2024.12.10
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ウィスコンシン大学 卒業スピーチ2019 J.J. ワット氏(全1記事)
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司会者:それではここで、J.J. ワット氏を演壇にお呼びいたしましょう!
(会場拍手)
J.J. ワット氏:マディソン、この美しい街にご招待いただきありがとうございます。
(会場拍手)
みなさんもご存知の通り、私は過去8年ほどテキサスに住んでいて、そこがとても気に入っています。人々の感じは良いですし、食べ物も美味しいですし、みんなフットボールが好きですから、私にとって有利です。しかし、フライドチーズカードとチョコレートカスタードを注文しても好奇の目で見られない場所に戻ってこられたのは、正直とても嬉しいです。
(会場笑)
フライドチーズカードを流行らせようとしているのですが、なかなか流行りませんね。昨夜は、フライドフィッシュとポテトパンケーキを食べながら、美味しいスポテッドカウ(ウィスコンシンのビール)を飲んでいました。
(会場歓声)
みなさんも1、2杯飲んだことがあると思いますが、ウィスコンシンの外に住むまでは、ウィスコンシンの外でスポテッドカウを見つけるのがどんなに大変かお分かりいただけないでしょう。私はいつもここに帰ってくると、自分のスーツケースをスポテッドカウでいっぱいにして、パブロ・エスコバルのように密輸出して帰るんですよ。
(会場笑)
ここにおられる方の中でテキサス在住の方、私の冷蔵庫にはストックがたくさんありますよ。
真面目な話に戻りますが、私は今日この場にいられることを非常に恐れ多く、そして光栄に感じています。まず、学長に感謝を述べたいと思います。そして学部のみなさん、上級職員、もちろん2019年ウィスコンシン大学卒業生のみなさまにもお礼を申し上げたいと思います。
(会場拍手)
私が「今日のスピーカーになってください」と初めに言われた時、数日後にヒューストンで会見があったので、プレスの方々が一緒にいました。彼らは「スピーチをもう書きましたか?」と聞いてきたので、私は「いいえ。私はスピーチを書きませんよ。」と答えると、「では、プロンプターに何を出してもらうんですか?」と聞かれました。それで、「何も出してはもらいませんよ。なんでもいいですよ」と答えました。
(会場笑)
そしてその後、非常にたくさんの人が、スピーチを書くのを手伝ってあげようと言ってきました。プロのスピーチライターの方も私にスピーチを書いてくれようとしました。みんなが「スピーチを書くのを手伝ってあげるよ。書いてあげるよ」と言ってくれました。それに対する私の答えが正しい答えであったと思いたいですが、私は「大学は、あなたが何を言いたいかではなく、私が何を言いたいかを聞きたくて打診してきたんだと思う」と言いました。
(会場拍手)
ありがとう。スピーチライターが私のために書けることではなく、あなたが聞きたいことは何かを考えながら自分で書くのでもなく、みなさんは、私が今まで学んできたことは何か、ウィスコンシン大学が教えてくれたこと、キャリアが教えてくれたこと、私が今まで乗り越えてきたことから学べたことをお聞きになられたいのだと思います。
今日ここにいらっしゃる方だと思いますが、ソーシャルメディアを通して私に「卒業証書をもらうのに、私は4年間苦労してきたというのに、スピーチの準備をしてこないとは何事だ」と言ってこられた方がいました。
(会場笑)
まず初めに言いたいのは、「落ち着いて」ということです。
(会場笑)
落ち着きましょう。大丈夫です。スピーチを書き起こさないからといって、準備をしていないというわけではありません。YouTubeのさまざまな方の卒業式スピーチを見てきましたから、大丈夫です。
(会場笑)
みなさんと同様、私もたくさんのWikipediaを読みまくって、昨夜、すべてを詰め込んで、ここにある紙切れに何かを書き込んできました。
(会場笑)
私は準備してきました。よく考えてきました。ビデオを見ながらいろんなことを学びました。その中の一つに、スピーチをする人はリストを作るのが好き、ということです。人生のリストです。ルールとかゴールとかやるべきことのリストです。
