人類学者が記した著書『ダイエット幻想』

水野梓氏(以下、水野):本日は平日のお忙しい中でお越しいただき、本当にありがとうございます。「何人来てくださるんだろう?」とドキドキしながらだったんですよ。こんなに大勢の人に来ていただいて、本当にうれしい限りです。

ご挨拶が遅くなりました。私は今日、聞き手を務めます朝日新聞社の水野と申します。では、磯野さん。簡単に自己紹介していただいていいですか? なんかちょっと、今日は変なんですけど、緊張してないですよね?

磯野真穂氏(以下、磯野):たぶん。

水野:たぶん。さっきからちょっと口数が少なくて、「あれ? おかしいな。なんなんだろうな?」と思っているんですけど、変わらない感じで引き出してまいりたいと思います。じゃあ、磯野さん。簡単に自己紹介をしていただけますか?

磯野:みなさん、今日は平日のお忙しい中、わざわざこちらまで駆けつけていただき、本当にありがとうございます。私は先ほど……、あまり紹介はなかったですけど、紹介していただいた……。

(会場笑)

「何か(紹介)しろよ」というわけじゃないですけど……。

(会場笑)

(本を持ちながら)今日はこちらの『ダイエット幻想』という本を中心にお話をさせていただきます。実はちょうど同時期に出たこちらの『急に具合が悪くなる』という本もありまして、これは哲学者の宮野真生子さん(福岡大学)と一緒に書いた20通の往復書簡なんです。(水野氏に対して)2冊、持っていただいてもいいですか?

水野:はい。

哲学者・宮野真生子氏とのやりとりから生まれた著書『急に具合が悪くなる』

磯野:この2つの本が実は非常に関連のある本なので、ちょっとこちらのことも一緒にお話させていただこうと思っております。こんな感じでいいですか?

水野:はい。かなり関連があるということですけど、もしかしたら『急に具合が悪くなる』をお読みでない方がいらっしゃるかもしれないですね。

私は『急に具合が悪くなる』をゲラでいただいたんですけども、号泣しながら会社で読んでしまったがゆえに、超変な会社員と化しました。ちょっと周りが引いてしまう感じになったくらい、磯野さんと宮野さんの「魂のやりとり」みたいなものがすごく書かれています。

先にこの『ダイエット幻想』のゲラをいただいていたんですが、最後の方に「ラインを描く」という章が出てくるんですけど、それにすごく深くこっち(『急に具合が悪くなる』)がコミットしている感じです。かなり響き合っていて、「すごい本に出会ってしまったな」という感じを受けています。

私はnoteを書いたり、Twitterで「読んで! 読んで! 読んで!」みたいなことをずっと言ったりしていたので、今日は宮野さんとの関わりについてもお話をうかがえたらなと思っています。(卓上のぬいぐるみを指しながら)ここにカピバラさんがいますが、みなさん「なんでだろう?」と思っていると思うんです。なんでなんですかね?

亡くなった友人の遺志を継いだイベント

磯野:『急に具合が悪くなる』をお読みくださった方はご存知だと思うんですけど、宮野さんは(2019年)7月22日に亡くなりました。その中で……。ここから概要に入っちゃっていいですか?

水野:はい。

磯野:今年の春に、宮野さんと二人で天神、名古屋、神楽坂で一緒にイベントをやることを決めました。(これまで天神、名古屋と開催したので)今日がそのラストになります。

これはカープのカピバラなんですけど、宮野さんは大のカープファンで、宮野さんが持っていたものです。宮野さんと同じように、水野さんもカープファン。

水野:私も、実はカープファンです。

磯野:そこは大事なところじゃないですけどね。

(会場笑)

水野:「私も一緒」みたいな。

磯野:20秒で終わらせてください。

(会場笑)

水野:わかりました。カピバラさん見た瞬間に「宮野さん、本当にカープが大好きだったんだな」と思って、すごくうれしかったんです。

磯野:本当に20秒。申し訳ないです。実はここにも宮野さんがいるんです。まず、『ダイエット幻想』『急に具合が悪くなる』、そしてこちらの『出逢いのあわい』。(水野氏に対して)持ってもらっていいですか? こちら(『出逢いのあわい』)が宮野さんの著書なんですけど、実はこの3冊がまさに同時に出るということが起こりました。

これはまったく狙ったわけではないんですけれども、結果的にそうなったんですね。実は『急に具合が悪くなる』は(2019年)11月に出る予定だったんですけれども、本当のことを言うと、編集の江坂(祐輔)さんが全力で前倒ししてくださって、9月に出るということになっています。

もう(本を下げて)大丈夫です。なぜ、天神、名古屋、神楽坂でやりたかったかというと、2019年2月13日、宮野さんに『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』という本をベースにした「恋愛の哲学」というイベントをやっていただいています。

こちらのイベントに関しては、今日そちらに来ていただいてきている茶人/文化人類学者の……。ちょっと、立っていただいていいですか?

