「未来から来ました」という自己紹介に込められた想い
奥田浩美氏(以下、奥田):みなさん、こんばんは。
参加者一同:こんばんは。
奥田:今日は私から30分~40分お話をさせていただきます。この(スライドの)表紙が何かは、あとでちょっと関係してきますので見ておいてください。
自己紹介です。私の講演を聞いていらっしゃる方だったら、もう何十回と聞いているかと思いますが。「未来から来ました!」というふうに、私は必ず講演のときに言うんです。当然のごとく2030年、2050年から来たわけではなく、当たり前にこの世の中に存在しています。
なぜ「未来から来ました」というふうに自己紹介をするかと言うと、未来というのは、もうすでにまだらに(なって現実と入り混じりながら)起きていまして。例えば、すでにAIのようなものを活かしながら生きている人もいれば、私のように2000年の段階で働き方改革を終えていたりもいます。つまり、私は2000年にどこででも働ける(世界観)を実現しようということで動き始めましたけれども、実際に今はどこででも働ける。
あるいは、女性として働くときに、私は1987年均等法の第一世代として世の中に出てきました。おそらく男女関係ない世界、ITのど真ん中で生きてきたという意味では、私は1987年から91年の間に、今の時代を生きているんですね。
例えば、私は3日前までインドにおりまして、そこで人間の幸せのようなもの、これからトランステック(Transformative Technology:メンタル、感情、心理面において人間の進化を支援する技術)、マインドフルネスというような(ものが必要になる)時代が来ると考え、その先端を今すでに研究しています。ですので、私は今ここにいながら、未来を生きているつもりでいます。
起業のポイントは、少しだけ先の未来を先取りすること
“未来はまだら”ということは起業家にとってとても必要なことで、みなさんが手がけることというのは今の今も必要だけれども、未来に絶対に必要になる(ものであるほうがいい)。今、少しだけ先の未来を先取りすることこそが、起業のポイントだと思っています。
そうやって、いつもちょうど自分の目の前で未来のドアが開いて、そこをこじ開けて生きてきました。先ほど、私は均等法の第一世代と言いましたが、「これからは女性も(男性と)一緒に同じように働けるよ」と言われましたが、それは誰にでも手の届くものではありませんでした。
やっぱり、そこをこじ開けて働き始め……私はそのころを“火縄銃世代”と呼んでいるんですけれども(笑)。「男性と同じように戦え!」と銃を持たされても火縄銃だったので、ダーッと撃っても、後ろになんの層もないので倒れて終わる。私の第一世代は、ほとんどの人が世の中から姿を消しました。でも、その中でやっぱり残ってきた。
もう1つは、私は36歳で出産をしていて、娘が今19歳なんですが。私の時代は35歳になったらマル高(高齢出産)。その年齢になってからは絶対子どもを産めないよ、というような。そんな時代をまたこじ開けてきました。
そして、40代50代になり、私は今年で55歳なんですけれども。50代になったらちょっと落ち着くのかなと思っていたら、人生100年という未来のドアがまたサッと開いたと。
ですので、これから起業を目指す方は、何の、どこの未来のドアをこじ開けるかということを常に頭に置きながら、「私はどこの分野でドアを開けるんだろう」ということを考えながら生きていくといいかと思います。
8戸11人しかいない鹿児島の限界集落が、なぜ最先端?
私のビジネスの中心ですけれども、常に最先端にいます。この図を見ていただくと(おわかりいただけるかと思うのですが)、1991年から、いろいろなIT企業のカンファレンスのオーガナイズをしていました。
そのころですと、今はもうないSun Microsystemsとか、あとはMicrosoft、Oracle、SAPみたいな。日本にどんどん進出してくる外資系のITベンダーの日本最大のイベントを作っていくというのが私のビジネスの中心でした。これは今も30年間やっています。これを見ていただくと、常にテクノロジーの最先端(のビジネスを手がけてきたん)だなということがおわかりいただけると思います。
(スライドを指して)もう1つ、私が最先端だと思っている舞台がこちらなんですけれども。これは、集落に8戸11人が住んでいて、限界集落と呼ばれるところ(の写真)です。ここは鹿児島県の肝付町(きもつきちょう)というところなんですけれども。
なぜこれが最先端なのかと言うと、結局この町は、30年くらい人口のピラミッドを先取りしているんです。その中で、人々が幸せに暮らしている。8人になった段階で、最終的に何のテクノロジーが必要だったかというと、携帯基地局とヘリコプターの基地というような最先端の技術が必要だったけれども、基本的には人の助け合いで幸せに生きている舞台。そこが、私のもう1つの社会的舞台です。
ため息を拾い続けて、事業を創り出していく
私はこういう場所でどういうことをやっているかと言うと、とにかく“ため息”を拾い続けています。なぜため息を拾っていくかと言うと、こういうきれいなオフィスでこういう話をするのもなんですが。だいたいオフィスというと、とても居心地がよくて、きれいで、楽しくて、カフェテリアもあったりして。そういうところで、多くの方が製品、サービスを作っていきます。
人間というのは本来、喜怒哀楽の中に生きていて、使うサービスも喜怒哀楽にまみれた世界で使うもののはずなのに、オフィスだけはなぜこんなに心地よくて快適で、喜怒哀楽の喜と楽しかないようなところで製品を作り続けていていいものだろうかと。
