東南アジアで勇躍する転職支援サービス「REERACOEN」

――まずはREERACOENの事業概要を教えてください。

内藤兼二氏(以下、内藤):REERACOENは、東南アジアを中心とする10の国と地域あわせて17拠点で展開しています。各国・地域の人材紹介の部門と、『ABROADERS』というWebメディアを持ってるんですね。また、海外の方を日本に紹介にするクロスボーダー領域を担当していて、大きく3つの業態に分かれています。

REERACOENの現地法人は、日系企業に対して人材を紹介するところからスタートしています。ただ、日系企業がこれから頭打ちになってくるので、いわゆる海外のマルチナショナルカンパニー(MNC)の売上比率を今上げるところで、徐々に上がってきていますね。

僕の場合は、最初にマレーシアで会社をつくり、東南アジアのいろいろな拠点にマレーシアのオペレーションを輸出、または他拠点から輸入してきて事業規模が大きくなってきました。2016年に石神もマレーシアに入ってきて、一緒に1年間伴走しながら、1年後にはマレーシアの拠点の責任者を任せました。石神が責任者のときにマレーシア国内で拠点を展開するフェーズに入って、ペナン(島)やジョホールバル(マレーシア第2の都市)などに入っていったんですね。

彼が遠隔でもマネジメントできるようになってきたので、2018年7月から台湾・香港・深圳をまとめて見てもらうかたちとしました。石神はマレーシアと香港に家がありながら、各拠点をぐるぐる回っているような生活をしています。

ドメドメ人間、中国で勃興のパワーを知る

ーーお二人はどのような経緯でREERACOENにジョインしたんでしょうか。

内藤:僕は大学は英語の単位不足で留年して、海外に出たくない男だったんですよ。「ドメスティックドメスティック人間」、略して「ドメドメ人間」だったんです。英語がネックだったので、「英語を使いたくない」「海外転勤がない」会社を中心に就職活動をしていて、最終的には新卒でリクルートエージェントに入りました。

国内で仕事を約4年間したんですが、2009年にリーマン・ショックが起きて日系企業がことごとく中国に行くんですよね。そのとき、中国は4兆元の投資をして、世界中から企業を集めていたんです。高層ビルがみるみるうちに建設されるくらいの活気で、日本の市場規模に限界を感じていた僕は手を挙げて中国に行ったんですね。

2010年の4月に上海勤務となったんですが、びっくりするぐらい忙しかった。当時、8,000人の工場が旧正月後の1ヶ月で2,000人辞めるという、すごいことが起きるんですね。労働基準法も2008年に施行したばかりなので、履歴書にソニーや松下の工場に勤務していたと書いてあるんですけど、本当に勤務していたのかどうかわからない(笑)。「この人はウソつかないかどうか?」みたいなことを1件ずつ会って確認しながら紹介する仕事に、非常に魅力を感じちゃったんですよね。

日本でリーマンショックが起きた時は「人材業界なんていらないよ」「派遣切りだ。人なんていらないよ。そんなことやってられない」という声が多かった。一方で、中国では「内藤さん、とにかく人を紹介してくれ」という声をたくさんかけられたんですね。こういう状況は非常に刺激的だったので、もっと取り組みたかった。なので、上海だけではなく、中国内のほかの拠点を作っていたんですね。

いろいろ地域を回ってみて、中国人のハングリー精神がどこもすごかったんですよ。日本語がいまいちだった子たちが半年もすると普通に話せるようになって、しまいには日本語で理論武装されてしまったり(笑)。僕も負けられないと思って、朝7時から8時半まで学校で中国語を勉強してから会社に行ってましたね。

「このままだったら、日本や日本人は絶対負ける」。中国人がどんどん成長していく状況に危機感を覚えたんですよね。だから僕は負けられないと思って、「HRの領域だけは彼らよりも売れるようになろう」「彼らよりマネジメント能力をつけよう」と思って、本当にしこたま働く日々が続きました。気づいたら中国ビジネスに没入していたんです。

反日デモ、クーデターを経てREERACOENへ

内藤:しかし、、2012年に起きた尖閣諸島問題の反日デモをきっかけに状況は一変しました。日系企業勤めの人への嫌がらせが始まってしまって。売上の9割が日系企業だったので、一気に業績が降下していきました。業績が半減し、非常に苦しい思いをしました。

