観光客が思わず襟を正したくなる、京都の世界遺産

宗田好史氏(以下、宗田):今回のシンポジウムで出たお話は、「京都は上手に観光客の尊敬を得ている」ということです。

世界中にいろんな世界遺産があるんだけど、京都の世界遺産を訪れると、周辺の方たちがさりげなく社寺を大切にしておられる。(観光に)訪れる人が思わず襟を正す、ちょっとお行儀良くなるということがある。「そうか、京都の住民・市民の人はこうやって文化遺産を守ってるんだな」ということにちょっと気づいて、深く考えて、それを自分の街に持って帰る。

こういう「尊敬を引き出す」ような装置、これは何なのだろうということなんですが。ここで苅谷さんにうかがいます。文化庁、文化財保護の行政に長く携わっておられて、この「文化遺産と住民の関係」は、どう発展してきたんでしょうか。

苅谷勇雅氏(以下、苅谷):そうですね。今のお話に直接お答えできるかどうかわかりませんけれど、宗田先生もおっしゃったように、京都に観光に来る人は、京都市民の文化財・文化への対応を見て襟を正すような気持ちになるということ。私もまさにそのとおりであると思いますね。

やはり京都市民は自分たちの文化とか文化財、それから街の佇まいに、いい意味で誇りを持ってると思いますね。先ほど申し上げたことの繰り返しなんですが、新しい景観政策・文化政策も、いろいろ議論はあってもやっぱりかなりの程度市民に受け入れてもらえると思うんですね。

ですから、これからの観光客はいわゆる物見遊山じゃなくて「勉強する」と言いましょうか。少し緊張しながら京都に来たら、それはやっぱりすごくその人の成長につながると思うんですね。そうでなかったら、なにも学ぶことなく、おもしろくなく帰ってしまうんだろうな、と思うんです。

「おいでやす」ではなく「来たいなら来てもいいよ」

苅谷:それで思い出しますのは、もうだいぶ前の話なんですけれど、昭和40年代の初め頃です。京都が最初に市街地景観の対策をとろうとした頃に、『京都のデザイン原理』という本が出たんです。伊藤ていじさんという非常に優れた建築評論家・建築家が京都市の委託を受けて、「京都のデザインの根本は何か」を調査・議論したわけです。

一言で言うと、「京都のデザインの原理は市民の先進性にある」と。つまり京都市民は常に、古いものを大事にするんだけど、実は新しいものがすごく好きで。最先端のものを掴むことが重要である、ということなんですね。それを学生時代に読みまして、びっくりしたというか納得したんです。「あぁ、そうかもしれない」という感じで。

やっぱりその感覚が、京都は連綿とつながれてきているんじゃないかなと思って。京都は大都市ですから、いわゆる生え抜きの京都市民だけじゃなくて、どんどん人が入ってきて、また出ていく人もいるんですけど、そういう循環の中でもなにか……京都スピリットでしょうか、そういうものが受け継がれてきていると思います。

自分たちが一つの標準スケールを持って、ほかの人と接する。決して「おいでやす」ではなくて、「来たいなら来てもいいよ」という感じがあると思うんですね(笑)。ですから、そういう態度こそが、これからの京都の文化・観光をうまく広めていくことができるきっかけかなと思っています。

宗田:今日の午前中の分科会で、観光と創造性、クリエイティビティが話題になりました。京都の人が新しい物が好きで、常にクリエイティブでいることは、観光客の目にさらされるということでもあると思うんですね。ただそこにあるものを守っているだけではなくて、現在の社会のニーズに合わせて、より美しく伝えていく・守っていくというスタンスがある。

それは観光客とのやりとりがあり、観光客以外の人たちともいろんな交流の中で厳しい批判の目にさらされるから、伝統行事が日々新しい、時代に即したものに進化していく。「進化する景観政策」とも言いますが、その進化に非常に大きな課題があるんではないかと思います。

観光をプロデュースする地元人材の不足

宗田:稲葉先生、地域社会の役割・市民の役割に関して、もう少しお話をお願いします。

稲葉信子氏(以下、稲葉):世界遺産委員会では「観光はけしからん」、「開発はけしからん」と言っているわけではありません。もう長いこと世界遺産センター……ユネスコの中の世界遺産条約を担当する部局ですけれども、そこの部局では航空会社や観光会社などとの連携で、「観光とは何であるか」を考え続けてきております。

