記憶に残る「No.2的Hard Things」とは?

山田浩輝氏(以下、山田):では、より具体的な話として「No.2的Hard Things」というところで。Hard Thingsは社長さんが語る機会がすごく多いので、No.2的にはどういうことが「うわー、なんかこれハードやな」とか、「これすごかったな」とかですね。すごく印象に残っているという、プラスの意味でもいいです。No.2的に「これが記憶に残ってるんですよね」というエピソードがあれば、教えていただければなと思います。鈴木さんからお願いします。

鈴木真彩氏(以下、鈴木):No.2的にという観点かどうかはわからないんですけど、今言ったように、社長と私が基本ゼロイチの事業の芽を出して、彼がオペレーションを組んでいくという役割分担をしている中で、今のPATRAの事業をやめようと思った時が1年半前ぐらいに1回ありまして。

PATRA自体も始めてから2.5回ぐらいは、ピボットしているんですね。それで今のアパレルのサービスに行き着いているんですけれども。結局、「自分がゼロイチの芽を出していかなきゃいけないんだな」という役割を感じつつも、なかなかうまくいかないこともあり。

「ブレークスルーが見つからないよね。もうやめて新しいことをやったほうがいいんじゃない? もうお金もなくなっちゃうし、このままじゃキャッシュアウトで死んじゃうよね」という状況になった時に、「どうしよう?」というのがあって。

これってたぶん、あまり知られていない話だと思うんですけれども、その時だけ3ヶ月間ぐらい、2人で別サービスをやっていたことがあるんですよ。

私は既存のPATRAのサービスをどうにかピボットするなり、ブレークスルーを見つけるなりして、3ヶ月以内に売上を出すためになんでもやろうと。社長の海鋒は、ちょっと新規事業に着手して新しい芽を探そうという時期があって。

その時は、2人が会社でやりたいことは一緒なのに、足並みが揃っていない感じで辛かったんですけれども、私の中ではPATRAを辞めるという選択肢はなかったんですね。

なかったんですけど、いいブレークスルーをなかなか思いつかなくて。でも、そこを自分でどうにかしないと、もうやばいという状況まで来ていた時に、今の事業を思いつきました。それで、なんとか3ヶ月でその目標の売上と利益を出すことができたので、その芽を彼にも渡すことができて。

今、倉庫を持って、自社の配送オペレーションを持っているんですけれども、もともと1日配送500件ぐらいになるまでは、オフィスに倉庫を作って段ボールの配送をやっていたんですよ。なので、社長はずっとそのダンボールを1日500個作っていて。多くの人に使われるサービスがあるのは、やっぱり幸せなので、すごく楽しそうにやっていたなという感じなんですけどね。

今のサービスを閉じる・閉じないというときに、いい意味で社長が任せてくれたので、やりやすかったところはあります。「これで失敗したらもう今のサービスを潰すしかないし、キャッシュアウトだな」という状況は、当時は必死だったのでそこまで考えていなかったんですけれども、「いや、けっこう危なかった。ギリギリだったな」とは思います。それが自分の中では一番大きいですかね。

上場前後に表面化した、組織的な問題

山田:ありがとうございます。じゃあ、成田さん、いかがでしょう?

成田修造氏(以下、成田):そうですね。時期によってぜんぜん違うんですけれども、やっぱり一番最初の頃ですね。事業がまだ立ち上がらないとか、売上を伸ばしていかなきゃいけない時に、かつ、それを自分が先陣を切ってやらないといけない時というのは、体力的にめちゃくちゃきつくて。上場前は、週に1〜2回は会社に寝泊まりするようなことが普通にあったかなと。働き方改革の会社なんですけれど、自分の働き方改革はぜんぜんできていなくて。

山田:(笑)。

成田:上場の直前ぐらいの時に、1年ぐらいはそんな時期が続いていましたね。そのあとに起きたのが組織的な問題でした。30名から130名になるときに、会社のコントロールというか、組織がちゃんと同じ方向を向いて進んでいくことが、非常に難しかったんですね。

上場すると、コミュニケーターがいわゆるVCから、機関投資家に変わったりとか、今までとぜんぜん違うメンバーが入ってきて。当然プロフェッショナルの人たちも入ってくる中で、会社としての軸を作る時に、ちょっと自分たちを見失ったなという時もあって。

なんか「とりあえずミッションを唱和するぞ」みたいな感じでやったりとか。ミッションを唱和しても、ぜんぜんミッションドリブンにならないんですよ。

山田:えっ、そんなことをやってたんですか?(笑)。

成田:そんなことをやっていました。「やってみよう」みたいな。そういうものでなんだか会社が崩れていって。会社のロイヤリティみたいなものも下がっていって。「俺は必要ないんじゃないか」と言って、吉田から「俺が辞めたほうがいいんじゃないか?」と言われたり。「いやいや、辞めても解決しないです」という会話がずっと続くようなことは、上場直後ぐらいにはありました。