(会場笑)

磯野:矢島愛子さんが、どういうイベントだったかをnoteでとても詳しく書いてくださっています。「矢島愛子」と検索すると出てきますので、こちらで見ていただければと思います。

女性2人が書いた本でジェンダーの話が一切出てこない珍しい本

磯野:私がずっとやっている「からだのシューレ」というイベントの中で、(宮野氏が)「恋愛の哲学」をやったときにすごく盛り上がりまして、これだったら一緒にイベントができるんじゃないかと思ったんですね。

あとは、宮野さんが私のやっている「からだのシューレ」の趣旨にすごく共鳴してくださって、「福岡に呼びたい」と言ってくださったんですね。そこで、私の単著の『なぜふつうに食べられないのか』と、(宮野氏の単著の)『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』のトークイベントが2019年4月20日に天神の「本のあるところajiro」で行われました。

私たちはすぐ盛り上がる癖がありまして、これもすぐ盛り上がったんですね。本当に観客の方が盛り上がったかどうかよくわかんないんですけど、たぶん、みんな盛り上がったんです。

翌日に「他でもやろう」みたいな話になりまして、それで私の羽田行きの飛行機が飛び立つ前に、「名古屋と神楽坂で」という話になり、「神楽坂モノガタリでイベントをやろう」ということが決まりました。実はその結果、こちら(『急に具合が悪くなる』)の書簡が始まりました。

最初は、天神、名古屋、神楽坂のラインで何をしようとしていたかというと、天神では「ダイエット×恋―承認欲求をめぐる救済と陥穽」という話をやる予定だったんです。そして、名古屋では「モテ×ダイエット~変身願望ありますか?~」というテーマでした。そしてここの神楽坂では、名古屋で深まったテーマをやるという予定で、その流れで書簡が始まっているんです。

読んでいただいた方はわかるんですけど、この本(『急に具合が悪くなる』)にはダイエットについても、モテについても、何の話も出てきていないんです。一切ないです。そういう流れではなかったのでまったく出てきてないです。

実は、同じ時期に出たこちらの『ダイエット幻想』に入っているかたちになっています。女性2人が書いた本で、ジェンダーの話が一切出てこないのは珍しいと思うんですけど、これ(『急に具合が悪くなる』)には実は一切、出てこないんですね。

こちら(『ダイエット幻想』)を読んでくださった方はわかると思うんですけど、ちょこちょこ大事なところで宮野さんが出てきているのは、私がこの本とこの(『急に具合が悪くなる』の)書簡をまさに同時に書いていたからなんです。

ですので、実はこの『急に具合が悪くなる』の第9便と、『ダイエット幻想』の終章は同じタイトル(「世界を抜けてラインを描け!」)になっています。それにはこういう理由があるんです。

「関係性がマニュアル化されること」への警告

磯野:本題に入る前に、そもそも恋愛の研究をしている哲学者(宮野氏)と、摂食障害の研究をしている文化人類学者(磯野氏)のどこに共通点があったかというお話をちょっとさせていただきたいです。

そもそも、恋愛と摂食障害って何の関わりもなさそうじゃないですか。しかも、宮野さんは九鬼周造という哲学者の研究が専門で、まったくかぶっていないように見えると思うんです。だけど、実はこの2つの本(『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』と『なぜふつうに食べられないのか』)は「なぜ」が入っているということだけではなくて、問題意識がすごくかぶっているんです。

それがどういう問題意識か簡単にまとめてしまうと「関係性がマニュアル化されることへの警告」ということで、私たち両方ともが2つの本で発しています。「関係性がマニュアル化される」というのがどういうことかと言うと、例えば恋愛だったら「私たち恋人同士だから、こうして当然だよね」「恋人だからこうするべきだよね」というかたちで、恋人同士という関係性によって「こうするべきだ」とマニュアル化されていってしまうことを言います。

実は、私はこちらの『なぜふつうに食べられないのか』でもまったく同じことを言っています。それはどういうことかと言うと、例えば「あなたは摂食障害という状態ですよ」という名前が付くとします。すると、「摂食障害の人とはこういう関係性を築いたほうがいいですよ」というマニュアルが専門家から提示されるわけですね。

そうすると、実は親子関係がそのマニュアルに沿って形式化されることがあるんですよね。関係性にまったく動きがなくなるんです。親側からすると、どうやって付き合ったらいいかわからないからマニュアルに頼るわけですよ。

