がんを殺すのではなく、共存して寿命を迎える社会へ
落谷孝広氏:ご紹介ありがとうございます。みなさん、こんにちは。東京からまいりました、落谷と申します。
先のオーバービューで田畑先生がおっしゃったように、我々は日々、マテリアルサイエンスの恩恵を被って生きています。このエクソソームというキーワードは、まさに我々の体が持っている天然のデリバリーシステムであることに人類は気づいたんですね。それに気づいた時点から、我々は次に一体何をしたらいいかということが、今日の話の焦点でございます。
私が昨年がんセンターを定年退官して何を考えたかと言うと、がんセンターにいた25年間は、やはり私も例に漏れず「がん細胞を殺そう、殺そう」とやってまいりました。でも、残念ながら今のゲノム医療でがん細胞を本当に1つ残らず叩き潰せるかと言うと、なかなかそうではない。
こういった中で我々が次の世代の方に託すものは何かと言うと、2人に1人が生涯を通じてがんに罹患する時代をどう生き抜くかということは、まさに「がんと共存する社会」なんですね。
がんの予後を規定するのは「自律神経」
私はがんと共存するためのアプローチを1つ、世の中に出すことができました。これが最近の私どもの成果でありますけれども、赤く示されているのががん細胞です。
そして、グリーンは実は交感神経なんですね。このスライドは、乳がんの患者さんで、残念ながら非常に予後が悪く、再発された方の組織です。つまり、がん細胞の近くに、常にこのようなグリーンに染まる交感神経が、組織の中に侵入していたんです。
自律神経は交感神経と副交感神経で、脳からすべての臓器を制御しています。どうやら自律神経によってがんの予後が規定される。我々はその自律神経を制御することで、新しいがん神経医療の道がこれから開けるんだといったことを初めて世界に示しました。
つまり、我々は新しい時代を迎える。サイエンスのアプローチによって、がんと共存することが可能になるかもしれない、ということなんですね。これが1つ、今日の大きなポイントです。
従来の腫瘍マーカーの概念を覆す、血液によるがんの診断
そして、もう1つはやはりがんを早く見つけることなんですね。がんを早く見つけることは、すべてのがんかどうかは別として、おそらく多くのがんの患者さんの命を救います。
でも、がんの早期発見はなかなか難しいんですね。2025年にはおそらく医療費が56兆円を超え、若い世代に負担をかけるわけですね。これからどうやって若者の負担を減らすか。
そういった意味ではわずかな1滴の血液で体液診断、リキッドバイオプシーを行う。体液診断は当然腫瘍マーカーもその1つですけれども、従来の腫瘍マーカーの概念をまったく覆す新しいものです。
がんになると血液中に新たに現れるアナライトの中でエクストラセルラー、つまりがん細胞が細胞の外に分泌するタイプのRNAを目印にしよう、と考えました。これはがんの早期発見だけではなくて、おそらくがんのすべての病態のモニタリングにも使える。あるいはどの薬が効くかどうかもわかる。再発しているかどうかもわかる。そういったものです。
実際に13種類のがんを早期発見し、そして、がんの死亡率を改善するために、我々は6万近くの検体を解析しました。乳がんは2,400検体以上、大腸がんも3,300例、肺がんは2,000例など。
そして、実は我々のがんセンターにはがんの検体はあるんですけれども、健常人(の検体)がないので、エイジマッチでがんではない検体を持っている、国立長寿医療研究センターのメディカルバイオバンクから認知症の患者さんの血液をいただきました。この方たちも5,000例が終わっています。
一人ひとりに最適な治療を行う「個別化医療」を実現する
卵巣がんも早期発見が難しいのですが、我々は感度、特異度がほぼ100パーセントに近い状態で卵巣がんをステージ1で見つけられるようになりました。また、血液の中のマイクロRNAで、骨軟部腫瘍(希少がんの一種)の存在を早く見つけてあげるという、がんセンターの悲願だったことも可能になりました。
我々がこの5年間で悟ったことは、マイクロRNAにはもっと大事なところがある。それは層別化なんですね。今、個別化医療の充実が叫ばれていますけれども、それをどう実現するか?