当時は「チャイナ・プラスワン」(注:中国への製造拠点の集中によるリスクを回避するため、中国以外に拠点を持ち投資を行う、という経営戦略)の気運が高まっていて、投資先が中国から東南アジアに移管していきました。その流れで、僕もベトナムに体を起き、ベトナムの会社の経営と、タイの新会社を立ち上げることとなりました。そこからイヤでイヤでしょうがなかった英語環境になったんですよ。

ただ、中国人から学んだのは「できるかできないか」じゃなくて「やるかやらないか」だったんです。やるしか生きていけないわけですよね。なので、英語をひたすら勉強して。片言の英語でずっと話をしながら、彼らとの関係性を築いていくことが気づいたら楽しくなっていった。未来が明るい成長マーケットで働くって、すごく気持ちがよかったんですね。

でも、今度はタイでクーデターが起きてしまった。発砲事件も起きて、軍が介入して、都市としての機能が封鎖されてしまったんです。僕も自宅待機していて仕事ができない状態だったので、日本に帰ったんですね。

日本に帰ってからも、成長マーケットで仕事がしたい思いが強かったんですよね。忘れられない片思いみたいな感覚があるじゃないですか。どうしても忘れられないっていうやつ。だから、リクルートを辞めてでも海外に行きたかったんです。そこでネオキャリアの西澤社長と会う機会があって、「一緒にやりましょうよ」みたいな話があったんですね。

ただ、一緒にやるといっても競合ですし、非常にやりにくいところもありました。なので、リクルートが進出をしない地域でやることにしました。それがマレーシアだったんですね。なので、マレーシアにREERACOENをつくるために現地に赴任をしたところが始まりですね。

海外で自分の影響力のなさに気づいて…

石神良英氏(以下、石神):僕は学生時代からバックパッカーとして海外に行ってたんですが、その時に思ってたのが「自分が世界を絶対変えられる。世界を平和にできる。戦争をなくせる」ということ。学生時代に写真展などをして、自分が海外で見てきた現状を訴えて、アクションをとろうといろんな人に呼びかけていた。

その活動を通してすごく良い「気づき」がありました。自分の影響力のなさに気づかされて、自分が影響を及ぼせる範囲が友達の友達ぐらいだったんです。この影響範囲を広げなきゃだめだなと思ったことが、原点としてはありました。

大学を卒業して2007年から約6年、日本の人材派遣会社に勤めていたんですが、そのあと2年半ぐらい社会人としてのブランクがあるんですね。そのブランクの期間はフリーランスでビデオクリエイターをやっていました。ドローン映像専門で、2年半ぐらい活動して海外をぐるぐる回っていました。

そのあとフリーランスではなくて、人材業界でもう1回働きたいなと思って、まず日本で働くか、海外で働くかで悩んで、新しいことに挑戦する意味で海外で働こうと決めました。フリーランス時代の生活で英語を使っていたので、働きたい国をシンガポール、マレーシアに絞ったんですよね。そこで、マレーシアに進出していたのがREERACOENだった。

シンガポールとマレーシアは本当に両極端なんですね。シンガポールは知名度もあるし、キラキラしてるんですよ。マレーシアは正直よくわかっていなかったんです。英語が使えるのはわかるんですけど、まだまだこれからの国です。REERACOENも同様によくわかっていなかったし、できたばかりだった。

「どっちにしようかな」と悩んでいたんですが、(内藤)兼二さんにも話を聞いたなかで、REERACOENはまだこれからで、今からどんどん成長していくと思いました。自分が挑戦する機会を多くもらえるし、ワクワクしたので、最終的にこちらを選びましたね。

実際にREERACOENにジョインしてみて、マレーシア・台湾・香港・中国の人々に影響を与えられる。世界平和とまではいかないんですが、現地の人たちの幸せのためにより良い仕事を紹介したり、企業の方々にいい人材を紹介することで、小さくてもいい影響を与えられればなと思っているんですよね。会社が大きくなってきていることは、いい影響を与えられている証だと思います。

東南アジアでは若い人材が活躍する土壌がある

――東南アジアの就職市場について、REERACOENはどう挑んでいるのでしょうか。

内藤:一般的には、海外で働く人材は最初は現地採用の求人が多いです。最近だと、現地採用で経験を積んで駐在化する流れも出てきています。今は日本の本社側も人手不足なので、日本から来ている出向社員の割合を引き下げたいと思っているんですね。

