2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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岡本祥治氏:ねぶた祭りを見たのも(経験も起業を決めたきっかけで)、2007年の8月7日だったと思います。ねぶた祭りって、3日間……4日間か? あれ、3日間だったっけな? くらいあって、最初の2日間くらいは全員がコンテスト(形式)でやるんですよ。最後の1日だけは、コンテストで入賞した人たちだけが回ることができるようなっているんですよね。
最終日にそこに行って、ある1つのチームに着いてずっと回っていたんですけど。その大将が本当に熱い人で、「お前ら、この1年間何のために生きてきたんだ!」と。「今日という日を輝くために生きてきたんだよな!」と大真面目に言ってるんですよね。
私はそのとき何をやってたかというと「人生どうしようかなぁ」「何していいかわかんねぇな」みたいな状態でした。当時サラリーマンで普通に年俸も1000万くらいもらっていてけど、暇な生活だったんですよ。勤務時間は9時-17時みたいな生活でした。
給料がこんなに高くて胡座をかいてる状態だったときに、自分のその状況がもう恥ずかしかったです。世の中にいろんなチャンスが溢れている中で、それをやらないのはもったいないなと思って。
その翌日、秋田県の乳頭温泉に浸かりながら、デール・カーネギーの『道は開ける』という古典的な自己啓発本を読みながら「ああ、起業しよう」と。そこで決めたような感じでした。
そして、翌月には会社設立の手続きを進めました。上司に起業する意思を伝え、サラリーマンをやりながら起業の準備をはじめたというのに近いと思います。
(起業した)当時は貯金がぜんぜんなかったんですよね。30万円とか40万円くらいしか正直なかったです。そして、会社設立に20万くらい使い、ぜんぜんお金がなかったんですよ。だからやばいなと思った。
しばらくサラリーマンで働き、お金を確保しながら起業したほうがいいかなと思って。そのままサラリーマンの立場をしながら、自分の会社の仕事を取りに行くという、今でいう副業みたいなかたちで立ち上げはじめたのが経緯です。
2008年の6月末に会社を退社して、1人会社の社長として活動しはじめました。その後、フリーランスのコンサルタントとして数カ月プロジェクトに入って稼いでは、その稼いだお金で新規事業を立ち上げ、失敗して事業をつぶしの繰り返しを3~4回繰り返した後にたどり着いたのが、今のビジネスモデルです。
そうして、みらいワークスを設立したのが、2012年3月。これはさっきお話したとおりで、1人会社の社長をやりながら、今のビジネスモデルにオポチュニティがあり、また自分の感情がすごく動くのを感じて、やりはじめました。
創業当時は、IPOは目指していなかったのですが、プロ人材向けのプラットフォームを世の中に広める時に、ベンチャー企業では知名度が低く、財務基盤が弱いのがネックになること、また日本では新しいビジネスモデルのため、認知されるのに時間がかかるという課題に直面して、個人で挑戦する人が増えていく日本で、それを支える社会インフラを最速で構築するための手段として、2015年4月にIPOを目指す方針となりました。
IPOを目指すことになったのこの時期に順風満帆でいくかというと、そんなわけがないんですよ。この間に結局いろんな苦労があって、やはり理念を中心とした経営をすべきだという想いに変わっていきます。
我々の経営理念は「日本のみらいの為に挑戦する人を増やす」。これはもともとはベースには「日本を元気に」という考え方があって、その中でプロ人材の人たちがいろんな日本を元気にしたいという挑戦をしている。そういった人たちを増やすことによって、日本が元気になっていくのではないかという考え方をしています。
あとは「みらイズム」という行動指針。挑戦、主体性、チームワーク、変化、持続的な関係。こういった価値観を大切にしています。
あとはビジョンとして掲げていることは、「プロフェッショナル人材が挑戦するエコシステムを創造する」。プロ人材の方々がライフステージに応じて、多様な働き方を自由に選択し、やりたい人生、成し遂げたい挑戦、これを繰り返して行っていけるような社会を作る。こういったエコシステムを作ることによって、日本が元気になっていくのではないかという想いもあります。