例えば、どの患者さんにバイオプシーをして、どの患者さんは観察のままでいいか。治療が必要か必要でないか。あるいは緩和ケアの段階において、どのオピオイド(痛み止め)の組み合わせがどの患者さんに有効か。あるいは、この新薬が効くのはどの患者さんか。そういったことを知るうえで血液中のマイクロRNAは非常に大きく役立つことが分かりました。
これは我々のプロジェクトにいた名古屋の馬場先生のチームですけれども、ナノワイヤーでエクソソームをトラックする。これは尿です。そして、トラックしたエクソソームからマイクロRNAを取る。ということで、尿中のマイクロRNAでがんを診断しようということをやっています。これはもうベンチャー企業ができて、実用化に向けた取り組みがされている 状況です。
人類が手にした「エクソソーム」というパンドラの箱
さて、エクソソームが今日の本題です。先ほどのRNA(リボ核酸)がなぜがんの患者さんの血液中で安定するかと言うと、このような直径100ナノメーターの脂質二重膜を持ったエクソソームというパーティクル(粒子)に大事にパッケージングされて、がん細胞が分泌している。だから血液中で安定に存在するんですね。
実際に正常細胞もエクソソームを出します。ところが、がん細胞のような変わり者が生まれると、このエクソソームの外身と中身が正常エクソソームと一変します。これは実はがんだけではなくて、別の疾患でもいいです。アテローム(粉瘤)でも、動脈硬化でも、炎症細胞でもいいです。あるいはなにか別の疾患でもけっこうです。
なぜこのエクソソームがこれだけ世界に隆盛したか。2007年に、エクソソームの中にマイクロRNAが存在するという発見があったんですね。
がん細胞の出すエクソソームは、いろいろな悪いものを閉じ込めて出てきます。それをパンドラボックスに例えれば、箱を開けたのはここに出ているヤン・ロトバル博士という、スウェーデンの研究者です。
彼が2007年に『Nature Cell Biology』に、エクソソームの中にマイクロRNAが存在することを証明しました。それが血液中を回っている。しかも、これはどうやら細胞間の遺伝子情報の交換として使われている可能性があると示したんですね。
実はその可能性を実際に証明した世界で3つのグループのうちの1つが我々だったので、彼は私のラボを訪問してくださって、今もずっと一緒に共同研究をしております。
がん細胞は、エクソソームを“悪用”している
エクソソームは情報の宝庫です。なぜエクソソームの中に特定のタンパク質やマイクロRNAが運ばれるかはまだまだ多くの謎があり、これからまだ研究のチャンスがあります。
がんの微小環境では、がん細胞が自分が微小環境の頂点に立つために、周囲の細胞を自分の制御下に置く。どうやらそのためにエクソソームを利用して、まさにいろいろな悪いことをやっている。
それを我々のラボの若者たちはいろいろなかたちで証明してきました。最初の証明例は、現在米国ボストンにおります富永さんがやりました。彼は大阪大学から我々のがんセンターに来たわけですけれども、彼が研究したのは乳がんの脳転移です。
乳がんが脳に転移するときに、血液脳関門(blood-brain barrier)をこじ開けます。そのこじ上げる原動力が乳がん細胞の分泌するエクソソームであり、その中のマイクロRNAであったということを証明しました。
実はがん細胞はエクソソームを自分で出して周囲を制御するだけではなくて、正常細胞の出すエクソソームを悪用することもわかりました。これは乳がんの晩期再発というほうで、乳がん細胞は骨髄の中に潜んでいる。
骨髄の中にどうして非常におとなしい状態で長い期間、10年20年も潜めるのか。骨髄の中にもともとあった間葉系幹細胞のエクソソームの中の23BというマイクロRNAを利用して、がん細胞はあたかも自分がステム細胞のようなドーマント(休止)な状態を装って長く潜伏できる。そういったことでした。
がんの早期発見や病状をエクソソームで診断
病気の方、がんの患者さんでは、血液中を流れるのはほとんどが正常な組織、あるいは血球からくるエクソソームです。つまり、がんが3センチくらいあってもおそらくがん由来のエクソソームは1パーセントにも満たない割合だろう。これをどうやって見つけ得るかなんですね。
それにはやはりエクソソームはがん細胞の分身であることを利用して、組織を見ているよりもエクソソームの表面分子を見たほうが、より早く真実にたどり着けるといったことで、我々はビーズを使って血清5マイクロリットルから、わずか1時間15分で新しい診断を可能にしました。
これは従来のCEA(がん胎児性抗原)やCA19-9では、疑陰性だった大腸がんの方を60パーセントの確率で陽性であることを、エクソソームなら見つけ得るというものでした。まだ不完全ではありますけれども。
