なぜ英語を社内公用語にしたのか

司会者:続きまして、第1部「なぜ、生き残るために英語公用語化が必要であったのか?」をテーマにHENNGE株式会社執行役員社長室長、汾陽祥太様にご登壇いただきます。それでは 汾陽様よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

汾陽祥太氏:みなさん、こんにちは。今日は「なぜ、生き残るために英語公用語化が必要であったのか?」というテーマで45分ほどお話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

先ほど中村さん(レアジョブ代表取締役社長)からお話がありましたが、「Chances for everyone, everywhere」、毎日この言葉をレアジョブさんの授業で聞いております。非常にいい言葉だなと思います。

私も実際、2014年から英語学習を始めて今に至っています。英語力は自分でもまだまだ足りないなぁと思っておりますが、中村さんが先ほどの冒頭挨拶でおっしゃられたように、英語を勉強してビジネスで活用することで、世界は本当に広がりました。それは私どものビジネスだけではなくて、個人としても非常に活動範囲が広がったと体感しています。

我々はHENNGE(ヘンゲ)という会社なんですけども、なぜ我々は英語を公用語化しなければいけなかったか。その中でどういったstruggle(悪戦苦闘)をしてきたのか。またどういった結果、成果が得られたかというところを、今日はお伝えしていければと思っております。

それは2014年のことでした。「I won't speak Japanese anymore!」。

経営会議の中で弊社の社長から出た言葉でした。「もうこれ以上日本語をしゃべりたくない」という言葉でした。すべての始まりは、ここからでした。

1996年設立、東証マザーズ上場のIT企業

私は会社員でもあるので、会社の案内を少しだけさせてください。HENNGE株式会社という、ちょっと変わった名前の会社でございます。1996年に設立して、現社長である小椋が学生時代に起業した会社です。

24期目を迎えまして、東京の渋谷にオフィスを構えております。大阪、名古屋、福岡、そして台湾に拠点があるような会社です。従業員数としては約160人で事業をやらせていただいております。

こちらはJR品川駅の新幹線口の広告なんですけれども、こんなかたちでここ5年ほど我々の広告をずっと出させていただいております。

「へんげ!」としか書いていないので何の会社かわかりにくい部分もあると思いますが、もし出張などで品川駅をご利用の際は、ご覧になっていただければ幸いです。

おかげさまで昨年10月8日に、東証マザーズに上場を果たすことができました。みなさまのおかげです。ありがとうございます。

僭越ですけれども自己紹介でございます。非常にめずらしい苗字でございまして、この漢字で汾陽(かわみなみ)と読みます。私も親姉妹以外は汾陽さんに出会ったことがなく、初見で読まれたこともない変わった苗字なんですけれども。汾陽(かわみなみ)と申します。

今42歳で、執行役員をやらせていただいています。社長室長をやっておるんですけれども、自称「Englishnization Evangelist」という肩書きでいろんな活動をしています。この肩書きについては、のちほど触れていきたいなと思っております。

いろいろ書いておりますけども、基本的に私は、2014年までは本当に純然たる日本人で、ドメスティックの仕事しかしたことがない。海外旅行も新婚旅行くらいでしか行ったことがないような人間でした。

「HENNGE One」という、BtoB、企業様向けのクラウドのセキュリティサービスを提供しております。企業様でお使いのクラウドサービスをご利用されるときに、会社のパソコンであったり会社対応の携帯からはログインを許可しますけれども、家のパソコンや個人の携帯からはログインを許可しないようにするセキュリティをご提供している会社です。

個人または会社における「英語公用語化の動機」は何か

(会場で配布された)パンフレットに「以下の課題を持つ企業様におすすめです」と書かれています。おそらく今日の参加者は、企業で英語教育の担当をされていたり、人材開発または人材教育、または人事の担当の方が多いのではないでしょうか。ということで、その方に向けたメッセージを少しお話ししていきたいと思っております。

