最終学歴ではなく最新学習歴が必要

宮台真司氏(以下、宮台):みなさん、日本は教育レベルが高いと言われているじゃない? じゃあ、なんでいわゆるエリートの人がこんなに利己的なの? どうして「自分たちが生きている間に船が沈まなければ、あとはどうなっても構わない」という態度をとるの? どうして既得権益を回復するような政策しか採用されないの? どうして次世代が生き伸びるために必要な産業構造改革をしないの?

つまりこれは、まさにザ・ジャパニーズエデュケーションだよ。これが日本の教育の成功です。計算能力が高く、頭のいい、しかし抜け目のないクズ。三島由紀夫の言い方で言えば、“抜け目のない空っぽ”です。そういう教育をみなさんがよしとしてきたから、日本が終わるんですね。

谷崎テトラ氏(以下、谷崎):たぶん、宮台さんの同級生で「学習学」の本間正人先生という方がいて。うちの大学の副学長なんですけど、「最終学歴ではなくて、最新学習歴が必要だ」と言うんですね。

小島慶子氏(以下、小島):おもしろい。

谷崎:最終学歴として、自分の20年前や30年前の卒業の歴を言われても何の意味もないから、その人に「一体あなたは卒業後、どういう人生を進んで、最近は何を学んだのですか?」と(聞くわけです)。「最近、何も学んでいないです」とか……。

「そういえば、どこかで農業体験をして、お米の作り方を学んだよ」というのが今年の体験だったなら、それが最新学習歴になる。この最新学習歴は、一生更新し続けることができる。死ぬ瞬間まで更新できる。これは僕じゃなくて、宮台さんの同級生の本間先生の受け売りですけどね。

宮台:僕がフィールドワークをしていたときに出会った、新興宗教系の人たちって、年齢不詳な人が多いんですね。さっきリカレント・エデュケーションという話をされたけれども、そういう方たちは要するに、いろんなことを諦めていないので、いつも最新学習歴があるんですよ。そういう人は、年を取らないよね。最新学習歴があるということは、まだ未規定のものに開かれている可能性もある。

小島:「わかった」って思わないってことが大事。

宮台:そうです。

小島:何でも「わかった」って言う人がいるじゃないですか。人の話を20秒ぐらいで「ああ、わかった」って言う人。「まだ本題に入ってないよ?」「予知能力があるのか?」みたいな人がいたりします。「わからないなー」と言って、わからない自分と居続けるって、けっこうしんどいものですけどね。

子どもに見せたいのは、勧善懲悪ではくくれないコンテンツ

谷崎:意外と時間がなくなってきたので、そろそろまとめトークに入っていきたいと思います。お二方は、実際にお子さんを育てられる中で、学校教育とは関係なく、自分の子どもにとって一番大切な学びというか、どういうことをどういったかたちで教えますか?

宮台:具体的な一番わかりやすい例としては、やっぱり昔のコンテンツを見せることが子どもにはすごくいいね。とくに1960年代。1950年代もそうなんだけど、50年は映画になっちゃうね。勧善懲悪ものは非常に稀なんですよ。

じゃあ何があるかというと、悪にも理由がある。善はほぼ見たいところしか見ない偽善である、ってね。円谷の初期の6つのシリーズや、『ゲゲゲの鬼太郎』、『ジャングル大帝』など、ほとんどすべての子ども向けコンテンツが勧善懲悪じゃないですよね。

これをアメリカでレクチャーするときには、オフビートフィーリングと言うんだけれども、ビートが裏取りなんですよ。悪にこそ真実があるかもしれない。実は、日本のコンテンツが好きなアメリカの表現者や学生さんたちには、このオフビート感覚が好きな人たちがすごくたくさんいる。悪だと思っていたら、実は善だ。

アメリカやヨーロッパでは「ピカレスク」という名前で呼ばれていて、「怪盗ルパン」のような存在なんだけれどもね。悪漢ヒーローではなくて、本当にどうしようもないように見える犯罪者のコンテクストを辿ると、彼が実は一番ピュアであるがゆえに傷ついたという話になるわけだよね。

例えば、僕はよく、浦沢直樹の『MONSTER』の話をしますが、これは『鉄腕アトム』の異本というか、もじりなんですよ。(『鉄腕アトム』では)天馬博士が瀕死の子どもを育てて救うわけです。そうすると、鉄腕アトムは正義の味方になった。

でも、『MONSTER』の場合は、テンマが助けた子どもが、ヨハンと名乗るモンスターで、絶対悪に成長していくんですよね。つまり、ヨハンは絶対悪で、そういう人間を育てたテンマはとんでもないやつ。

