何のために生きたいのか?

ピョートル・フェリクス・グジバチ氏(以下、ピョートル):いろいろ振り返りながら聞いていたんです。英語か、教育か、働き方か、生き方か、経営改革か、とか。……うーん。僕は、どうでもいいと思うんですよね。結局、何が根本的な問題なのかのを考え、選択肢を増やせば自分の生き残る機会が増えるはずですよね。だから選択肢が多い方がいいですよね。

それでどんな選択肢を、何のために増やしていくかというのは個々人の課題で、要は結局、何のために生きたいのか、その生きている間に何をもたらしたいのか、何を得たいのかということによって、選択肢を選ぶべきだと思うんですよね。

その中で、簡単にいうとホワイトカラーワーカーのみなさんの仕事は、自分の仕事をなくすことですよね? 要は無駄な手間をなくしていく、問題を解決していく、インサイトを得る。そうすると、できるだけ、ひたすら情報収集をしなければならないというのが事実ですよね? AIに任せている部分もあるんですけれども、できるだけ早くその情報やファクトに関しての人の感情とか、人の意見を求めてまとめなきゃならないんですね。

そうするともちろん英語を話せた方がいいというのもあるんですね。それでもちろん、自由に働けて、自分の時間があった方がいいということになります。それで、学習できる機会ができるだけあった方がいいというのもあるんですね。

第一にすべきは自己認識

ピョートル:結局、自分の価値観が決まってくるんですね。自分の価値観って結局、何を選ぶかの優先順位です。自由という価値観を重視したい方は、結局ヒエラルキーが決まった企業に入らないはずです。独立するんですよね。

例えば家族を重視したい方は、ひたすら朝から晩までは働かないですよね。逆にできるだけ、もしかしたらちょっと自由がなくなってもいいんだけど、もう5時に帰らせてくださいという制度の中で生きるんです。

まとめると、何が大事かというと、まずは自己認識ですね。自分がどんな人間で、何を世界にもたらして、何を世界から得たいのか。それを自己開示していく。自分らしく生きるために、ひたすら周りの人たちに「自分はこういう人だから、これを大切にしているんだ」というのをコミュニケーションすれば、たぶん誰も文句を言わないですよ。

(現状は)ただ知らないだけです。「あ、そうか。お子さんが二人いたんだよね。じゃあ、いいよ。好きなように、自由にフレキシブルタイムで」でいいんです。「ああそうか。土日は必ずサーフィンをやっているんだよね。じゃあ、土日の仕事はもうやめよう。もう帰っていいよ」というの、自分のことをわかってくれれば、ほとんどの上司がそう言ってくれるんです。

その次に自分が自己実現したいことを表現して、結局やりこなす。やりこなせば周りの人たちが「成功者だ」「ロールモデルだ」と認識をして、ガンガン周りについてきてくれるから、なんだろうともういいですよ。僕はすごく大歓迎なんですけど、英語という話は後付けにした方がいいかな。

白川寧々氏(以下、白川):だって(著書のテーマを)英語にしたほとんどの理由は、「英語じゃないと売れない」って言われたからなんだもん。

(会場笑)

ピョートル:何の本ですか?

日本人は被害者であり、加害者でもある

白川:本当はアントレプレナーシップについて書きたかった。本当に人を自由にするのは言語じゃなくて考え方だけど、でもできればその言語で思考してちょうだいって(いう内容です)。だけど「アントレプレナーシップ」っていう言葉では売れないんですよ。ね? でも、日本ではそれが事実なんだって。だから「じゃあ英語で!」みたいな。

でも英語にするといいこともあって、ここに来ている人たちは(属性が)めちゃくちゃバラバラじゃないですか。これが教育なんて言ってみるともう、本当にスーツを着たおじさんとかしか来ないから(笑)。しかもなんか、スーツを着た丸の内のおじさんだけじゃなくて、教員とか、教育委員会とか、校長とかばっかりみたいな。だからなんだって! 前、どこかの地方でイベントをやった時にそう言われたの。

だけど英語については、日本人は全員が英語の被害者であり加害者です。あと日本は、教育とか社会とかを見た時に、「明らかに悪いもの」ってないんですよ。道はきれいだし、教育だって「個性を殺す」とかいろいろ文句を言われているけど、ワールドエコノミックフォーラムとかで「日本の『掃除』の文化は素晴らしい」とか、「日本の教育はおいしい」とか、「日本、すごいね」みたいなビデオが普通に流されています。