そこで私は思いました。「私はリストを作るタイプの人間ではないな。もしリストを書いたとしても、会場にいる人たちは自分よりずっと頭がいいし。そんな人たちに、人生をどのように生きるべきか、私が言うべきではないし」。そして、自分のスピーチを書き始めました。実際に書いたのではなく、頭の中に書き込みました。
私が話したかったのは、「夢は大きく、努力は惜しまず」ということです。私はまだ下級生だった時に、財団を作りました。この学校の法律部から非常にたくさん助けてもらいました。私が「501c3(非営利公益法人)」の手続きをするのを一緒にやってくれました。財団を始めるにはどうしたらいいか、始めから一緒に助けてくれたのです。
そして、夢を大きく持ち、努力を惜しまないと言うことは自分のモットーとなりました。なぜなら、この世界の中で自分が欲しいものと同じくらい大きい夢を持つべきであると、私は心から信じているからです。決して他の人に「そのような夢を叶えるのは無理である」と言わせないでください。私の先生の中にも、「『いつかNFLの選手になる』という私の夢なんて叶いっこない」と言った人がいました。しかし、私を見てください。
(会場笑)
同時に私を信じてくれた人たちもいました。そのような人たちは、私がここに来るために助けてくれました。ですからみなさんも、自分の欲しいものと同じくらいの大きな夢を持つべきです。他の人に口出しさせないでください。その代わり、その夢を叶えるために進んで努力するべきです。自分の夢を叶えるために、進んで、時間と努力とエネルギーと犠牲を払うのです。
そんなわけで、自分が今日みなさんにお伝えしたいことを考えていたのですが、どのように言うかを整理していましたら、悔しいことにリストが出来上がってしまいました。ですから、今日みなさんに、自分の夢を追うにあたり学んだ4つのことをお話ししたいと思います。
(会場笑)
私は今日ここに来るまで、自分の夢を追い続けてきました。この先にも夢はもっと続いていきます。しかし、ここまで来るのに自分が学んできたことは多いので、今日はそのことについてお話ししたいと思います。
私はこのスタジアムから45分ほどのウィスコンシン州ピウォーキーというところで育ちました。そうです、ご存知の通り小さい街です。ですから、みなさんがそこから来られたわけはありません。みなさんが嘘をついていらっしゃるのがわかります。ありがとうございます。
(会場笑)
ウィスコンシン州で生まれた人の子どもの頃のクローゼットの中には、3種類しかありません。緑と金色、赤と白、そして迷彩です。
(会場笑)
2019年には明るいオレンジ色も入っているかもしれません。私は義務的にブレット・ファーブルのジャージを持っていましたが、本当は赤と白のユニフォーム、ウィスコンシン・バジャースの選手になりたいと思っていました。実を言うと、私は小さかった時ホッケーの選手になりたいと思っていました。バジャースの人たちとスケートもして、すごく楽しくて、ここでホッケーの選手になりたいと思っていたのです。
しかし、成長するにつれ、好きなものがフットボールに変わりました。2005年にこのスタジアムで、初めてのフットボールゲームをしました。みなさんも初めてこのキャンパスやこのスタジアムに来られた時のことを覚えてらっしゃると思いますが、私もその日のことをすべて覚えています。
私はみなさんの記憶に含まれてはいないと思います。そしたら自分がすごく歳をとっているように感じてしまいますから。今日ここにきた時、私のことを描いた絵を持ってきてくれた人がいたのですが、「自分が8年生(中学2年)の時に描いたんだ」と聞いて、心が痛くなりました。私は30歳になったばかりなのに、年寄りのような気がしているんですよ、みなさん。
(会場笑)
それはいいとして、私が試合のためにここにきた初めての日、テールゲーティング(車を停めた駐車場で停めた車の後ろでパーティーをすること)をしていました。今でもあの時のソーセージの匂いを覚えています。コーンホール(ゲーム)をして遊びました。
少し寒くて、木の葉の色が変わりつつありました。本当に魔法のような時間でした。みなさんも私が話している意味がわかると思います。そして、私がこのスタジアムに入っていくと、バンドの演奏が聞こえました。そうですね、バンドに拍手を。
