少子高齢化時代に三世帯で同居するメリット

佐々木常夫氏(以下、佐々木):これ(自主性を重んじること)は、家族も一緒です。私は健常の子どもが2人います。その2人の子どもは、18歳からひとりの大人として扱っています。私と対等です。今は年を取ったので、老いては子どもに従えですな。ほとんど子どもの言うとおりにしています。

娘がこの間結婚した男性は目黒区に住んでいて、100坪の家にお父さんとお母さんと3人で暮らしていたから、当然娘とともにそちらで暮らすのかと思ったら、うちにばっかり泊まっている。

理由を聞いたら、「うちの親はいつまで経っても私を子ども扱いします。上から目線の命令調です。佐々木のお父さんはまったく子ども扱いするどころか、ほとんど私の話をしたがってくれる。だからこの家は住みやすい。ここに住まわせてください」と。

うれしかったですね。娘がお嫁に行くのかと思ったら、いい息子が新しくできました。家は賑やかですね。ハッピーですよ。ところが、向こうのお父さんとお母さんは89歳と87歳です。今度は介護の問題が出てきた。

向こうのお父さんとお母さんは、やっぱり癖もありますが、いいところもたくさんあるんですよ。話をしていても楽しいことが多い。だから決心したんです。八雲の家を潰して、新しい家を建てました。3階建てのバリアフリー。三世帯同居です。

向こうのお父さんとお母さん、私たち夫婦、それに娘夫婦。これからは独居老人も増えますが、少子高齢化に向かって行きますからね。私はできれば大家族がいいと思っています。娘は、料理を作れば三世帯分をまとめて作りますからね。それから、犬が3匹いますが、誰かが散歩に行きますよ。

お父さんは入っておられた施設から戻して、みんなでケアをしています。エレベーターも付けましたから、車椅子でも動ける。今、施設にいると、人手不足で外に出られません。散歩なんかやっている時間はないんだそうです。可哀想ですよ。でも、自宅ならそれができる。それから、生活費が安い。だって1軒の家があって、その中で三世帯。生活費が3分の1です。

人間関係を縦ではなく横でとらえ、相手をリスペクトする

ただ、(最初は)かなりお金がかかるんですよね。2軒分のローンを組まなきゃいけませんから。私の部屋を入れたら3軒ですね。私は子どもから家を借りるスタイルにしています。賃貸を払うわけ。そして2軒を人に貸して、その家賃収入でローンを返すということにしました。だから、彼ら若い2人は別になにもしなくたって、ローンとして家賃を払ったらいいわけですからね。

この人間関係を縦ではなく横で捉えたり、相手をリスペクトする。相手のいいところを見つけて、それを認める。悪いところはいくらでもあるんですから。そんなものは全部いちいち突かない。だからアドラーは、人はいつでも変われるということを言ったのだと思います。

だれでも幸せになるといっているのは、こういうことじゃないかと私は思ったんです。だから、三世帯同居は非常にメリットがあるということです。それから、年を取ってきて、子どもの世話にならなきゃいけない場面はあるのですが、さっき2軒貸したというのは、1軒は私の知り合いで、出版社の編集長です。

その上に住んでいる人は、娘の旦那の友達なんです。5世帯が一緒でね。その編集長の子どもさんは、親一人、子一人。母親一人、子一人なんで、編集の仕事で忙しいでしょ。子どもは一人ぼっちでしょ。我が家でよく一緒にごはんを食べていたりもしているんですよ。これもまた非常に、お互いにメリットがあって助かる。いざとなれば、彼女の力も借りられるということですからね。すごくいいと思います。

お酒の席で仕事の話をするのは卑劣なやり方

話が戻りますが、「子どもへの期待はできるだけ持たない」が大事です。介護は、子どもよりきちんと面倒を見てくれる人の方がいいですよ。子どもはいつでも、頼りになるとは限らない。もちろん、きちんとした子どもがいればそれが一番いいんですが。期待をしないことが、より関係を維持する心がけだと私は思います。

それから、「兄弟姉妹については距離を取った方がいい」と思っています。私は4人兄弟でね。みんな仲がいいですよ。ところが、違う会社に入って、違う経歴を持っている。それから奥さんがちょっと合わないなど、いろいろありました。ここはあんまり、近寄らない方がいい。少し距離を置いた方がいいと思っています。

距離を取るというのは別に兄弟だけじゃなくて、子どもに対しても、ある意味では自分の奥さんに対してもそうかもしれません。それから夫婦は、結婚式で、いかなるときもこの人を愛し続けるかと神父さんが誓いの言葉のようなものを言って「はい」「はい」とみんな言うけれど、続きませんからね。

