自分のことしか考えない人間に成長はない

青野慶久氏(以下、青野):次のご質問です。塚越さん宛てにいろいろ来ておりまして、シンプルに言うと「塚越さんのようになりたいです」と。「もともとそうだったんですか?」「どうすればなれるんですか?」というご質問があります。

塚越寛氏(以下、塚越):もともとは違ってました。

青野:あ、そうなんですか!

塚越:ただ、根底として私は17歳から20歳まで3年間、肺結核で闘病生活やってるんですよね。これが自分を作ったようなものだと思いますね。やっぱり不健康というのはすごく悲しいですね。思春期に3年間寝てると、そりゃあ自分の人生がこれからどうなるか、どう生きるかとか考えますよ。

あるいはこの病気が治らなかったら、17歳の人生は短くて情けなかったなとかね。それから考えて、誰だってそういう悩みがあると。誰だってもっと人生を考えさせなきゃいけないと。たった1度の人生を有意義に過ごさせるようにしてあげなきゃいけないなという想いが、芽生えちゃったんですよね。

森信三さんという学者がいるじゃないですか。あの方が、『一日一語』という本を出しているんですよ。その元旦になんて書いてあるかというと「人生はたった1度だという知識こそ大事だ」ということが書いてあるんですよ。

これは人間にとって一番大切な知識で、人生はたった1度で繰り返しはきかないと。だからたった1度の人生は、お金があったから幸せになれるものか。まあかなり高いでしょうけど、そうじゃない。結局どう生きるかということを真剣に考えるというのが、実は私の人生だったような気がしますね。

結局はさっきもちょっと言ったように、利他をしなくちゃいけないなと。自分だけ幸せな我利はできるんですよ。赤ちゃんが乳首に吸い付くというのは我利ですよ。誰も教えない。そうしなきゃ死んじゃうよとか、そうしないと育たないなんて知識は誰も教えないけれども、本能でできるわけですよ。だから我利のまま大人になっちゃってる人がいるんですよ。

自分のことしか考えないということでは、なんの成長もありません。人間的成長というのは、いかに利他ができるようになるか。そのことを学ぶのが人間的成長です。学校も今はそういう方針じゃなくて予備校化しちゃってるでしょ? これは情けないなと思うときがあるんですよね。

人間としてなにを学ぶかと言ったら、利他だと私は思ってます。それを熱っぽく社員に話すと、しょっちゅう話してるからなんとなくわかってくるんですよね。その結果一枚岩になってきたかなという気がします。

社員には病気をさせないという決意

崔真淑氏(以下、崔):最初から社員の方々がみんな利他、利他、利他というわけではなかったと?

塚越:そんなわけじゃないです。うちの会社ははじめなんかめちゃくちゃですよ。私がブレないから、だんだんできるようになってきた。それがいいの。考え方はほとんどブレてますよ。それがよかった。

先ほどちょっと言ったように、上場企業はトップが変わるとブレることがあるでしょ? それが問題だという気がします。本当は同じ理念の人が継ぐべきなんですよ。手法はもちろん時代に合わせて違っていいんですよ。

基本的な理念、人を幸せにしたいんだというような想い、人生は仕事だぞというような想いをどの経営者も持ってたら、その会社はうまくいくと思うんですよ。私はそう思ってます。

青野:17歳からの3年間である意味、人生はこういうものだという死生観を身につけられて、そこからずっとブレずにいらした。

塚越:ブレずにというか、人生で病気になっちゃいけないと思うわけ。だから社員にも絶対病気させちゃいけないという思いが強い。うちの会社はすべて そういうふうにやってきました。

青野:病気の強さを知っているからこそですね。

塚越:うちは作業環境はものすごくいいし、健康診断もしっかりやります。それから安全ね。事故で亡くなっちゃいけない。うちの営業所はみんな、北海道は宮の森とか、仙台は泉地区とか高級住宅地にあるんですよ。

作業効率だとかそういうことじゃなくて、いざというときの安全を考えてやる。そこまで考えてくれたら、社員はこの会社のためにとなるだろうと私は思っているわけです。

青野:なるほど。トップの利他の思いがメンバーの利他の思いを引き出すのかもしれませんね。

塚越:ちょっと自慢話で恐縮だけど、そうだろうと思いますね。

岡田氏の運命を変えたジョホールバル

岡田武史氏(以下、岡田):それでもやっぱり、経営者でも半端じゃない経験、倒産と闘病、戦争を知ってる人は、そういう死生観を持って経営されますよね。

塚越:松下さんは若いころ肺結核で、実は稲盛さんも肺結核をやってるんですよ。

岡田:ガンも1回やられてるんですよね。

塚越:ちょっと理屈っぽいというか、病気をすると人生を考えたくなりますね。

岡田:そういう経験をするチャンスが今はないんですよ。さっきも言ったように、本当に幸せ、幸せでいいんだろうかと。

俺は死にそうにはなってないんだけど、人生が変わったのは98年のワールドカップ予選の最中。カザフスタンでボスが解任になって、僕が日本代表の監督になったんです。41歳だった。コーチだけで、監督をしたことがなかったんです。俺は絶対こんなプレッシャーに耐えられないと思った。

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