教育とは、正解のないものを考える力をつけること

谷崎テトラ氏(以下、谷崎):話題を「教育とは何か」に引き戻したいんですが、「教育の役割」についてはどうですか?

小島慶子氏(以下、小島):はい。SDGsにおける教育の役割? それは、SDGsのほかの16の項目を真に理解して、自分のできる範囲で、その16の項目に多少なりとも貢献するような何かをしようと思ったら、まずその項目が何であるかを理解する基礎的な学力が必要ですね。

谷崎:そうですね。

小島:いわば行き当たりばったり的というか、予測不可能なことが起きるのが人生です。基礎的な学力に加えて、マニュアルではなく、自分が予測不可能なものに遭遇しながらも、16ある項目のなかでSDGs的に「あっ、これは自分にできることかな」とか、「あっこれは大事なことかな」と判断する。それは、まさに「知」の力です。

そういうふうに考える力、そこに書いていないものを読むとか、あらかじめ自分のなかに正解がないものを考える力をつけましょう、というのが教育です。もしかしたら17項目を全うするためには、4番目(の項目にあたる「教育」)が一番大事なのかもしれない。

谷崎:そうですね。おっしゃる通りで、たぶん国連が決めたSDGsの教育に関しては、まずはこの基本的な基礎教育ですよね。

小島:読み・書き・計算。

谷崎:そういったもののことですね。それで初めて女性の権利であるとか、自分たちの置かれている立場とか、環境についての情報を得ることができる。まず最低限、そこまで持っていこうということがあります。それから、ジェンダーということを学んだら……。

小島:5番目(ジェンダー)ですね。

谷崎:そのために、つまり別の領域のSDGsを学ぶために、まずはこの4番(教育)が重要なんじゃないかな。しかし、宮台さんがその辺の話はいいから、その先に行こうって顔をしています(笑)。たぶんその先が重要で。我々の人生は、そもそも何を学ぶためのものなんでしょうか?

小島:宮台さん、何を学ぶための人生なの? 宮台さんは、何を学んでいるの? いっぱい学んでそう。

人間を進化させていったものは好奇心

宮台真司氏(以下、宮台):たぶんね、キーワードはやっぱり「永遠」とか「全体」ということなんですよね。あるいは、難しい言葉で言うと「超越」ということだよね。例えば、なぜこの世界があるのかというのは、本当に不思議なことです。そんなことを考えなくても生きていける。しかし、それを考えると、本当にいろんなことが奇跡に見えてくる。

実はね、知識はとても大事。しかし、今はポスト・トゥルース(post-truth:受け入れがたい真実よりも個人の信念に合う虚偽が選択される状況)の時代。何が真実かわかっていても平気で嘘をつく。今、「知識はあるけど、自分のポジション取りに使うだけ」ということが普通にあるよね。それも、とくにみっともない空っぽな存在が多い今の日本では当たり前だよね。なので、知識よりもコミットメント、動機付けが重要だ。

これはもともとは、「いいことをしないと罰を受けます」というタイプの宗教をもっとも軽蔑した、今から2500年ぐらい前のギリシャの人たちが明確に唱えたことだよね。逆に言うと、僕たちのようなスペクトラム系は、どういう存在かというのはもうわかっている。

人間はもともと、未規定なものに誘惑される存在なんです。例えば、ものを作るときに結果が分かっていたら、人はもう作りたくないわけ。

あるいは今の人類学、あるいは考古学的な水準で言うと、僕たちが森を出たのも、アフリカを出たのも、すべて好奇心によるものだということがわかってきた。追い出されたりしたのではない。環境的な要因ではない。

何か遠くに島が見えるだけで、1年に1日見えるだけで、同数の男女を船に乗せてそこに行くというのが、僕たちの不思議な方向性なんですが、ある種のスペクトラム系は、それが普通の人よりもさらに強い。

谷崎:ライアル・ワトソンが「ネオフィリア」(新しいもの好き)っていう言葉を……。

宮台:出た、ほらほら。彼(谷崎氏)はそういうルーツ。そのままいってください。

谷崎:ライアル・ワトソンが『ネオフィリア』って本を書いたんですけど、宮台さんがおっしゃったように、人間を進化させていったのは、好奇心であるということです。好奇心とは何かと言うと、「やっちゃいけない」と言われている領域を行くこと。魚なのに陸地に上がってみたいと思ったあたりから始まるわけですね。

ネオフィリア―新しもの好きの生態学 (ちくま文庫)

ヒレをバタバタやっているうちにエラ呼吸が肺呼吸になっていて、というのも、実は好奇心からです。そして、木から降りた猿も、直立二足歩行へつながるんですね。だから、おそらくそういうスペクトラムの心理状態を持っているのは、実は進化のきっかけにもなっていた。

それがおそらく「ネオフィリア」だと思いますが、たぶんそこのところに役割がある。教育のなかにも、そういうことを救いあげる役割がある。そういうこともあるという問題提起なんですかね?

近代社会とは計算可能なものを尊重する社会

宮台:そうです。逆に言うと、近代社会は“計算可能なものを尊重する社会”なんですね。規定不可能なものを排除する社会。その方向性が進めば進むほど、小島さんや僕のような存在は、どんどん生きづらくなるわけ。「なんでみんなと同じにできないの!?」って、クズな大人たちが押し寄せてくる。

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