サイボウズ青野氏が、人生の目的を考え直したきっかけ

司会者:それでは、ここからパネルディスカッションとして、豪華なゲストのみなさんをお招きします。パネルのみなさんと同席で、ここからはゆっくりお願いをしたいと思います。

フレデリック・ラルー氏(以下、ラルー):先ほど、この3人の間では短く自己紹介をさせてもらいましたが、会場のみなさんのために、もう一度自己紹介をそれぞれしていただければ。また、先ほど私がお話したような感じで、ご自分の人生の中で、存在目的が明確になった瞬間や、不明確であった時期なども少し付け加えていただけるとうれしいです。

青野慶久氏(以下、青野):みなさん、こんにちは。サイボウズの青野と申します。情報共有のソフトウェアを22年間も作って売っている会社です。会社を作ってから、割合早く3年くらいで上場したんですが、業績が伸び悩む時期がありました。もうグループや事業だけじゃダメだということで、M&Aをすることになりました。1年半の間に、9社も会社を買収するようなことをやりまして。

すると、会社の中がむちゃくちゃになりました。業績はまた傾くわ、離職率は高いわ。2005年のサイボウズは離職率が28パーセントもあり、4人に1人が入れ替わるような事態を招いてしまった。それがまさに、私が人生の目的を考え直すきっかけになったできごとです。

本当に何がやりたかったんだろうか。上場企業の社長になって、会社を大きくしなければいけないと、どこかで囚われていた。そうしないと、日経新聞の人に悪く書かれるのでね。

(会場笑)

「減収!」なんてすぐ書きますから。それがやっぱり怖かったんだと思います。でも、それを1回諦めました。本当にやりたかったのは、こうして情報共有をする組織が増えて、組織がハッピーになっていくこと。そこで働く人たちが幸せになっていくことだということ。そこに立ち返ることができた。

それをやるために自分は起業したんだと気が付いて、買収した9社のうち、8社を売却し、もう1回グループウェアだけでやろうといって、今もずっとこの事業をやっています。そうすると、離職率もだんだん下がってきて、マネジメントのやり方も全部変えられた。

もう本当に、一人ひとりが楽しく働けて、働く時間も場所も選べるようなマネジメントに変えていった結果、離職率は下がり、実は業績もまた上がってきたという。そうしたおもしろい経験をさせていただいております。それがサイボウズでございます、はい。どうもありがとうございました。

(会場拍手)

個人が自由に働ける環境を作るうえで重要なこと

上田祐司氏(以下、上田):ガイアックスの上田と申します。パネラーの方に同じく関西弁の方がいらっしゃるので、すごく安心感があるんですが。20年ぐらい前のことです。創業期が同じくらいなんですが、ガイア理論というものに出会いました。地球は1つの生命体であるということ。これはすごいと思いました。でも、僕たちは自分のことは1つの生命体だと感じられても、どうしても、世の中のことまで1つの生命体だとは感じられない。

どうしたらいいんだろうと思っていたときに、インターネットに出会いました。インターネットはすごいじゃないですか。バラバラの僕たち、われわれ同士が脳でつながっている感じがする。きっちりとつながっているともつながっていないとも言えない、独特の感覚。これはすごいと。インターネットを使って、赤の他人と赤の他人をつなげるサービスをするぞということで、この会社を作りました。

そこで、情報や感想を共有するソーシャルメディアという産業名で、サービスも伴うもの。「うちに泊まりなよ」とか、「車で送っていくよ」とか、「ごはんを食べなよ」というようなサービスを伴うものがシェアリングエコノミーだと思いますが、そうしたソーシャルメディア、シェアリングエコノミーのカテゴリのビジネスをしています。

こうした脳と脳とがつながっていくことを、わがガイアックスのグループでもやっていきたいというのが、まさにチャレンジなのではないかと思っています。事業もチャレンジなんですが。やっぱり、いくつかはがんばってやっています。

例えば会社全体としては、もう興味がなければ来なくてもいいよと。もう自由出社、自由参加、全体会議、合宿、研修もなんでも好きに参加して、来なくてもいいよと。逆に興味があれば、外の人も来ていただいてもいいよ、ということですね。

全社合宿などはもう2~3割は外の人がいらっしゃる。オフィスはNagatachoGRiDというところで、僕も働いているんですが、周りは赤の他人だったり。そうしたことも普通にある感じです。その中でグループとしてはどんどん小さくしています。株式会社をどんどん作っている。1つのグループは、すぐ株式会社になっていくので。

その会社の株式の3~4割はそのチームで持っていていいよ、と言っています。しかもガイアックスとしては議決権も行使しません。議決権放棄書を差し引いて、みなさんがどんどんやりたいことをやってください、と。個人個人として、副業もオッケーですし。

出社するのも自由。社内でも、部長さんから、「お前の部でこのデザインを受けたらいくらなの?」「200万です」「お前個人で受けたら? 副業で受けたらいくらなの?」「あ、50万です」「じゃあ個人で頼むわ」というようなこともオッケーにしています。

(会場笑)

