個人としての目的は何なのか?

フレデリック・ラルー氏:みなさん、こんにちは。今日は、こうやって一緒に時間を過ごせることに、私もわくわくしています。私にとっても、今日は特別な機会なんですね。

本(『ティール組織』)を書いて読者の反応を見て、自分でも「ちょっとそれはどうかな?」と思っていることの1つは、いろんな人が自主経営(セルフ・マネジメント)を取り上げて「ヒエラルキーは終わりなんだ。会社構造は終わりなんだ。(会社の組織には)マネージャーはいらないんだ」とばかり言うことです。

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

でも、私が最も惹かれる部分である「進化する存在目的(evolutionary purpose)」に興味を持っている人は、そんなにいないようなんです。なので、事前にイベントの主催者の世話人から「9/14の朝は『目的』について話すんですよ」と言われたので、私にとって特別な機会だと思っています。「よし、きた! 組織の目的について話すぞ」と意気込みました。

(会場拍手)

でも、世話人からのリクエストは「いや、組織の目的じゃなくて、フレデリックさんの目的について話してほしいんですよ」というものでした。私は自分のことを話すとなると、いつも照れくさくなってしまうんですが、世話人からは次のように強く主張されたんです。

「組織の目的を考えることも非常に大切なんですが、それだけではなくて、まず私たち自身の目的についても、あえて問いかけたいんです。組織の目的について話す前に、『個人としての目的は何だろうか?』を考えたいんです」。

自分の目的に関する旅路をシェアするのはまったくかまいません。でも、私個人の話よりもっと重要なのは、その話をきっかけとして、みなさんの心の中に一体何が響いてくるか、なんですね。この話を聞いて、「あ! それって私にもあったな」とか、「あ! それは私とは違う。視点が違うな」と感じてほしいんです。

というのは、誰かの話に対して自分が同意できないことを発見することで、自分自身の真実に気づくこともあるからです。私がここで何を言っても、「自分は違うな」と異を唱えることに自由でいてください。

子どもの頃は「人から期待されていること」しか学んでこなかった

さて、実際のところ私は、人生の目的のようなものを理解することに、かなりの年月がかかりました。子どもの頃は、「学校向けの知性」という狭い意味ではよくできていたと思います。いつもクラスではトップの成績でした。それは良いことのように聞こえるかもしれないですが、子どもの頃の私は「人から期待されていること」しか学んでこなかったんです。「私は一体何が欲しいのか」「自分って一体何なんだろう」ということに疑問を持つこともありませんでした。

他の人と同じく18歳で高校を卒業して、幸せな子ども時代だったんですけれども、それでも「自分の人生は私に何を求めているのか」を知らないでいました。高校まで成績はよかったので、自動的にベルギーで一番の難関大学に入学できたんです。その大学も、トップで卒業できました。

その学校では伝統的に、優秀さの順にトップの人はコンサルティング会社に行き、次に優秀なグループは会計の監査会社に行き、その次のグループの人たちは大企業に行って……という慣習がありました。コンサルティングに行くグループの中で一番優秀なら、マッキンゼーに行く。

なので私は、何も考えずにマッキンゼーに行ったわけです。会社に就職して、自分の中では仕事を楽しんでいる部分もありました。刺激的だし、楽しい。一方で、自分の中では「こういうことをやって、何の意味があるんだろう?」と思う部分もありました。

ちょっと一歩引いて考えてみると、自分の仕事は、銀行や投資会社や保険会社などをもっとお金を稼げるように支援することで、「こういった仕事は、自分の人生に何も響くことはないな」と感じていました。

結局、10年間お世話になりましたね。「あと半年だけいよう。自分のやりたいことを半年のうちに見つけて、会社を去ろう」と自分に言いきかせながら、10年間マッキンゼーで働きました。6ヶ月、6ヶ月、6ヶ月、6ヶ月……とぐるぐるぐるぐる。

(会場笑)

自分が愛する仕事をやっているのに、エネルギーが感じられない

ようやく、33歳ぐらいになって初めて、「自分が人生でやりたいことは何か」という感触がつかめてきたんですね。私はそのとき、会社で働いている人たちの痛みを感じるようになっていました。クライアント企業にいる人たちは、会社の中で仮面をつけて、自分自身に正直でいることができていませんでした。