大きく、「なぜでしょうか?」と問いかけさせていただきます。

今日は、なにか学んでいきたいなと思って参加してくださったわけだと思うんです。

ひょっとすると「上長から言われました」とか、「実際に外国人を採用して、いくつか課題を感じてるよ」とか。「グローバルな部門に所属していて、外国の方との取引が頻繁にあるので英語の力を伸ばしたいなぁ」、または「個人的に自分の英語力を伸ばしたいなぁ」みたいな。いろんな課題を持って、今日来てくださっています。

「個人として」「会社として」と、2つカテゴリーを分けております。個人は今日はあまりターゲットにならないんじゃないかなと思っております。個人としてならば、非常に簡単です。単に「やりましょう!」と言うだけです。

「会社として」となったとき、これは個人よりちょっと大変なんですね。なぜならば、もちろん自分がやるんじゃなくて社員、同僚のみなさまにやっていただかないといけない。

そのためには、どうしても社長、上長、部門長といった責任者の方のコミットを手に入れないといけない。そのところは、このあと第2部で田上さん(弁護士ドットコム株式会社 取締役)からもお話があるはずです。

繰り返しになりますが、個人または会社の「なぜ?」というところを、心に思い浮かべていただければなと思います。

エンジニア採用難のなかで現れたベトナム人インターン生

さて、それでは我々の会社HENNGEにとっての「なぜ?」は何だったのかを振り返っていきましょう。

HENNGE's Englishnization。HENNGEでの英語公用語化。

時は2013年……この絵に悪意があるわけではないです。「ガチャ」と書いてあるので、この絵を選んできたんですけども。我々の業界で言うところの、ガチャバブルという時代がありました。

スマートフォンのソーシャルゲームアプリがものすごく流行って、ガチャガチャを引くとレアキャラが貰えますよ、アイテムがもらえますよというので、多くのユーザー様が課金をされた。

これによって何が起こったかと言うと、エンジニアの採用難でした。もともと我々HENNGEという会社はHDEというという会社でしたが、2011年当時、これから伸ばしていこうというタイミングで開発者が1人も採れなくなりました。

さらに運の悪いことと言うと変ですけれども、先ほどのゲームを作られているような大手の会社様に、弊社のエンジニアが高給で引き抜かれていくような事象まで起こりました。このままでは弊社は立ち行かなくなるという経営危機に陥っておりました。

そんなときに現れた者がいます。彼でございます。Nさん(シンガポールの大学でコンピュータサイエンスを学んでいるベトナム人)です。

ベトナム人らしいですと。出身大学は日本でいうところの東京大学や東京工業大学のような、いわゆる国立大学のトップだったんです。でも、当時は知りませんでした。

ベトナム人、トップの大学、こちらでコンピュータサイエンスを学んでいるNさんが授業でインターンをやらなければいけないと。インターンをしないと単位がもらえない。さらに日本にすごく興味を持っているので、当時我々の会社HDEでしたけれども、「HDEさん、どう?」っていうお声を、たまたまいただきました。

日本語の話せない外国人を受け入れてみてわかったこと

我々経営陣は「なんか楽しそう、おもしろそう」と思って二つ返事で「いいよ、いいよ」とお返事してしまいました。それで、現場に落とすわけですね。「ちょっとインターンが来るらしいよ。プログラムすごくできるらしい、ベトナム人の方が来るんで。よろしく!」みたいなことを言って。

現場は、「え!? なんすか、それ。ベトナム人!? 大丈夫なんですか?」「ところで、彼って日本語できるんですか?」そんなところまで頭がぜんぜん働かなかったんですね。

Nさんに聞いてみました。「Nさん、日本語ってしゃべれ……」もう食い気味に「いや、無理っす! もちろんできません」と言うので、どうしようと。そう言っている間に来ちゃうわけですね。Nさん。

1個だけ運が良かったことがあります。バックオフィスにいた人間なんですけども、社内に1人、「僕英語できます」という人間がいたんですね。「え、そうなの? なんで?」「僕海外で生まれました」「そ、そうだったの!?」みたいな(笑)。それすら知らなかったんですけれども。

英語が話せる人間が1人いたので、彼にドキュメントを英語にしてもらったりして、「コンピュータのプログラミングができるんだから、プログラミング言語は共通言語としていけるんじゃない?」ということで、最終的に来てもらうことにしました。

