43歳までに27種の職種を経験

河上純二氏(以下、河上):ちょっとね、呉さんの人柄にも触れていきたいと思うんだけど、さっきいろいろな話が出たけれど、この人ね、ここに辿り着くまでさまざまな経験をしていて、それがまたたぶんクリエイターズマッチの魅力だと思うんだけど。呉さんはこれまでどんな道筋を通ってきたんだっけ?

呉京樹氏(以下、呉):もうこれを話すと、けっこう終わらないんですけど。

(一同笑)

河上:簡潔に切って言ってくれる?

:ザクっと簡潔に切ると、けっこういろいろなメディアから取材をしていただくことがちょこちょこあって。僕自身は会社を作るまでに27個の職種を経験していて、僕が43歳なので、計算がおかしくなっちゃうんですね。

及川真一朗氏(以下、及川):いや、ぜんぜん計算が合わないですね。

河上:見えないですよね、(呉氏を示して)この顔で43歳だよ。(自分を指して)この顔で48歳だって、ここのギャップ。

(一同笑)

小顔矯正サービスで出会った女性の人柄に感動

:純さんも若いって。

河上:若すぎるって。もう荒木飛呂彦ぐらいの勢いだって。わかるでしょ。肌つやとさ。……あっ行ったよ、小顔矯正。

:行きました?

河上:行ったよ。今日ごめんね、一瞬、急にプライベートになっちゃうけど。どんどん飛ばして、ここからは。

:顔の考え方が変わったでしょ?

河上:呉さんとランチしたわけ。それで、いろいろなトピックスを話すじゃない。そのときに呉さんから、「いや俺、最近気に入ってるものがあって」という話があって。それがね、フェイス矯正の話をされて、「これがすごくいいの、純さん、最近純さんも表に出ることが増えたんだからやった方がええ」と言われて「マジで?」と。

磯村尚美氏(以下、磯村):行ったの?

河上:「やったことがないから体験しに行くよ」って言って、この間行ってきたよ。

(一同笑)

:めちゃめちゃ感動したでしょ?

及川:え? 感動するの?

河上:確かに施術自体も感動したけど、それよりも人柄に感動しちゃったんだ。カツヨさんという(施術をしてくれる)彼女が超第一線の女性。さすが第一線の女性で、久しぶりに、なんだろうな、オーラがブイブイ出てる。ぐんぐん。こういうトーンな感じでさ。

もうセルブランディングができあがってる。売りどころもちゃんとわかっていて、すごく丁寧。扱いも上手、という小顔矯正を呉氏が紹介してくれて、1回行ってきて。(磯村氏のほうを見て)……なに、その出来が変わってねーじゃんみたいな目。

(一同笑)

けっこうかかるから。毎日行けるわけじゃないんだけど。ねえ。でも、いい経験をさせてもらった、ありがとうございます。もしあれだったら後で紹介するから、教えてもらえばいい。

及川:教えてください。

小学生の頃からモノを作る人になりたかった

河上:行ってみたらいいと思います。何の話をしてたっけ? 忘れちゃったよ。

:27職種。

河上:そう、27職種。27職種をやってきてここに辿り着いている。どんなことをやってきたの?

:基本的にはずっとモノづくり。僕は得意領域がモノを作るというか、小学校時分から図工と言われる授業が好きで、モノづくりが好きだったんです。それで、基本的には将来、僕が小学校の時の夢って、たぶん大工さんとか、モノを作る人になりたくて。なので、けっこう早い段階から社会に出て経験を積みたいと思って、実は13~14歳くらいからアルバイトを始めたりしていました。

河上:すごいね。

:それで、リサイクルショップで働いたりとか、餅屋さんで餅を作ったりとか、レストランで料理作ったりとか。いろんなモノづくりを経験してきて、やっぱり、自分が作ったものを人が手にする喜びを感じて、俺は一生こういう仕事をしていくんだろうなと思ってやっていたんですよ。

河上:なるほど。

震災復興のために、ゼネコンの現場監督として4年間働き詰め

:それで、18歳の時に、阪神淡路大震災が来たんですよね。僕はその時、ちょうど地元のレストランで働いていて料理を作って、たまたまご縁があって料理もずっと作らせてもらって、仕込みから全部やらせてもらう機会があって、教えてもらって。

そのレストランが阪神大震災で全壊全焼。真っ黒こげで跡形もない状態で。実家もなくなったので。これからどうしようかって。要は働きに行く場所がない。これはでもとりあえず、これからどうしようかと思った時に、自分の住む街を救わないといけないと思って建築の勉強をして、ゼネコンの現場監督になって、阪神大震災の復興工事に参加して、ずっとマンション建設をやってきたんですよね。

それで、やっぱり自分が作ったマンションに人が住む、しかも家が無くなった人たちが住むというすごい喜びのもと、4年間怒涛の……今でこそ話せますけど、今で言ったら働き方改革で、残業御法度と言われているような時代ですが、当時は労働人口もいなかったので、もう23時間労働。

河上:(笑)。

寝る暇もないくらい毎日現場に入って復興工事して、丸4年して。

河上:丸4年やったの?

:丸4年やりました。丸4年である程度神戸も(復興してきたので)。

河上:それは何歳くらいの時ってこと?

:僕は19歳から22歳まで(マンション建設を)やって。

河上:なんとか体力で乗り越える年ですよね。

:いやもう全然、辛いと思ったことが無いですね。もうやっていることがすべてお客さんの喜びに繋がるというのが。

河上:でも、ほとんど大して寝てないじゃん。

:寝てないです、寝てないです。基本、今でも睡眠時間2~3時間みたいな生活を、もうずっと19歳くらいから(続けています)。

河上:今もそうなの?

磯村:普通の人は大学に行ってる(年齢ですよね)。

CGの世界に魅了され、ゼネコンを辞めてハリウッドへ渡米

:そうそう、僕は学校はあんまりまともに卒業していないんですけれど。それで、まあまあいろいろとやって、地元がある程度落ち着いたタイミングで自分が改めて考えた時に、どっちかというと街のために働いたという感覚が自分の中にあって、「自分のやりたいことってなんなんだろうな?」と改めて考えたときに、当時は僕が22歳くらいの時なので、たぶん1998年とか。

その当時、『スター・ウォーズ』のエピソード1とかが公開されたタイミングで。建築ってどうしても物理的な建物を建てることが多いんですよね。でも、CGの世界を見たときに、いわゆる物理的限界を超えた構造物を実現できる世界に興味を持って、「これだ!」と思って。その最前線が今どこだと言ったらハリウッドだったんですよね。

それで、ゼネコンを退職して、1ヶ月後に渡米してハリウッドに行って、向こうで働きたいと思ってハリウッドにマンションを借りて。

河上:呉さんぽいねー。

:英語もしゃべれない、お金もない中、とりあえず飛び込むみたいな。でも、実際それはあんまりうまくいかなくて。もちろん英語もしゃべれないし、スキルもないので。たまたまそこで現地の人に教えてもらったのが、「日本に自分たちと姉妹提携してる学校があるから行って来い」と。

日本に戻って勉強して来いと言われたのがデジタルハリウッドなんですね。実は、創業のきっかけにもなったデジハリさんと僕は1999年に出会ってるんですよね。