インターネット黎明期からジャーナリストとして活躍

及川真一朗氏(以下、及川):今日はITジャーナリストの神田敏晶さんとお話しさせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

神田敏晶氏(以下、神田):よろしくお願いします。

及川:神田さんといえば、長い間いろんなメディアでジャーナリストとしてご活躍されてらっしゃって。

神田:いえいえ。

及川:いわゆるITのガジェットとかでも、新しいものをいじってレビューされたりして。こういうのって、いつぐらいから関心を持たれたのかなと。

神田:そうですね。まぁ、ITという言葉がなかったぐらいの……。

及川:ですよね。

神田:本当にITって最近な感じがするぐらいなんです。それまではテクノロジーライターとして。

及川:あっ、テクノロジーライターとして。

神田:テック系の記事という感じで。その前はマルチメディアのライターみたいな。「マルチメディア」ってねぇ(笑)。今はマルチメディアって言わないですよね。

及川:そうですね。その言葉は聞かなくなってきましたね。

神田:ヨドバシカメラのマルチメディア館ぐらいですよね。

及川:ははは(笑)。確かに、確かに。

神田:まさにそんな感じの頃からやっていたんですよね。当時はどちらかというと雑誌が多かったですね。

及川:あ〜、なるほど。

神田:インターネットが出てきてからしばらくは、インターネット雑誌が山ほどあって。15誌ぐらいありました。

及川:えぇ、えぇ。

神田:そういうところで連載させていただいたりとか。まぁ、その当時が一番激しかったですね。毎週メーカーさんからモノが送られてきて。

及川:ははは(笑)。

神田:記事を書いては送り返してみたいな。もうなにがなにやらみたいな状態で。当時はまだインターネットもなかった頃なので。

及川:そうですよねぇ。

Webの更新には、フロッピーディスクが必要だった

神田:はい。パソコン通信で記事を送るみたいな。

及川:なるほど〜。じゃあ、90何年とか?

神田:いや、もうちょっと前。80〜90年代初頭ぐらいからですね。

及川:いわゆるWindows 95よりもっと前ですもんね。

神田:そうです。もっと前です。だからその頃は本当に、まだ電子メールさえ普及していなかった時代ですからね。

及川:そうですよね(笑)。

神田:本当にインターネット以前のところで。だから、メールアドレスもみなさん、ニフティサーブやPC-VANとかの時代ですよね。画像も添付ファイルでくっつけて送る……それは今も一緒か。まぁ、そんな感じで。

及川:へぇ〜。

神田:あとインターネットの最初の頃は、Webの更新もフロッピーディスクにHTMLと画像を書いて、フロッピーディスクに保存して、それを某通信会社に郵便で送って……。

及川:えっ、そうなんですか?

神田:郵便で送って(笑)。

及川:そんな時代ありました?

神田:はい、ありました。郵便で送って、ガチャっと入れて、向こうで検査して、しばらくすると電話がかかってきて「Webサイトを更新しました」って。

それで「ありがとうございます」と言って、ピーヒャラヒャラって入って、Webサイトを見るという時代がしばらくあったんです(笑)。

及川:そうなんですか?

神田:これ、みんなに笑われますけども。

及川:ですよねぇ。

「お金が集まらなかったらどうしよう……」

神田:なんでFTPできないかというと、そういう昔の大手のSIerみたいなところは、セキュリティがけっこううるさくて。

及川:へぇ〜。

神田:自分たちの局番以外からのアクセスを全部ロックされていたんです。

及川:そうなんですか。

神田:それなのにインターネットのサービスを始めてるんですよ(笑)。わけがわかんない(笑)。

及川:そうですね(笑)。でも、僕がインターネットを始めたのは、そもそもWindows 95が出たあとあたりだったんですけど。

神田:でも、その時代はたぶんそのぐらいですよ。

及川:そうですか?