臨床の現場に立ち会わせていただいたことがあって、おもしろいなと思ったんですけど、(親は)子どもと付き合うために先生に「どうしたらいいですか?」と聞くんですよ。子どもも先生に「どうしたらいいですか?」と聞くんですよ。お互いにマニュアルを参照しようとして、向かい合えない。

(『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』を指しながら)実は恋愛もよく似ていると思うんですけども、「恋人同士だからプレゼントするべきだよね」「記念日を祝うべきだよね。なんでやってくれないの?」といったように、「マニュアルを見てしまうことによって、お互いが向き合えなくなるんじゃないか」という警告を発しているのが、実はこの本なんです。

モラハラやDV、摂食障害の背景にある“快感”の正体

磯野:ここで2冊の本(『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』と『なぜふつうに食べられないのか』)で何を言っているかというと、実は、こうやって関係が形式化されることって気持ちいいんですよね。例えば、イベントのときに宮野さんは「恋愛というのは特別扱いが許される関係。つまり、恋人だからあなたにしかやらないことを、いっぱいやるよ」と考えてしまうと言っていました。

今の社会って、「自分は価値がありますよ」「この局面では自分にはこう価値がある」とか、自分をアピールしなきゃいけない場所がすごく多いんですよね。だけども、恋愛というのはあなた全部を丸ごと受け止めてくれる。この気持ちよさったらない。

そうすると、そこに甘んじてしまいたくなる。特別な差別が気持ちよすぎて、それが快感になってしまう。だからこそ恋人同士という関係性でガチガチにお互いを縛ってしまう。あるいは逆に、モラハラやDVのような支配する/されるの関係に入っちゃうというような関係になってしまいます。

実は、摂食障害でも似たようなことがあります。それはどういうことかと言うと、やはり当事者はすごく苦しんでいるので、自分(の状態)に名前が与えられることだけでかなり救われるんですよね。こういう言い方をしていいかわからないですけど、すごく救われた気持ちがする。

そうすると、この「摂食障害」というラベルのマニュアルに沿って、自分の生き方を定式化し、そこで安心感を得てしまうことがある。これがいいとか悪いとかは置いておいて、そういうことが起こるということを、私はここ(『なぜふつうに食べられないのか』)で話しています。

それぞれの本は恋愛と摂食障害を扱っていますが、もう少し抽象度を上げると言っていることは同じで、「ある種の救済を求めるために、関係性のマニュアルに自ら飛び込んで気持ちよくなってしまう」ということなんです。「その裏側に何がありますか?」という話をしている点で、実はこの2つの本(『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』と『なぜふつうに食べられないのか』)は問題意識が通底しています。

この問題意識というのが、実は『ダイエット幻想』においてはずっと続いて出てくる話で、こちらの『急に具合が悪くなる』に関しては、とくに第9便でその話が出てきます。

今日は私たちが書簡を始めるきっかけになった天神、名古屋、神楽坂のラストのイベントということになっています。天神でも名古屋でも、だいたい30~40名くらいの方が来てくださっていて、(今回を含めると)このイベントに100名くらいの方が顔を出してくださったということです。私たちの描いてきたラインにこういうかたちでご参加くださったこと、本当に心より御礼申し上げます。以上が概要になります。

「生きづらい女の子」が増えているという感覚

水野:ありがとうございます。私と磯野さんの出会いも、実は摂食障害のインタビューをお願いしたことがきっかけです。3年前ですかね。私は朝日新聞社の科学医療部というところで医療の取材をしていたんですけど、私自身もすごく生きづらい女の子が増えているなという気がしていました。

外見とか体型にすごくこだわっちゃう子がいます。Twitterで検索すると、摂食障害の病みアカ(摂食障害当事者だと明かしたアカウント)を作っている女の子たちがけっこういて、話を聞くとチューブでの吐き方とかをTwitterで教えあっているんです。そういう現状を聞いていて、「ああ、ヤバイな」みたいな思いがありました。

私も小さい頃にぽっちゃり体型に悩んでいたことがありました。磯野さんの『なぜふつうに食べられないのか』を読んだこともあって、それでインタビューをお願いしたのが始まりです。最初は摂食障害のつながりでお会いしたんですけど、その他にも実は私は「からだのシューレ」にちょくちょくお邪魔しています。

一人のシューレ参加者みたいな感じでずっとお邪魔しているので、そういう意味では、そのあたりからラインになって、関係性がつながっていると感じています。最後のイベントに聞き手として参加できるのは、ありがたいと思っています。