2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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河上純二氏(以下、河上):ちょっとね、呉さんの人柄にも触れていきたいと思うんだけど、さっきいろいろな話が出たけれど、この人ね、ここに辿り着くまでさまざまな経験をしていて、それがまたたぶんクリエイターズマッチの魅力だと思うんだけど。呉さんはこれまでどんな道筋を通ってきたんだっけ?
呉京樹氏(以下、呉):もうこれを話すと、けっこう終わらないんですけど。
(一同笑)
河上:簡潔に切って言ってくれる?
呉:ザクっと簡潔に切ると、けっこういろいろなメディアから取材をしていただくことがちょこちょこあって。僕自身は会社を作るまでに27個の職種を経験していて、僕が43歳なので、計算がおかしくなっちゃうんですね。
及川真一朗氏(以下、及川):いや、ぜんぜん計算が合わないですね。
河上:見えないですよね、(呉氏を示して)この顔で43歳だよ。(自分を指して)この顔で48歳だって、ここのギャップ。
(一同笑)
呉:純さんも若いって。
河上:若すぎるって。もう荒木飛呂彦ぐらいの勢いだって。わかるでしょ。肌つやとさ。……あっ行ったよ、小顔矯正。
呉:行きました?
河上:行ったよ。今日ごめんね、一瞬、急にプライベートになっちゃうけど。どんどん飛ばして、ここからは。
呉:顔の考え方が変わったでしょ?
河上:呉さんとランチしたわけ。それで、いろいろなトピックスを話すじゃない。そのときに呉さんから、「いや俺、最近気に入ってるものがあって」という話があって。それがね、フェイス矯正の話をされて、「これがすごくいいの、純さん、最近純さんも表に出ることが増えたんだからやった方がええ」と言われて「マジで?」と。
磯村尚美氏(以下、磯村):行ったの?
河上:「やったことがないから体験しに行くよ」って言って、この間行ってきたよ。
(一同笑)
呉:めちゃめちゃ感動したでしょ?
及川:え? 感動するの?
河上:確かに施術自体も感動したけど、それよりも人柄に感動しちゃったんだ。カツヨさんという(施術をしてくれる)彼女が超第一線の女性。さすが第一線の女性で、久しぶりに、なんだろうな、オーラがブイブイ出てる。ぐんぐん。こういうトーンな感じでさ。
もうセルブランディングができあがってる。売りどころもちゃんとわかっていて、すごく丁寧。扱いも上手、という小顔矯正を呉氏が紹介してくれて、1回行ってきて。(磯村氏のほうを見て)……なに、その出来が変わってねーじゃんみたいな目。
(一同笑)
けっこうかかるから。毎日行けるわけじゃないんだけど。ねえ。でも、いい経験をさせてもらった、ありがとうございます。もしあれだったら後で紹介するから、教えてもらえばいい。
及川:教えてください。
河上:行ってみたらいいと思います。何の話をしてたっけ? 忘れちゃったよ。
呉:27職種。
河上:そう、27職種。27職種をやってきてここに辿り着いている。どんなことをやってきたの?
