2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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朝倉祐介氏(以下、朝倉):今日、2日目、朝一のセッションということで「シリコンバレー最前線~今世界では何が起ころうとしているのか~」をテーマに、このお三方にお話をうかがおうと思います。最初に会場のみなさんにお話をうかがおうと思うんですが、シリコンバレーで、あるいはシリコンバレーと関係するお仕事をなさっている方は、どれぐらいいらっしゃいますか?
(会場挙手)
けっこういらっしゃるんですね。ありがとうございます。じゃあ、その方々にプラスして、会社としてゆくゆくはシリコンバレーと関係する仕事をしたい方は、どれぐらいいらっしゃいますか?
(会場挙手)
これでだいたい半分弱ぐらいですかね。じゃあ、シリコンバレーで仕事をしたいわけじゃないけれども、日本で事業をする上で、シリコンバレーの事例を参考にしたい方は、どれぐらいいらっしゃいますか?
(会場挙手)
ここがやっぱりマジョリティということですね。主に、日本でシリコンバレーを参考にしながら事業展開をしたい方々を念頭に置きながら、何か役に立つ話ができればと思います。
では、最初は本当に基本的な質問ですが、いつからシリコンバレーにいらっしゃるのかと、暮らし始めてから今までの間でシリコンバレーで変わったこと・変わらないことというのを、お一人ずつお話をうかがおうと思います。じゃあ、まずキヨから、小林さんからお願いします。
小林清剛氏(以下、小林):小林です。6年ぐらい前にサンフランシスコに引越して、今Chompというモバイルアプリの会社をしています。あとは、Tokyo Founders Fundという会社で、アメリカを中心に30社ぐらいに出資しています。
変化として体感するのは3つぐらいありますね。1つは、女性が活躍するようになったところです。これは日本がすごく見習うべきところかなと思います。シリコンバレーでは、どんどん女性のポジションが上がっていっています。日本人の女性が現地でPotluckというコミュニティーを作って情報も発信しているので、そういうのを見るといいかもしれません。
2つ目は、プライバシーに関する関心がすごく高まりましたね。街中でも、おばちゃんに「あなたはFacebookについてどう思うの?」みたいなことを聞かれたりするぐらい、プライバシーに関する問題意識が高まっています。
3つ目は、シリコンバレー外への関心がすごく高まっています。リモートでの働き方みたいなのはとても増えていますね。シリコンバレーの投資家も「シリコンバレー外でどうチームを作るか」みたいなことをけっこう積極的に押し出しています。そういったリモートでの働き方みたいなのも、ここ数年で大きく変わってきたところかなと思っています。
ざっくりですが、始まりはこんなところでいいですか?
朝倉:はい。ありがとうございます。後々また深堀りしていければなと思います。それでは次、同じ質問をアレンさんお願いいたします。
アレン・マイナー氏(以下、アレン):シリコンバレーに住み始めたのは、ユタの大学を出て、新卒でOracle本社の国際部門に入った1986年からですね。
当時から今にかけてシリコンバレーがどう変わったかというと、そのときはIT産業を支え、急成長している会社は4〜5社ぐらいしか記憶にないんです。Intel、Oracle、Hewlett-Packard、Apple、あとあったかな……という感じです。
その4社がどんどん発展して、それぞれのカルチャーを作りました。パラノイドなIntelの卒業生。セールス&マーケティングで超アグレッシブなOracleの卒業生。非常に日本的な経営のもと、仲間と一緒に楽しくクリエイティブに、お互いに支え合うチームワークのHPの卒業生。世界のどこかに欲しがっているお客さんがいるかもわからないけど、聞くまでもなく自らクリエイトするAppleの卒業生。
その4つのカルチャーを持った会社がどんどん大きくなって、そこからキャピタリストや起業家が生まれたました。あの頃の4社に何らかのかたちで関わっている人たちから、現在のシリコンバレーのVC(ベンチャーキャピタル)や起業家が発展しました。4社が引っ張っていた時代から、今では数え切れないぐらいのイノベーティブカンパニーがいっぱいあります。
後でまた触れますけれども、もう1つ大きなポイントとして、僕がシリコンバレーに住みはじめた時には、けっこう広いアパートも700ドルで借りられました。ロフトベッドルームがあって、キッチンがあって、かっこいいアパートですね。デイリーシティという郊外なんだけど、Oracleには車で15分ぐらいで通勤できるエリアに安く住めました。給与がそこそこ高く、僕1人で普通に働けば、4〜6人の子どものいる家庭を支えられるような時代でした。