神田:ベッコアメさんとかがあった頃とか。

及川:あったなぁ〜。

神田:インターネットマガジンさんとかで。ベッコアメさんは、もう本当に何もないのに広告だけ先に出して。

及川:ははは(笑)。

神田:金だけ集めて、「まもなく、まもなく」と言って資金調達しながらやって。すごい時代ですよね。あれでお金が集まらなかったら、どうしたんだろうって(笑)。

及川:確かに(笑)。

神田:広告を出し続けながら、ファイナンスで増強していってサービスするっていう。今考えたらもうすごくヒヤヒヤもんのサービスで。

ビデオジャーナリストとして活動、そしてストリーミング配信にも挑戦

及川:ですよねぇ。じゃあ、キャリアとしてはライティングのお仕事からというのが、やっぱり全体的に多いですね。

神田:そうですね。それと同時に、僕の場合はビデオで展示会をレポートしていて。その当時は「ビデオジャーナリスト」という肩書きも持っていました。

及川:なるほど。

神田:世界のIT展示会に取材に行っていました。当時は10何誌もガジェット系の媒体があったので。当時はCOMDEXやCESショーとか、今もありますけども、そういうところに取材しに行って書いていて。

当時はそういうガジェットが好きだったので、液晶ビューカムというのを持って行って録画して。当時、QuickTimeが出始めだったので……。

及川:出始めですか(笑)。

神田:出始めの頃のQuickTimeで編集して、小さな画像で現地からストリーミング配信を始めるという。

及川:へぇ〜。ストリーミング配信ですか。

神田:はい。

磯村尚美氏(以下、磯村):すごーい。

及川:すごいですね(笑)。

神田:だから、日本が初めてワールドカップに出た96年はスポンサーをつけて、GSMの回線でフランスの現場からリポートしました。

磯村:へぇ〜!

神田:たぶん、個人のストリーミング配信は僕が一番最初かと。

及川:はい、そうじゃないですかね(笑)。

神田:その当時は「なんでできたんだろう?」と思いながらね(笑)。でも、おもしろかったですよ。まだ誰もやったことがないことだったので。

及川:そうですよね。当時、ストリーミングでレポートするなんて。

神田:でも160ピクセル×120ピクセルだから、こんなもので。あとは音が途切れると見ていられないので、画質を落としたんですね。画質を落とすというか、画質は綺麗なままで4秒で1コマ変わるんですよ。

及川:そういうことですか(笑)。

神田:ライブだけどスライドショーみたいなものです。しゃべってる音声は「みなさん、こちらはフランス・トゥールーズです」とか言いながら4秒フリーズしてるっていう(笑)。そんな感じの画像で配信させていただていて。

及川:すごい(笑)。

神田:それでも大阪のビジネスショーみたいなところに、インターネット生中継というかたちでやりまして。時差があるので、夜中の2時か3時ぐらいですよ。こっちのビジネスショーに合わせて。

及川:ははは(笑)。

神田:時差もあるし大変なんだけど、日中はレポートして、記事も書いてるし。それで夜はビジネスショーのレポートみたいな。

及川:大忙しですね。

南アW杯はキャンピングカーで移動

神田:ワールドカップの時は、フランス大会からドイツ大会、あと日韓ワールドカップがあって。そのあとは南アフリカ大会もあって、同じようなやつで毎回スポンサードをつけて行ってました。

及川:へぇ〜。

神田:さすがにブラジルは、あまりにも移動距離が大きすぎるのでやめましたけど。

及川:ブラジルはそうですよね。

神田:南アフリカでも死ぬかと思いましたよ。すべてキャンピングカーで移動して。

磯村:えーっ!

及川:何時間かかるんだっていう。

神田:いや、もう本当に。へたすると、試合に間に合わないぐらいで(笑)。

及川:そうですよね(笑)。

神田:やっぱり国土がねぇ……。ドイツでもけっこう大変だなと。フランスやドイツもけっこう広いんですけど、まだ知れてるんですよね。南アフリカは大変で。それで調べたら、ブラジルなんてさらに大変で。

及川:ははは(笑)。

神田:南アフリカの3倍ぐらい広いから(笑)。「もう無理」と思って辞退しましたけど。

及川:へぇ〜。

神田:それとテレビで見たら、最前列のいいところで中継していますけど、僕なんかは「ワールドカップ」という言葉がFIFAの関連で使えなかったりするんですよ。スポンサードされているところがあっても権限があるので、メディアのパスがないとダメで。

及川:なるほど。