地元の友達には話しづらいテーマ

haru. 氏(以下、haru.):今の上出さんの話を聞いて思い出したんですけど、最近『HIGH(er)magazine(ハイアーマガジン)』とはまた別でマガジンを1冊作りました。全体的なテーマがフェミニズムとか女性のエンパワーメントとかだったんですけど、一緒に作っている女の子が王子出身で、王子のローカルなファミレスにいつも集まっているそうなんです。

平山潤氏(以下、平山):地元の友達と。

haru.:その彼女が「地元の子たちとダベっているときは、東京で話していることを話せない」と言っていたんですよ。1個も話せないような。フェミニズムみたいな話をしようと思っても、新しい宗教に勧誘されたようなテンションに思われたと言っていて。その子たちにも興味を持ってもらうためにはどうしたらいいだろうと話をしていたんです。

実際にそのファミレスに行って私もみんなの話を聞いていたんですけど、その子たちのほうがもう出産していたり、結婚していたり、人生のスピードみたいなものが早くて、けっこう問題に直面していたりするんですよ。あとは男女差別があったり。

平山:保育園の問題とか。

haru.:それもあるし、「家庭内で男の人がぜんぜん家事をやってくれないんだよね」とか。

日常生活での悩みと社会課題のつながり

平山:ジェンダーロールとか。

haru.:ジェンダーロールに縛られていたり。「フェミニズム」という言葉が一人歩きしているだけで、抱えている問題は変わらない。そのことを話したら、みんな「あっ、そうなのか」という。

平山:「それがこうだったのか」みたいな。

haru.:そうなんです。だから、さっきも言っていたみたいに、基礎的な情報が足りない。例えばフェミニズムはテレビなどでも流れないし、彼女たちがふだん目にしているテレビ番組でもぜんぜんわからない。でも、そういうことを話したら、すごくテレビドラマが好きな子が「実はあのドラマって、そういう題材も取り扱っていたな」と言っていて。

平山:そういうことか。

haru.:そういうことがだんだんつながっていくはずだから、最初の一歩ですよね。

上出遼平氏(以下、上出):そうですね。

haru.:本当にきっかけみたいなものを作るのが大事だなと思って。

「フェミニズム」という言葉では伝わらないもの

平山:そうですね。さっきのグルメや料理、人の物語に乗せていくような手法は、けっこう『NEUT Magazine(ニュートマガジン)』でも気にしていて。取材をする中で、やっぱり「フェミニズム」という言葉をタイトルに入れるよりは、その人の活動やおもしろいスタイルがまず写真でボンとあって。

そこで話していくことは、「どうしてそれをやっているの?」という話しかないんですよ。そして、最後に「これはこの問題があって、こういうことをやっているんですよ」という話と、「こういう人がいるから、じゃあ自分は何をできるんだろう」と考えられるような余白作りを心がけてやっているんです。

やっぱり直接的ではなくて、包むというか。それは料理だったり、人のストーリーテリングだったり、ファッションだったり、そういうきっかけを作るときには、何かを包むというか……。

haru.:慣らす作業と似ているかもしれない。

平山:そうしないと「フェミニズム」という言葉を嫌がる人とか、わからない人とかがいるから。そのファミレスの地元の友達はたぶん、そういう言葉じゃわからなかったんですよ。そこで1回生活の話とかにしていかないといけなくて、それが僕らが情報や記事を作っていくときには大事だなと思っています。

あとは、マーケティング用語はあんまり使わないようにしているというか、「フェミニズム」とか「サスティナブル」とか、そういう難しい話になってしまわないように気をつけています。

共通点を探したり、共感できる入り口を作る

haru.:上出さんの番組も、すごくドラマチックじゃないですか。「なにが起きるの?」という感じで、結局ご飯に行き着いたときにすごく安心する(笑)。

平山:確かに。ご飯のシーンはすごくほんわかする。

haru.:あまりにも自分と違う環境に住んでいる人たちの生活を目の当たりにするけれど、それは映画とかでもよく題材にされていて、まったく知らないわけじゃないんですよね。「本当にいるんだな」みたいな感じになって、「でも、やっぱり結局はご飯を食べるんだ」「この人たちはご飯を食べて、出して、その繰り返しだな」みたいに思うと……。

