学校教育の一番の問題点は「正解主義」?

真田茂人氏(以下、真田):もっとお話していただきたいんですが、このあとは残り10分ございますので、みなさまの質問に答えるかたちで、お話を頂戴できればと思います。質問したいことありましたら、手を挙げていただけますでしょうか。

(会場挙手)

はい。ではマイクをこちらの前の方にお願いいたします。

質問者1:はい、ありがとうございます。誠に興味深いお話をお二人とも本当にありがとうございました。

スポーツが教育と結びつくというのが、イギリスのパブリックスクールが最初で、そこから全人教育とか人格教育が出たということでした。

ある程度の教育観は使うんですけど、そこに必ずスポーツが入っていると言われると、ちょっと僕はそれが入ってなかったんです(笑)。イギリスでいうところの、あるいは鈴木先生の言われるところの全人教育というのには、必ずスポーツの要素が入っているんでしょうか。ということが1つと。

もう1つは、お二人がスポーツは不確実であるとか、修羅場とかPBLの重要性を言われていて、日本の学校教育の一番まずいところは「正解主義」かなと。「失敗忌避症」と言ったらいいのか(笑)。失敗を恐れるという。

でもスポーツは絶対失敗しますから(笑)。そういう意味でも、私は若いころにサッカーをやっていましたけど、紀平(梨花)選手なんか16歳ですごいこと言いますもんね。「たくさん失敗をして、そこから学んで本番につなげる」とか。それって16歳が言う言葉かなと思うんですけど。あの子なんかはまさに、もやもやをしっかり言語化できているなと思うんですよね。

それはやはりたくさんの失敗をしたからこそかなと思うんです。そこにスポーツ教育のポイントがあるような気もするんですね。失敗の効用とか生産性というのをどうお考えでしょうか。

真田:お願いいたします。

「人間は結局、判断力とコミュニケーション力だ」

鈴木寛氏(以下、鈴木):少なくともパブリックスクールに関しては、スポーツは絶対に入ってます。ハーロー校とかラグビー校の方が、実は今アジアにかなり進出しようとされていて、私もそこのいろいろなご相談に乗ってるんですね。

その時に、一番最初に聞かれるのは「ここはラグビー場を何面取れるんだ」と(笑)。「スキー場までどれくらいかかるんだ」とか。そういうところがもう彼らのコアなんだな、ということを感じておりまして。

それがもうスポーツが入っているということだと思いますし、そこに真っ先に嘉納治五郎が注目をしたということがあって。だから日本は東洋でありながら、わりとスポーツが入ったのは、そういうところもあるのかなと思っております。

それから本当そうで、スポーツというのはやっぱり失敗するんですね。さらに言うと、もう失敗からしか学べないですよね(笑)。なんか座学で聞いたことは、もう右から左へ流れますよね。それは知識であって知恵にならない。

結局なにで学ぶかというと、やっぱり判断とか決断に使えなかったら……要するに、亡くなった平尾誠二さんと私は非常に仲がよかったんですけども、彼は「人間は結局、判断力とコミュニケーション力だ」と言っているんですね。まさにそのとおりだと思っているんです。

私はさらに、判断と決断というのはまた違うと。判断というのは要するに、必要な情報を全部集めてきて、そしてそこに合理的な判断プロセス・思考プロセスを持てば、ある種の判断というのはできる。

その情報というのは、現実の世界では十分に集まらないんですね。だから人間というのは、常に情報の不完全性の中でものを決めなきゃいけない。それを私は決断と呼んでいます。

スポーツというのは、まさにそういう情報の不完全性、あるいは非対称性の中で決断をしなきゃいけないということに、ものすごく役立つ。それが今出た正解主義とは違う。世の中で正解をわかってたらそんな楽な話はないわけで、さらにAI時代になると、正解がわかってる話はもう全部AIに任せるということですね。人間のやる仕事は、正解がわからない話になります。

あるいは、判断はAIに任せます。過去と同じ判断をする話はAIに任せます。要するに、不確実性の中で、VUCA(Volatility:変動性・不安定さ、Uncertainty:不確実性・不確定さ、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性・不明確さ)の中で決断をする。

あるいはそこに納得する。もう一般普遍解のあるものはAIがやって、個別暫定解をどんどん修正していくのが人間の仕事になっていくわけですね。そうなった時にスポーツはすごく重要であると。

私もよく言うんですね。「イチローだって65パーセントは失敗してるよ」って(笑)。3割5分打ったら、首位打者も首位打者。3割3分打てば、もうプロ野球の選手として立派に生き残ってるわけだから。

3回に1回したらもういい。若いうちに2割も当たったら、「君はめちゃめちゃ有望じゃないか!」とか言ってですね(笑)。そういうわけで、今言われたとおりだと思います。

真田:ありがとうございます。じゃあ、もうお一方どうでしょう。せっかくの機会ですから。

(会場挙手)

はい、じゃあお願いいたします。

自主性を重んじることと、トップダウンのバランス

質問者2:お話ありがとうございました。私はアメフトのコーチを20年間やってまして、実はジレンマがあります。選手の命を守るために、ある意味トップダウンでやらないといけない部分がありまして。その時に、トップダウンのところと任せるという部分は、どういうふうに解決しているのかということをうかがいたいです。