(会場拍手)
私はその時、伝統・歴史を感じることができました。この場所には、何か特別なものがあるのです。その日、フォースクォーターのジョンストックが終了25秒前に、そこにあるエンドゾーンでタッチダウンを決めて、ミシガンを破ったのです。
私はその辺にあった席に座って、「これだ、これが自分の夢だ。ウィスコンシン・バジャースの選手になるんだ」と思ったのを今でも覚えています。しかし、コーチのスタッフは同意してくれませんでした。彼らは、私はタイト・エンドでプレイするには小さすぎると言って、奨学金をくれることはありませんでした。でも、フェアな話をすると、確かに私は6.5フィート(195.6センチメートル)でとても痩せていて、手足が長く、ちょうどカーディーラーの店頭にある風船人形のような体型をしていました。
(会場笑)
それで、私はセントラル・ミシガン大学に行って、そこでタイト・エンドとしてキャリアをスタートしました。私はスターターでした。私たちはカンファレンス・チャンピオンシップで優勝しました。それでも、自分はここではないどこかに所属しているべきだとずっと感じていました。
そして、その「どこか」とは、ここのことだったのです。やはりバジャーズ(ウィスコンシン大学のフットボールチームの名前)になりたかったのです。その後、私は転校してこの大学に入りました。多くの人が、私が生活の足しにと在学中にピザ配達をしていたのをご存知ですが、今からお話しすることはほとんどの人が知らないと思います。なぜなら、公にこの話をしたことはないからです。
私はこの大学にきたあの年、このスタジアムの整備員だったのです。信じられなければ、ディック、ダリル、ジェフなどに聞いてみてください。彼らがまだここで働いているか知りませんが、少なくともその中の誰かがまだ生きていてくれることを願います。彼らは素晴らしい人たちでした。
(会場笑)
なんちゃって、内輪ジョークです。私たちは座席をきれいにして、床をパワーウォッシャーで磨き、手すりにペンキを塗りました。特に記憶に残っているのは、ある日、そこのセクションAでその手すりにペンキを塗っていた時——そうですよ、その手すりのペンキは私が塗ったんですから、汚さないで。ちょうど15分休みだったので、そこに座って休んでいました。
私は誰もいないフィールドを見て、「そのトンネルを駆け抜ける姿を想像してみるんだ。あのユニフォームを着てフィールドにいる姿を想像してみるんだ」と自分に言い聞かせました。それは、私の夢だったのです。それで毎日、春の練習の間、トレーニングキャンプの間、私はあのオフィスに通いました。あのバルコニーが見えますね?
右から5番目の窓にあるオフィスは、チャーリー・パートリッジという私のディフェンスラインのコーチのオフィスでした。私はタイト・エンドからディフェンシブ・ラインに移されました。毎晩夜10時、スターティングメンバーとの練習やコーチの会議が終わって、みんながとっくに帰宅してしまってから、パートリッジコーチは私のスカウトチームの録画を一緒に見てくれました。
そして、私の手をどこに置いたらいいか、フットワークはどのようでなければならないか、敵チームのオフェンスのどこを見たらいいか、などを教えてくれたのです。彼は私にオフェンスラインのプレイ方法を教えてくれました。
私がこの話をしたのには2つの理由があります。まず、ここに来られるのが私にとってどれだけ光栄なことか、伝えたかったからです。私がそこのセクションAで手すりのペンキを塗っていた時、私がこのように卒業式のスピーカーとしてみなさんの前に立つ時がくるなど、夢にも思っていませんでした。
そして、この話をしたのは、夢を追うことに関して学んだ最初の教訓が含まれているからです。あなたが夢に続くであろうと思う道筋は、自分の予想した通りのものではないことが多々あります。私がウィスコンシンに来たとき、高校卒業で奨学金をもらってくるんだという夢がありました。早くにキャリアをスタートさせて、ローズ・ボウルで優勝することを夢見ていました。
障害もチャレンジもないと思っていました。もちろん、努力はしないといけないし、学校の仕事もしないといけないとは思っていました。それでも、まさか最低賃金でこのスタジアムの手すりを塗って働かなければならなくなるとは思っていませんでした。
