元電通グループ社員、現大阪・難波の老舗包丁屋の3代目

司会者:改めまして、今日は、地方に家業があって今東京にいるという「潜伏アトツギ」のみなさんが集まっているイベントです。

「ぶっちゃけ家業をどうしようかな」と悩んでいる方々に集まっていただいていると思うんですけど。家業に戻る前までは地元を離れて、東京とかの大都市で家業と異なる仕事をして、今は家業に戻ってもガリガリいろいろやっていますというお三方に登壇いただきます。前職との家業とのギャップや、なぜ家業に戻ったのか、東京での生活に未練はなかったのか。そういう話をぶっちゃけトークしてもらおうと思っています。

ということで、田中諒さんからお願いします。

田中諒氏(以下、田中):ご紹介いただきました、大阪の難波で包丁店をやっています田中諒と申します。(創業)67年目で、僕で3代目なんですけれども、よろしくお願いします。

今日はこういう場にお呼びいただいてすごくありがたいなというか、すごく緊張しているんですけれども。もともとは電通グループのサイバーコミュニケーションズという、メディアさんの広告枠を広告代理店さんに提案する仕事をしていました。この渋谷の近くの代理店さんなどをよく営業で回らせてもらっていたので、すごく懐かしいなと思いながら見ています。

大阪から来ているんですけれども、ぜんぜんおもしろいことは言えないんですけど。みなさまの悩みの解決のためになるようなヒントが少しでもあればなと思いますので、今日はよろしくお願いします。

(会場拍手)

山田岳人氏(以下、山田):みなさんのこれからの話の理解を深めるために、どんな事業をしているのかとか、規模感なども僕のほうで聞いていきたいですけれども。

売り上げの6割がプロの料理人

山田:たしか店の包丁の品揃えは世界一やったと思うんですけれども。大阪の道具屋筋という、東京でいう合羽橋みたいなところで包丁店をやっていらっしゃって。僕も店に行ったことがあるんですけれども、とにかくすごい品揃えで、料理人の方がくるのかな。

田中:そうですね。お店の6割ぐらいの売り上げはプロの料理人の方で。

山田:創業何年になるんだっけ? 

田中:67年ぐらいですね。

山田:社員さんってどのくらいいるんですか?

田中:21名。

山田:どういうポジションですか? 

田中:僕は専務取締役で戻ってきました。

山田:新卒で、東京で広告代理店やったっけ? 

田中:ごめんなさい。1社目は正確に言うとソフトブレーンさんという会社にいて。ベンチャーに行きたかったんですけど、ソフトブレーンさんの子会社で働いていたんですけれども、1年でクビになってしまって。

(一同笑)

田中:その話も後でまたできたらと思います。

山田:そこは後で聞きますわ。今は専務としてやっている。今いくつだっけ? 

田中:34です。

山田:結婚しているんだっけ? 

田中:結婚しました。

山田:お子さんはいるんやったっけ? 

田中:いや、まだこれからというか、来年の4月に実は、あの……。

山田:おめでとうございます。

(会場拍手)

山田:社長になるとしたら、何代目になるの? 

田中:3代目です。

山田:お父さんが2代目になるの? 

田中:父親が2代目ですね。

山田:ありがとうございました。今日は彼のお姉ちゃんも聞きに来てくれているということでですね。後でお姉ちゃんもセッションに参加してもらおうかなと思うんですけど(笑)。まずは、僕たちのことをお話しするところの手前で、会場のみなさんのこともぜひ聞きたいなと思います。

「潜伏アトツギ」に向けて、先輩後継者が経験をシェアする場づくり

山田:実家が家業をしている方で、なおかつ34歳以下で、今東京にお勤めで地方から来ている方が35名。応募数は相当多かったらしいんですけど、その基準を満たさないということで、かなり断ったらしいです。応募数が3,000人ぐらいかな? 

選ばれた35名ですから、ぜひそう思って、後で参加者同士の横のつながりをぜひ持っていただけたらなと思います。家業を継ぐと決めている人はどれくらいいますか? 