Nさんに来てもらって何がわかったかというと、まずめっちゃ優秀だったんです。シンガポールのトップレベルの大学、これはQS世界大学ランキングという、いわゆる情報系で強い大学のランキングなんですけども、東大よりもハーバードとかに近いみたいなんですね。彼は普通の人は入れないような大学に行っていた。

プログラミング、超できました。めちゃくちゃまじめでした。「ちょっと仕事やりたいので土曜日とか日曜日も来ていいですか」みたいなことも。さらにはやっぱり異文化が入ってくることで、社内がすごく変わりました。

さっき言った海外生まれの人間です。英語でめちゃくちゃコミュニケーションしたり、土日に浅草寺へ連れていって「この間一緒に行ったんだよね」とか。「わぁすごいな、そんなに英語しゃべれるんだ、彼」みたいなかたちで、彼もどんどん実力を開花していった。

たどり着いた、GAFAの新卒年収1,800万円という事実

僕もNさんとランチを食べに行ったときにいろんな話をして、つたない英語ながらいろんな話をすると、本当に驚きばっかりですよね。彼は「え!? 日本のmonk(お坊さん)って結婚するの!?」とびっくりしていました。「お坊さん結婚していいの!?」みたいな。そんな文化の違いもあるんだと分かったりして、ものすごくいいことがあった。

ものすごく優秀だったし、僕らは彼をものすごく気に入って、エンジニアは喉から手が出るほど欲しかったのもあり、「うちに就職しなよ」と言うと、彼は「すみません。僕は実はシンガポールの国費で奨学金をもらっていて、シンガポールの大学に行ってそれを返さないといけないという契約になっているので、シンガポールで就職します」と。

「ああ、そうか。残念だ。ところでさ、もしシンガポールで就職したらどれくらい稼げるの?」と聞いたところですね、この数字が出てきた。新卒で年収800万円以上もらうって言うんですよ。「え~!?」と。

僕らは500万円くらいのプログラマーがゲーム会社さんに600万円、700万円で採用されていって、人手が足りない。そうやってうちの社員が引き抜かれていくのを見ていた中で、「シンガポールってそうなの!? 」と。

よくよく調べていくと、GAFAでは新卒で年収1,800万円もらうらしいと(笑)。本当にそれまで我々は海外のことを知らなかったんですね。世界はそんなことになっているのか、と。

一方でNさんに、「もしシンガポールで就職できなかったらどうなるの?」と聞いたところ、「ビザの問題があってベトナムに帰るしかないです」と言うんです。

「ベトナムに帰ったら給料はどれくらいなの?」って聞くと、「60万円くらいです」と言うんですね。今はもう少し上がっているみたいですが、当時エンジニアで東工大より優秀な大学院を出ていてもこれくらいだった。

日本で働きたいアジアの優秀な学生が、日本に来ない理由

そこで僕たちは思いました。同じような人がほかにもいるんじゃないか。さっき言ったように、東京大学や東工大のような国立のナンバー1の大学、ナンバー1の工科大学はどの国にもあるんですね。ハノイ工科大学だったりバンドン工科大学だったり。

(現地に)行きました。そうすると、いました!

さらにインドネシアに行こうが、マレーシアに行こうが、ベトナムに行こうが、タイに行こうが、みんなが「ドラえもんを見て育ちました」「Pokemonやってます」「ドラゴンボールで僕は悟空が大好きです」「スラムダンクが……」。

みんなアニメが大好きで、最近の最新アニメまで追っているような、日本のことが好きな学生たち、そして優秀な学生たちがたくさんいました。シンガポール以外のアジアの国々は、やっぱり大学院を出ていても当時の平均年収は60万円から120万円でした。

僕たちは宝の山を見つけたと思いました。「みんなおいでよ。日本で働こう。僕たちと一緒に働こう。僕たちと一緒に世界を変えていこう」という話をしたんですけども、どの国へ行っても、こう言われました。