もう、個人も自由に働ける感じです。だからこそ重要なのは、一人ひとりがライフプランを持って、俺はこういうことをやりたいんだということを立てて、自分のライフプランや働き方、そして自分の給料も自分で決めるようにして、熱意を高めていくこと。もう、できるだけみんながその気持ちで社内交流しあえるような組織を作ろうとがんばっています。

(会場拍手)

みんなのわがままを聞いていけば、自分の夢に近づける

ラルー:お二人とも、普通の主流の経営手法とはとても違うやり方を選択されているようですが、そうした決断をあなたにさせた個人的なストーリーはありますでしょうか。それをシェアしていただけませんか? ビジネスリーダーの99パーセントは、お二人と比べればもっと伝統的なやり方をされていると思うんですね。

他の人から見ると、「それは普通じゃない」と思われるような新しいやり方を選ぶ背景となった、あなた個人の育ち方や、または今までの旅路の中で起こったこと。そういったことをシェアしていただけますでしょうか。簡単な質問じゃないことは承知していますが。

(会場笑)

本当に知りたいんです。

青野:なにかが私を通してしゃべってくるのをちょっと待ちます。

(会場笑)

私には野望がありまして、この情報共有をする組織が増えれば、もっと人類は幸せになる。どこかでこう確信しています。それをどうしてもやりたいんですね。残念ながら、理由はわからないんですが、どうしてもそれがやりたくて、もう自分でも抑えきれないんですね。

でも、これをやろうと思っても、残念ながら自分の力だけではどうしようもない。ソフトウェアを作ってくれる人、広めてくれる人、そしてこの組織をマネジメントしてくれる人、いろんな人に手伝ってもらわなければいけない。でも、離職率が28パーセント(笑)。

自分の夢がまったく実現できないので、なんとか辞めないでほしい。なんとか手伝ってほしい、と。それで一人ひとりに、「どうすれば辞めないで残ってもらえますか」と聞いていったんです。すると「残業をしたくない」という人が出てきた。最初に聞いたときには頭にきましたよ。

(会場笑)

「ITベンチャーに入っておいて、残業したくないなんて、お前はなにを言っているんだ」と。それから、「週3日間しか働きたくない」という人も出てきたし、「副業がしたい」という人も出てきたし、「会社に出社したくない」という人も出てきた。最近では、「イタリアのナポリで在宅勤務がしたいです」という人も(笑)。

(会場笑)

そんなよくわからない人まで出てきましたが(笑)。それをこう、一つひとつ聞いていきました。でも、それさえ聞いてくれれば、力を貸してくれると言うんですよね。それを聞いていくと、みんなのモチベーションもどんどん上がるし、いろんな人が集まってくれるので、新しいアイデアもどんどん生まれるようになり、より一層自分のビジョンに近づいていく感覚が得られました。

「ああ、これでいいんだ」「こうやってみんなのわがままを聞いていけば、自分の夢に近づけるんだ」。それを確信した。ストーリーとしては、こういったことがありました。

「真剣に志を立てれば、ことは半ば達せられたといってもよい」

ラルー:もう少し深めたいのでお尋ねします。非常に見事なストーリーになっていると思うんですね。なにか上手くいっていないことがあった。先ほど、離職率のグラフを見せていただきましたが、何年かの間はすごく離職率が高くて、あるときを機にシュッと下がっていますね。

そして、売上のグラフも見せていただきましたが、ずっとこう(下降)だったものが、あるとき突然こう(上昇するように)なった。そんなに上手くいっていない状況の中で、「辞めたい」と言っている人たちと会話をしようというんだから、それはとてつもない勇気だと思います。

「どうすれば幸せになれるか」「どうして辞めるのか」と聞くわけですよね。もしかしたら自分が傷つくかもしれない立場にあえて身を置いて、会話をなさった。物事が上手くいっていないときにそれをやるのは、すごい勇気だと思う。普通、私たちは、上手くいってないからこそ、「とにかくがんばって、このやり方を完遂するんだ」と押しつけてしまいがちです。

そのときに、あえて立ち止まって従業員との会話を選んだのは、なにが起きたからだったんでしょうか。

青野:もう忘れもしない、2006年の12月ですね。人生を諦めたことがありました。自分には才能がないんだ。もう力がないんだ。そのときは、もう死にたいというより、消えてなくなりたいという気持ちもありました。交差点で信号を待っているときに、頼むから1台、僕の方に走ってきてくれないだろうかと(笑)。

(会場笑)

そうすれば、僕はこの世の中から消えられるのに。そんな時期でした。

そんなときに、私が前に勤めていたパナソニックの創業者の松下幸之助さんの本に出会いました。真剣という言葉がそこに書いてあったんですね。「真剣に志を立てれば、ことは半ば達せられたといってもよい」。こういう言葉が書いてあった。あぁ、そうかと。

この山を乗り切るには、やっぱり命がけの思いが必要なんだと。幸い、僕はまだ生きているから、残りの人生は、こんな馬鹿な僕にでもついてきてくれるみんなのために捧げようと思ったんです。そこに真剣に向かおうという気付きがあったんですね。

だから、みんなからいろいろと言われることは怖くないんですね。僕はいっぺん死んでいますから。それを思えばたいしたことはない。自分にはそんな感情があります。

ラルー:ありがとうございます。

青野:そう、神が降りてきて言いました。

(会場笑)