真田:はい。では東海林先生、お願いできますでしょうか。

東海林祐子氏(以下、東海林):はい。今おっしゃられたとおり、私はすべてを意図的に、10のリソースをどのケースでは選手同士にやらせて、どのケースではまさにトップダウンでヒエラルキー的にやるかという、その使い分けが非常に重要だというお話をしました。

まさにその安全面で、要するに今回の社会現象にもなりましたような(笑)、安全を脅かすようなことはトップダウンで「それはダメ」という権限の行使が必要ですね。

あとはやっぱりチーム戦術でありますとか。先ほど鈴木先生のお話にもありましたように、一人がリーダーシップではなくてですね。例えば、もう実際にされているとは思うんですが、オフェンスでのオフェンスリーダー、セットプレーでのセットプレーリーダー、みたいなのがあると思うんです。

そういった権限を選手に任せて、それがどうであったのかという評価を選手と一緒にやるというような使い分けかな、という感じに思っております。

真田:はい。じゃあ、もうお一方、後ろの方の手が挙がってましたので。これを最後にしたいと思います。お願いいたします。

「PDCAシンドローム」の最適解

質問者3:本日は貴重なお話をありがとうございます。鈴木先生にお尋ねします。先ほど「PDCAシンドロームに陥っている」という、私も思い当たるようなお話がございました。そういうのが蔓延しちゃった原因みたいなところをもう少し深く聞かせてもらえればと思います。

鈴木:はい。日本というのは、良いところでも悪いところでもあるんですけども、先進事例というのを無批判に鵜吞みにするところがあるんですね(笑)。それは結局、先進事例であってもワンジェネレーション前の成功事例であって、それを真似ていると必ず遅れるんですよね。だからやっぱり自分で考えて、自分で判断して、自分でデバッグするということが大事で。

とくに日本というのは、今まではキャッチアップ型だったから、それでアメリカやヨーロッパが作ってきた経営手法を学んでいく。それをさらに改良すると。QC運動なんていうのは、それを日本に持ってきて、さらにTQCというかたちにして。それはうまくいったんですけども。

ある意味で日本が今課題先進国で、要するに今度は道なき道を我々が切り開いている。それをほかの国が真似している。フォローされる側になってきてるわけでありまして。

そういう中でPDCAがなぜダメかというと、プランをするためには、プランの前提となるいろいろな条件、あるいは与件というものがあって、初めてプランというのはできるんですね。

例えば、この業界の全体の売上の伸びがどういうふうになるのか。半導体だったら半導体がどういうふうになるのかとか。あるいは携帯電話だったら、携帯電話のマーケットがどうなのかと。その中で自分の会社はどういうポジションをとっていくのか、ということなんですね。

携帯電話の普及の局面。とくに新しいものが入っていく局面というのは、定常状態になれば、それはプランもできるんでしょうけど、3ヶ月ごとにマーケット予測は変わるわけですよね。

私は20世紀に、1995年ぐらいから通産省でIT政策をやってたんですが、やっぱり日本の会社のビヘイビアを見てますと、ものすごく立派なプランを作るんです。

中期計画、そして事業計画。しかし3ヶ月経ったら、その前提が変わる。需要予測も変わる、為替の動向も変わる。あるいは世界情勢も変わる。そうするとまたリプランするんですよね。で、3ヶ月経つと、また状況が変わると。

そうするとプランして、リプランして、リプランして、リプランして……Doしないんですよね(笑)。で、その間にものすごく重要なビジネスチャンスを逃したり、絶対に回避しなければいけないリスクを回避するという重要な判断を見逃すんです。そういう現象をいっぱい見てきた。

だけどいまだに、無批判にPDCAをやっていて。これはある種、マーケットや状態が安定しているところならいいんですけれども、これだけ不確実性が……。結局、米中首脳会談の動向でもって、いろいろな電子部品のマーケットとかも大きく変わるわけですよね。そうしたらこれ、リプランしなきゃいけないわけですよね。

日本は「卒意」が弱くなっている

鈴木:そういうようなことに対して、日本は非常に弱くなっている。ここもスポーツの重要なことなんですけど、私が若い人を育てる時に、「用意」と「卒意」ということを言っています。「用意」というのは、むちゃくちゃ用意ですね、準備しておく。

「卒意」というのは、卒業の卒に意と書く。これは書道から来ている言葉で、「卒意の書」というのは、例えば、お花見とかお茶とか、船を浮かべてお月見したりして、パッと短冊を渡されて、筆を渡されて、さささっと書くのが卒意の書と言うんですよ。

日本は、この卒意が弱くなっているんですよ。要するに臨機応変対応力みたいな。もちろん用意はしなきゃいけないんだけれども。

だからスポーツというのは、まさにその用意と卒意のバランスがものすごくよくて。日頃の練習で用意はもちろんしておかなきゃいけない。ただ、やっぱり実戦でもって、どんどんその場に応じた臨機応変な判断で変えていかなきゃいけないんですね。だけど、こういうセンスが日本は用意過多になっている。

さっきのPDCA症候群もそうで。だからPDCA症候群というのは、用意過多の典型みたいなものですね。これは否定してるわけじゃないです。だけど、これが通用する部分は半分だということです。そういうことで、先ほどのPDCAシンドロームという言葉を申し上げました。

真田:はい、ありがとうございます。いやぁ、濃い話で。もっと続けたいんですが(笑)、時間になってしまいました。午前の部、1部はこれで終わりたいと思います。鈴木先生、東海林先生、どうもありがとうございました。

(会場拍手)