その1年後、東京に来た時に賃貸物件の情報を『The Japan Times』で見たら、1ベッドルームで150万円。一軒家の家賃150万円って数字を見て思ったのは、「日本、おもしろいね。アパートを1年契約で貸すんだ」って(笑)。
(会場笑)
これがバブルの時。だから、シリコンバレー立ち上がり当時にバブルだった日本に来た時の、cost of living shockをよく覚えています。
変わっていないことは、社会インフラに対する投資がまったく進んでいない点。当時も、BART(注:サンフランシスコ・ベイエリア高速鉄道公社が運営する、サンフランシスコ郡、アラメダ郡、コントラコスタ郡、サンマテオ郡の4郡をつなぐ鉄道)、Caltrain(注:サンフランシスコから郊外のギルロイまでの約77マイルを結んでいる通勤列車)、MUNI Busはサンフランシスコ市内しか走っていない。
今Maas(Mobility as a Service)が流行っている理由は、行政が30年間、まったくインフラへの投資をしていないからです。行政は教育にもまったく投資をしていない。アメリカ人以外の国民が想像するような「行政の役割」をアメリカの行政は果たせていないので、一部の心優しい成功者のフィランソロピーで社会を回さないといけない部分は変わっていない。
だから、……「だから」以降の、理由は後で話しますが、僕はサンフランシスコの将来に対して非常にネガティブに見ています。
宮田拓弥氏(以下、宮田):(笑)。
朝倉:ありがとうございます。ご参考までに、2015年から2017年まで僕もスタンフォードへ行っていました。その時に住んでいたパロアルトの最初のアパートがコンドミニアムというのかな、築20〜30年ぐらいの古いコンドミニアムでしたけれども、2ベッドルームで4,500ドルなんですよね。
だから、同じ家賃だと六本木ヒルズレジデンスの2LDKぐらいには住めるよな、みたいな。ボロボロの建物なのに。
小林:うちは今2ベッドルームで5,000ドルなので、日本円で60万円ぐらい。
アレン:あっ。家賃の話題を拾ってくれたね。
小林:(笑)。
アレン:昨日、調べたんですけど、アパートの面積あたりのコストだと、ニューヨークが世界一イメージがあるじゃないですか。ぎりぎり、サンフランシスコが超えだしましたね。その街で一番高い100平方メートルのアパートをWebでさっき調べたら、一番高いニューヨークのアパート、五番目ぐらいに高いサンフランシスコのアパート、一番高い港区・中央区・千代田区のアパートが同じくらいです。今、面積あたりのコストは、サンフランシスコが1位です。
サンフランシスコは一番住みにくくなっているのに、経済圏としては日本の100分の1ぐらいしかないし、人口も30分の1ぐらいしかない。そんな小さい町に住めなくなっているというのが、最近の一番重要なトレンドだと思っています。
小林:そろそろタクさん(宮田氏)にいかないと(笑)。
朝倉:はい、どうぞ。
宮田:アレンさんから比べると、シリコンバレーで暮らし始めたのはわりと最近で、僕は今8年目です。日本ではたぶんあまり使わない言葉なんですけど、僕がファンドを始めた時ってちょうどエンジェルがスーパーエンジェルと言われ始めた時期でして、僕も2010年ぐらいから個人でエンジェルを始めました。
アメリカで5億円とか10億円から、30億円ぐらいの規模で、個人がちょっとファンドになるみたいなものがあったので、僕もファンドをやってみようと始めたのが2013年です。
当時はだいたい50億円以下のファンドってたぶん30〜50個ぐらいで、だいたい全員の名前がわかって、今の日本のマーケットと同じぐらいの感じだったんですけど、今は正直言って数がわからない。たぶん1,000ぐらいはVCがいます。とにかくVCの数がめちゃくちゃ増えて、お金を調達するのがいかに簡単になったかのが、僕の仕事に関係あるところでは一番変わったところかなという気がします。
あともう1つは、僕自身も昨日、台湾から来たんですけど、さっきキヨが言っていたのと同じで、シリコンバレーが中心でそこだけ見ていればいいという時代は確実に終わっています。アメリカのVC投資も激しく伸びている一方で、たぶんアメリカの比率が下がっているのが現状だと思うので、世界中でイノベーションが起きている、アメリカのプレゼンスが下がっていると感じています。
朝倉:ということは、VCってものすごくローカルなビジネスだってよく言いますけれども、少し前まであればシリコンバレーで完結していたのが、シリコンバレーにいる人でも、どんどん外に目を向けなきゃいけない、そういう雰囲気になってきているということですか?