それがみなさんに伝えたいメッセージです。みなさんの現状だってそうです。みなさんは自分の大学のキャリアがどうなるか、イメージできていなかったかもしれません。あなたのスタート地点はここではなかったかもしれません。メジャーのクラスがスタートではなかったかもしれません。
しかし、みなさんはこの課程を終えられました。ここにくるまでに難しいことや反対や障害もあったかもしれません。しかし、みなさんはここまで来られました。夢の一つを叶えたのです。きっと難しいでしょう。自分の希望通りにはいかないでしょう。それでも集中して自分に正直でいれば、そして、自分の夢に情熱を持っていれば、最後には夢が叶うでしょう。その道筋がいかに難しくなろうとも、夢は叶うのです。
その点が、私の学んだ2番目の教訓です。誰も自分の力だけで夢を叶えた人はいません。この地球上で、本人以外の人間の助けをまったく借りずに自分の夢を叶えたことのある人を見つけてみてください。そんな人はどこにもいません。私たちはみな、良いことと悪いこと、ポジティブなこととネガティブなこととの両方から助けてもらわなければならないのです。
ポジティブなこととして、私が奨学金を残してここに来た時、私の両親は金銭的に私を助けてくれました。パートリッジコーチは、私にデフェンシブ・ラインのプレイ方法を教えてくれました。私には家族、両親、友人、先生、コーチ、チームメイトなどがいて、彼らが、私がここにくるまで、ポジティブに助けてくれました。
では、ネガティブなことがどのように助けになるのだろうと思われるかもしれません。2011年、私はヒューストン・テキサスに第1次でドラフト指名されました。あの日は、自分の人生の中で最も大切な日でした。自分の夢の一つが叶ったのです。私は興奮していました。私は家族を抱きしめ、高校のコーチを抱きしめました。そこには私を助けてくれた人たちがいました。
そして、その夜ホテルの自分の部屋へ戻ると、自分の電話をチェックしました。Twitterなどで自分やヒューストンのリアクションがどうだと言われているかを見たかったのです。そこでヒューストンのスタジアムで行われたドラフトパーティーのビデオをクリックしました。
そこで目に入って来たのは、腹の底からブーイングをしている男の様子でした。そのビデオでは、ドラフトパーティーのすべての様子が映っていましたが、みなが私に対してブーイングをしていました。二人くらいを除いて、すべての人がブーイングをしていたのです。
私はそのビデオを見ながらこう思ったのを覚えています。「よし、いいだろう」。それが私のモチベーションとなったのです。みなさんもネガティブなことを2つのうち1つの方法で受け止めることができます。
私は、「ああどうしよう。みんなに気に入られるわけがない。ひどい」と思うこともできましたが、代わりに、「これは自分のモチベーションになるぞ。」と言ったのです。私の究極の夢はヒューストンに来てプレイすることだったのです。ですから懸命に努力して、人々の尊敬を勝ち得る必要があったのです。ですから、みなさんもネガティブなエネルギーから力を得て、夢に向かうことができるのです。
誰かが私を助けてくれた一番最近の例は、2016年と2017年のシーズンが怪我によりプレーできなくなった時でした。2016年に私は2回目の腰の手術を受けたため、シーズンが終わってしまいました。2017年には、足を骨折してしまいました。その2つの出来事の間に、私のガールフレンドはACL(膝前十字靭帯再建術)と戦っていました。
はじめのうち、自分の腰の怪我が良くなってきていたので、彼女を助けることができていました。そして彼女が松葉杖で歩けるようになりましたが、まだ装具を身につけていなければなりませんでした。そんな時、私は足を折ってしまったのです。私は歩くことができず、ソファの上で2ヶ月間ずっと横になっていなければなりませんでした。私の彼女は、まだ自分のACLの怪我から回復できていないというのに、私の世話をしなければならなくなってしまったのです。
今でも忘れられませんが、ある日私が台所にいた時、耐えられなくなって泣いてしまいました。私は非常に意気消沈していました。私はただ涙を流していました。私が彼女の看病をしてやらなければならないのに、他の人々の世話をしてやらなければならないのに、私がみんなに助けてもらっているべきではないのに、と思ったのです。
