コンピューテーショナルデザインに注力する建築家・豊田啓介氏

小林佑樹氏(以下、小林):ここからは「Special Session 2」と題しまして、本日は建築家の豊田啓介さんとエンハンスの水口さんと一緒に、これからの建築系のARであったり、もしくはコモン・グラウンド、それからARの可能性について、3人でディスカッションできればと思っています。

すでにご登壇されていますけれども、みなさんもう1度拍手をお願いします。

(会場拍手)

それではお2人から、ご自身がどういったことをやられているのかというのを、資料をお見せしながらお伝えいただければなと思います。まず豊田さんからお願いします。

豊田啓介氏(以下、豊田):みなさんこんにちは。noizの豊田と言います。よろしくお願いします。ディスカッションのつかみということで、いくつか乱暴にネタを投入できればと思うんですが。

僕は建築の設計事務所をやってまして、建築家という肩書きにはなるんですが。「コンピューテーショナルデザイン」という言い方をするんですけれども、デジタル技術を使って設計とか施工とか、その前後の使い方とかがどう変わっていくのかに注力しながらやっている建築の設計事務所として、noizを東京と台北の二拠点で二人のパートナーと一緒にやっています。

もちろん、いわゆる建築として建物を作ったりするのが本業なわけですけども、プログラミングだけ納品したりとか、インスタレーションみたいなことをやることも多くて。

(モニタに流れるデモを指して)例えばこれはBAOBAOさんのちっちゃいショーウィンドウのディスプレイだけなんですけども。なぜかBAOBAOさんから、この柔らかくて伸びるLEDスクリーンを使ってくれという、ぜんぜん根拠のない依頼があって(笑)。どうしようか迷ったんですが。

もう4年くらい前なんですけどね。「伸びる」というおもしろさは使わなきゃいけないけど、まだ開発中の商品だったので解像度低いわ、発色悪いわで、どうしようみたいな話で。

結局BAOBAOのロゴとちょうど解像度が合ったので、こう自律的にどんどんロゴが自壊していくようにプログラムをすることにしました。その上であえて柔らかいディスプレイの下にファンを付けて。ファンがたまにランダムなタイミングで風を送ると当然ディスプレイがはためくんですが、同時に映像もその風で飛んでいくように、あえてロゴも勝手に飛んでいくみたいなことをやっています。

これはもちろん、のれんみたいに風が吹いてバサバサやるっていうのは物理現象で、でもロゴが風を受けているみたいに飛んでいくのは、当然物理シミュレーションをやっているので計算の話です。実際にはインタラクションしてないんですが、そういうことをやればあたかも情報と物理がインタラクションしているような、情報としてのデジタル画像のほうが物理的な素材感を持つ、みたいなことができるんじゃないかと思っています。

高次元の情報を高次元のまま記述して、外部化できるようになった

豊田:僕ら建築家は当然物理世界を扱う職能なわけですが、情報と物との境目みたいなものがどんどんなくなっていく可能性というのも、デジタル技術をきっかけにしてできるんじゃないかというようなことをnoizでは特にやっています。

情報と物質の境界というものがどんどんなくなっていくみたいなことをやっているんですが、普段は1時間くらいかけてなんとかお伝えする内容を、今回10分くらいでパーっとやるのでかなり強引なんですが(笑)。

(スライドを指して)このダイアグラムをよく使わせてもらうんですが……右下ですかね。建築家っていわゆるXYZの……あ、これはうちのWebページでもダイアグラムを公開してるので、今撮らなくても大丈夫ですよ。

(会場笑)

興味のある方は言ってください。建築家ってXYZの物理空間を扱うプロフェッショナルというのが古来より数千年来続いてきたわけです。でも実際には3次元だけでなくて、例えば工程っていう時間の因果関係とか、素材とか構造とか、いろんな情報として扱える次元を扱うわけですね。

おそらく3次元どころか10次元、20次元、50次元、100次元っていうのを扱っているんですが、その高次元情報というのは、どうやっても他者と客観的に共有しようがないんですね。結果的には、3次元くらいまでのものの組み合わせでしか我々人間とこの世界では客観的な共有ができないと。

それを僕らは、2次元の図面か、せめて3次元の模型というものに、本来はある高次元情報をダウングレードして共有していたんです。そのプロセスを洗練させることで3次元のオブジェクトを作るというのが数百年来の建築の正しい道だったと。

でもプログラミングができることで、高次元情報を全部……とは言わないけれども、高次元のまま記述して、外部化して流通させてグレードアップして、みたいなのができるようになりつつある。これってけっこう画期的なことです。

それを使っていくと高次元を記述するプロセスモデル、いわゆるグラフィカルコーディングみたいなことを感覚的に使ったり、それで出てくるかたちを見て、またフィードバックをして、みたいなことができるようになってきました。これまで勘とか経験とかいうあいまいなものとしてしか扱えなかった高次の知の体系が、外部化して共有できるようになってきているわけです。

情報的相対自体が建築だとして、建築家はその技術体系を手にしているのか

豊田:さらに、それを使ってできたかたちを無理矢理作るのは難しいっていうのが、例えばザハ・ハディドの新国立競技場だったりするんですが。今であれば、例えばデジタルファブリケーションとかいろんなものが出てきてますし、変な形を変な形のまま出すほうが、むしろ合理的な作り方だっていうのはあるかもしれない。