開発と保全、あるいは観光と保全は、対立するものではなかろうと。いわゆる持続可能な開発、あるいは持続可能な発展が、今も国連の主要なテーマになっておりますけれども、ユネスコもその中にいるものとして、地域住民を無視した保全はやはり成立しない。そもそも開発途上国においては、そうした保全を地域住民の収入あるいは平等、そして生活を考えないことには成り立つものではない。そういう前提のもとで進んでおります。

ということで、地域住民と開発との関係をどういうふうに上手に、規制するんではなくてマネージメント……“管理”という言葉も好きではないんですけれども、どうやって考えていくのかが、大事な現在のテーマになっています。

京都市さんにも大変お世話になりましたけれども、2012年に京都で開催した条約40周年の会合では、確か住民の役割・地域社会の役割ということがテーマになりました。そのときにも、「地域住民とは何であるのか」ということを、その定義も含めていろいろ議論いたしました。

まずは、観光と保全の間において世界遺産はどういう役割を果たすか、ということ。先ほどもお話しましたけれども、やはりある意味でのモデルになる役割を果たしていかなきゃいけない、ということだと思います。

そのときに、観光とどう生きていくかということは、どうやってプロデューサーを育てていくのか。地元でプロデューシングしていくわけです。来られた方が京都に降り立った時点で、京都という劇場の中に主役か観客として入るわけですよね。その中で京都の文化遺産が、ある一つの演劇の中の、一つひとつの大事な駒をどうやって進めていくのか。

“持続可能な”……と言うと、どうも抽象的で意味がわからないんですけれども(笑)、来る方も迎える方もお互いに理解していけるような物語を作っていく人材の育成と言いいますか。織り込まれていくいろんな物語が将来の生活にどう活きていくのかを考える、プロデューシングの役割をする人が、たぶん欠けているんだと思っています。

世界遺産の文化的価値は、市民の“心の中”に宿る

宗田:今日の第3分科会は「人材育成」がテーマでした。ところで、実は私もイコモスのメンバーを長年やっていまして、日本海から文化観光の国際専門分科委員会へのボーティングメンバー代表として出ているんです。

今お話しいただいたように、70年代に世界遺産条約の登録が始まったときは、発展途上国の人々の貧困をなくすこと……「工業開発するより農業開発するよりも、観光開発による経済効果が一番豊かになれる道だ」みたいなことをのんきに言ってたんですよね。ところがそのあと、もう、いろんな観光公害が世界中で渦巻いたのが80年代、90年代です。

それで、99年に第2回の世界文化観光憲章が出た時に言っていることは、「文化は人に宿る」。世界文化遺産と言っても、文化はモノに宿るのではなく、その周辺に住んでいる人たちの“心の中”にある。「文化は人の心のものだから、モノには宿らない」ということをはっきり言った。

だからカストーディアン、いわゆる「門番」という言い方をしますが、文化遺産の門番の人たち、つまり地域住民のみなさんの中にこそ、世界遺産の文化的価値が宿っているのである。だから「京都の世界文化遺産の文化的価値は、京都市民のみなさんの心の中にこそあるんだ」っていう。そういうことを、今からもう20年前の文化観光憲章で言ったんですが、なかなか広がっていかなかったんですね(笑)。

実際、それでいくと確かに京都は先進都市だなということがよくわかるのは、まさに「京都モデル」。世界に一番伝えたかったことは、「京都の文化的価値は市民のみなさんの中にある」ということだったわけですが、もう一度市長からそのことをですね……(笑)。

宿泊税を「伝統文化教育」に充て、“持続可能な観光”へ

門川大作氏(以下、門川):はい。京都の観光はこれだけ盛んなんですけども、税収にはあんまり反映されていないんですね。雇用には関わって良いんですけど、観光で稼いだぶんは全部国にいってしまう、みたいなことがありまして。

昨年10月から宿泊税をいただくことにしました。京都はコンパクトな都市ですけど、宿泊税は東京の1.5倍も入ってくる。42億円。東京なら宿泊料が1万円以上の人に100円を徴収するというのを、京都ではどなたも200円もらおうと。5万円以上の場合は1,000円いただくということにしました。

