「誰しもが何かしらの主張がないといけない」空気はヤバい

若林:最初の話に戻っちゃうんだけど、どう言ったらいいのかな。最近思うのって、好きなミュージシャンがTwitterとかをするじゃない。

それで、政治に対するスタンスとかそういうのがどんどん言語化されていくと、「あれ、これ音楽聞きづらくなってきたな」みたいなことって……。

陳暁:私はそれに出くわしました。

若林:マジで?

陳暁:はい。

若林:そういうのってあるじゃん。

陳暁:あります。

若林:例えば、「おそらくこういうタイプのミュージシャンなんだから原発に反対だろうな」と思うんだけど、それってあんまりいらない情報。しかもそれをすごくロジカルに言われても、「いや音楽だけやっててもらっていいですか」みたいな感じになってきちゃうわけ。

つまりホールとして、とくにSNSみたいなものによって、俺らが全人格的に知らなきゃいけないみたいな設定になっちゃっているということがあるのかなと。

TAITAN:“俺ら”というのは、いわゆるメディアの前に出る人のことですか。プレイヤーということですか。

若林:いやいやいや。みんながという。

TAITAN:ああ、みんなが。でもそれ、僕もめちゃめちゃ思ってます。1番感じたのは選挙の時。こないだの時とかも、いろんなソーシャルイシューみたいなものが、ばーっとあって。パワーワードとして出ているじゃないですか。その時に、「全人類が何かしらの一家言がなきゃいけない」みたいな。

若林:そうそうそう(笑)。

TAITAN:僕はあの空気はヤバいと思ってる。何かしらの立場表明をしなきゃいけないなんてことはぜんぜんないのに、そういうものを強制する力が、なんとなくみんな押し付け合うというか。“やっちゃってるな”と思うことはけっこうありますね。

陳暁:TAITANさん、そういうのめちゃくちゃいいっすね。

TAITAN:ありがとうございます。

若林:あはは(笑)。

TAITAN:例えば、隣のかっこいい人が「選挙に行こうぜ」と言って、行かなきゃいけない理由とかをロジカルに無理やり語ることとか。どっちかというと僕は選挙に行ってほしいと思ってますけど。「自分も何かしらの意見を発信しなきゃいけない」っていう「しなければならない」みたいなことって、無駄ではないけど思考が窮屈になるだけ。

若林:ね。

TAITAN:それはもったいないなと、超思いますね。

SNSのユーザーは“フィルターバブル”にかかりすぎている

陳暁:そう思います(笑)。選挙はマジで、大したことじゃないんですけど、私個人がそういう事件にあったんです(笑)。私はTwitterを始めて今1年半ぐらいで、フォロワーが3万人ぐらいいる。普段はやっぱり、中国の情報とか自分の情報、自分の思想を投稿してるんですよ。個人アカウントなので好き勝手にね。

何かの名前を背負ってるわけでもないので、好き勝手書いてるんですけど。選挙の時に私はTwitterをやっていなかったので、インターネットポリシー、ローカルルールをわかっていなかった。私をフォローしてくれている3万人って、すごく不思議でいろんな人がいるんですよ。中国カテゴリの人もいるし、音楽カテゴリの人もいるし、起業家カテゴリの人もいるし、リア友もいる。

ざっと8〜10種類ぐらいいるんですね。ただ私は好き勝手に、この10種類に当たるようにいろんなことを幅広く書いている。だからいろんな人がついてくれていて。

おもしろいのが、みんなそのフィルターバブルにかかりすぎてる。それが私がフォロワーをゼロにした理由なんですよ。フィルターバブルって、ただの弊害でしかないと思ってる。それこそ選挙の時とかに炎上した時に、その人たちの数千人のフォロワーも同調意見しか発生していないパターンが多いんです。

揉めごとが面倒くさいから、賢い人たちは書かないんですね。Twitterって140文字の制限されたクリエイティブじゃないですか。みんな別に深掘りしないんですよ。メディアリテラシーと一緒で、タイトルだけ読む人のほうが多い。大体8割くらい。

私は、「自民党はここがいい」「立憲はここがいい」とか書いてて、「投票はここにしようかな」「うーん、でもな」とか、プライベートアカウントだから自由に書いてたんですよ。そしたら、エゴサをするとその時期に「夏代さん、好きだったのに嫌いになった」みたいな。フォロワーが3,000人ぐらい減ったんですよ。