やっぱり相手に対して、相手のいいところをリスペクトすることが大事なんじゃないかと思います。それから、義理は積極的に欠いていく。営業のときは消極的に欠いていく。とくに、飲み会。あれは全部出る必要はありません。

あんなことをやっていても、疲れるでしょう。みんな若いから、2次会に行くでしょ。あれも、ほとんど付加価値がついていませんよね。だからお酒の上で、仕事の話をする人がいますが、私はもう、それは卑怯なやり方だと思っているんです。仕事のことは、全部会社で済ます。飲みに行くのは、飲むのが好きだから行っているわけですからね。

仕事以外の話をしたらいいだろうと思います。義理なら飲み会も適当にする。それから、2次会は行かない。そういうことは現役時代から私がやっていたことです。営業のときは、私は忙しいので。両方とも忙しいですから、そんなにゆっくり行っている暇はなかったんで、必要上そういうことになった。

無駄なことにお金を使わない「ケチ」はいい意味

年を取って安定してからも、例えば年賀状。私の場合は三百数十通出していましたが、今は100枚ですね。本当に自分が付き合いたい、会うチャンスもある人だけにする。ずーっとね、手紙を書いているけど会ったことがない、これからも会わないという人がいっぱいいますよね。

そうした人からやめて、それから会社、これはよほどではない限り、全部やめちゃうということです。「どうしたらやめられるんですか」なんて聞く人がいますが、そんなのは別に、黙ってやめればいいんですよ。なにも挨拶することはない。もちろん「いろいろと健康上の問題もあって、来年からは年賀状を出しませんよ」という人もいますが。

別にこなきゃこないで、年齢が年齢だから、みんなそれは認めてくれます。老いらくの恋の話は私は苦手ですから、飛ばしますね。節度を持ってやったらどうかという。先ほど家族、三世帯同居の話をしましたが、シェアハウスもいいと私は思っています。

シェアハウスといえば、この間テレビを見ていましたら、例えば6人で一緒に暮らすじゃないですか。独立した部屋があるんですよ。決まりがあって、亡くなったらその人のお金は全員で共有する。次の人が亡くなったら、残った人が共有する。最後の人が全部もらう。そうするとね、心配なく使えます。お金の問題はともかくとして、だれかが側にいるということは非常にいいことですよね。

だから、ケチはいい意味ですよ。「私はドケチ」と本に書きましたが、ケチは無駄なことにはお金を使わない。私の場合は、講演に呼ばれて、車を用意してもらっても、だいたい断るんです。歩きます。健康にいいですからね。1日1万2,000歩くらい歩きますが、これは車に乗るとできません。必ず電車です。電車だと、地下鉄の階段を上ったり下りたりします。普通に歩いていると、9,000歩くらいいきますよ。これに努力をすると、1日1万2,000歩はいきます。健康のためにもいいですよ。

健康に対しては謙虚であれ

それから、「子どもや孫には、決まった額以外は渡さない」。私の母親の親友で、今97歳のおばあちゃんがいるんですが。秋田にいて、月に1回は必ず電話をしてくるんですね。私のことを恋人のように思っている人でして。子ども夫婦がいないときに電話をしてくるんですよね。留守電が入っているので電話をして、子ども夫婦がいたりすると「あとから電話するから」と。

(会場笑)

その人はね、子どもの孫ができるでしょ。孫ができると、孫に対しては中学校に入ったときには1万円かな、高校に入ったとき3万円、大学に入ったときに10万円、結婚したときには30万円だと決めているらしいのです。だから子どもも孫たちも本当に懐きますね。本当にそれ以外は渡さないんだそうです。

むやみやたらに渡すと、いつでももらえると思うでしょ? それが節目節目に決まった額しかこないとね、それを待ち遠しがる。日頃からおばあちゃんを立てるわけですよ。非常に賢い人だなと思いますね。みじめな金持ち。だれがみじめかというと、金が入ってきてもまだ欲しいという人ですね。

それから、「健康に対しては謙虚であれ」。健康管理というのは基本ですが。いつまでも若くはありませんからね。できるだけ健康を維持するということを考えなければいけない。別にスポーツジムなどに通う必要はありませんよ。年齢が年齢なので、あまり無理はしない方がいいと思います。

よくジョギングをやっているお年寄りがいますが、あれはあんまり健康に良くないと個人的には思っています。無理はしない。階段などもあまりね。90歳が階段を昇るということで有名な人がいますが。なるべく無理はしない。