(会場挙手)

山田:意外と少ないな。じゃあ、継がないと決めている人。

(会場挙手)

継がないと決めているけど、来たんだ。いいですよ。僕たちがやっているこのベンチャー型事業承継というのは、家業を継ぎましょうと言っているわけではないんですね。家業と向き合っていきましょうというのが一番最初のテーマ。

そこで継ぐと決めたんだったら、やっぱり腹をくくってやろうよと言っています。みなさん、これから経営者になる方、経営者になっていくと、言ったら(いずれは)経営者同士ですよね。僕と田中さんも、僕と奥野さんも経営者同士だから、これはフィフティ・フィフティという考え方のもとにやってます。

だから、僕たちがアドバイスするということもないし、されるということもないし。お互いが経験したこと、例えば資金調達。僕たちだったら、ベンチャーキャピタルから資金調達をしているので、そのときどういう経験をしたかという話をするとか、銀行借り入れにしても「借り入れとかってどうやってした?」「個人保証ってどうやってやったの?」とかそういったことを(シェアする)。

要は後継者しかわからないことを経験としてシェアしていますと。僕たちのコミュニティは、そういう場を作っているんですね。やっぱりこれはすごく価値があると思っていて、仲のいい幼なじみとか、大好きな彼女でも絶対に理解できない。その立場にならないとわからないことがあるので、そういう仲間が横のつながりでできる場ってすごくいいですよねということで、去年立ち上がったのが今日のイベントを運営している、一般社団法人ベンチャー型事業承継です。

ここで一生の出会いもけっこうあるんですよね。だから、みなさんもこの後に交流していただいて、一生の出会いになったらいいなと思います。

実家は創業116年のブドウ農園 28歳で家業を継いで5年

山田:では、田中さんの自己紹介が済んだところで、じゃあ次。

奥野成樹氏(以下、奥野):大阪府でブドウ農園を経営しております、奥野と申します。「かねおく」という名前なんですけれども、明治36年に創業して、今年で116年目の農園です。

ブドウ農園を経営しているというと、ちょっとかっこよさそうな感じもすると思うんですけれども、ブドウ農家です。家族経営のブドウ農園をやっておりまして。

具体的には、シャインマスカットとかピオーネとか、デラウェアという品種を作って、それを自分たちでお客様に直接販売したり、市場に出したりしているのが、メインの事業です。

それだけだとブドウの収益しかないですし、ブドウが採れる時期は年に数ヶ月しかないので、体験型のワインを作る事業とか、マンツーマンで農作業を教えるといった事業も新しく始めています。

自分ももともと田中さんと同じでサラリーマンをやっていまして、電機メーカー、車関係の機器を作っている電機メーカーで商品プランナーの仕事を4年ほどやってから、28歳の時に実家を継いで5年目です。今日はよろしくお願いします。

(会場拍手)

山田:(奥野の服装に対して)農家なのにスーツという、よくわからない格好をしてきた。「なんでスーツなの?」って聞いたら、「東京はスーツで来なきゃいけないと思った」というような。

(会場笑)

山田:どう考えても、ちょっとブランディングに失敗していますよね。

(会場笑)

山田:ここは作業着で来るべきところ。

(一同笑)

奥野:失敗しました。

山田:年がいくつだっけ? 

奥野:32歳です。

山田:それで28歳の時に入ったから、やりだして4年ぐらいか。

奥野:そうですね。

山田:結婚してるんだよね? 

奥野:結婚しています。

山田:お子さんが? 

奥野:3歳の一人娘がいます。

山田:女の子? かわいいね。

奥野:本当にかわいいです。

山田:うちも女の子2人なんですよね。大学生と高校生なんですけど、だからよく聞かれるんですよ。「跡取りはどうするんですか?」みたいな話をね。この辺も後でちょっといろいろと話したいなと思います。

「結婚は許すけど会社は継いで」 リクルートを辞めて、義父が営む工具問屋のアトツギに

山田:今日のアジェンダというか、トークセッションのテーマですが……俺の紹介をやってないか。

株式会社大都のジャック(Jack/山田岳人氏の通称)といいます。うちの会社は今年で創業82年になる、大阪の工具問屋ですね。僕も大学を出た後、リクルートという会社に新卒で入社をしまして、6年間営業をしました。学生の頃から付き合っていた彼女がいて、結婚しようという話になって、彼女の家に「娘さんをください」って言いにいったら、「娘をやるから会社を継げ」って言われまして。

結婚して1年後にリクルートをやめて今の会社に入りました。うちの奥さんが一人っ子だったんですね。先代であるうちの嫁さんのお父さん、義理のお父さんも一人っ子で、親族もいない。なので、会社を継ぐ人がいないので、「結婚してもいいけど、会社は継いでね」ということで、リクルートを辞めて今の会社に入りました。もともと工具問屋だったんだけれども、ホームセンターさんに工具を下ろすようなビジネスですね。社員数が15人ぐらい。