これは私自身も、もともとはいちフリーランスであり、日本を元気にするためにいろんな挑戦をしていく中で、ただもがいている人たちもいっぱいいました。
日本にある人材サービスをやっている会社はものすごい数で。一般的な転職エージェントは日本に2万社あるんですよ。でもこれらは、転職のサービスしかやってないですよね。ちなみにフリーランス人口は、先月内閣府が数字を出していましたけど、日本で300数十万人です。
日本で今転職をする人も年間で300万人。だいたい同じ数ですよね。でも、フリーランスや起業家をサポートしている会社は、日本に何社あるでしょうか。当然2万社もないですよね。そういった新しい働き方に対して、日本の人材サービス業が追いついていないと思うんですよ。
多様な働き方、独立起業も含めたいろんな働き方をワンストップでサポートできる。そんなプラットフォームになっていこうというのが、我々の目指している姿です。これを作ったのが2016年1月です。「自分たちが目指すのは何だ」と、ここで定義したんですよ。
ただこの時代に、何が起きていたかというと、離職率が高かった。このときN-1で、(上場申請年度の)直前期に入っていたんです。いきなりもう、直前期の離職率が60パーセントです。普通だったら無理ですよね、これ。「こんなに辞めていくの!?」みたいな感じでした。
いきなりIPOを目指しはじめて、スピードも変わって、社内のルールもきつくなってきて、人によって価値観も変わってきてしまうので、仕方がないことだと思います。それでも人がどんどん辞めていくとなったときに、これはどうやっても無理だろうとなりました。
なおかつベンチャー企業として、当時はまったく知名度がないような会社……世の中にキラキラなベンチャーがいっぱいありますけど、うちなんかまったく知られてないので、採用なんてぜんぜん進まないわけですよ。エージェントも見向きもしてくれない。どうしようかなと。
そんな中でも当然N-1なので、証券会社から「この書類をやってください」、監査法人からは「ここの体制をこうしてください」とかどんどん来るわけですよ。これはきついなと。
そういう中でたどり着いたのが、結果として経営理念を中心とした経営に切り替えていこう(ということ)。これがないと結局、自分たちのコアな部分がない。だからこそ強い想いだったりが言えないですし、だからこそ自分たちの軸をしっかり作っていこうと。
世の中的には理念やビジョンを制定する会社は当然あるんですけれども、本気でそれをちゃんと運用していく必要があるなと思ったんですね。なので経営理念を作ると同時に、それをしっかりと真ん中に据えた経営をやっていこうとなりました。
それからいろいろやり出したこととしては、理念、ビジョン、みらイズムの浸透施策。まず入り口の理念、ビジョン、みらイズムに合わない人は採用しません。それがわかりやすいことだったんですね。
スキルの適応性も見るんですけど、必ずここの適応性は見ます。とくに我々のビジョンや経営理念を話したときに、そこの想いと何かシンクロするような経験を過去にしたことがある。絶対自分につながるような何かがないと、理念に一致にするはずがないんですね。だからこそ、この経験をけっこう深掘りして、「だからこの人はうちの理念に共感してるんだな」というものが感じられなかったら採用しません。
あとはみらいイズムという、先ほど見せた行動指針。うちの会社の全会議室にポスターが貼ってあるんですね。さっき出ていた行動指針のポスターです。それを見ながら、この中の「この価値観についてどう思います?」「どういうときに挑戦をしてきましたか?」といったところもけっこう深掘るんです。
ある部分がフィットしなかったら、それでもう諦めるんですね。「みらいイズムに合わないから、今回は見送りです」という会話は、当時の役員の間でけっこうありました。
これをやりはじめてから入社した人の離職率は、10パーセントを切っているんですよね。いまだにそうなんですよ。会社が目指している姿とその人が持っている方向性、これが一致していないと、なかなか一緒に戦っていけないし、踏ん張れないですよね。だからこそ、ここで採用のスピードが落ちたとしても我慢して、とにかくここは徹底していこうとやりはじめました。