東南アジアを中心に経済が少しは停滞しつつあるとは言いながらも、成長率が5%前後。そういった部分ではどの企業も成長はさせたいが、本社の人手不足もあり、年齢を重ねた40〜50代の駐在員を日本に戻す動きがあるんですよ。一方で、そのポジションが空くので、若い方々がチャレンジできる状態になってきているんですよね。

例えば、ベトナムは国民の平均年齢が31歳です。WTOに加盟した2007年から外資の扉が開いて、ホワイトカラーという働き方が入ってきたわけですよ。マクドナルドの進出も2013年です。スターバックスもそのぐらいなんですよね。

そうやって考えると、若い人材がたくさんいるベトナムは、30代であれば任される仕事もすごく大きいですし。そういった部分で、若い人材でもチャンスを与えられる環境がアジア圏には多いかなと思いますよね。求人数はいったんは横ばいが続いていますが、常に「いい人がいたら採るよ」というスタンスです。

中国は貿易摩擦の影響を受けて非常に苦しみましたけど、中国からアメリカへの直接の輸出入に関税がかかっていたので、いくつかの企業では東南アジアを迂回させるようにしたんです。中国の工場の一部機能をマレーシアに移管することで、中国で作っていた部品をマレーシアで作らせて、マレーシアからアメリカに輸出するとマレーシアは忙しくなるわけですよね。

このように不確実性の高い未来になると、企業が投資先を「中国だけ」「アメリカだけ」にしないので、いくつかの国に分散します。景気の各国レベルでは波は受けますけど、日本人の求人はアジア圏でみると、減少している感じではないですね。

国を超えた転職の可能性を求職者に提示

内藤:そのなかでREERACOENの紹介モデルは、競合サービスとは差別化が図りにくいんですよね。ただ、差別化を図りにくいなかで僕らがどう違いを見せていくか。わかりやすいところでいくと、国を超えた転職の可能性です。例えば、ほかの競合であれば「マレーシアはマレーシアだけ」というふうに閉鎖的な展開をしているところもあります。

「One REERACOEN」を掲げているREERACOENでは、社内では台湾法人で働いていた台湾人がマレーシアで働くこともありますし、求職者の中にはタイ人がマレーシアで働くお手伝いをすることもありました。現に、アジアの優秀人材を日本に紹介するクロスボーダー領域ではこの4年で3,000人の方の日本での就職を成功させてきました。こういった国を超えた働き方・生き方の実現をもっとやっていきたいと思ってるんですよね。そのためには、内部での情報共有の強化を常に図っています。そういったところが競合とはちょっと違うのかなと思いますね。

加えて、REERACOENの拠点責任者は、基本的に複数拠点を経験している人材が多いんですよ。それは意図的にやっています。マレーシアしか知らない日本人は、マレーシアと日本の比較しかできない。でも、マレーシアを含めてほかの国も経験しているとなると、本当の意味での多様性を受け入れられたりするんですよね。だから、今は拠点の責任者は意図的にシャッフルさせています。

そういった部分での情報提供の幅であったり、その国しか知らないのではなくて、ほかの国と比較したときにどうかという会話ができて、顧客に価値提供できることは競合との違いだと思いますね。

石神:ネオキャリアの日本人スタッフは、新卒1年目から海外に出したりしています。それを3〜4年前から始めていて、成長した当時のスタッフたちが、今では責任者になっています。逆に競合は人材のローカル化を図っていて、日本人の数を減らしているほうだと思います。

ただ、私たちはそうではない。まだまだ日系の顧客の割合が多いので、7割ぐらいは日系のお客さんです。安心できる良いサービスをどう提供するかというと、ローカルでもできるんですが、やはり日本人が最適だと思うんですよ。

なので、私たちは日本人スタッフの数ももちろんなんですが、質も大事にしようと思っています。新卒のときから、しっかり教育をしてサービスを展開をしているのが強みであったり、違いなのかなと思いますね。こうしたことがクライアントが求人を出すメリットにつながっていると思います。

求職者の悩みに寄り添う体制

――実際にREERACOENの求職者の方はどんなふうにサービスを使っているんでしょうか。

石神:幅広い世代にご利用いただいていますが、とくに20代後半~30代中盤のミドル層の方が一番多いです。登録割合は初めて海外に就職をする方が7割ですね。

タイやマレーシア、シンガポールでも、コールセンターの案件は増えています。挑戦しやすいんですよね。結局、企業は日本人・日本語力を求めているので、高い英語力、営業経験や経理経験がなくても海外に挑戦できる求人が増えてはいますね。