それで宿泊税は何に使っているか、その一つの例です。今年から3年計画で、すべての小学生が茶道を体験する。中学生が全員、生け花を学ぶ。そういうことです。それをいずれ、英語で、外国語でお客さんに説明できる。茶道も華道も、今や外国人のほうが関心あるんですね。なので、自ら学ぶ。

「京都は観光都市ではない」と、私はいつも言っている。観光で今人気のあるお寺も神社も、あらゆる文化・芸術も、京都市民が守ってきた暮らしの美学、生き方の哲学、これらがあっての京都の観光。それなら宿泊税の一部をそういうことに使うのもいいんじゃないかと。まさに茶道・華道でおもてなしを学び、命の大切さ、自然に感謝することを学ぶ。こういうことをやっていく。このことが“持続可能な観光”でもあると。

そういうことを実践した次に、先ほど景観の話もありましたけど、15年前に景観法という法律を国で定めてもらって、6つの条例を作り、10年間頑固に守りました。例えば3万を超える建物から看板は全部撤去していただくとか、建築物の高さ制限を、31メートルのところは15メートルにするなど、こういうことを市民ぐるみでやってきた。

つまり「小さな東京にならない」という、京都市民の決断。正直言ってすごい犠牲もあります。そんな中で、それを誇りに思ってやれるという市民意識、文化の継承者、こういうことが大事だなと。このように思いますね。

宗田:ありがとうございます。

京都の景観対策の優れた点は「客観的な評価」にある

苅谷:今の市長のお話で、私も思い出しました。やはり、京都市が市民と一緒に文化財とその周辺環境を守るというかたちで、さまざまな景観対策をやってきた。その中で例えば、市内の建物の高さの制限をかなり厳しくするとかですね。ダウンゾーニングって言いますけど、容積率を下げるとかですね。

それ、ふつうの都市ではまったく考えられないことですね。いくらなんでもそれはできないだろう、と思ってたんです。私は京都市で景観行政を担当していたときに、「それができたらもっと景観政策はやりやすいのにな」とは思っていましたが、そんなことが可能になるとは夢想にもしなかったです。

ところが数年後に、市長さんたちのリーダーシップによって、私の後輩たちはそれをやり遂げたんですね。これは京都市ってものすごい所だな、と思いました。

さて、そうして京都市の景観行政は、今も発展途上ではあるんですが進化・発展してきました。先ほど稲葉先生もおっしゃったように、Heritage Impact Assessmentという……遺産環境影響評価、いわば景観評価。

とくに「文化財周辺のバッファゾーン(緩衝地帯)や外側になにか建物・施設を作るとき、寺院や神社などコアとなる構成資産にいろんな影響を与えないかを、自らでチェックしなさい」ということなんですが。私が思うに、これがどんどん厳しくなっているんですよね。

それは「厳しくなってけしからん」という部分もありますが、期待度が高まっているんですよ。で、それがちゃんとできる所には、より厳しく言うわけですね。だから京都市なんかは、やってもやってもより厳しく言われているような気がするんです(笑)。

私も日本イコモスに関わっているんですが、京都案件が多いんですよ。「どうなんだ、どうなんだ」と言われるんだけど、答えようがないと言いましょうか、京都市の方が一生懸命なさっているのにそこまで言うか、と思う部分もあるほどです。

ただ京都市は、そういう声も聞きながら、まさに景観施策をどんどん進化させている。京都市眺望景観創生条例とかですね、あれも大変なことです。それはおそらく、フランスとかは別にして、ほかの国はほとんどできていないことを、日本の、京都がすでに実現しつつあるわけですね。

それも単に「こうだ」っていうんじゃなくて、プロファイルを各地に作って「ここはこういうものがあってこういうふうに大事だよ」ということをみんなで確認しあって、しかもなにかする場合にはデザインレビューをしています。まさにアセスメントをしているわけですね。これはすごいことだと思います。イコモスの会員は全世界に1万人、日本には約500人弱おりますが、京都の努力と成果をもっともっと世界に訴える必要があるなと思っています。

京都には、市政に対する市民参加の仕組みがある

宗田:その景観レビューの第1号が、第2部でご参加いただく仁和寺の吉田(正裕)執行長の所なんですが。今おっしゃっていただいたように、厳しくはしてきたんだけど、丁寧に市民のみなさんと話し合ってきましたよね。