平山:一緒なんだなと。

haru.:そう見られるというか。

上出:さっき言ったオブラートに包むようなことって、共通点を探すという作業でもあります。まったく共通点のない物語をバンと投げてもあまりわからないから、入り口だけでも共感できるなにかを持ってこよう。ファッションだったら「かっこいいな」と思えるかどうか、そういうことがたぶん大事なんですよね。

平山:そうですね。本当に共感する、同じ人間なんだよぐらいの感覚で『NEUT』もやっているというか、一人ひとりの力をどう作っていくかを記事で伝えられるようにしているというか。

その中で2人は「世界にこういう人がいるよ」と伝えたいと思っていて。さっきharu.がちょっと言っていたんだけど、紙の雑誌って結局『High(er)magazine』も部数が限られていたり、最近はテレビも見ない人たちがいる中で、なぜそういうフォーマットを選んでやっているのかが気になるというか。テレビでやっている意味はなにかあるんでしょうか?

マスメディアならではの強みと必要な配慮

上出:僕は会社員なので。大学を出て、たまたま入っちゃったということでもあるんですけれど、いまだにマスメディアはたくさんの人になにかを届けるという意味では、最良のツールの1つではあるので。

もちろんそのせいで……「せいで」と言うとちょっと語弊があるけど、いろんな配慮が必要になりますよね。それこそタブーとか、放送禁止用語の問題とかいろいろあるけれども、俺があえて選んだわけではないんです。

平山:そうなんですね。

上出:そこに自分が属したらこういう思考になっていったというのはあるかもしれない。

平山:でも、Netflixに出すというのは、けっこうポジティブな感じですか? ネットで見られるようにするというのは。

上出:めちゃくちゃポジティブですね。もっと出したいです。今最新作は、テレビ東京の「Paravi」という有料プラットフォームがあるんですけど、ぜんぜんコンテンツがないんですよ。誰も見ていないし、めっちゃ高いし、Netflixと同じ値段するのに、コンテンツがない。

平山:インタビューを読みました。

上出:本当ですか。それに最新作が1年間6,000円だって。俺は悲しいんです。見てもらいたいんです。

平山:もっと解放したいというか。ディレクターズカットみたいなのも出していますよね。

上出:あります。YouTubeでも1個だけ出しています。

平山:でも、テレビだとどれぐらいの人が見てるかがあまりわからないという話をさっき聞いたんですけど。

上出:そうですね。視聴率でしかジャッジできないし、計測の母数もものすごく少ないんですよ。

平山:Netflixもそれを公開してくれない。

上出:していないんです。なのでTwitterでキーワードとか、なんとなくエゴサーチをして。

平山:どれぐらいのボリュームがあるかみたいな。

上出:そうですね。それしかないです。

TVを見ない若い女性も見る「ハイパーハードボイルドグルメリポート」

平山:そうなんですね。僕はWebなので、だいたいぜんぶわかっちゃうんです。毎日どれぐらいの人が来て、何分見ているかもわかっちゃうので、そこは本当に違うんだなと思って。

haru.:それは性別とか年代とかもわかるの?

平山:はい。でも18歳以下はとれなかったり、性別は男女しかとれなかったりはあるけど、基本的に全部とれちゃうというか。

haru.:どういう受け手を想定して作るかも、すごく大事ですもんですね。

平山:うちは男女が五分五分だったりするので、そういうところを見れるのはすごくいいなというか。オールジェンダーが見られるものということが事実として見えてくるのはうれしいです。

上出:テレビの視聴率もCとかF3とか、みなさんも聞いたことがあるかもしれないけど、Cは子ども、 Fは女性、2とか3というのは40代から50代、50代半ばというもので。一応そういうクラスター分けをしているんですけど、もはやそれじゃ何も測れないと思うんです。

平山『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の視聴層はどうなんですか?

上出:ハイパーは若い女性がけっこう見ています。

haru.:へ〜。

上出:これ、意外ですよね?