宮田:うん。そういう意味でスーパーエンジェルの頃のはたぶん、アレンさんがいた時とか昔と同じで、「目の前にいる昔から知っているやつが起業してそこに投資する」「車で5分で行けるところにしか投資しない」という時代でした。でも、たぶん20年ぐらい前からデータ分析をしたりプラットフォームを使ったりして投資するようになってきたので、実はヒューマンタッチなビジネスからかなりシステマチックなビジネスに変わってきています。
VCって普通は2〜3人でできるビジネスなんだけれども、僕らの会社は20人ぐらいいて、けっこう人もかけるし、PRとか人材採用とかマーケティングとか、いろんな機能を担う。VCというビジネス自体も、すごく変わっているかなという気がします。
朝倉:そういう意味で言うと、これは日本も他人事ではないですね。例えばアメリカの、それこそシリコンバレーの著名VCでもけっこう日本のマーケットを見ています。日本にオフィスはないんだけれどもシンガポールにヘッドクォーターを持ってAPAC見ているようなチームって、レイターステージのスタートアップなんか、相当見ていますよね。
僕らもいろんなスタートアップとお会いしますけれども、そこでかぶったりします。「こんな海外のVCが日本のスタートアップを見ているんだ?」というぐらい。今年に入ってから急激に増えた印象があって、そのうちみなさんも目にする機会が出てくると思いますね。「あのシリコンバレーのVCが日本のスタートアップに!?」というのを見る機会が、絶対に出てくると思います。
朝倉:では、最初の質問が終わったところで、お三方とも、もともとシリコンバレーのご出身ではないわけですね。じゃあなんでわざわざシリコンバレー、土地としてはベイエリアですが、そのベイエリアで勝負をしようと思ったのか。あと、シリコンバレーが変わってきたことを踏まえて、これから先もシリコンバレーに張り続けようと思うのかどうなのか。そういったところをお聞かせいただければと思います。どなたからでもいいので、話しやすい方からどうぞ。
アレン:最初、シリコンバレーに行きたいと思った理由は、すごく簡単に言うと3つあります。1つは、Oracleが有能な学生に払ってくれる給与が他のどこよりも15〜20パーセントぐらい高かったこと。僕はAIかコンピュータグラフィックスのプログラミングをやりたいと思っていましたが、給与で興味を持って「データベースはつまらなさそうだな。だけど、給料がいいから話を聞いてみよう」と思ったのが1つです。
もう1つは、面接の最初の質問がエンジニア関係の質問ではなく、「日本語が話せますか?」で。「えっ? プログラマーが日本語を話せるということが……? なんでそんな質問するの?」って。ちょうどその時に日本での立ち上げに苦労していたから、Oracleを日本語化するエンジニアが欲しかったようです。「大好きな日本と大好きなコンピューター。一緒にできる仕事があるんだ!?」という、仕事内容に惹かれたのが2つ目。
インタビューのきっかけは給与。興味を持ったのは仕事内容。3つ目に惹かれたのが、いろいろ会いに行ってインタビューすると、会う人会う人、すごく頭がいい。戦略を聞けばその戦略がすごくクレバーで、人もみんなクレバー。「この仲間に入りたいな」って、人の魅力に惹かれてOracleに決めたんですね。
宮田:僕も2つあって、1つ目はたぶんアレンさんと同じで、この業界にいるならやっぱりシリコンバレーにチャレンジしたい、Googleもあるし、Appleもあるし、というすごくシンプルな理由です。あとは、さっきの住みにくい話とは少し矛盾するんだけれども、天気がいいですよね。やっぱり純粋に、住みたい。
アレン:家内が日本に戻りたくない理由はそれです。
宮田:これはね、もうとにかく気持ちいいんです。だから、家賃が高いとか住みにくい、道がボロボロとかっていうのがありつつも、天気が最高。それがけっこうでかいかな。
小林:でも一方、サンフランシスコはけっこう住みにくいですね。さっき言ったように2ベッドルームで家賃が60万円もして、ホームレスも数千人いて、SoMaっていう一応スタートアップが一番集まっているところで道を歩いていると日々注射器を打っている人がいて……みたいな雰囲気なので、サンフランシスコに住むのはけっこう大変なんです。
それでもなんで住んでいるかというと、やっぱりサンフランシスコって、世界中に使われるようなプロダクトを作るのには世界で一番いい場所だと思っているからです。Facebookとかそういった世界中で使われているプロダクトを作っている人たちも集まっていますし、それに対して出資をしているタクさん、アレンさんのような投資家もたくさんいる。世界中が注目していて、しかもそこで新しいプロダクトが毎日使われているわけですね。
起業家という視点で言うと、そこに住んでいて、自分が関わる分野・業界で新しいものを使い続けて、それでも自分が欲しいものとか自分が何か足りないと思っているものって、世界でまったく新しいものの可能性があるじゃないですか。なので、起業家としては、そこにいてプロダクトを考えることはすごく大事なことかなと思っています。
今後、起業家が世界中にプロダクトを届けるには、中国・インド・アメリカが大事だと思うんですけど、そこの中でもアメリカの西海岸がやっぱり世界で日本人の起業家にとって最もフェアな場所だと思っています。
なので、サンフランシスコで日本人の起業家がうまくプロダクトを世界中に届けるところに対して「再現性」を作りたいなと思っていて、僕はサンフランシスコにずっといたいと思っています。
朝倉:それで言うと今、日本人で西海岸で挑戦している起業家って何人ぐらいいるのかな?