今でも思い出しますが、京都市市民参加まちづくりで100人委員会というのをやったときに、私が司会をしていました。そこで大勢の、百何十人の市民のみなさんからいろんなご意見をいただく中で、やりこめられたことがあって(笑)。非常に怒られて、そのときに市長に救っていただいた経緯があった(笑)。

本当に一人ひとりの市民のみなさんのご意見を聞きながら、とくに今回、観光の問題もそうなんですが、丁寧に対応していって納得いくまで話を続けることができる。京都にはそういう市民参加の仕組みがあるということも、言っていいんじゃないかなと思います。稲葉先生、どうぞ。

稲葉:私一つ、知り合いから「言え」と言われて来たことがありまして(笑)。観光と活用、そして遺産というのは……実は文化財保護法に「活用」という言葉は、戦後、文化財保護法ができたときからある言葉なんですね。ですので「活用」という言葉が、今になって改めて許されて、なんでもありになったわけではないと思うんですね。

ですので、観光と活用、そして市民社会の将来というものを、みなさん自身がしっかり考えて。そしてどういう言葉がいいかわからないんですけれども、「少なくとも世界遺産の中では、品のないことはやめようね」と(笑)。でも京都はとても文化の豊かな所ですから、そういうことはないと思っております。

宗田:いいんですか、言わなくて? 本当は二条城のモーターショーかなんかのことを(笑)。

稲葉:いやいや、そういう話ではないんです(笑)。

宗田:実はまさに京都案件で、京都でなにか起こると必ず全国の話題になって(笑)。非常に厳しいご意見があることも、わかっているんですが。

門川:二条城保存と活用は、国・文化庁においてもモデルケースとされています。保存するための活用である、活用のための活用ではないと。無形文化財・有形文化財と言いますけど、木と土と紙でできていますから、いずれ朽ちていく。

だから、必ずそれを作り続ける人を育てなければならない。森に木を植えることも含めて。そういうことも含めて文化財に近づき、活かし、そしてその収益でしっかりと文化財を保存していく。そのことによって漆職人が、あるいはいろんな工芸の職人の仕事が続いていく。こういうことが大事だと思うんですね。

市民の暮らしの美学・哲学を継承しなければ、文化財は守れない

門川:もう一つ、私が深刻に考えていますのは、京都市内に約2,000のお寺・神社があります。「オーバーツーリズム」と言っていますけど、混雑しているお寺って、そのうちの1パーセントもありません。どこも静かです。

みんなが拝観されるというわけではないですけど、そのお寺・神社は地域の人々・国民の信仰と、その時々の為政者の権威と、そして大金持ちの人の寄進で成り立った。この3つともが厳しい。

かろうじて観光で……重要文化財とかそんなの別ですよ、そういう文化財を持っているところもなかなか大変で。したがってお寺も神社も、本来の宗教を大事にしつつ、あらゆる意味でそこに近づいて。教育も福祉も含めて、また観光も含めて活かされて、そして継続しなければ。50年後のお寺・神社がどうなっているのだろう……というようなことも含めて、文化財の活用と。

そしてその根底にあるのは、やはりまた改めて、市民の暮らしの美学や哲学みたいなものを継承していかねばならんと。こうしなければ文化財は、文化は守れないと思いますね。

宗田:ありがとうございます。文化遺産を守ることは、永遠に続く市民の務め、国民の務めでもあります。その「永遠」をどう続けていくか、実現していくかということが大きな課題でありまして。それが未来の世代への投資という、未来の世代に受け継ぐかという大きな課題ではないかと思います。

観光と文化を通じてSDGsを実現する。誰一人取り残さずに、世界すべての人々が社会をより良くしていくための、大きな輪になって運動していく。そのときに、中心には文化遺産を大切にする、受け継いでいくべきものを大切にしていく、人々の心がある。そういう体験をしていただくのが文化観光、京都の観光の姿ではないか。

これが今回の国際会議の、大きな結論だったと思います。その意味で「京都モデル」、地域の住民のみなさんを大切にすることで文化遺産を守っていくという京都のあり方を、世界に理解していただいた。世界に広まっていくという大きな意味を持ったデクラレーション、宣言が出たことを、心から喜びたいと思います。

パネラーのみなさん、ありがとうございました。これで第1部を終了させていただきます。ありがとうございました。

(会場拍手)