若林:ごっそりな(笑)。

「他人は他人だろう」と思う感覚は必要

陳暁:知り合いでもないのに、想像で。もうくだらないなと思いました。さっきのファンの話に繋がるんです。自分のフィルターバブルの中で、自分と違う意見の人を半分以上想像で「やったやってない」とか、「この人はこう思ってるから嫌いだ」と、離れて行っちゃうのってすごくもったいない。あと人は基本、自分と同じことをしてる人を嫌いになると私は自戒も含めて思ってるんです。

それにすごく嫌気がさした時に、自分はどうなんだろうと思ったんです。自分もそうなんすよ。私は自分に客観視のフィルターをめちゃくちゃ強制的にかけてるんですけど、それでもやっぱりTwitterの投稿とか普段の出演とかで発言の一部が「すげぇ嫌だな、この人」と思う時があるんですね。

これ以上、私は人を嫌いになりたくなかったんですよ。たった140文字の裏にどれだけのバックストーリーがあるか、前後の文脈があるかもわからないようなもので、人に好きとか嫌いとかを感じたくなかったんすよ。

若林:そうなんだよな。

陳暁:はい。だからゼロにしたと(笑)。

若林:わかる。だから、こいつのこと好きなのかな、嫌いなのかなというのを、よく知らない奴に対して「何で俺が思わなきゃいけないんだよ」みたいなことというのは、無駄だよね。

陳暁:無駄ですね。

若林:だから要するに、他人は他人だろうみたいなことはけっこう必要。音楽とかのいいところというのは、ある種のフィルターになってるとこなんでしょうね。

しかも、いわゆる僕らが使ってる自然言語というのかな。それではなくて、違う言語によってそれが語られることによって、ある種、中和もされる。しかもやっぱり、僕も文章とか書くけど、文章なんていくらでも嘘がつけるんすよ。自分が思ってないことだって、いくらでも書けるんですよ。それが基本的には文章の技術というものなので。

だから、「書いてあるものが全面的に自分のものである」という感覚も、やっぱ嘘だと思うわけ。自分が知らない自分が音楽の中に出ていたりもするわけです。「それに関しては、全部お前の責任だよな」というものでもないじゃない。わかる?

TAITAN:はい。

余計なノイズが発生しない、ピュアな表現の場を作りたい

若林:そうそう。だからそういう意味でいうと、実はTITAN MANが作った音楽、Dos Monosが作った音楽というのは、Dos Monosからもちょっと離れていて、聴き手との間に置かれている感じ。「音楽ってそういうもんだな」という雰囲気はちょっとするんですよ。

陳暁:それってラッパーに限らず、世界の今のトレンドとして求められているのって、“本人の強い思想”だったりするじゃないですか。

TAITAN:そうですね。

陳暁:それとのギャップはどうなんですか。

TAITAN:たぶん今、人気というか上り調子になるラッパーの方は、例えばマイク1本で「俺が地元を背負ってなんとかなんとかだぜ、云々(うんぬん)」みたいなことを言うと、やっぱ……。

若林:そんなに馬鹿にしなくていいから(笑)。

TAITAN:いや、馬鹿にしてない。そうやって特徴を正確にとらえると、云々(うんぬん)かんぬん言っているわけですよ。やっぱり、マイク1本で地元でやると共感の束ができやすいから、いろんなリスナーがついてくる。別にそれに対して否定的な眼差しは向けないんですけど、少なくとも僕はやりたくないんですよ。

若林:なんでやりたくないの?

TAITAN:えー、やっぱり恥ずかしいですよね。

若林:(笑)。いいな、俺は好きだわ。

TAITAN:ありがとうございます(笑)。Dos Monosは僕にとって、ユートピアであってほしいと思ってるんです。だから僕はよく言っていて、Dos Monosの中で流通している言語は、例え俺の言葉にバーコードがつかなかったとしても価値は必ずある。そういうユートピアであってほしいみたいなことを、すごく思っているんです。

だからバーコードをつけたいんだったら……例えば、僕は相模原の出身で米軍基地の隣で育ってたりするんですよ。すごく貧乏だった時代とかもあったりするので、そういったことをアジテートするような筆跡で書けば、もしかしたら「TITANさんのリリックに命を救われました」みたいなことを言ってくれるのかもしれない。