「行きたいです。ものすごく日本で働きたいです。でも、僕たちは日本語が話せないので諦めているんです。何度かチャレンジしたんですけど、日本語はすごく難しい。だから日本で働くという夢を諦めているんです」と。

そうしたら、我々の社長が「我々が英語しゃべったほうが早いんじゃないかな」と。

当時我々は100人くらいの会社でしたので、こんなにたくさんの学生を採るなら、学生たちに日本語を学ばせるんじゃなくて我々が英語をやったほうがいいんじゃないかということで、冒頭の経営会議の言葉ですね。「もう日本語はやめよう」となった。

TOEIC平均495点からのスタート

まずは経営陣からということで、「君たち英語を勉強しなさい。僕もやります」というところからスタートしました。即、10年選手の社員が「もう無理です」と言って辞めてしまいました。これはもうしょうがないです。誰か辞めてしまう人もいるだろうなというのも折り込み済みで、私たちは決意したんです。

2014年でしたので、「3年後の2016年に会社の公用語を英語にしよう。明日からはもちろん無理だけど、3年あればなんとかなるんじゃないか」ということで、会社にどうやってアナウンスをしていこうか。どういう教育プランを考えていこうか。そういったことを考えながら私は社員のみなさんに向けて発表しました。

結果、当時100人くらいの会社でしたけれども、5人から6人くらいが、これだけが理由ではないと思うんですけども、英語化というところに反発をしたり合意を得られなくて辞めていってしまいました。

これは英語公用語化に伴う痛みだという割り切りをして、我々は泣く泣く諦めました。

Englishnizationに向けてまず何をやったか。わかりやすいです。とりあえずみんなでTOEIC団体受験をしようということで、公民館を借りて100人で団体受験を受けました。これはリアルです。会社のアベレージ、平均点495点でした。

こんなもんだよ、ここからがんばろう。それぞれのレベルに合わせてメソッドを考えていきました。

給料、授業料、飛行機代オール会社負担の「セブ島送り」で社員が変わった

次なる試練が待ち受けていました。開発が足りなくて英語を公用語化しようと言っていたのに、開発部長が大反対しました。

「無理ですよ。今から英語なんて絶対無理です。英語でマネージャーとして部下のマネジメントなんて無理です。部下も辞めちゃいます。今なんとか残ってるメンバーでサービスを維持しているのに、辞めちゃったらサービスの維持すらできなくなる。新規開発どころじゃない、無理ですよ!」と大反対しました。

1ヶ月くらい悩みました。そして出た結論が、のちに名物となる「セブ島送り」です。

彼に「3ヶ月後、君はセブ島に行くんです。君はマネージャーでしょ。あと3ヶ月で君がいなくても部門が回るように整備してください」。

そして「1ヶ月間、あなたの仕事はセブ島で英語を学ぶことです。1ヶ月間会社のメール、チャット、業務はやってはいけません。会社に連絡もいりません。英語だけに集中してください」。飛行機代、授業料、泊まるところ、そして1ヶ月間の給与を保証しました。

彼は渋々セブ島に行き、1ヶ月後帰ってきました。

1ヶ月間、セブ島でフィリピンの先生と英語を毎日毎日やることで、もちろんFluent(流暢)に英語がしゃべれるようにはなりません。英語を使うことによる楽しさ、英語を学ぶことの楽しさ、そして英語を使って海外の人とコミュニケーションを取る喜びを知ってしまいました。

そして当時、なんとか採れた技術者の内定者が1人だけいました。11月くらいだったんですが、電話で「あのさぁ、うちさ、公用語を英語にすることを決めちゃったんだけどさ……英語とかってどう?」って聞くと、「いやいや、できませんよ!」と。

「そうだよね。卒業旅行とかそろそろ決まってるかな?」「いや、まだなにも決めてないです」「じゃあ3月、セブ島どうかな!」ということで、彼にもセブ島に行っていただきました(笑)。

(会場笑)

もちろん会社がすべて費用を負担したんですけども。今は彼は、入社4年経つんですけれども、TOEIC 965点。日本人で、日本でしか生活したことがないですけれども、社内で一番英語のできる人間になっています。