呉:基本的にはずっとモノづくり。僕は得意領域がモノを作るというか、小学校時分から図工と言われる授業が好きで、モノづくりが好きだったんです。それで、基本的には将来、僕が小学校の時の夢って、たぶん大工さんとか、モノを作る人になりたくて。なので、けっこう早い段階から社会に出て経験を積みたいと思って、実は13~14歳くらいからアルバイトを始めたりしていました。
河上:すごいね。
呉:それで、リサイクルショップで働いたりとか、餅屋さんで餅を作ったりとか、レストランで料理作ったりとか。いろんなモノづくりを経験してきて、やっぱり、自分が作ったものを人が手にする喜びを感じて、俺は一生こういう仕事をしていくんだろうなと思ってやっていたんですよ。
河上:なるほど。
呉:それで、18歳の時に、阪神淡路大震災が来たんですよね。僕はその時、ちょうど地元のレストランで働いていて料理を作って、たまたまご縁があって料理もずっと作らせてもらって、仕込みから全部やらせてもらう機会があって、教えてもらって。
そのレストランが阪神大震災で全壊全焼。真っ黒こげで跡形もない状態で。実家もなくなったので。これからどうしようかって。要は働きに行く場所がない。これはでもとりあえず、これからどうしようかと思った時に、自分の住む街を救わないといけないと思って建築の勉強をして、ゼネコンの現場監督になって、阪神大震災の復興工事に参加して、ずっとマンション建設をやってきたんですよね。
それで、やっぱり自分が作ったマンションに人が住む、しかも家が無くなった人たちが住むというすごい喜びのもと、4年間怒涛の……今でこそ話せますけど、今で言ったら働き方改革で、残業御法度と言われているような時代ですが、当時は労働人口もいなかったので、もう23時間労働。
河上:(笑)。
寝る暇もないくらい毎日現場に入って復興工事して、丸4年して。
河上:丸4年やったの?
呉:丸4年やりました。丸4年である程度神戸も(復興してきたので)。
河上:それは何歳くらいの時ってこと?
呉:僕は19歳から22歳まで(マンション建設を)やって。
河上:なんとか体力で乗り越える年ですよね。
呉:いやもう全然、辛いと思ったことが無いですね。もうやっていることがすべてお客さんの喜びに繋がるというのが。
河上:でも、ほとんど大して寝てないじゃん。
呉:寝てないです、寝てないです。基本、今でも睡眠時間2~3時間みたいな生活を、もうずっと19歳くらいから(続けています)。
河上:今もそうなの?
磯村:普通の人は大学に行ってる(年齢ですよね)。
呉:そうそう、僕は学校はあんまりまともに卒業していないんですけれど。それで、まあまあいろいろとやって、地元がある程度落ち着いたタイミングで自分が改めて考えた時に、どっちかというと街のために働いたという感覚が自分の中にあって、「自分のやりたいことってなんなんだろうな?」と改めて考えたときに、当時は僕が22歳くらいの時なので、たぶん1998年とか。
その当時、『スター・ウォーズ』のエピソード1とかが公開されたタイミングで。建築ってどうしても物理的な建物を建てることが多いんですよね。でも、CGの世界を見たときに、いわゆる物理的限界を超えた構造物を実現できる世界に興味を持って、「これだ!」と思って。その最前線が今どこだと言ったらハリウッドだったんですよね。
それで、ゼネコンを退職して、1ヶ月後に渡米してハリウッドに行って、向こうで働きたいと思ってハリウッドにマンションを借りて。
河上:呉さんぽいねー。
呉:英語もしゃべれない、お金もない中、とりあえず飛び込むみたいな。でも、実際それはあんまりうまくいかなくて。もちろん英語もしゃべれないし、スキルもないので。たまたまそこで現地の人に教えてもらったのが、「日本に自分たちと姉妹提携してる学校があるから行って来い」と。
日本に戻って勉強して来いと言われたのがデジタルハリウッドなんですね。実は、創業のきっかけにもなったデジハリさんと僕は1999年に出会ってるんですよね。
河上:1999年くらい?
呉:僕、1999年にデジハリに入ってるんですよね。
河上:近いよー、俺近いよー。俺1997年だもん。
及川:あっ、そうなんですか?
呉: (笑)。
河上:がんばってるなぁ。
及川:97年ごろにデジハリさんあったんですか?
河上:俺はたぶん2期生くらいなのよ。だから、たぶん3~4期生くらいの時代でしょ。できたばっかりの時。
呉:大阪校ができて、まだ1期生か2期生なんですよね。
河上:俺の頃は水道橋しかなかったからさ、レインボー2000だっけ?