アレン:たぶん(宮田氏が)一番わかる。僕はもう、わからない。
宮田:たぶん30人弱ぐらいかな。
朝倉:やっぱり多いのはインド系とかですね。例えば台湾系、中国系、韓国系ってなったら……。
宮田:たぶんそれは1,000倍ぐらいいるでしょう。
朝倉:1,000倍ぐらいいますよね。
アレン:それはすごく簡単な理由があって、日本のバブル経済ですよ。1980年代、中国・インドは自国でおもしろいチャレンジングな仕事がなかなかなくて、大学院でアメリカに行って勉強して、シリコンバレーに残った。シリコンバレーが1986年から今までどんどん発展している中で、彼らがまず新卒として入って、経験を積んで人脈をいっぱい作って、残って、起業して。その繰り返しです。
1980年代はアメリカ人が「日本に住みたい」と言った時代です。日本人が社会にインパクトを与えるためにわざわざアメリカに行くことはなくて、「東京から世界を変えるんだ」という時代でした。当時の日本人の優秀な若者は、みんな日本に残っているんですよ。日本から世界を変えようとしていた。シリコンバレーがその間に発展してきて、日本人は仲間に入れてないんですね。
アレン:(小林氏に対して)先ほどシリコンバレーに6年住んでいるとおっしゃっていましたが、だいたい6年住めば、やっといろいろ後輩みたいな感じができてきます。(宮田氏に対して)あなたも13年間くらいいて、やっとコツを掴み始めた感じでしょう?
だから、簡単に言うとそういうことなんですよ。シリコンバレーが立ち上がりのブームの時に、日本は世界一の経済状況で、みんなが日本から学ぼうとしていて、世界を変えたい日本人は「日本から」ということの後遺症だと思うんだよね。
実は2000年にVCを始めた時は、シリコンバレーに住んでいました。それまではOracleの本社に勤めていたけど、マーク・ベニオフも辞めてSalesforceを作ったり、だいたいSaaSの先駆者は、だいたい友達。ネットバブルの時にシリコンバレーにいて、VCの友達も企業もいっぱいいるのになんで僕は日本に来た。
それは簡単に、どっちの選択が自分の人生に大きな影響をもたらすかで、日本に来たほうがライバルが少なかったからです。今1,000社もいるけど、当時はライバルが少ない。それに2000年当時は、ちゃんと事業経験のあるVCがほとんどいなかった。だいたい金融系ばっかり。
産業経験がある人が東京で始めれば、これは成功する確率が高いし、ライバルが少なくて特徴があるほうが戦略がすごく伝えやすい。日本でやったほうが成功できるだろう、インパクトが大きいだろうことで、実はVCをやり始める時にそう考えたんです。
現在まで、だいたいアメリカのVCは40パーセントぐらいがシリコンバレーに定着するのがもう30年間変わっていないんだけど、そこを出て東京に来たのは、ここにもっとattractiveなチャンスがあると思ったからなんです。
僕が一部その頃からシリコンバレーで投資していた日本人の投資家が日本に戻って投資をしたり、宮田さんの仲間や、あるいはWiLとか、シリコンバレーを経験してその経験を活かして日本にやってくると、どんどん日本のエコシステムがよくなるんじゃないかなと思っています。ベンチャーキャピタリストとして日本に賭けたのはそういうことだったんですね。
朝倉:非常に同意するところです。そういう意味でいうと、スタートアップにしろ何にしろ、「ゆるい競争環境」を選ぶのって1つの定石だと思うんですけれども、シリコンバレーと比べたときに、やっぱり日本の競争環境って圧倒的にゆるいですね。勝ち上がりやすい。逆に言えば、挑戦する人にとってものすごくチャンスがあるのが日本なんじゃないかという気もしますよね。
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