ほかにやったことの1つ目はこの点字名刺。これは狙ってというよりも結果としてですが、我々全社員の名刺に点字が入っています。点字名刺というのは、だいたいは社名と名前と電話番号なんですよね。目が見えない方は電話しかしないので。
私、1万枚以上名刺交換をしていますが、誰1人として、点字を読めた人がいなかったので、実用的なことをやってもしょうがないなということで、2015年に名刺のデザインを変えたときに、点字が入るスペースを作って、ここに経営理念である「日本のみらいの為に挑戦する人を増やす」とそのときから入れはじめたんですね。
それでずっとやってきましたが、あるときに気づいたのが、社員が名刺交換すると、「あ、点字ですね。何て書いてあるんですか?」……ひっくり返すとうちの理念が書いてあり、実は「日本のみらいの為に挑戦する人を増やす」という理念が書いてあります。うちは「日本を元気にする」ということを目指しているんですよねと、社員一人ひとりが理念について誰かと話をする機会があるんですよね。
これがけっこう大切で、自分で口にして理念をしゃべる経験は、なかなか作れないですが、この名刺によって自然とその言葉が残ってくるんですよね。
あとは、社内のいろんなところにポスターを貼り付けること。会議室名も行動指針の名前になっています。あと人事評価なんですけど、人事評価はみらいイズムの中の5つの軸から定性評価を作って評価するようにしています。
あとは週報。毎週金曜日にその週の振り返ってもらっていますけど、必ず週の振り返りをするときにはみらいイズムの5つのキーワードに沿って振り返りをやってもらっています。それに対して上司は、振り返り内容に合わせたフィードバックをする。それによって行動指針というのが浸透していくようなかたちです。
あとは表彰の際も「みらいイズム賞」ということで、行動指針を実践した人を表彰しています。あとは「サンクス」。「Talknote」という社内SNSツールを使ってますけど、その中の「これをしてくれてありがとう」という機能があって、そのときに行動指針を選択して、例えばチームワークについて、「こういったことをやってくれてありがとう」というかたちで、お互いに表彰し合っています。
こういったいろいろな施策を通じて、理念やビジョン、行動指針が当たり前のように日常に溢れているような状況を作るようにしています。
あとは出口のところで、卒業生を送り出す。うちの会社のビジョンは、日本のみらいの為に挑戦する人を増やす、いろいろなライフステージに合わせて挑戦を繰り返していく。つまり、転職や独立などを世の中にどんどん広めていきましょうという会社なんですね。そうすると、「ずっとうちの会社にいてください」というのはうちの価値観に合わないんですよ。
うちは卒業していってもぜんぜんかまわないんですね。我々のところにいる間には、一緒にこの挑戦をしよう(と言っている)。ただ卒業したとしても、持続的な関係を持ちながら、それぞれがそれぞれの挑戦を支え合う関係になっているのがいいんじゃないかなと思ってます。
今年は新卒が4人入社しました。今回新卒を面接するときにも彼らに言ったのは、「みらいワークスに入社して、その後みらいワークスを辞めてから何をやりたい?」。
それがない人はみらいワークスに来るべきじゃないと思ったんですね。それをちゃんと聞いてから入ってもらいました。それぞれ、その後のステップを考えながら来てもらっています。
ですので、こういったところまでを含めて、理念、ビジョン、行動指針、これを一貫して経営にインストールしていく。それが大事なんじゃないかなと思いますし、どこかでちょっと矛盾が生じていると、言葉の力だったり、伝える力が弱まってきてしまうと思うんですね。
だからこそ、常に何か意思決定するときには、「これは理念、ビジョンに照らし合わせてどうなんだろう?」「行動指針、みらいイズムと合わせてどうなんだろう?」、そういう会話ができるような会社にしてきています。
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