28歳で入ったときに、次の若い人が45歳というところなんですよ。15人ぐらいしか社員がいないのに、20代~30代が1人もいない。そして、リクルートって横文字を使うのが好きじゃないですか。そういうところで話をしていく中で、ぜんぜん話が合わない。かつビジネスがものすごく昔からのビジネスで、商品を仕入れて卸すというところで、ぜんぜん儲からなくって。

本当に会社が危なくなって、ホームセンターに卸すんじゃなくて、ホームセンターに来ているお客さんに、eコマース、ネット通販で直接売ってしまえと言って始めたのが、2002年です。だから入社してから5年間トラックに乗りましたね。そこでとにかく本業は完全に理解したので、次に打って出ようということで、今は売り上げのほぼ100パーセントがeコマース。入社したときの売り上げから15倍ぐらいになりました。

というところで、古参の社員との確執や、2007年に全社員を解雇するという場面もあったりとか、いろんなところを経験してきていたので、そういうお話をシェアするということを、今はやっています。

Jackと呼ばれているのは、うちの会社は全員イングリッシュネームで呼び合うという会社なので。あとで名刺交換してもらったらわかりますけれど、名刺にもジャックってちゃんと書いていて。社員は僕のことを社長と呼ばないです。みんなJackと呼びますし、この社団のメンバーもみんなJacKと呼ぶ。そんな会社をやっています。今日はよろしくお願いします。

亡き祖父が築き上げた信頼と実績に感銘 継ごうと決意したのは高2の時だった

山田:では、今日はお2人に聞きたいことということで、ざっと10個項目あります。じゃあ最初の質問。「新卒での就職先の決め手は?」。じゃあ田中さんから。もともと家業を継ぐ気があったのか。

田中:ありました。高2ぐらいで家業に入るというのは決めていました。

山田:そうなんだ。自分で?

田中:自分で。

山田:それはなんで? 

田中:おじいちゃんが創業者なんですけど、亡くなったのが僕が高校2年の時でした。僕はそれまではミュージシャンになろうと思ってたんですね。

山田:ならんでよかったね(笑)。

(会場笑)

田中:忘れないんですけど、学校の帰りに電話がかかってきて、「おじいちゃんが亡くなったから、あんたはよ来い」と。それでお葬式が終わって、その後に今のお店ですね、難波の包丁店に行ったときに、おじいちゃんが作った物であふれていたんですよ。例えば、包丁1本もそうやし、社員さんもおじいちゃんに惚れ込んで入ってきた人やし。店構えからお客さんから。

それを見て、「人って死なへんねんな」と思ったんですね。おじいちゃんが作ってきたものがずっと、おじいちゃんという人間が亡くなっても、法人はずっと続いていくというのを目の当たりにした。ありがたいことに、これを継いでいける立場にいるんやったら、これは絶対に継いでいきたいなと、そん時に思った。そこから継ぐことばっかり考えていました。

山田:兄弟は? 

田中:姉と妹がいます。

山田:じゃあ男の子は自分だけだし。でも、いきなりいい話から始めたね。

(会場笑)

田中:これは先に言うとこうと(笑)。

山田:そういうきっかけがあったんですね。じゃあ新卒で就職するときも、それこそすぐに家に入ってもよかったんじゃないの? 

田中:1回はぜんぜん違うところに行っておきたかったんです。親もけっこう優しいほうだったので、厳しい業界に身を置きたいということで。大阪から出て1人で東京に行こうというのが、最初に選んだ軸でした。

山田:おじいちゃんが創業者? じゃあおじいちゃんがカリスマやったんやろうね。

田中:そうですね。

山田:就職先はどうやって決めたの? 東京だったらどこでもよかったの?

田中:東京のベンチャーに行きたかったんですよ。本当にそれだけ。だから、作られてまだ10年以内の東京の会社という軸だけでした。

山田:ここにいる人たちはみんなアトツギだからあれだけど、ベンチャーというだけでなんかかっこいいよね。そういうのはあるじゃない。

田中:スタートアップがうらやましいなと。

山田:スタートアップとかベンチャーはかっこいい、後継ぎダサいみたいな。

田中:そうですね。

山田:これを変えなきゃいけないんですよ。僕たち社団は、アトツギかっこいいみたいなね。

俺にはブドウしかない 同世代のある起業家との出会いで心が動いた

山田:じゃあ、一緒の質問しようか。ええ話すぎて、次はやりにくいかも。

奥野:そんなええ話はできないんですけれども。田中さんとは対照的で、とにかく家から離れたかったというのが1番でしたね。ガキの頃からずっと畑仕事の手伝いをやってきたので。

山田:手伝ってたんだ? 