そういうものを開発するというのも建築の世界の仕事だろうと。左上のデジタルファブリケーションっていう、道をもっと開こうよといったことにいろんな機械を使っていたり、そこの開発に投資するのが今建築や都市領域に必要なことでしょと。さらには、それでできたものを使っているデータとか、新しく環境が変わったときにそれをスキャンして、また取り込んでデータをアップデートして、またそれを作ってみたいと考えていくと、できたものはできて終わりじゃないと。物理世界の変化する情報をいかにデジタル世界に取り込むかっていう、センシングやスキャニングが今、すごく大事になってきてるんです。

そして使っているうちにまたフィードバックして、上から新しくなってっていうアクティブなフィードバックループがあるとすると、そのより広義な情報的総体みたいなものが実は本来建築のあるべき姿で、建物という物理的な構造物は実は氷山の一角でしかないのかもしれない。

情報的総体こそが本来あるべき建築だとしたときに、我々建築家がそれを扱うノウハウとか技術体系を持ってますかというと、たぶん持ってないよねっていう意味で、その拡張した領域をちゃんと扱える建築というのは何があるのかな、みたいなことをいろいろやっています。

さっき言った道、デジタルファブリケーションくらいまではだいぶできてきたんですが、もう一度、できたものとか現実にある状況をどう取り込んで、今度はデジタル側に持ってきて、もう1回さらにアップデートするために必要なのがスキャニングとかセンシングとか、群データの制御みたいなところになってくるわけですね。ここがクリティカルですと。

そうなると、もう建築の世界は参照できなくて。例えばゲームとか映画の世界が参照先になるんです。

僕たちは建物を死体として扱っている

豊田:今ってもう、映画の撮影はこんな感じなわけですね。

ベネディクト・カンバーバッチがモジモジくんみたいなスーツを来てるんですが、全身にマーカー付けて、声と動きと表情も全部モーションキャプチャしているわけです。

『トイストーリー』の最初のころというのは、顔をいくつかのパッチに分けて1個1個スライダーで表情を作っていたのが、今はモーションキャプチャーで何百万点も同時に扱えるようになってきている。複雑すぎて、すべてのパッチにスライダーを付けて手で入力するなんていうことは逆にできなくなってしまってるわけです。

そうなると、カンバーバッチを雇ってモーションキャプチャーのスタジオを作って、機材を使って一発撮りするのが一番安くて合理的な手法になるわけですね。

ということで、ある技術の分水嶺を越えたときに、なにが安くてなにが高いかみたいなものがどんどん変わってくる。そういう扱いの仕方っていうのが、例えば映画とかエンタメの世界に先に入るんですが、本来はこれ建築がやらなきゃいけない話なんじゃないかと思うんです。

例えば身体についても、モーションキャプチャーとか骨格・筋肉のシュミレーションで、僕の身体がジャッキー・チェンみたいな動きをすることもできるようになる。人体だとそれくらいセンシングとかシミュレーションの研究進んでるわけですが……例えばこの建物にセンサーがどれだけ付いているかというとぜんぜん付いてないですし。そもそも動いたり変化したりする前提ないから、シミュレーションがどれだけできますかっていってもできないですし。

なぜか僕らは、建物は死体として動かない、センシングもしないものであることを、当然のように諦めて納得しちゃってるんですが、もっとできてもいいんじゃないかと。もっとセンサーがあって積極的に動いていいんじゃないか、みたいなことを考えるわけですね。実際、技術としてはできるはずなので。

20年後の都市計画に必要なノウハウ

豊田:例えば筋電義手みたいなものがかなり実装に近づいてきています。(モニタに流れるデモを指して)このおじさんは腕がない方で、筋電のセンサーを複数入れておいて、もちろん練習は何度もしなくちゃいけないんですが、練習すると、考えるだけでこの腕が動いて水を飲んだりできるようになると。

これができるということは、普通の人間の能力をどんどん超えていく可能性がある。腕が3本あってもたぶん動くわけですし。4本あっても動くし、5本くらいはたぶん動かせるんじゃないか。こういうことができるという前提になったときに、いわゆる不足を補う技術というよりも、能力を拡張する側に技術が展開し始める。例えば腕が肩に付いている必然性はないわけですよね。

まったく同じ原理で床に付いてたって腕は動くし、玄関に付いててドアを開けてくれるようにしたっていいわけですし。タクシーに付いてれば運転できるかもしれないと。要はどこまでが自分の体で、どこから先が環境かみたいな、これまで哲学的だったような問いまで、普通の市販品が問い直すような状況起り始めているわけです。

技術で身体や物理環境そのものが実装環境でありインターフェースでもありのような形でどんどん曖昧になっていくようになったときに、なにをもって建築で、なにをもって自分の体で、誰がどれを制御するのかみたいなことを、僕らはガチで建築の環境として設計しなきゃいけない段階になっています。

でも、それをどう制御したらいいかというノウハウを僕らは持ってないわけですね。そのへんをもっと建築という世界に閉じずに考えてなきゃいけないと。

人流とか物流とか都市の交通とかっていうのも、例えばAmazon Robotics(アマゾン・ロボティクス)みたいなところでやってますが。まだ倉庫と単体の制御しやすい環境ですが、今これができているということは、たぶん10年後の都市の交通とか物流とかっていうものが、複合的にこういう群知性というか、個別制御ベースなのに全体最適するような新しいシステムでの制御をせざるを得なくなるわけです。

それを前提にしたときに、どういうセンサーがどういう範囲で付いていて、それに対してどういうスケールや密度、形式のシステムを街が持ってなきゃいけないのか。そのノウハウを僕らはやっぱ持ってなくて。でもこれがないと、たぶん今は都市計画ってできないはずなんですね。20年後の都市計画なんて、今普通に始めないといけないのに、です。