でも明らかに客観的にも主観的にもよくないのが、「英語教育」だよね。「なんでそんなにお金かけているのに、到達度はそれぐらいなの?」みたいなところがあるので、ひっくり返すと一番わかりやすかったのが英語だった。「日本の教育が個性を殺すという証拠は?」「ごめん、ありません」「日本の英語教育は悪いです」「証拠は?」「いっぱいあります!」っていうのが切り口だったから、私はできれば「英語の人」として認識されたくないなってすごく思っています。

ピョートル氏が語る、朝9時に日本の“おもてなし”がなくなる理由

白川:あと、もう1個。せっかくみなさんに来てもらったのですが、「英語で自由になる」って、けっこう感覚的、身体的なものなんですよ。もうめちゃくちゃペラペラって人はいます? もう英語はネイティブですっていう人?

(来場者を指しながら)あなたはそうでしょ? (先の質問で)通勤が嫌かって聞いたじゃないですか。ほかに通勤が嫌な人はいます? 「満員電車が嫌です」みたいな。満員電車が嫌いな人? みんな嫌いじゃないですか? そういう時に、「満員電車が大嫌いだ」って言っても、あんまりすっきりしなくない? 「まあ、みんな嫌いだし」みたいな。

ピョートル:途中ですみません。言いたいんですけど、東京駅周辺とか大きい駅だと、だいたい8時50分とか9時50分になると、もう日本の「おもてなし」がなくなるの……。

(会場笑)

今日もサラリーマンに押されて、おばあちゃんに押されてしまいました。もうみんな走るんですよね。満員電車もあるんですけれども、やっぱり9時とか10時までに出社しないと遅刻だというルールも、破ったほうがいいと思うんです。

白川:破りましょう。

ピョートル:すごく新鮮な気付きなんですけど。

白川:「おもてなし」がなくなるのね(笑)。そういう時に、英語で愚痴を言うとすっきりしますよ。

社畜にならない手っ取り早いツールが英語

ピョートル:そろそろたぶんね、質疑応答の時間ですよ(笑)。後ろで、必死にこう紙を(出していますね)。

白川:ごめんごめん。どうぞどうぞ。

ピョートル:三人ぐらいです。どうぞ。

質問者1:白川さんがおっしゃっている「自由にさせたい」の「自由」の定義を知りたいです。

白川:みなさんは「自由」ってどう思う? (質問者に対して)ご自身はどう思いますか?

質問者1:……そこが悩みなんですよね。

白川:私はけっこう単純で、自分の「これがやりたい」という生き方を選んで、社会に……この国だとたいてい「おじさん」ですが、それに逆らっても「ダンボールボックスに直行」にならない自由。嫌なことに嫌と言っても、ちゃんといい生活ができる自由。そうじゃないと、自由と言わないと思う。これを、Meaningful Choice(意義ある選択肢)といいます。例えば、「ダンボールボックスかアパートか選べ」というのは意味のある選択肢じゃないです。「銀行員か奴隷か選べ」というのも選択肢じゃないです。「銀行員か、弁護士か、起業家か、アーティストか……ちゃんと、どれでも生活できる前提でどれにしようかな?」というのが選択肢のある状態です。

質問者1:選択肢を広げることが自由であり、そのツールになるのが、今のところ、とりあえず英語だという考えですか?

白川:そうですね。日本に生まれ育った場合、普通の社畜にならないために一番手っ取り早いのは使い物になる英語力ですから。

質問者1:それは自分が選択したものじゃないから?

白川:だって(質問者の方は)銀行員じゃないじゃないですか。だけど、やりたくない仕事(銀行員)をやるか、生活できないか、という選択を迫られたら、やりたくない仕事を選びますよね?それは選択肢とは言わないです。我慢しないと生きる望みを絶たれてしまうみたいなことって、そんなの嫌じゃないですか。

だから「ちゃんとした選択肢」が増えないといけないと思っていて、そのためにはたぶん、言語だけじゃなくて自分を自由にしなきゃいけないというのがあります。それって今のままだと、あまり与えられていないなと思うことが多いです。だから経済的自由が必要で、ちゃんとした経済的手段が伴わないものは、あまり自由とは言わないと私は思っています。