その時、私は学んだのです。どれだけ体が大きくとも、どれだけ強くとも、どれだけタフであったとしても、人はみな生きていく中で、他の人に助けてもらう必要が生じるのだということを学んだのです。私たちはみな、助けてもらう必要があるのです。
(会場拍手)
私たちはみな、夢へ向かう道の途中で、他の人のことを助けることができるのです。一人で夢を叶えるのではありません。あなたも他の人たちの助けを借りる必要があるのです。助けを求めることを恐れないでください。それが個人でも、専門家でも誰であっても、助けを求めることを恐れないでください。
そして同時に、他の人を助けることも恐れないでください。私たちみなが一緒に夢を叶えるのが不可能である、夢を叶えるために互いに助け合うのが不可能である、と言える理由はありません。
3つ目に私が学んだことは、夢を追うことから学べることがあるように、悪夢からも学べることがあるということです。2017年8月、歴史上最大級のストームがヒューストンを直撃しました。町中が水に覆われ、洪水になりました。人々は家を失い、行き場をなくしました。
私のチームは、その時、ニューオーリンズにいました。私たちは帰りの飛行機に乗るところでしたが、私たちは迂回してダラスで足止めされ、家に帰ることができませんでした。自分たちが通る道、知っている家など、すべてのものが水に沈んでいる様子をテレビで見ました。そこで足止めされて、行き場をなくした家族がいる人もいました。妻や子どもが家から出られなくなっているチームメイトもいました。
それでも、何もできることがなかったのです。私たちは自分の無力さを感じました。私は無力に感じました。私の愛する町、私をサポートしてくれている町が、助けを必要としていたのです。それなのに自分はそれを助けられないのです。私は自分の携帯電話を取り出しました。私はホテルの部屋に座り、ソーシャルメディアで、20万ドル集められないだろうかと発信しました。
私が20万ドルを使って何をするつもりであるか知っていました。私はそのお金で食料や水、オムツやペーパータオルなどを購入するつもりでした。自分にできる限りの事をして助けたいと思ったのです。どのように助けられるかわかっていました。その金額は少しずつ上昇してゆき、どんどん上がって、ついには4100万ドル以上にもなったのです。正直に言いますが、私はその4100万ドルで何をするかわかっていました。
(会場拍手)
まず最初に助けを仰いだのは、バジャースの仲間たちでした。世界中にどれだけバジャースの仲間がいるか、そして、その絆がどれだけ親密かを知ると驚かれることでしょう。私はチーム・ルビコンの創設者、ジェイク・ウッドに連絡を取りました。
彼はハリケーン・カトリーナを筆頭に、さまざまな被災者支援において、自身のキャリアの中で非常に多くのことを成し遂げてこられました。彼は私が最初にコンタクトを取った人のうちの一人で、どうしたらいいかを私と一緒に話し合い、一緒にプランを立ててくれました。
実は、ハリケーンが起こる前、募金を集める前、私は少し消極的な態度を持っていました。世界に対して悲観的な態度を持っていました。私たちは非常にネガティブな時代に生活しています。ニュースもネガティブですし、トップニュースも実に多様化しています。それにより私たちは分けられ、引き裂かれているので、私は心配していたのです。私は希望をあまり持っていませんでした。
それなのに、瞬時に、募金活動、手紙、寄付が集まり、何百何千もの人々が世界中からあふれんばかりにサポートしてくれたのです。そのような人たちは宗教、人種、民族、金銭的ステータスなどを気にすることなく、自分が誰を助けているのかなど気にすることなく、進んで立ち上がり、仲間の人間を助けたのを見て、私は希望を持つことができました。
そこには理由、善良、この世には本当の人道が存在するのです。あのハリケーン募金活動は、私が世の中にどれほど善良な人がいるのかに気がつく助けとなりました。そのような人たちがいつもトップニュースを飾るわけではありませんし、ソーシャルメディアで語られるわけでもありません。
でも、私たちが気がついている以上に、世の中には良いことがたくさんあると約束しましょう。そして、世にある善良なことに自分ができる以上に協力し、そこにスポットライトが当たるようにしてやれば、世の中を変えることができるのです。私はそれを学びました。ありがとう。