僕はDos Monosの上ではそういうことをやりたくなくて、ユートピアであってほしいなと。

若林:ユートピアってどういうことなの。

TAITAN:そうですね、余計なノイズがあんまり発生してほしくない、どこまでもピュアでありたいという……。

若林:あー、なるほど。

TAITAN:そうですね。言語のある場所として。

陳暁:めちゃくちゃわかる。同じことをしています。

メディアは「新しいタグ」を開発して社会化していく必要がある

TAITAN:でも、メディアの表に出る人とかは持っておいたほうがいいかもな、という感覚だったりするのかもという気はちょっとしますね。

陳暁:それをやっていると行き止まるんですよね(笑)。今のトレンドの需要にハマらないんです。それがメディアとかで編集されてて、1番身に沁みていると思います。

若林:だからね、なんか……。

陳暁:あえてタグをつけるみたいな。

若林:だから本当はあれなんですよ。やっぱりメディアは、タグづけみたいな行為から逃れられないというのはあるとは思うわけ。編集という作業って、やっぱり方向性を与えるということなので、本当はメディアとかは新しいタグを常に開発して、それをできるだけ社会化していく(ことが必要)。

そうすると少し、ある言葉の中にもうちょっと多様性を与えるというか。その言葉自体にラベルはつけなきゃいけないんだけど、それが指し示す内容は「これぐらいあってもいいぞ」みたいな感じで、拡張していくということ。

だからそれがたぶん、実は豊かさみたいなことなんだろうなという気はするんだけどね。結局、言葉ってラベルなので、少なくともラベルを使うしかないんだよ。

例えば、普通にみなさんが使っているAppleみたいなものが、コンテキストとして入り込むわけじゃない。あるいはビートルズというコンテキストが入り込んだりしたって、「Apple」と言った時の言葉の領域はめちゃくちゃ広いし、豊かなわけじゃない? だけどそういうものを、やっぱりその時代の中で、ある種そこの豊かさを与え……大丈夫? 俺、もしかして変な話してる?

TAITAN:してない、してない(笑)。大丈夫ですよ。

若林:俺、けっこう貴重な話をしているつもり。

(会場笑)

TAITAN:いやいや、そうですね(笑)。

陳暁:聞いてます。

個人の解釈は、その人が生きてきた人生で考えられる範囲でしかない

若林:だからたぶん、ラッパーと名乗った時に、TITAN MANって「あ、ラッパーってこれもアリなんだ」というかたちで、ラッパーという単語が拡張していくというか、豊かになってくみたいなのが大事なんだろうなと。

TAITAN:それは思いますよ。だから、僕はモルモットみたいなもの。というか、実験体でいいやと思ってる。僕みたいな存在がいたって、別に世の中は総崩れしないし。なんなら、僕みたいな、僕らみたいな変な奴らが存在しているってことがもしかしたらなんか、(ラップ調で)「おらおらおら、俺は〜ストーリーだぜ~」みたいな。

陳暁:わかったわかった(笑)。めちゃくちゃ言うな。

TAITAN:ある人とかにすごく共感する人から溢れちゃうような、すごくムカついてるけどそれを言語化できない、昔の俺みたいなやつに届く可能性があるんだとしたら、いいなと思ったんですよね。

陳暁:物事は全部みなさんの解釈だと思ってる。

若林:なるほど。

陳暁:それは言葉でさえもそうなんです。目から入った情報もそうだし、五感は全部解釈なんですよ。その人が生きてきた人生で考えられる範囲でしかなくて、それは永遠に対話できないものだと思ってるんですね。だから私がここに存在して可視化するしかない。

TAITAN:それは超わかるよな。

みんなが「他の誰にも似ない何者か」であることに気付いてほしい

陳暁:拡張というテーマに関しては、みんなの解釈の幅を、要は機械学習と一緒でデータを与えないとそれ以上広がらないから……私n1なんですよ(笑)。こういうn1が増えていけば「でもこういう人もいるしな」とみんなの記憶に中に入っていく。存在することが拡張に繋がってるというか、そういう意味で強く生きてる感じはありますね(笑)。

TAITAN:それはめちゃめちゃわかりますね。例えば僕なんかも、ラッパーなんかがこんなとこに出てるのが、ともすればクソださい行為だったりするわけです。でももしかしたら、この中に今僕がこうやってマイクを持ってラップの言語とは違うかたちで言葉を発信していることで、誰かが少しでも心が動いたりする可能性のほうに僕はかけたいと思っている。

さっきの陳暁さんのお話を借りるならば、僕が存在してるということ、要はアイデンティティという話にかけると、みんな検索結果はきっと1位なわけですよ。僕も検索結果は1位。いろんなラッパーであったりとか、あるいは僕も会社員をやってるから「会社員でやってます」みたいな、いろんなタグがある。

そういったものを総合して、他の誰にも似ない僕がここに存在している。その事実をこういう場で目の当たりにしていただくことで、みなさんが自分も他の誰にも似ない何者かなんだ、みたいなことに気づいてもらえることには価値があるなと思ったりしますね。

陳暁:そうですね。定型文じゃないところで派生させてる感じはありますね。

若林:なるほどな。