そのあとは距離を取り始めたりして、少しうまく回り始めたかなと思ったら、今度は中核になっている人たちが、それぞれ文化を作ってしまって。会社の中に文化が3つぐらい混在しているような状態になったんですね。

ある意味それが強くて、事業が生み出されたり、組織の色がついたところはあったんですけど、「それをどこかで束ねなきゃね」という話になって、2年ぐらい前に一気に束ねようと意思決定したんですね。

その時に、バリューの刷新、ミッションの刷新、ビジョンの刷新とかいろいろやって。そこと合わない人たちは、抜けていくこともけっこうあったんですよ。それでも事業を伸ばさなきゃいけないし、組織を整えなきゃいけないという中で、そこは大変だったかなと。

新しい人たちを入れて、組織は維持しなきゃいけない、発展させなきゃいけないけれども、既存のメンバーがちょっとずつ抜けていって入れ替わるタイミングがあったので、この2年ぐらいずっときつかったかなと。そういう変遷でいろいろあったかなというところです。

秩序なく運営されていた組織を変革する軋轢

山田:ありがとうございます。じゃあ、村中さん。

村中悠介氏(以下、村中):さっき控室でも話したんですけれども、あんまり大変だったことを思い出せなくて。

山田:忘れる力がすごい。

村中:忘れちゃうので覚えてないんですけど。もしかしたら、とさっき思いついたのは、DMMって2007年ぐらいまで秩序なく運営されていて。でも、その時にはたぶんもう事業が8〜9個ぐらいあったと。それもちゃんと覚えてないんですけれど。

なので「秩序を持たないといけないよね」と言って、初めて「じゃあ、どういう組織にしたらいいんだろう?」という。事業部制がいいのかなとか、いろいろやって、実際に事業部制を敷くんですけれども。その時は組織について考えたことのない人たちが、真剣に組織を考えて、それを実行に移した時の軋轢が大変だったかなと。ただ、もう忘れています。すごく大変だったけど……。

山田:大変だった印象があった?

村中:印象があって。例えば、人間関係がいろいろ変わってくるので、そこは導入としてはすごく大変だったなと。今もマイナーチェンジは繰り返しているんですけれども、とくに最初は。要は人が増えてからやるのはおすすめしないというか、早めにマイナーチェンジでやっていったほうがいいんじゃないかなという。

山田:なるほど。ちなみに、村中さんは一般的な社員から、今の立場まで上がっていったと思うんですけれども、それってどういう感じに変遷していったんですか? スタートアップとしては珍しいかたちのNo.2だなと思っていて。

村中:広報に「そういうの言っちゃダメですよ」と言われるんですけれども、その当時リクナビなんかの本がコンビニにあって。それを買って、まあ言ってしまえば適当に見つけた会社……。

山田:(笑)。

村中:なんですよ。

山田:リクナビで?

村中:たぶんそんな本だったと。

山田:一応、正社員で応募したんですか?

村中:正社員で。その本を使って、3社ぐらい一応受けて。あんまり面接も行きたくなくて、もう3社目ぐらいで、あんまり行きたくないので、「ダメだったらクビでいいので入れてください」ってお願いしたんですよ。そしたら、その日に受かりました。

山田:なるほど。そこからスタートして……。

村中:プレイヤーをやって。事業部制になった時に、事業部長になって。動画とかですね。そこから2011年ぐらいに役員になって、徐々に受け持つ事業数が増えたというかたちですね。去年に全部(の事業を)見るようになって。その前は12個ぐらいを見ていました。その前はたぶんもっと……徐々に増えた。

山田:徐々に増えていった。

村中:はい。徐々に増えていったというのが。

やれと言われたら「やります」と言える柔軟性

山田:これはすごく聞きづらい質問なんですけど、なんで自分が(No.2に)選ばれたと思います?

村中:ああ。いや、わからないです。考えたことないです。

山田:事業部で一番見る部分が多かったというのは、大きかったんですかね。

村中:どうなんですかね。そこは聞いたことにないです。そういうことは気になっていないです。

山田:気になってない。「もう選ばれちゃったからやろうか」みたいな感じで。じゃあ、「ただただ言われたらがんばります」というところでいけると。この柔軟性は、No.2としてめちゃめちゃ大事ですよね。「やれと言われたらやります」と言えるところ。これ「自分やりたくないです」と言ったら、No.2はできないと思うので。

村中:そうですね。なんでも受け入れていかないと。

山田:なんでも受け入れていくというところで、亀山さんの要求で「これは絶対に違うな」と思って反対したことはあるんですか? 「これはもうやりたくないです」みたいな。

村中:けっこうあります。しょっちゅう。

山田:それはどういうふうにコミュニケーションを取って、最後に結論が出るんですか?

村中:いや、僕がとかじゃなくて、けっこう誰でも言える雰囲気なんですよ。なので、「いや、それは違うでしょ」とか「違うんじゃないですか」と言ったら……。

山田:「そっか」って。

村中:「そっかそっか」みたいな。

山田:なるほど(笑)。それで意思決定をしていくかたちですね。ありがとうございます。