やりたいことがないなら、“ありたい姿”を追いかけよう

佐地良太氏(以下、佐地):(スライドを指して)ただ、やっぱり左下は避けたいですよね。これは危ないです。左下の状態が続くと……何か事件を起こしてしまったり、自殺を考えてしまったり、あまりよくない方向に行ってしまうので、左下は脱したいと。

でも、別に無理をして右上に行かなくてもいいのかなと思います。幸福論なので、良い・悪いではないんですよ。自分が幸せだったら別にいいと思うので。

だけど、今の人生や今の自分に満足していないんだったら、考える努力が必要だと思います。やりたいことがないなら、まずは自分のありたい姿を追いかけてみるのがいいと思います。

うちで転職活動をご支援させていただくときに、こういう質問や自己分析をすごくやっていただくんですが、「どうなりたいか」ということも「わからないです」と言われることが多いんですよ。

“なりたくない姿”は必ず言語化できる

でも、正直それがわからないのは、極論言っちゃうと、思考停止で考えることを放棄しているだけなんですよね。なぜなら、先ほど言ったみたいに反面教師、なりたくない姿は必ず言語化できるんです。なにかしらありますよね。どうしてそう思うんでしょうか?

参加者:自分がそういう人に出会って怒りを感じたというか。

佐地:そうですよね。普通に生きていたら、家族とか同僚、友達、同級生、上司とかを見て「こんな大人になりたくない」「こんな人間になりたくない」というのが絶対あるハズなんですよ。それの逆を考えれば、ちゃんと言語化できるんですよ。

これができない方は、それを思考して言語化することをちょっと放棄しているのかなと思うので、「そこは絶対に絞り出してください」とお伝えしています。

それが絞り出せないと、「じゃあ今のままでいいんじゃないですか?」みたいな話になってしまうんです。別にそれは良い・悪いじゃなくて、あくまでも幸福論、価値観、好き嫌いの問題だと思うので。変わる必要がないなら、そのままでいい。

だけど、自分が「このままじゃよくないな」「今よりもっとハッピーになりたいな」と思うのであれば、そこはきちんと言語化をしていただく必要があるかなと思います。

そこから「ありたい姿は言語化できた! けど、やっぱりやりたいことも見つけたい!」ということもあると思うんです。そうしたらやりたいことを探すフェーズに移行すればいい。

知らないものは判断できない「たこわさ理論」

先ほどやりたいことがない原因は3つあると言いましたが、前提として、人間は知らないものは判断できないんです。

前田裕二さんが『メモの魔力』で「たこわさ理論」と書いていましたけど、たこわさを好きなのはたこわさを食べたことがあって、そのおいしさを知っているからだと。「そりゃそうだろうな」みたいな話ですけど、非常に哲学的な話でして。

僕は寿司が好きなんですが、寿司を食べたことがない外国人の多くは、寿司が好きなわけではないですよね。でも寿司好きな外国人もいる。何が違うのかというと、寿司を食べたことあるかどうかなんです。

これはすごく当たり前のことなんですけど、みなさんつい忘れがちなんですよね。知らないことは判断できない。やっぱり原体験として出会わないと知ることができないんです。

やりたいことがないのは、原体験がない、怒りがない、スキルがない、の3つだと思うので、最初に知るという意味でも原体験を増やすことが大事です。先ほど重い原体験は計画的に取りにいけないという話をしたんですけど、まずはいろんなことに小さく挑戦していただくことから始めていただくのがいいかなと思います。

軽い原体験を作るには「多動」をすること

一方で、覚悟を決める道もあります。例えば、それこそ先ほどの(当日の会場提供元)アールスタートアップスタジオさんのお話にもありましたけど、ベンチャーのファウンダーは「自分はこの道でやっていくんだ!」と覚悟を決めて、いばらの道を進んで行くとか。

そうやって覚悟を決めて計画的に重いことにチャレンジをするということで、Hard Thingsを避けては通れない。覚悟を決めて挑戦した結果、原体験に出会うこともあるかなと思いますが、それはちょっと万人におすすめするものではないです。

(スライドを指して)なので、エントリーモデルとしては右下、まずは多動、いろいろ動いてみるのがおすすめかなと思います。偶発的な重い原体験は事故みたいなものなので、正直めちゃくちゃ痛いんですが、軽いやつだったら失敗だったとしても、「ちょっと怪我したな」くらいだと思います。

軽い原体験を作るには、先ほどのたこわさ理論、つまり多動がおすすめなんですが、その前にまず、アンテナを張らないとそもそも「たこわさ」の存在を知ることができない。知らないことは興味が持てないので、まずはアンテナを張りましょうと。

やりたいことがない人は、どんどんやったことがないことを減らしたほうがいいと思うんですよね。僕は自分のキャリアでもそうなんですけど、まだ色がついていない白地をどんどん塗っていくことを大事にしていまして。

やったことがないことを減らすというのは、言い換えると金と時間を使うことなんですよ。そうなると、金と時間を増やそうよという話になります。お金をたくさん使いましょうと(笑)。

(会場笑)

経済も回るからいいと思うんですよね。

自分の不幸に怒りを覚えるか? 他人の不幸にまで怒りを抱けるか?

では、怒りを持つにはどうすればいいか。これが一番難しいなと思います。乾けない世代は、よくミレニアル世代と言われると思います。「今の会社でマネジメントをやっているよ」という方はどれくらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

ミレニアル世代の部下はいますか? います? どうですか? 新人類な感じはしますか?

参加者:何を考えているかわからない。

佐地:何を考えているかわからない。ありがとうございます。これ、みなさんおっしゃいます。

何を考えているかわからないというのは、欲とか感情が見えないことだと思うんですよ。それこそ僕みたいな昭和世代だと「モテたい」という欲がわかりやすいから、モテたいんだったら仕事がんばれよみたいな。マネジメントしやすいですよね。

今の子たちって、生まれたときからある程度モノに囲まれているので、「何かが欲しい」「これがやりたい」みたいな、強烈な乾きがないんですよね。あるのは「あんな風になれたらいいな」という憧れの域を出ないロールモデル欲だけ。だからYoutuberが憧れの職業になったりする。

話がちょっとずれちゃったんですけど、怒りに関しては、当事者として痛みを知ることがすごく大事かなと思います。ただ、ここにもひとつ壁があって、自分自身の不幸や不満に対して怒るのか、自分以外の人の不幸にまで怒りを抱けるのか?

結局、他人の痛みに興味が持てない人というのは、自己実現にしか興味がないというか、もうストレートに言っちゃうと自己中というか、1杯目のビールをひたすら飲み続ける人だと思うんです。他人の不幸を自分事としてとらえて怒りを持てるレベルにまで行きたいのであれば、自己実現を突き詰めてもらって、自己超越をしていただく必要があるかなと思っています。僕がフリーランスを辞めてスタートアップにジョインした理由のひとつがこれでした。