そこで「大きな企業の中でも、人々が自分の感じていることや本当に大切なことを表現できるような『空間』を作る、コーチやファシリテーターになりたい」と思いはじめたんです。

なので会社を辞めました。みんなから「馬鹿じゃないの?」「すごい出世路線に乗っているのに、約束された将来を捨ててコーチになるの?」と言われました。ちょうど会社のアソシエイト・パートナーになったところで、ふつうなら会社を辞めるようなタイミングではありません。でも、私は「やっと自分の人生で意味あるものを見つけた」と、とっても幸せだったんです。

「大きな会社の中で息が詰まりそうになっている人々に対して、本当に自分に正直になれるような空間を作る」。私はお金をもらわなくてもやりたいことでしたが、大きな会社は実際には対価を払ってくれる。そういう仕事を見つけて、私はすごくうれしくなりました。「フレデリックはコーチだ」ということが、自分の残りの人生をかけて取り組む目的であると感じたんです。

でも、その仕事を続けて4年後にあることがきっかけで、愕然としてしまったんです。2011年の春のことだったんですけど、突然の悲しみに襲われて、エネルギーが全部なくなってしまったんですね。人生のすべてがうまくいっていたのに、なぜこうなるのか自分でもわけがわかりませんでした。

「なんで自分はこんなに悲しみに襲われているんだろうか?」「なんで自分が愛する仕事をやっているのに、エネルギーが感じられないんだろうか?」と考えましたが、その時こそが、自分がある教訓を得た瞬間だったんです。

自分が今感じている悲しみは、自分が愛して「これでやっていこう!」と思っていた仕事がこれから終わっていくことに対する「喪失の嘆き」でした。私はもうこれ以上、大企業のオレンジ組織(*)との仕事を続けることはできない、ということがわかったんです。

(*注:ラルー氏は著書『ティール組織』の中で、人類の歴史とともに組織モデルは5つの発達段階を経ており、それぞれを発達理論の色を用いて説明している。5つの色はレッド[衝動型]、アンバー[順応型]、オレンジ[達成型]、グリーン[多元型]、ティール[進化型]である)。

この瞬間に何をすることが一番意味があることなのか?

それまで私はこの大企業の中で、人が正気を保つことができる「小さな泡」のような空間を作ってきました。ところが、たとえば銀行や化学メーカーのようなクライアント企業の本社に行くと、すべてのことが冷たくて、カチッとしているんですね。まるで、どこに行ってもガラスと大理石で囲まれているように。

それは頭で考えたことじゃないんですね。自分の体が「もうこれ以上、僕は続けたくない」と言ったんです。当時のすべてのクライアントに、「すみません。今やっている仕事は辞めさせていただきます」と言いました。そうしたら、魔法みたいなことが起きたんです。なぜか知らないけれども、自ら考えるべき「正しい問い」を、私は理解していました。

合理的な観点なら、次のような問いを考えるべきかもしれません。「次の仕事は何にしようか?」「自分はどういうアイデンティティで生きていこうか?」「自分の名刺には何を書いたらいいんだ?」「どうやって生活費のお金を稼ぐんだ?」といったことですね。

でも、まったく違う問いを考えるべきであると、自分ではわかっていたんです。とても個人的な話なので、その問いは当時の私にとって、とても強力なものでした。でも、もしかしたら、みなさんはそれほど強力なものとは感じられないかもしれません。ともかく、その問いとは、次のようなものです。「今、私にとって今何をすることが、最も意味があるだろうか?」

「私の人生の目的は何か?」ではありませんでした。その時は、ある種の信頼がありました。「今この瞬間に、何かしら本当に意味のあることをやれば、宇宙の流れの中であとからお金はついてくるだろう」と思っていました。自分が貢献できることをやっているのにまったくお金が入ってこないとは、想像できなかったのです。その問いを自分に投げかけた瞬間、肩から大きな荷が下りたように感じました。

「自分の人生をかけて何をすべきか?」とか、「自分の人生の目的とすべきことは何か?」ではなくて、「この瞬間に何をすることが一番意味があることなのか?」という問いです。