善悪や世界観の転換を学ぶ重要性

宮台:出発点はそういう感じなんですけれども、最後にわかることは……究極のネタバレだよ? ヨハンは、誰よりも善良で、誰よりも敏感で、誰よりも思いやりがあったので、自分の双子の妹を救うために犠牲になったんですね。そのことがきっかけで、簡単にいうと、絶望した。あるいは感情が壊れた。

例えば、うちの子どもはそういうものを4歳で見ています。最後まで見ると、子どもは「そうかー」と十分に理解するんだよね。「人って、見かけで判断しちゃいけないよね」とか。子どもはそういう言葉じゃないけどね。何がいいか、悪いかなんてのはわからないし、人が実際はどんなやつなのかということは、簡単にはわからない。

谷崎:ジョーゼフ・キャンベルが神話の構造について(言っている内容で)「ヒーローズ・ジャーニー」といって、子どもの成長していく過程のなかで、敵と思っているものが逆転していく現象ですね。

例えば、(『スター・ウォーズ』の)ダース・ベイダーが自分の父親だったり、モーツァルトの『魔笛』のなかで、悪の帝王だと思っていたのが実は善良なものだったりという転換。世界観が転換する、自分の信じているものが絶えず転換していくことは、確かに学びのなかで重要な要素なんですね。

宮台:そうですね。「なんだ、そうだったのか!」と感じることって、快楽あるいは絶対的な享楽に近い感じだよね。これを子どものときに、コンテンツを通じて体験させることも、すごく意味があると思う。なぜかというと、やっぱり僕自身がそういうコンテンツで育ってきたからだね。

谷崎:ありがとうございます。小島さんは、どういうことを学びとしてお子様に与えることが大切だとお考えですか?

子どもが「親の無力さ」を知ることで起こる変化

小島:学びを与えると言っても、それは本人次第なのでね。私がこうしたらそのとおりにするということではないし、そのとおりにしないほうがいいと思うんです(笑)。親に言われたらそのとおりにする、というのは、あんまりよくないと思うんです。

1つ具体的に言うならば、うちの子どもが小学校3年生と小学校6年生のときに、日本からオーストラリアに移住したんですね。そこで彼らの世界は完全に変わったんです。

たぶん、彼らにとって一番よかったなと思うことは、彼ら自身の経験した環境の変化以上に、親も無力だと知ったことだと思うんです。日本に住んでいるときは、渋谷区の高級住宅地の片隅の中古マンションでしたけど、一応イケてるエリアに住んでいてね。公立学校でしたけど、お金持ちの子もいたりという状況でした。(宮台氏に)そうそう! 近所だよね。

そうすると、お母さんはテレビに出ていて、お父さんもみんなが知っているテレビ番組のディレクターで、そういうイケてるエリアに住んでいるというと、やっぱり「俺たちイケてるんじゃないか?」と思っていたところがあると思うんですよね。

ところが、「うちの両親はすごい人だぞ」「みんなが両親のこと、とくにお母さんのことを知っているぞ」と思っていた彼らがオーストラリアに行く。すると、行ったときは夫はもうぜんぜん英語ができなかったですし、私も別にバイリンガルじゃないので、英語は完璧じゃないんです。さらに向こうで私は知名度ゼロだし、一銭もお金を稼いでないんです。だから、出稼ぎに出なくちゃいけなかった。

オーストラリアのなかでは、超マイノリティのアジア人。アジア人のなかでもマイノリティの日本人。だから一気に、マジョリティの真ん中から、マイノリティの片隅へと。うちはパースなんですけど、彼らは180度違う世界に行ったことによって、親から自由になったんですよ。

彼らはもう「芸能人の子ども」と言われないし、今は親が自分よりも英語ができないんですよ(笑)。彼らのほうがはるかに、英語が普通にしゃべれるんです。英語で勉強して、普通に英語で生きているので。なので「親は自分よりはるか後ろに置いてきてしまった」というのが、彼らに見えている風景だと思うんです。

小学校3年生と6年生のときに、彼らにとってデフォルトだった世界が完全に180度変わって、一切、更地になったのはよかったと思います。親の限界も見たし、環境が変わったことによってある種、親を相対化できたと思うんですね。私は親を相対化するのに、カウンセリングを受けながら30代の丸10年かかりましたからね。なので、その点はよかったと思っています。

自分の経験をどう読むかがリテラシー

小島:もう1点だけ付け加えると、さっきのドラマの話にもちょっと関係あるんですけど、私はよく子どもにも、いろんな人にも言うんです。「小説を書くように生きることはできないけど、人生を振り返って小説のように読むことはできるんだ」って。1つの小説でも、毎回違う意味で読めるでしょ?

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