奥野:お盆休みはまったくないし、正月もなかったんで。それでとにかく家から離れた場所にいきたいと。なおかつ将来的には海外に逃亡しようと思っていました。なので、海外の売上比率が高い会社という軸で企業選びをした。9割以上が海外やから、「これやと逃げられそうやんな」という感じで選びました。

山田:新卒のアルパインのこと? 

奥野:そうです。

山田:あそこ、9割が海外なんだ。

奥野:その当時は9割海外でしたね。正直に言うと就活に失敗して、限られた中から一番遠くに行けるのを選んだということなんですけど。

山田:じゃあ、そのときは継ぎたくないと思っていたということ? 

奥野:もう完全に。

山田:継ぐ気がない。

奥野:絶対に継ぐものかと思ってましたね。

山田:じゃあ、そのまま2番目にいきますけれども、「なんで家業を継いだの?」。なんで、それだけずっと昔から嫌だった農家という家業を継ごうと思ったの?

奥野:結論を言うと、かっこいい起業家に出会ったんですよ。ちょうど願いが叶って、東京に本社がある会社やったんですけど、福島県のいわき市というところに勤務地が決まったんですよ。「これでもう帰らんで済む」と思ってたんですけれども、ちょうど入社する直前に東日本大震災がありました。

福島県のいわき市の、第一原発から100キロぐらいのところに会社があったんですよね。現地に行くともう悲惨な状況で。人が亡くなられていたりとか、いろんなネガティブなことがあったんですけれども、一方で東京でかなりステータスがある企業や、高い学歴を持った同年代の若いやつが福島県に帰ってきて、自分でビジネスを起こす姿を目の当たりにしました。

そいつらと関わる機会があったんですけど、やっぱり根底にあるのは自分がどう見られているかじゃなくて、福島県のために、故郷のために自分の人生の炎を燃やしたいという感じなんですよね。それがしんどそうじゃなくて、楽しそうだったんです。こいつらはかっこいいなと思った。しかも同い年のやつらがたくさんいたんです。

俺の場合はなんやろうと思ったら、ブドウしかなかったんです。親父が一生懸命働いているのをずっと見ていたので、これをなんとかしたいというので家業を継ぐことにしました。

ロジックで立ち向かって父親と衝突 結果を出さないと認められない世界

山田:それは自分からお父さんに言ったの?

奥野:言いました。

山田:(お父さんは)何て言ったの? 

奥野:絶対やめろって(笑)。

山田:そうなんだ(笑)。何でなん? 

奥野:「儲からへんし、将来がない」って。

山田:儲からないんだ。

奥野:儲からない。農業は労働に対しての対価は少ないですよね。

山田:でも反対を押し切って「やる」と言ったの? 

奥野:はい。帰りました。

山田:今はじゃあお父さんと一緒にやっているのね。

奥野:そうですね。一応一緒にはやっていますけれども、一緒の畑では絶対一緒に仕事はしないです。けんかするんで。

(会場笑)

山田:畑で分けてるんや。

奥野:畑で分けます。

山田:こっからここは俺の畑みたいな。

(会場笑)

奥野:顔もほとんど合わせないですね。

山田:親子って、何でそうなんねやろうな。聞き入れがたい? 

奥野:ぜんぜんロジックがないんで、聞き入れがたいですね。「俺がこうやってきたから、こうすんねん」という。まったくそこに納得がいかないので。「俺は絶対こうしたほうがいい」と論理的に言うんですけど、そこは絶対に合わないので(畑を)分けます。

山田:それで、けんかになる? 

奥野:最近はけんかもしないですね。

山田:口をきかない? 

奥野:口をきかないです。事務連絡だけですね。

山田:あんまりいい事業承継ではないんですね(笑)。

(会場笑)

奥野:ただ一応、だんだんと認めてくれるようになってきました。

山田:まだ言うても、農業で経験が4年とか?

奥野:ちょうど5年に入ったところですね。

山田:年に1回から収穫期が来えへんから。

奥野:おっしゃるとおりです。

山田:4回、5回しか経験していないということでしょう? 