『ティール組織』は、私に書かれることを選択してくれた

その答えはすぐに出てきました。2つのプロジェクトが浮かんできて、そのうちの1つがあの『ティール組織』という本を書くということでした。私がその時に体験したのは、シンガーソングライターや映画を作っている人など、さまざまな分野のアーティストが言っていることでした。「私の歌のアイディアは、どこからくるかわからない。でも、それは突然、自分に降ってくる」といったものです。

私自身については、それが『ティール組織』だったということですね。私は「もし自分が、これ以上伝統的な大企業と向けの仕事を続けていくことはできないなら、まったく別の考え方によって、まったく別の組織を作ることは可能だろうか?」という問いが自分にあることを知ったのです。

この話はあまり人にはしません。「頭がおかしい人だ」とか、「薬物をやっているのでは?」と思われるんじゃないかと考えてしまうので(笑)。

感覚としては、「私がこの本を書こうという選択をした」ではなくて、「この本が私に書かれることを選択してくれた」というものです。この話をお伝えしたのは、私たちは、「存在目的」に関していろいろな誤解をしているように感じるからです。

「1つの目的を定めたら、一生涯それは続くもので、変わらず固定したものだ」という考え方があります。日本にあるかどうかわかりませんが、西洋では「人生の目的を発見する方法」を教えるセミナーやワークショップがあって、イベントの最後には「これが自分の目的です」と書き出したもの持って帰るんです。私は、そのやり方を信じなくなりました。

私の大好きなアメリカ人の作家にパーカー・パーマーという人がいますが、その人が美しい文章に書いてくれたことを、今、私は信じています。その文章とは、「私は長いあいだ、『こういう人生を生きる必要がある』と自分が思っていた通りに生きてきた。ある時、そうではないことを発見した。『私を通して生きたいと思っている人生』に対して、素直に耳を傾ければいいのだ」というものです。

今、私はそんなふうに生きています。「人生の目的は神秘のようなもので、発見したり決断したりするものではない」と捉えています私が送りたい生き方は、「人生の目的が私を通して生きること」が可能になるように、できるだけ大きな「空間」を開いておくことです。

今までの人生でしてきたさまざまな重要な決断も、私が決めようとして決めるのではなく、できるかぎり耳を澄まして選んできました。「人生が私にしてほしいと自分自身が信じられることは何か」ということです。

人生が「次にこれをやったらいい」と語りかけてくる

そのプロセスにおいてわかったのは、頭で考えるのも少しは役に立つけれど、ほんのちょっとだけだということです。「本当に今これをすべきか、すべきじゃないか」と決めてくれるのは、頭の方ではなくて自分の体です。みなさんもそういう体験があると思います。

まず体で感じて、その後に頭で「なぜこう感じるんだろうか?」「筋が通っているか?」と考える。私にとっては自分の体、自分の直感、自分の心が先で、頭はその次です。

そうやって耳を澄ますわけですが、いくつかいい方法があるとわかってきました。「人生のラジオ」は、大体がモゴモゴしていて、もっとはっきりと聞こえればいいのにと感じるものです。たとえば、視覚化瞑想(ガイデッド・ビジュアライゼーション)、チャネリング、あるいはファミリーコンステレーションという手法です。

ここ10年間の私の体験からお伝えすると、人生の言うがまま、なすがままに(自身を)明け渡し、人生が私に行ってほしい方向にそのまま付いていくと、本当に人生が簡単になるんです。

マッキンゼーにいた頃は、「今、人生で何をなすべきなのか?」「今やっていることの正しいやり方は、こうなんだろうか?」「それでも自分は幸せじゃないな」などと、いつもいつも考えてばかりいました。

今、私は、人生が「次をこれをやったらいい」と語ってくるまでは、自分自身が最善だとわかっていることをやっているだけです。なので、今は思考に時間を費やすことはありません。もしかするとこれらは馬鹿げているように聞こえるかもしれませんが、存在目的とは、「自分はこうだ」と宣言するようなものではなくて、向こうから訪れてくれるものです。そして私は、それに付き従う。そういうものだと、私は信じているんです。

