんですけれども、先日ある雑誌から慶應義塾の特集として依頼された原稿で、昔のことをちょっと思い出しまして。

私自身も慶応出身なので、慶應義塾でどういう教育を受けたかを書いたんですけどね。私、1994年に大学に入学して、95年に大学2年生になったんです。その年にWindows95が発売されました。ご記憶がある方がいらっしゃるかもしれませんが、あれ1日で400万本売れたらしいんですよね。

そのときを境に「インターネット」という言葉が、日本全国に広がったわけですね。私が当時通っていた慶応の湘南藤沢キャンパスは、まさにインターネット発祥の地、今の環境情報学部長である村井純先生は、インターネットの父といわれて、日本におけるインターネット技術の発祥の地になっていたんですね。

翌年の96年に『WIRED』という雑誌で、村井さんが実はこんなふうに言っているんです。「インターネットが重要だということは俺はもう十分言った。このあとの社会はみんながその重要性に気づいて変えていってくれるだろう」と。

私は当時その雑誌を生協で見て、「このおじさんは何を言っているんだろう?」と思っていたわけです。Windows95が売れているというのはわかるけれど、それが社会を変えるというのは、どういうことなんだろうって、やっぱり想像はできていなかった。

その20年、30年後に何が起きるか、私はまったく想像ができなかったんです。村井さんの授業を受けて、当時もC言語とかなんとかというのは学びましたが、それがどう社会を変えていくのかまでは予想できていなかったんです。

教育にはこの2つの面、技術や知識、スキルの獲得や学びという側面と、技術や知識をどう実装、運用して、社会を変えていく力を獲得する側面がある。先を見通す目というようなものも両方必要とされているんだなと。

私自身は、村井さんが社会を変えている現場を見て、そういうことを叩き込まれたところがあると感じています。教育現場には、まさにその場にいる人たちが将来を見る目を持って、社会を変えていく力があるかどうかが求められているんではないか、ここがネクストジェネレーションの教育機関に求められる、すごく重要な資質じゃないかなと私は思っています。

最終的に「幸せ」に焦点を当てなきゃいけない

安渕:すでに存在している法則が、未来に向かって何を変えるかということ。コンテクストを創造する力というのは、例えばビル・ゲイツなんかも言っていて。ビル・ゲイツはムーアの法則が本当だったら、コンピュータはすべてタダになる、ハードウェアに価値はなくなるっていうことで、ソフトウェアに行ったというのが、ある本に書いてあります。

今もうすでに世の中にいろんなことがあるんだけれども、それが20年後にどうなるかは、なかなか予測できないし、それを本当に突き詰めて考える力というのも、身につけるのは一筋縄ではいかないということですよね。そのときに気がついていれば、今日、中室さんは違う仕事のCEOかなんかで登場しているかもしれないですよね。まったく違うことをやっているかもしれない。そんなことですよね。

そういったことも含めて、高濱さんはいろいろ子どもたちにも教えていますし、STEAMのAもやっている。いろんな観点から見ていますし、教育全体についてもいろいろお考えをお持ちですね。「少し手短に」と言っておかないと、このあとずっと独演会になっちゃうのでね。

高濱正伸氏(以下、高濱):すみません。癖があるものですから(笑)。

安渕:よろしくお願いします。

高濱:今の3人の話を聞いて、3時間くらいしゃべれるなぁと思って。

(会場笑)

今集まってらっしゃるのも教育で仕事をしようとか、我が子のことをどうしようという問題意識があって、おいでになってるんでしょう。まず、確実に言えること、公理みたいなこと、ここは間違いないっていうポイントから話します。

とにかく、変化が激しい時代であることは確定。技術がすごく進化することは確定。あとはやっぱり、最終的に幸せというものに焦点を当てなきゃいけないだろうと。

つまり、プログラミングの議論だけが1人歩きしてしまい、結局、最終的に何が起こるかが見失われがちなんですよね。「広げなきゃいけないですね~」「絶対広げなきゃいけないですよ!」みたいな話ばっかりしちゃう。

松山大耕さんと一緒に本を出そうという企画があって。『俺たち農学部』という。

(会場笑)

なにかというと、高濱でしょ。マネーフォワードの辻(庸介)くんでしょ。お坊さんの松山大耕でしょ。遺伝子の高橋祥子でしょ。ユーグレナの出雲(充)くんでしょ。あとヤフーの宮澤弦ちゃんとかね。もっと出すと三浦瑠璃とかですね。(注:いずれも農学部の出身)もう、それぞれまったく違う!

常に「希少性」を見続けなければならない

高濱:この多様性の中で共通しているのは、何かを育てようということや、リアルな何かを題材に仕事をしているところ。(松山氏と)種とか木とか動物とかを学んだことを原点に持っているのは、おもしろいよねというような話をしたんですけどね。

そこで松山大先生が、すばらしいことをいっぱい言ってました。例えば英語。彼はお坊さんとして、英語を話せたことがすごく役立ったと。中3のときにお父さんに言われて、たった1人で1週間アメリカに滞在した。「これはいかん」と、帰国後に駿台のテストを受けたら0点だった。その体験が動機づけになって、めちゃくちゃ英語を勉強したんだそうです。今はあれはものすごく役立ったと。

一方で、自分の娘に同じことをやらせたいとは考えていない。なぜかというと、彼の英語が役立ったのは、希少だからなんだっていうことです。ここの本質の見極めですよね。

今、お坊さんで英語をあんなにベラベラしゃべれる人はいないから、めちゃめちゃ価値が生まれるけれども、これからはいっぱい出てきますよね。

もちろん英語はできたほうがいいけれど、今さら価値っていうことはない。僕はプログラミングも、これからは標準装備になるはずなので同じように思っています。

実際、30年前に「パソコンが触れるといいよね~」とみんなが言っていたけど、もう普通に触れるじゃないですか。これだけプログラミング、プログラミングと言って、紆余曲折の末、標準装備になるでしょう。いかにして、我が子や身近な人に価値を持たせるかというと、常に希少性だという本質は変わらないんですよね。

そういうところに目を付けていかないと、議論のための議論のようなものにどんどん流されてしまいます。見る目というのが大事かなって。

安渕:仕事という感覚でいくと、いったい何と何を組み合わせれば、レアな存在になれるのかみたいな話ですよね。今もまだ少ないですけど、昔は「英語×禅宗僧侶」というとものすごく珍しかった。

ところが、これからは何をかけ合わせるか。プログラミングと英語が標準装備になる世界で、じゃあ何をすれば自分は人と違う存在になれるのか? みたいな新しい質問が生まれてくると。

ここからは順番に指名してもつまらないので、お互いに指してもらったりしながら、適当にやっていきたいと思います。