年を取ってくると、病気の話が多くなりますね。この間同窓会があって、一応司会をやりましたので、「今日はみんなに近況報告をしてもらいますが、病気と孫の話はしないこと。それ以外で話をしなさい」と言ったら、大ブーイングですよ。「それを言われたらなんにもないじゃないか」と言われてね。そうなんだ、孫と病気の話以外はテーマがないのかと。私はこれをジョークで言ったのですが。

別にしてもいいですよ。だけど、病気の話ばかり長ったらくされても、迷惑な話ですよ。その人はいいかもしれません。少しくらいの病気はあってもいい。年を取ってくれば、必ずそうしたものはありますからね。病気と仲良く付き合うということを、考えなきゃいけないんじゃないかと思います。

物を捨てられない人は教養のない人

それから「物を捨てられない人は教養のない人」。言い方がちょっとひどいですが。我が家をこの間建て替えて、新築したでしょう。7つも部屋があるんですが、6つの部屋が全部荷物でいっぱいなんですよ。すごいですよ。お父さんの入社以来の給与明細。家ができてからの電気代ガス代の明細が、全部とってあるんです。でも、なにがどこにあるかがぜんぜんわからない。

だから、物を捨てることが大事。物を捨てるということは、不要なものを捨てるということなんです。大事なものを残すということですよ。それをやらないと、なにが大事でなにが大事でないかがわからなくなってくる。先ほど私は仕事の効率化、タイムマネジメントというのは時間の管理ではなくて、仕事の管理であると。つまり、重要でない仕事はやめて、重要な仕事だけに特化する。

本を大事に持っている人がいますね。すごくいい考え方かもしれませんが、私は持っていない。引っ越しが多かったもんですから。毎回とんでもない重さです。だから、あるときから1,000冊だけにしたんです。1年経って、1,000冊より増えるでしょ? それをまた必ず1,000冊まで落とすんです。それは古本屋さんに来てもらって、持って帰ってもらうんですが。

いつも1,000冊は持っています。そうすると自分はこの本はやっぱり残しておきたいと思ったんだな、というものが出る。ちゃんと残るから、見ると1,000冊はずいぶん自分に近い存在です。本を二度読むなんてことは、ほとんどありませんよ。もし捨てても、あの本は大事だったと思い出したときに、また買えばいい。

終の住処にとらわれるな

さて。「終の住処にとらわれるな」というのが、私の場合は大阪にずーっと住んでおりまして。

自分で家を買ったんです。長いことそこに住む予定だったから。そうしたら新築して3年も経たないで転勤になっちゃったので、人に貸した。人に貸したら、そのあとはもう30年間以上、貸したままですね。いずれ大阪に戻ると思っていたら、東京にそのまま住んでいて、荻窪、保土ケ谷、代々木……そして東急沿線の駅の近くに来て、ここで定年を迎えそうだったので、横浜の綱島にマンションを買ったんです。

ここが一生の終の住処だと思った。すると仕事の関係上、綱島ではやや不便。やっぱり都内がいいということになって、渋谷に引っ越した。これでここが最終の住処だと思ったら、今度は八雲にいって娘夫婦と一緒に暮らすようになっちゃった。

こうなってくると、もうこれが終の住処だとは思えないような感じになってきました。家というのは、私は快適に過ごせればいいと思っています。人によっては、一戸建て派とマンション派などとありますが。私はどちらかというとマンション派ですね。ドアを閉めたらそれでお終いですからね。一戸建てにも何回も住みましたが、やっぱり大変です。

それからできれば、これは選べないことですが、都会の方が田舎よりはいいと思ってます。私は秋田の商店街の支援をやっていますので、年に数回は秋田へ帰るのですが、大変ですね。限界集落という言葉があります。どんどん人が減っていっている。学校も減っていくし、病院もなくなるし、いったいこれから地方はどうなるんだろうかと。そういう点では、まだ都会の方が、いろんなかたちで安心できるところがあるんじゃないかと思っています。

田舎の人は、車社会ですから、ほとんど歩きません。「平均どのくらい歩いているの」と聞いたら、だいたいみんな1日3,000歩ですよ。ドアtoドア全部が車ですからね。一家に人数分だけ車があります。だからそうした意味では、健康にも良くないですよね。不便ですし。

田舎がいいという人はいますから、それはそれでいいんですが。なかなか難しいと私は思いますね。年を取ってきても元気な人。年を取ったらだんだん老いぼれていく人。肉体が弱ってきますから、老いぼれてはくるんですが。人によって随分と違います。

何歳ということじゃない。その人がどういう人かによって、だいたい決まってくるんじゃないかと私は感じていますね。だからできれば、先ほど人はなかなか変わることはできないと言いましたが。アドラーの例を引くまでもなく、人によっては変われる。ある程度の目標を持っていた方が、いろんな意味で前進はするんじゃないかと思います。