リーダーの役割は、組織が望んでいることに「耳を澄ますこと」

そして、これまで私個人の人生について話したことは、組織においても当てはまると思います。『ティール組織』の反応において誤解されているなと少しがっかりするのは、ティール組織の要素に「存在目的」があるというのを見て「そういうことか! 会社でもきちんとミッション・ステートメントや目的を明確に書いておかないといけないんだな」とか、「これからワークショップをやって目的を定義しよう」と捉えられてしまうことです。

ティールの世界観では、「組織には、それ自身の存在目的がある。それは、組織を通して生きられたがっているものである」と考えます。組織のリーダーの役割は、「組織のための戦略計画」を作ったり、「こちらの方向に行くんだ」と明確な方向性を決断することではありません。

個人の存在目的と同じように、「耳を澄ますこと」がリーダーの役割です。「この組織は、一体何を自然に望んでいるんだろうか?」「どの方向に自然と行きたがっているんだろうか?」と耳を澄ます。

(沈黙)

最後にこれからみなさんにシェアしたいことを考えていますが、感情も一緒に込み上げてきています。

これまで多くの人や本から教わったことですが、自分に呼びかけてきてくれた存在目的に勇気をもって付き従っていっていると、その目的が、あなた自身に与えられた「贈り物(才能)」を表現できるように手助けしてくれます。その贈り物は、人生の中であなたが受けた「傷」がもとになっているものです。その傷自体が、自分にとっての「贈り物」になるということです。

これからとても個人的な話をします。人からよく「なぜ『ティール組織』を書いたんですか?」と聞かれることがあります。先ほども言ったように「私にははっきりとした答えはありません。なぜかというと本が降りてきたというか、『書くように』と降ってきたので」と答えてきました。

つらい思いをした傷が、自分にとっての「贈り物」になった

でも、もっと深いレベルで捉え直してみると、ぜんぜん唐突なことでもなかったわけです。私が8歳、つまり小学校3年生ぐらいの頃、学校のクラスでとても難しい立場にありました。実はその1年間だけ、クラスの全員から拒絶されていました。

突然そうなったので、不思議でした。前の学年でも、それ以降のどの学年でも友だちはいたのに、その1年間だけ、友だちは1人もいなかったのです。男の子だった私には非常にそれが辛くて、日曜日の夜、明日からまた学校が始まると思うと、(身振りを交えながら)こんなふうに胸が痛む思いでした。

でも、何が起こったかというと、そうやって孤独になったので、1人きりで過ごす休み時間に、他の子どもたちの観察をするようになったんです。じっと観察していると、子どもたちの間で働く関係性、力学のようなものが見えてきました。私に一番いじわるだった子は、次に自分がそういうふうにされるのを一番恐れているんだとわかったんですね。子どもたちのガキ大将やリーダー役の子を見てみると、一番強いはずの人がちっとも幸せそうじゃないんです。いつも「強い姿」を見せようとしていました。

この1年間の経験から、私は「人間同士の関係性の観察者」になることができたのです。いろんな意味で、自分がつらい思いをした傷が、後から自分にとっての「贈り物」になったのです。そういう自分自身の経験がなかったら、「『ティール組織』を書く」という存在目的を表現することはできなかったと思います。

人生に自分を通して語ってもらうようにすると、いろいろな過去に起きた歴史がすべてつながって、自分に最も貢献できることを形作ってくれるのです。これは本当に美しくできているなと思います。

私は「自社をティール化したい」と思っている組織のリーダーたちに、よくこの話をします。私が彼らに問いかけるのは、「もしその存在目的があなたを選んだのだとしたら、それはなぜでしょうか。どんな個人的なストーリーがあったから、その存在目的があなたを選んだと言えるのでしょうか?」というものです。

ほとんどすべての場合において、彼らが負ったなんらかの「傷」が、世界に貢献する「贈り物」に変わっていったことが明らかになります。

もしかすると、すでに半分くらいの人は「この人はやっぱり薬物をやっているな」と考えているかもしれません(笑)。でも、そうでない残りの人に対して、私からご提案したいことがあります。

「存在目的は『自分が見つけるもの』ではなく、『目的にあなたを発見させるもの』である」と考えてみることはできるでしょうか? そして、自分自身が人生に対する「贈り物」となる準備はできていますか?

ありがとうございました。

(会場拍手)