そういうことで、私は女性の未開拓の市場のようなところにも目を付けたり、「はぁ……。なぜ女性はこれだけ起業の比率が低いのだろう」というため息から、女性向けのプログラムを作ったりもしてきました。これは事業かと言うと事業ではなく、私の想いから日本の女性たちをシリコンバレーに連れていきたいと。そういうプログラムで2年間やってきました。
もう1つのため息が、地方でスタートアップというときにまったくエコシステムがなかったことです。これは10年前からなんですけれども。地方に生まれたら、事業承継的な事業しかやれないのかとか。あるいは、スモールビジネスしかダメなのか、というようなため息から、やっぱり地方でも本格的なアクセラレーターはやれないのかと。
産業界では、人々の幸せや健康に関する議論が置き去りにされている
でも、私の会社はそれほど大きな会社ではありません。ですが、どこかと組んで人を巻き込んで動かせばそういうことができるかもしれない。そういう活動の末に、これは「500 KOBE ACCELERATOR(500 Startupsと神戸市が開催する、日本初のグローバルアクセラレータープログラム)」というプロジェクトですけれども。神戸市と組んで、地方にいても先端のアクセラレーターが受けられるようなプロジェクトも立ち上げてきました。
私は今、よく「Society 5.0」と呼ばれる、この時代のいろんな講演をすることが多いんですけれども。(このスライドを)見ていただくと、人間の幸せのためにどうテクノロジーが活きるんでしょうか、と。右上のロボットは何の手伝いができて、モビリティ、交通がどういうふうになっていくんだろう、という議論だけが東京で次から次になされていきますが。
そもそも真ん中にある「幸せ」であるとか「健康」。人間が何を求めていて、どういう状態が幸せなのかというようなことの議論が、産業界ではほとんどなされていない。私は、いつもそこにフォーカスしています。
ですので、この真ん中を見てください。おじいちゃん、おばあちゃんがいて、お父さん、お母さんがいて、子どもが2人。そしてペットがいて、ロボットがいて。これが活力や質の高い生活や快適さであるというふうに、国がサラ~っと描いている絵って、本当にどれだけの人が手にできるのか。そもそも、どれだけの人がこの幸せと健康を望んでいるんだろうかということを含めて、私は社会に問いかけながら、どうやってサービスを作っていくかという活動をしています。
先ほどのように(世の中に)喜怒哀楽があふれるためには、私は、社会と同じ比率くらいの人たちがオフィスにいて当然なんじゃないかと思っているんですね。泣いている赤ちゃんがいてもいいし、あちこちにおじいちゃん、おばあちゃんがいるような環境でも、なにかサービスが作れるという社会が、本来の未来の当たり前なんじゃないかと思っています。
理想のチームのバランスは『西遊記』
こちらは表紙に使った絵なんですけれども、これは『西遊記』の物語の絵なんです。三蔵法師が西へ西へ、インドへと向かっていくときに、いろんなチームメンバーがいるわけですね。孫悟空がいたり沙悟浄がいたりというような。
それで、目の前に現れた妖怪と戦う。その妖怪と戦うことが自分のミッションだと思う人も必要だし。三蔵法師のように目の前の敵はどうでもいいから、とにかく西に行って経典を持ち帰って、その経典によって世の中を幸せにしたいと思う人も必要です。
みんながみんな、「西へ行って経典を持ち帰って人々を幸せにしたい」というふうに思えればいいですけれども、世の中は必ずしもそうではない。また、そうでなくてもいいんじゃないかなと私は思っています。
ですので、私が考えるチームのバランスというのは、本当にこの絵が示しているんじゃないかなと思うんです。「起業家になろう」。起業家であるという人は、とにかく目の前に毎日現れる困難に目がいきがちです。でも、そもそも自分の事業は何を目指して、何を持ち帰り、何を人に与えるのか。そういうことを常に考える役割を持ち続けていてほしいなと思います。
ダイバーシティの本当の意味は、「多様な志」を拾い上げられること
さらには『西遊記』で描かれている(三蔵法師は)、馬に乗っていますよね。体力がないから馬に乗っているんですけれども。そもそも、私の時代の女性たちは、馬を差し出されても、「いや、私は男性と同じように戦えるし、男性と同じように歩けるから馬なんていりません」というようなことをずっと言ってきました。
でも、こうやってちゃんと、体力がなくても西へ行って、経典を持って人を幸せにできるのであれば、馬にも乗ればいいし。みんなと一緒に戦わなくてもいいと。そういうふうなことを私はこの絵でよく説明をしています。
先ほどの『西遊記』の絵でいろんな人がいたら、それは力になるよというふうに言いましたけれども。ダイバーシティ。男女だけじゃなく、いろんなダイバーシティこそがなぜ必要かと言うと、単純に人々がバラエティに富むとかそういうことではなく、(人々の心の)奥底にある志自体が多様になる、と私は思っています。
ダイバーシティの意味は、多様な志を拾い上げられるということです。ビジネスで言うと、今まで産業で作られていたプロダクトサービスというものは、私から見ると片目をつむって「なにかいいビジネスチャンスはないですか?」って(聞いているように見えます)。これを何百年もやってきた。
だけれども、「ちゃんと必要なものを、両目を開けて見ましょう」というのが、私が思うところの女性の重要性です。ですから、女性の感性を活かしてとかそんなことじゃなく、ちゃんと両目を開けて正常な状態で世の中を見ましょう。これが私が考えるところの女性の意義です。