平山:おもしろい。

上出:どうしてなんですかね?

haru.:男性よりも女性のほうが。

上出:見ています。年配になってくると男性のほうが見ているんですけど、若い女性はテレビの視聴者としてすごく貴重なんですよ。なぜかぜんぜん見ていないので。

平山:それはテレビの視聴率ですよね。

上出:もちろんです。

平山:そっか。なんででしょうね、社会的な話に関心が高いとか?

上出:かなり狭い話にはなるけど、「かわいそうな子ども」みたいなことに対する共感力が女性のほうがあるのかもしれない。母親としての素質がある人のほう。まったく正しい分析じゃないかもしれないですけど。

平山:なんとなく、ということですよね。

上出:なんとなく。

haru.:私はサムネイルとかを見て、そういう話ってけっこうハードなんだろうなと思ってポチっと。けっこう見るのに勇気がいるのかなと思って見たら、すごくするする見ちゃった。

世界に発信するよりも、自分から目の届く範囲で

平山:俺から見ると、「世界に発信したい」と思ったらWebのほうがポンポン飛び越えてくれる感じがして。『NEUT』は日本語が読める人だったらアメリカでも読めるからWebがいいなと思っているんだけど、haru.は逆にあえて紙でやっているところにはなにか思い入れみたいなものがあったりする?

haru.:紙でやっている理由にはいくつかあるんだけど、「自分から目の届く範囲で」ということをどこかで思っているんだと思う。世界にすごく発信したいという気持ちはもともとそんなになくて、自分から目の届く範囲の環境から整えていきたい感じでずっと思っていたから。

紙はすごく親しんできた媒体だし、私はもともと美大に行ったりしていて、すごくアーティスト的な思考というか、作品を作るのがすごく好きで。みんなは『HIGH(er)magazine』を雑誌とし見てくれて、私のことを「編集長」と呼んでくれるんだけど(笑)、私はあんまりそういう気持ちはなくて。むしろ『HIGH(er)magazine』というアートピースを作っている感覚。

でもアート作品としても扱われたくないし、雑誌と言われるのも嫌。どこかになにかとして属するような性質がもう無理。だからなんとも言えない境界線みたいなもの、その境界線を壊すというか、行ったり来たりするような存在になりたいし、自分が作るものもそうであってほしいと思うんです。

今も最新号が1,200部出ているんですけど、1つのアート作品を作っている気持ち。だけど、それを美術館で眺めるんじゃなくて、自分の家のトイレに置いたり、かばんに入れて持ち歩いたり、そういうことができる。そういうアートピースがあってもいいんじゃないかと思って。

ネットではなく紙の雑誌として情報を届ける意味

haru.:あともう1つは、内容もけっこう個人的なことを扱っているんです。だからそれがネットに上がって、一部の言葉が一人歩きしたり、切り取られるようなことをしたくなかった。ネットって本当にブラックボックスに投げるようなものだと思っていて、でも雑誌はこう……。

平山:動かないものというか。

haru.:雑誌を開くとその世界がそこに立ち現れる。閉じて本棚に入れておいたら、その世界はそこで完結していて。

平山:そこで誰かが切り出してツイートとかするわけじゃないから(笑)。

haru.:ネットって、見たらどんどん埋もれちゃうじゃないですか。新しい情報で溢れかえっていて。でも私は古い本とかに出会うような、道端の古本屋さんの、路上で売っている本に出会ってちょっと人生の考え方が変わったりするような、そういうものでありたい。いつか古本屋さんで『HIGH(er)magazine』を見つけた子が、「昔こんなことを考えていた人がいたんだ」と思ってくれたら。

平山:昔こんなが人いたんだと。

haru.:それでワクワクして、自分が今この時代に何をしようかみたいに思ってくれたら、すごくうれしい。

上出:家の本棚でも書店でも、たぶん本棚に置かれるということに意味がありますよね。アピールでもあるし、「自分はこういうものを読む人間なんだ」ということですし、メディアにもその瞬間になっているし、Kindleじゃ人間性は見れないですよね。

haru.:自分の部屋に、まったく思想の合わない本とかが置いてあること自体嫌じゃないですか。

上出:そうそう。

平山:確かにね。