もうすでにアメリカのベンチャーは、前立腺がんでエクソソーム診断を商品化しています。世の中はものすごいスピードで動いているということです。
日本が誇る、AGCのエクソソームの採取技術
でも、いくら早く見つけてもがんはがん。これからの問題は未病です。みなさん、未病のマーカーって何ですか? ないんですよね、まだ。我々は今、エクソソームとミトコンドリアに注目しています。
実はここで出てくるのはハードです。AGC(旧社名・旭硝子株式会社)は、こんなに微少なエクソソームを分離するフィルターを作っている。
我々がここで見ているのはDNAです。エクソソームにDNAが絡んでいる。私どものがんセンターにいて、今はシンガポールに留学している筑波大学の大学院生の河村さん、あるいは国立衛研の小野さん。彼はこのエクソソーマルなDNA断片が、我々にとっていったいどんな意味を持つかといった研究をしています。
答えは簡単です。どうやら遺伝子の水平伝達。つまり、エクソソームにはレトロトランスポゾン活性というものがあるんですね。つまり、ゲノム断片を相手の細胞にエクソソームごと入れ込んで、その宿主の染色体に組み込む。つまり、エクソソームはひょっとしたら進化の原動力になった、genome divergence(ゲノムの多様性)をもたらしたということがあります。
エクソソームの分泌を止めるとがんの転移がなくなる
我々が今知りたいのはメチル化です。つまり、エクソソームのDNA断片のメチル状態を見ることで、メチル化、アセチル化、その未病のマーカーとして。つまり、健常人はエクソソーム上のDNA断片は、1パーセントもメチル化されていないんですね。ところががんだと10パーセントぐらいになる。この中間がおそらく未病の状態です。
これを先ほどのAGCカラム、がんの患者さん、健常人、20マイクロリットルというのはわずかな量です。これでエクソソームをトラップして、DNAを採って、5-メチルシトシンのグローバルメチル化を測ると、健常人はほとんど何も出ません。ところががんだと陽性に出てくる。
ミトコンドリアも実は細胞が外に放り出しています。例えばがん細胞ではミトコンドリアが機能不全を起こす。変異をする。細胞をどんどん外に出しているのを見つけてやろうと。我々はこれを論文に出しました。我々はここで初めて、ミトコンドリアががんの診断になるということを、リキッドメチローム(血液採取によるミトコンドリア検査)として提案しました。
エクソソームに関しては、治療がこれから主です。我々は骨転移をやっています。今は再発された患者さんの4割に骨転移と脳転移が見つかる時代です。我々はこの骨転移の患者さんのエクソソームに特定分子を見つけることができました。
これによって診断は可能ですが、さらに中和抗体でおさえることで、この骨転移をおさえられるか。もうすでに最初のデータは出ております。エクソソームをターゲットとするだけで、見事に大腿骨への前立腺がんの骨転移がなくなります。
超高齢化・長寿健康社会を支える、次世代の健康維持エコシステム
東京医大の、黒田正彦教授という分子病理の主任教授の論文はもうずいぶん前ですけれども、エクソソームを初めてエンジニアリングして、表面と中身を変えて、がんに特異的に届けて、その治療効果を現す。エクソソームはエンジニアリングできるんだということを世界に先駆けて示しました。
つまり、先ほどの自律神経を制御するということに戻ると、どういうことをすればいいか。簡単です。あるエクソソームを持ってきます。この表面に神経細胞を標的化できるタンパク質を現す。これはもう、そういうシステムがありますので簡単です。
もう1つ、これが難しいんですけれども。自律神経を制御する因子、あるいはプラスミドベクターを封入して、相手の受容細胞の中でリリースする。このターゲットは神経細胞です。こういった2つの、あるいは3つのことをクリアすれば、エクソソームDDS(ドラッグデリバリーシステム)が成り立つというわけです。これは神経の例ですけれども、すべてそうです。
こういったことを経て、企業の方と一緒に作り上げていくことで、新しい医療が可能なんですね。エクソソームによる次世代の健康維持エコシステム、まさにこれが我々の目指す新しい、超高齢化・長寿健康社会の1つのテクノロジーのプラットフォームになると思っています。
ということで、我々は勇気を持って新しい分野に進む。この1つがエクソソームであると思っています。エクソソームの研究を進めて、みなさんと一緒に世の中に役に立つようなことをしたいと思っております。
ご清聴ありがとうございました。
(会場拍手)