奥野:おっしゃるとおりで、父親からすればまだまだ若造でしょうし、そう思われるのも仕方がないなと自分もわかっています。ずっと結果を出し続けて、徐々になにも言われなくなってはきました。

山田:そういう部分もありますよね。やっぱりある程度先代を納得させるためには、結果をある程度出してというのは一番(大切です)。「できもしないのに、知りもしないのに何言うてんねん」という世界はやっぱりあるじゃないですか。古い業界ほどあるだろうし、創業百何年とかいうと、とくにそういうのがあるんだと思いますね。

50歳で若手、そろばんで計算 継いだ直後はカルチャーショックの連続

山田:お父さんとこれからどうなっていくのかというのもすごく楽しみですけれども、(田中氏に対して)「なんで継いだの?」。家に帰ったのはどのタイミング? 

田中:30歳ぐらいで帰ろうとは思ってたんですよ。

山田:はなから継ぐ気やったからね。

田中:30歳になったときに、さっき言った前職のネット広告の会社で、自由度の高い企画で自分の爪痕を残したいなとなっちゃって、もう1年ちょっとがんばらせてもらった。そして満を持してというか、31歳になったタイミングで、戻ってきました。

山田:31歳で戻って、今は34歳やったっけ? 

田中:そうです。

山田:じゃあ、まだ帰って3年か。

田中:そうです。

山田:じゃあ業界の中ではペーペーやな。

田中:本当にそうですね。70歳で若手と言われるんで。

(会場笑)

山田:本当に業界によってはあるんですよ。僕らの金物業界でも、本当にそうです。リクルートを辞めて28歳の時に帰ったときは、僕の居場所ではなかったわけで。入っていったら、次の若い人が45歳だから、やっていることがすごくアナログ。伝票も全部手書きだし、経理のおばちゃんがいるんですけど、計算をそろばんでするんですよ。

(会場笑)

山田:「うそやろ!?」って思ったんですよね。でも、めちゃくちゃ速いんです。おばちゃんは電卓も使えへんから、電卓すっ飛ばしてExcelを教えてあげた。「Excelというのがあって、ポンッと数字を入れたら勝手に計算するから」って言うたら、Excelに入れた数字をそろばんで計算してた。

(会場笑)

山田:「合うてるかどうか確認してんねん」って言うから、「これは絶対合うてるねん」「理解できひん」と。業界によってぜんぜん古くて。

うちの先代で当時70歳ぐらいだったかな。「今からうちの若いやつ、行かせるわ」って電話の声が聞こえて、「よし、俺の出番かな」って思ったら、「ニシモトさん、行ってきて」と。ニシモトさんって、もう50歳ですよ。「若手行かせるわ」と言って50歳を行かせたから、もうびっくりした。そういう業界です。

田中:(参加者が)すごい笑われていましたけど、うちの経理の方もそろばんでした。

山田:けっこうそろばん派がいる? 

田中:そう思いますよ。

東京での仕事をやり切り、家業を継いだのは31歳の時

山田:でも、これは帰るまでわからなかったと思います。帰って気がついたというか、僕はとくにそうですけれど、自分の家業ではなかったので、会社に入るまでに社員さんと会ったことがなかったんですね。初出社の日が初めて社員さんと会う日だった。どういう人がいるかもぜんぜん知らなかったし、どんな仕事をしているかもまったく知らなかった。決算書も見ずに入ったし、たぶん見てたら入らなかったと思うんですけれども。

そういうところで、自分の家の仕事なんだけれども、実態とかリアルな現場を知らないというのは、けっこうあるんじゃないかなと思います。

それで、何でしたっけ? 

田中:家業をなぜ継いだのかは、高2のときのその経験からきてますね。

山田:30歳のときに「じゃあ帰ろう」と言って、お父さんに「帰る」と言ったのね? お父さんが「帰ってこい」って言ったの? 

田中:「30歳ぐらいかな」と言ってたんで、30手前ぐらいから、「お前いつ帰ってくんねん?」とはなってたんですよ。ただちょっとやりたい仕事があるから、「もう1年やらせてくれ」と言って31歳で帰った。

山田:そこはもう、お父さんはウェルカムだったんだ? 

田中:はい。

山田:そこは奥野さんとはぜんぜん違うんですね。奥野さんは「もう来んな」と言われた。こっちはウェルカムと言ったのね。

田中:たぶん戻ってきてほしいとは思っていたと思いますよ。やけど、一回も「戻ってこい」とは言われてなかったですね。ただ、僕が戻ると言ったときはたぶんすごく喜んでいたと思いますね。

山田:そうなの? 