呉:そんな感じで、ドドっと建築業界からデジタルクリエイティブの世界に入ってきて。
河上:そうだね、まさにそうだね。
呉:そうなんですよ。それでまあデジタルのデザインを覚えて、ゲーム業界に入ったりとか映像業界に入ったりというのでいろんな経験をして。
河上:デジタルのモノづくりをした。
呉:はい、モノづくりをして、今の創業に行き着くきっかけになるというところなんですよね。自分自身がデザイン業界で労働環境とか。
河上:そうだよね、味わってみればわかるよね、大変だよね。
呉:いや、でもこれ難しいんですよね、たぶん。クリエイティブをやっている人たちって、たぶん(辛いとは)思っていないんですよ。僕も実際にやっていた時って、例えば週5日泊まりでも一切苦だと思ってないんですよ。自分が作りたいモノを作っているので、楽しいんですよ。
だから、別に帰りたいと思ったこともないし、例えば、給料が安いと思ったこともなかったんですよね。ただ、それは自分を基準に考えた時なんですよね。自分はこうだからしゃーないなと思うんですけど。
パっと俯瞰して見た時に、僕より優秀なクリエイターさんたちが、例えば僕と同じ環境だったりすると、この業界に入りたいという人って将来少なくなってくるな、というふうに思ったのが、今の会社を作るもともとのきっかけになったんですけど。
河上:俺も一時期デジハリに行って、直談判してさ。あのころ目立っていたクリエイティブユニットに直談判していて、ろくな成果物ないんだけどお前の勢いが気に入ったって。上意に従うことなく、今はもう有名なんだけど、言うとまた問題が起こるから言わないけど。
その時にもみんな徹夜。レンダリングマシンを10台くらいやりながら、ステーションIDガンガン作ったりとか、映像クリエイティブをやったりしていて、でも全然苦労感はないのね。しゃれたマンションの一室で、もうずっと夜中じゅうやってるわけさ。
でも俺はね、もともとがビジネスマンというか、流通業界から4年入ってさ、ちゃんと社会人として働き始めちゃってたから、やっぱり、そこのギャップについていけなくて。「結婚の準備に入らないといけない、この給料で、この環境で」というのがちょっとあってね。そこから1年ちょっとですぐに降りちゃうの。
まあ後悔はしていないけど、あの環境はもうちょっと整備してあげるべきだなとずっと思いながら去っていった感じだった。それをやっている呉さんがいるから。金銭面も労働環境も(改善されたり)、さっきの評価ポイントみたいな話とか、ここら辺が本当にできあがってくるとね。それで、本当にがんばっている人にちゃんと仕事が流れていく環境になってほしいな。(呉氏に向かって)すごい笑顔で見てくれてありがとう。
呉:(笑)。
河上:いいことを言ってたと思うんだよね。じゃあ呉さんにガツンと言ってあげて。いいことなのか質問なのかわかんないけど。
磯村:すごい、本当に熱量がすごいなと思って。私も兵庫県出身で、大震災の時は実は大阪にいたので、そこまで被害はなかったんですけど。(勤め先が)倒壊してる、燃えちゃったという、すごく悲惨な中にいて、自分で建て直すような人が何人いたのかなと言うと、それはすごいなって、今ちょっと感動して。
河上:してる?
呉:でもね、地元の人たちは思いはあると思うんです。これってすごく難しいんですけれども。あとは、人って行動するかしないかというのがすごくあって。思っていた人はいっぱいいるんですけど、動かないとやっぱり形にならない。今それこそ神戸が復興して、さっき話した「Rethink Creator Project」というのも、今年は神戸市が協賛してくれていて。地元なんですよね。
それで、今年の「Rethink Creator Project」は神戸市からスタートしているんです。ちょうど3月9日の今週の土曜日スタートなんですよね。振り返った時にやっぱり僕は、18歳の時に神戸が震災を受けて。本当に復興するのかなと思いながら、復興した街で、次は人を育てることができることがすごく喜びなんです。
ただ、やっぱり結局、行動しないといけないと思うんですよね。人って動かないと成長もできないし、受け身じゃダメだなというのは当時思った部分でもあります。
河上:動いてきてるよねー。
呉:多動症ですからね。
(一同笑)
河上:本当に動いてきてるよー。
呉:無駄な動きも多いですけどね。
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