(会場拍手)
私はこのことを、人生最悪の日々、悪夢の中、空が落ちてくるような中からも学ぶことができました。みなさんも学ぶことができるのです。それにより成長できるのです。そこに希望の兆しが見つかるでしょう。みなさんが自分の旅を続け、夢を追われる中で、最悪の状況に直面したとしても、そこに希望の兆しを見つけることを忘れないでください。
悪夢のような出来事もあるでしょう。そんなことはないと言ってあげたいですが、現実問題そうなのです。周りが前へ進んでいく中で舵取りをし、難しい状況に直面することもあるでしょう。大変な日々や難しい場面に直面した時、それから何かを学ぶことを忘れないでください。そこから抜け出せるのだということを忘れないでください。そこには成長できる機会があるということを忘れないでください。
私が夢を追う中で学んだことの最後の点は、まだまだ学ぶべきことがたくさんあるということです。自分がすべてを知っているわけではないと思っています。すべての疑問の答えを知っている人など、この世にはいません。あなたに嘘をついてそういう人はいるかもしれませんが。その人は、ソーシャルメディアに自分の生活が完璧であるかのように載せるかもしれませんが、そのような人は存在しません。
素晴らしい人生を送っている人はたくさんいて、私も幸いなことにそのうちの一人です。しかし、完璧な人など存在しません。すべてを理解している人もいません。あなたがマディソンに来たとき、何をしたくて、専門が何になるかを分かっていた人もいるかもしれませんが、ほとんどの人はそうではなかったでしょう。
私もいつかフットボールのキャリアを終えた時、何がしたいかを考えると、何をしたいかはっきり分かっている気持ちになる日もあれば、コーヒーカップを片手に、一体全体自分は残りの人生をどう過ごすのだろうかと途方にくれる日もあります。
(会場笑)
みなさんも同じで気持ちになられたことがあると思います。今は将来どこに向かっているかはっきり示すことができるかもしれません。国内でもトップの大学を卒業されたのです。そして、世界はみなさんのものであり、目の前には多くのチャンスが転がっています。自分の夢が何なのか、成し遂げたいことは何なのかわからないかもしれません。それでも大丈夫です。しかし、それが何かわかった時、今日私が話した4つのことを思い出してください。
自分の夢が何かわかった時、まっすぐな道などないのだということを忘れないでください。それでもコミットしてください。自分が成し遂げたいことから目を離さないでください。その道の中で助けを求めることを恐れないでください。他の人の道の途中で助けてあげることも恐れないでください。
暗黒の日々もあるでしょう。難しいことにも直面するでしょう。しかし、それらが物事を学べる機会であること、成長する機会であること、その経験により、以前より自分がましな人間になれるということを忘れないでください。
そして、もっと学ぶべきことはたくさんあります。誰もすべての疑問の答えを知っていません。あなたもすべてを知ることはないでしょう。それでもいいのです。学び続け、鼓舞し、最高のあなたになれるよう努力し続けるのです。今日みなさんはご両親の最も大きな夢の一つを叶えました。これはあなたの夢でもあったことでしょう。そうであったと願います。
そしてきっと明日は午後2時頃に目が覚めて……
(会場笑)
みなさんは、新しい夢に向かって新しい旅を始められるのです。新しいゴールがあるでしょう。新たに成し遂げたいことがあるでしょう。新しい夢に向かう旅を始められるにあたり、その道の途中で何人かの人を助けることを忘れないでください。その旅路の中で世界を良い方向へ変えていく努力をすることも忘れないでください。
私たちが住んでいるこの場所、時代は素晴らしいところです。私たちそれぞれが少しづつ努力し、助け合えい、互いに助けを求めることを恐れなくするなら、信じられない奇跡を起こすことができるでしょう。私たちは共に世界を変えるのです。一度に一人ずつです。本日はおめでとうございました。ウィスコンシンのホームである2019年卒業生、ありがとうございました。
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