田中:いろんな方から「すごい喜んでんで」っていうのを聞く。

山田:本人に直接言わへんの? 「帰ってきてうれしいわ」みたいな。

田中:言われなかったですね。

山田:親子ってそんなもんなのかもしれへんね。

田中:そうですね。

「ブドウの枝切りで1日が終わるのでは」 自分の学びが止まってしまう不安との戦い

山田:じゃあ「戻ってよかったと思う出来事」。これは家業に入ってよかったなと思ったこと。じゃあ、奥野さんからいきましょう。

奥野:矛盾するようなんですけど、やっぱり内心親父が喜んでくれているんですよ。勝手に新しい軽トラを買ってたりとか。

(会場笑)

山田:「喜んでるやん!」っていう。ものすごい歓迎しているんやね。

奥野:こうやって前に出てしゃべらせてもらうとか、ビジコンとか取ったとか、なんも言わないんですけど、「おめでとう」ってぼそりと言うんですよ。

山田:言うんや。

奥野:それがやっぱり、「ああ、よかったな」というのが1つありますね。もう1つは心配してたことが思ったよりも大丈夫やったっていう話ですけれども。毎日が農作業なんです。今の時期はブドウの枝を切ることで1日が終わるんですけれども、(当初は)そんなことをしていると、自分の学びが止まってしまうんじゃないかってすごく心配で。(そんな気持ちで前職の)会社を辞めたんですよ。

田中さんと同じように最後の1年はめっちゃがんばったんですけど、いざ家業を継いでみると、人間の内面的なところでけっこう鍛えられた。会社員をやっているよりも幾分成長はできているだろうなって自分で思うぐらい、自分の内面的に鍛えられているなと思った。それが思ったよりもよかったなという感じです。

山田:成長を自分で感じることができると今感じている、それをよかったなと思っているということ? 

奥野:今は感じていますね。

山田:それはおもしろいというか、深いですね。どういう学びをしているの? 自分でどうやって学びを得ているの? 農業って、1日ずっと枝を切っているわけでしょ。

奥野:はい。

家業を継ぐと決めたのは自分 いつの間にか他責にしないクセがついた

山田:どういう学びを得ているの? 社員さんって今いないって言ってたよな? 

奥野:そういう知識とか技術の学びで言うと、他の篤農家の方の畑に行って学ぶとかはありますけど、どちらかというと内面的です。やっぱり経営者の先代である父親とのいざこざがあったときに、会社員の頃はきちんと筋が通っていれば話が通ったのが、通らないという葛藤の中で、鍛えられるというか。うまく言葉にはできないんですけれども。もし会社員をやっていたらなかったよなというのはありますね。

山田:それはありますよね。愚痴を言っても仕方がないというか、「だって家業じゃん」という。自分で決めて入ったんだから、誰に愚痴を言うてるんっていう。それは思いますよね。

僕なんかも入社してしばらくは辞めたくて仕方がなかったんですよね。おもしろくないし、入社してから5年間トラックに乗ってましたから。リクルートでずっとスーツを着てアタッシュケースで営業していたのに、ある日突然毎日トラックに乗って、外で営業に行くというのが、配達ですよね。

車を道に止めて寝たりしてたからね。「俺は何をしてんねやろ」と(笑)。そう考えると腐ってた部分はあるけど、結局誰かのせいにしても仕方がないというか、自分の責任。他責にできないじゃないですか。だって決めたのは自分じゃんっていう。それは、そういう癖がついてきますよね。

奥野:そうですね。

山田:他責にしないという癖がついてくる。うちのスタッフにもよく言うんですけどね。うちの会社に、「他責にしない」というルールがあるんですけど。チーム同士でも、システムが悪いとか営業が悪いとか、そういうことを言いだすやつがいる。もしくは政府が悪いとか、社会が悪いとか、学校が悪いとか、「どこまでいくねん!」っていう。みなさんもこれから経営者になっていくと思うんですけれども、そこは経営者として、誰のせいにもできない。それこそ「先代が悪い」とか言ってもどうするんっていう。ありますよね。

奥野:そうですよね。

山田:そういう学びね。それを枝切りの間に考えているわけですもんね。

奥野:(笑)。それは腹立つこともいろいろ言いたくなることもありますけれども、そうですね。結局誰にも言い訳できへんなっていうのを、自分の中で落としていくような感じです。

山田:しかも相手は生き物(ブドウ)ですからね。

奥野:そうですね。

山田:その辺はまた僕らと違うんだろうなと思いますけれどね。だって天候のせいとかにできないじゃないですか。

奥野:そうですね。

山田:天気が悪いから収入がありませんって言うわけにもいかないでしょう。

奥野:はい。