海外で働きたいけれど、今の会社で挑戦できる可能性が低いと考えられてる方も相談に来たりします。自分の未来に対して、海外へのキャリアがそんなに見えないと悩まれているときは、背中を押してあげたりします。

とはいえ、日本で今もらっている給与水準から下がることもあるんですね。やはり東南アジアは物価水準が低いので。そこをちゃんとイメージせずに来る方も中にはいらっしゃいます。現実的にいくらぐらい貯金できて、これぐらいの収入だったら何年後にはこういった生活ができる。こういったような挑戦ができるイメージをちゃんと持たれて来たほうがいいですし、私たちも現実的なアドバイスはさせていただいています。

漠然と「海外で働きたい」「海外で暮らしたい」という思いだけがすごく先行している方もいます。しかし、海外で働くだけではなくて、しっかりとした1つの目的を持つのがいいかと思います。「海外で私はこういった営業をしたい」「海外でマーケティングをしてみたい」などの目標がないと長続きはしないので、ただ単に海外就職を目的をしないように意味付けをしています。

各国でのNo.1を目指し、マーケットのスタンダードに

――これからのREERACOENのビジョンを教えてください。

内藤:REERACOENは、その国で一番の会社になりたいなと思っています。やはり一番じゃなきゃ変えられないことは多いんですよ。

5年前に僕らが会社を作るときに求人サイトに広告を出し、応募者の面接をセットしてから(実際に面接が)実施された割合が、30%だったんです。これが実態なんだと。企業からすると、こんなのやってられないですよね。時間を空けているのに。求職者もいろいろな会社を受けて、都合が悪くなったら面接に行かないようなことがザラにあるんですよね。

これ以外にも企業・求職者共に「不」と「負」があります。僕たちがマーケットリーダーになって、採用や就職に対する考え方を変えていったり、「こうあるべきだよね」というスタンダードを作りにいきたいなと思っています。

そういったマーケットスタンダードがないので、それぞれが各々の価値観で行動しています。競合他社では、求職者を紹介して2ヶ月後に、またその求職者をほかの企業に紹介している競合企業もあれば、一方でブローカーみたいに、求職者からお金を取っている業態もまだまだあります。

だから、僕たちがこのマーケットのスタンダードになる。「これは正しいよね。『こう』だよね」と。その「こう」をちゃんと揃えにいくためには、影響力がある会社にならなきゃいけないと思ってるんです。

日本の良さも含めてスタンダードを作っていきたい。そのためには各国でのNo.1は目指さなきゃいけないなと思います。

石神:東京オリンピックが終わったら日本の景気が悪くなるんじゃないかと言われていますが、そのなかでも東南アジアはまだまだ元気な国がある。ベトナム然り、もちろんマレーシアもこれから伸びていきます。私たちは元気な国々でサービスを展開しています。海外に挑戦していきたい日本人の方をちゃんとつなげて、より橋渡しの数を増やしていきたいです。

企業が成長する上でヒトは絶対重要なので、私たちがNo.1になって影響力を発揮するなかで、そういった方々にもっとより良いサービスを提供し続けていくことが、私たちのミッションですね。

多様性なくして、REERACOENの発展なし

――REERACOENにはどんな人材が多いですか。

内藤:いろんな方がいますよ。バックパッカーのような旅人やマジシャンとかね。ちょっと前には吉本興業のマネージャーとかいましたしね。本当にバラエティに富んでるなと思いますね。

石神:REERACOENの良さでもあると思うんですけど、多様な個性を認める環境なんですね。一人ひとりの個性をちゃんと認めてあげられることが本当にいいなと思っています。

もちろん、しっかりと社会人経歴を積んできた方も必要です。とはいえ、一芸じゃないんですが、なにかしらでがんばってきた人にも絶対に光るものがあって、そういった人ほど海外での適応ができたりするので。

内藤:逆に「日本でずっと営業をやりたいと思っていたのに、6年間経理をやっていました」という人とか。「停滞感を感じるので、日本を出たいです」という芯のある子たちが多いですよね。

多民族で多宗教で、ここを同質化することは難しいんですよね。やはり宗教などもそうですけど、どうしても日本は単一民族なので同質化しようとしちゃう。でも、同質化できないんですよね。

だから、社員の価値観などを無理に、同質化させるよりも、ゴールを合わせること。みんなで同じ目標を追っていくこと。「今」を一緒にするのではなくて、「未来」を揃えていますね。

—―お話ありがとうございました。